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家を追い出されて自由になった、腹黒令嬢の新しい生き方【短編版】

作者: 結生まひろ

連載版も始めました!

「ローナ・レイシー! 君との婚約は破棄させてもらうぞ、この腹黒悪女め!!」


 婚約者、ガス・マレー伯爵令息の大きな声が、パーティー会場である広間に響き渡った。


「婚約、破棄……?」

「当然だろう! 君がこんなに腹黒い女だとは思わなかった!!」


 そう言って、ガス様は焦げ茶色の髪を振り乱しながら怒りを露にした。


 親の決めた相手だけど、ガス様は私のことを好きだと思っていたのに。おかしいわ。


「今まで僕に優しくしていたのは、金のためだったんだろう!? すべて君の義妹であるジーナに聞いたぞ!!」

「えっ、ジーナに?」


 興奮しているガス様の隣で、継母の連れ子であるジーナが扇で口元を隠した。


「そうだ!! 裏で僕のことを〝取り柄は金だけのグズ〟だとか〝実家が太いだけの能なし〟だと言っていたらしいじゃないか!」

「そんな……! 酷いわ、ガス様! 私がそんなことを言うわけないじゃないですか!」

「うるさい! 言い訳は聞きたくない!! 僕は本当に君のことを愛していたというのに……!!」

「……」


 涙ぐみながらそう叫ぶガス様だけど、彼の左手はジーナの腰に回されている。


 否定してみたけど、どうやら駄目みたい。


「僕は君との婚約を破棄して、ジーナと結婚することにする!! 僕のことを心から愛してくれていて、君に騙されていることを教えてくれた、このジーナと!!」


 確かに私に愛はなかった。


 ガス様は伯爵家の次男で、うちに婿入りする予定だった。

 うちは裕福ではない子爵家で、家のためにガス様との結婚を受け入れたのは事実だけど、別に〝グズ〟だとか〝能なし〟とまでは言ってない。


 ……うん。思っていたとしても、絶対言ってない。


 私はガス様が機嫌を損ねないよう、いつも気を遣っていたのだから。


 それなのにジーナったら、一体どういうつもり?

 ガス様と結婚したかったのなら、言ってくれればよかったのに。


「……わかりました。婚約破棄は受け入れます」

「認めるのだな……。君のような腹黒悪女の顔はもう二度と見たくない! 君は今すぐレイシー家を出ていってくれ!!」

「え……っ?」


 家を出ていけ? そんな急に、なんと勝手な。


「レイシー子爵の了承は得ている! もう二度と戻ってくるな!」

「そんな、お父様が?」


 私を嫌っている継母はともかく、父の了承も得ているなんて。


 ガス様との結婚がなくなればうちは破産する。

 だからきっと、私が出ていくことを条件にしたのだろう。


 再婚してからは、父も継母の言いなりだった。


「……わかりました。お元気で」

「ふん……っ! 君のような性悪女は、地獄に落ちるに決まっている! 後で泣いて謝っても遅いからな!」


 ガス様は最後までグチグチ言っていたけれど、こうなった以上、私にのんびりしている暇はない。



 すぐに帰って、家を出る準備をしなければ。




「――ローナ……、本当にすまない」

「いいのです、お父様……お父様もお辛いのでしょう?」

「ああ……おまえは本当に、なんて優しい子なんだ」

「いいえ、そんなこと……」

「そんなおまえを……本当にすまない」


 家に帰ると、既に私の荷物はまとめてあった。

 トランク一つにまとまるほどの、少しの量だったけど。


 一刻も早く私が出ていけるよう、継母がまとめておいたのだろう。容易に想像できる。


 父は申し訳なさそうに謝ってくれたけど、元々気が弱いから継母の言いなり。


 いつもいつもそうだった。

 六年前に母を亡くして父が再婚してから、十八歳になった今までずっと。


 父は、気の強い継母に何を言われても言い返せすことができず、この家は継母の思い通りになっていた。


 そして、ついに私まで追い出されることに。

 これもすべて、継母の策略なのだろう。


〝なんとかしてよ! お父様!〟


 そんな思いも浮かんだけれど、私にとってこの家はとても居心地が悪かった。


 継母により一新された使用人からも私は冷遇されていたし、この家を出て行けるのはむしろ好都合かもしれない。


 すまないすまないと泣いて謝る父を責めることはできず、私は最後まで〝いい娘〟を演じて子爵家を後にした。




「――さぁ、どうしようかしら」


 家を出て行けと言われたときから考えていた、これからの生き方。


 私の結婚はなくなった。

 つまり、これからは自由ということよね?


 せっかくなら、楽しい仕事がしたい。


「となると、やっぱりあそこ(・・・)ね!」



 そうして向かった先は、魔法学園時代に知り合った、恩師が経営している魔導具店。



「師匠!」

「ローナ。どうしたんだ、こんな時間に」


 ぎりぎり閉店時間に間に合い、勢いよく扉を開いたら、師匠と話をしていたらしい、お客様が一人いた。


「あ……すみません」

「いや、構わないよ。彼はうちの常連だから」

「グレンです」

「初めまして、ローナです」


 見上げるほどに背の高いその男性は、爽やかな笑顔を浮かべてくれた。


 濃紺の髪に、紫色の瞳。

 カジュアルな服装だけど、品があって高級そうな生地。


 どこかの貴族の、ご子息かしら?


「私ったら、はしたなく大声を出してしまって……」

「大した話はしていなかったから、大丈夫だよ」


 念のために、彼にもにっこりと笑顔を浮かべておく。


「それで、一体どうしたんだ」

「そうだわ、師匠。お願いがあります! どうか私をこのお店で雇ってください!」

「……え?」


 銀色の髪を後ろで束ねたこの方、ジョセフ・ウィッター伯爵は、私が学生の頃、外部講師として時々魔法を教えにきてくれていたとても優秀な方。


 私はこの方にうまく取り入り、とても可愛がってもらっていた。

 今でも師匠として慕っており、どうしてもお腹が空いて我慢できないときはこうして尋ねて師匠の仕事を手伝い、食事をごちそうしてもらっていた。


「君のような子がうちで働いてくれるなんて、願ってもいないことだが……君はもうじき結婚するのではなかったかな?」

「それが……婚約は破棄されてしまって」

「え?」

「それに、家も追い出されてしまったので、できれば住み込みで働きたくて」

「追い出された!?」


 涙ぐむ素振りを見せた私の言葉を聞いて、師匠もグレン様も目を丸く見開いた。


「どうしてだ!? 一体なにがあったんだ!」

「うちの事情で……致し方なく。ですが、せっかく自由になったのですから、私は師匠のもとでもっと魔法を学びたいと思っています」

「そうか……」


 師匠は、私の家の事情を少しだけ知っている。

 だからグレン様の前でそれ以上深く聞いてくることはなかった。


「わかった。もちろん私は大歓迎だよ。ここの部屋も好きに使うといい」

「本当ですか? 嬉しいです! 師匠、ありがとうございます!」

「いやぁ、君が困っているのなら、もちろん助けるよ」


 その言葉に、私はほっと胸を撫で下ろす。


 ふふふ、ちょろいわね。


 師匠が駄目なら、あとは学生時代の友人の家で使用人をすることしか思いつかなかった。


「大変だったみたいだね。俺はよくこの店に来るから、これからよろしくね」

「はい、グレン様。よろしくお願いいたします」


 そうして本日最後のお客さま――グレン様を見送ると、師匠は私を部屋へと案内してくれた。




     *




 翌日から、私は師匠に魔法を教えてもらいながら魔導具店の店員として働き始めた。


 このお店には、師匠が魔法付与した便利な道具がたくさん置いてある。


 他にも、具体的に〝こういう付与を頼む〟と依頼しにくるお客様や、世間話をしに寄る常連さんたちがいて、私は新しい生活に充実を感じていた。


 以前の、息苦しい生活よりずっといい。


 師匠もお客様も優しいし、新しい魔法を覚えるのもとても楽しい!


 だからこの店を追い出されないよう、うまくやらないと……!




「おはようございます」

「グレン様、おはようございます」


 その日も、グレン様はやってきた。

 聞いていた通り、彼はよく来店する。


 グレン様は王宮で騎士をされているらしい。

 剣に魔法の付与を頼んだり、魔物との戦いで役立つ魔導具を買っていったりするのだけど、仕事の後や休みの日に、こうして訪れてくれる。


 彼は騎士様だけど、ご自身も魔法の使い手で魔法がとてもお好きなようで、師匠と魔法の話で盛り上がったり、何気ない世間話をしたりもしている。



「グレン、今日は随分早いな。仕事は休みか?」

「はい、暇だったので、朝から来てしまいました」

「それは構わないが、こんないい天気の日にデートをする相手もいないのか」

「いませんよ、そういう相手は。それに俺はここに来たほうが楽しいので」

「ははは、本当にもったいないなぁ。この変わり者め」


 師匠とグレン様はとても仲がいい。

 まるで親子のようにも見えてしまう。


 それにしても、グレン様は二十代前半という年頃で、王宮騎士様を務めているというのに婚約はしていないのだろうか?

 見た目だって相当いいし、性格も爽やかで優しい方。


 社交の場に出たら、相当モテるに違いない……。

 


「それじゃあローナ、私は魔導室で仕事をしてくるから、店番を頼むよ」

「はい」


 依頼されていた魔法付与の仕事に取りかかるため、師匠は店内裏にある魔導室へ向かおうとした。


 私が店番をするようになったおかげで、営業中も魔法付与の仕事に集中できると、師匠はとても喜んでくれている。


 けれど。


「あ……! 大変だ、魔石を切らしていたのを忘れてた」

「え?」


 どうやら、魔法付与に必要な上級魔石を仕入れ忘れていたようで、師匠ははっとして足を止めた。


「困った、この依頼には上級魔石が必要だというのに……」


 魔石にはランクがあり、より性能の高い魔法を付与するためには、上級魔石でないとならない。

 そうでなければ、石が耐えられなくて壊れてしまうのだ。


「私が直接行って、仕入れてきましょうか」

「しかし、魔石店は遠いぞ?」

「大丈夫です。少し時間がかかってしまうかもしれませんが、急いで行ってくるので師匠はお店をお願いします」

「ありがとう……ローナ。君は昔から、本当に優しい子だな」

「そんなことありませんよ」


 ……ふふふ、これでまた師匠に恩を売れるわ。


 こういうときに役に立たなければ、私がここで働いている意味がないというものだ。


 それに、師匠には大きな恩があるのも事実だし、こういうときにしっかり返しておかなきゃね!


 ……私は知っている。

 恩着せがましくならないよう、でも恩を売っておけば、困ったときに助けてもらえるものだと。


 これまでの人生で、それは嫌と言うほど学んできた。


 憂さを晴らすように私に意地悪をする使用人もいたけれど、先輩にいじめられている使用人に優しく声をかけたら、その後彼女はこっそり私に優しくしてくれた。


『あなたって、奥様が言うような嫌な子じゃないのね……。逆にとっても優しいわ、ありがとう』

『……そんなことないわ、当然のことをしただけよ』


 ふふふ、もっと喜んで私に感謝して、食事にお肉も入れてね……?



 申し訳なさそうに謝罪する父のことも責めずにいたら、継母に内緒で意地悪な使用人に注意してくれたこともあった。



 師匠は優れた魔法使いだけど、ちょっとうっかりしているところがある。

 実は学生時代にもよく、困っていた師匠の手助けをしていた。

 だから師匠は、私を〝いい子〟だと思って、こうして雇ってくれているのだ。


 こういうところがガス様に「腹黒い」と言われてしまった理由かもしれないけれど、口に出さなければ気づかれることもない。


 これは私の生きるための知恵なのだから。


 ……ジーナが盛って話してしまったようだけど、まぁ今となってはもういい。


「それでは俺の馬で送っていこう」

「それは助かる。頼めるか、グレン」

「もちろんです」

「え……っ、ですが、グレン様にご面倒をおかけしてしまいます……!」

「いいんだよ。俺はどうせ暇だし、ジョセフ殿にはいつも世話になっているから」

「ここはありがたくお願いしよう。少しでも早く魔石を買ってきてくれると、私も助かる」

「……わかりました。では、お願いします」



 そうして、私はグレン様と一緒に魔石店へと馬を走らせたのだった。




     *




「――んんっ! すっごく美味しいです!」

「よかった。今回はローナのおかげで本当に助かった。ありがとう」

「いいえ、当然のことをしただけです。それに、グレン様のおかげで早く行くことができましたので」

「そうだな、グレンも本当にありがとう」

「俺もいつも世話になっている礼です」


 グレン様の馬に乗せてもらったおかげで早く魔石を買ってこられたから、なんとか約束の時間までに魔法付与を終えられた。

 その日の夜、師匠は私とグレン様を近くのレストランに連れていってくれた。


 お礼に美味しいものをごちそうしてくれると言って。


 そして師匠は「好きなものを頼め!」と言って、私には今まで食べたことのないような高級料理を注文してくれた。


 ローストされた牛肉やポテトに、ソーセージの盛り合わせ。

 とても飲みやすい、口当たりのいいワイン。


 ああ……こんなに美味しい料理が食べられるなんて……。


 食事が与えられなかったわけではないけれど、子爵家ではいつも家族とは別々に食事をとっていた。

 使用人があからさまに私の食事から肉を抜き、古くて堅くなったパンを出してきていた。



 魔石店は確かにちょっと遠くて疲れたけれど、グレン様の馬で早く着けたし、美味しいご褒美もいただけたし。


 やっぱり行ってよかったわ!


 ふふふ……。腹黒いと言われても、たとえ偽善だとしても、人助けはするものね。


 そんなことを考えながら、滅多に食べることができないごちそうを堪能する。


「そうだ、ローナ。今回の礼に、これをやろう」

「なんですか?」

「願いが叶う魔法の石だよ」

「願いが叶う石?」


 ご機嫌に、ポケットから取り出した小さな魔石を私に差し出す師匠。


 願いが叶う魔法の石……そう言っていたけど、きっとこれはなにかの魔法が付与された魔石。


「願いが叶うのは一回だけだ。嫌いな相手を懲らしめたり、好きな相手と想い合えたり、いい夢が見られたりするぞ」

「へぇ……そんなすごいものをいただいて、本当にいいんですか?」


 どこまで本当かはわからないけれど、なんだかとても面白そうなので、ぜひちょうだいしたいけど。一応一回くらいは謙虚なふりをしておこう。


「いいよ。ローナが来てくれてから、私は毎日とても楽しいからね」

「ふふふ、私も楽しいです」

「俺も、店に行くのが楽しみで仕方ないよ」

「え?」

「そうかそうか! それはいいことだ!」


 ぽつりと呟かれたグレン様の言葉が少し気になったけど、ご機嫌にワインを追加する師匠の声でかき消えてしまった。



「――本当に美味しそうなチョコレートケーキで、食べるのが楽しみです!」

「ああ、この店のケーキはとても美味しいから、期待して」

「はい!」


 最後にデザートでチョコレートケーキまで出てきたけれど、お腹いっぱいで食べられそうになかったから、包んでもらい、持ち帰ることにした。


 甘いものが大好きで、特にチョコレートに目がない私は残して帰ることなんてできなかったから、本当に嬉しい。


 ふふふ、明日の朝食にしようかしら。

 そうだわ、この間お客様からいただいた、とっておきの紅茶を淹れましょう!



「……それより師匠、起きてください。帰りますよ?」

「ううん……まだまだ……」

「駄目だな。俺が送っていこう」

「本当にすみません」

「いや、よくあることだから」

「……そうなのですね」


 結局酔いつぶれて起きようとしない師匠を、グレン様がなんとか立ち上がらせて家まで送り届けてくれることになった。


 グレン様がいて助かったわ。

 私一人では師匠の身体を支えることはできなかったもの。


 グレン様は、さすが王宮騎士様ね。

 三十代後半の師匠も結構がっちりとした体格だけど、全然平気そう。


 私も反対側から師匠を支えたけど、グレン様一人で大丈夫そう。


 そんなことを思いながら家に向かって歩いていたとき。



「このガキ――! パンを盗みやがって!!」


 裏通りのほうからそんな怒鳴り声が聞こえて、私たちは足を止めた。


 見ると、そこで子供がパン屋の店主に蹴られていた。


「なんてことを……!」

「孤児だね。この辺りにもああいう子供がいるなんて……」

「……」


 そうか……。

 お金がなくてパンが買えなくて、盗ってしまったのね。


「かわいそうだが、この国にもまだまだああいう子がたくさんい――」

「……助けに行かなくちゃ!!」

「え?」


 あの子も困っているのだろうけど、パン屋の店主も困っている!


 そう思った私の身体は条件反射で動いていた。


「待ってください! お金は私が払いますので、もうやめてください!」

「あ? なんだ、あんた」

「この子はお腹を空かせていたのでしょう……それで、あなたのお店から香るいい匂いに勝てなかったのね。だってあなたのお店のパンって、とても美味しいから!」


 キラキラと精一杯の眼差しを店主に向けて、子供を庇う。


「……そ、そうかな? まぁ、金さえ払ってくれればいいんだよ」

「ありがとうございます!」


 ふふふ、私には先日出たばかりのお給料がある。

 師匠のお店には住み込みで働いているし、もともと浪費癖はないのでお金の使い道には困っていたくらい。


「おつりはいりませんよ」

「ああ、そう? ……ちょうどだけど、毎度あり」


 強い気持ちでお財布からパンの代金を支払うと、店主は納得して帰っていった。



「大丈夫? 怪我をしているわね」

「……」


 パンを盗んだのは、十歳くらいの男の子だった。


 膝や腕に擦り傷を作っているし、蹴られたところも痛むはず。


「今治してあげるわ」

「……?」


 男の子は私にも警戒するような視線を向けたけど、私は先ほど師匠にもらった〝願いが叶う魔法の石〟をポケットから取り出し、この子の傷が治るよう願った。


「……すごい、痛くない」

「よかった、治ったみたいね」


 半信半疑だったけど、本当に願いが叶うなんて。

 やっぱり師匠はすごいわ。


「お姉ちゃん、魔法が使えるの?」

「そうよ。いい子にだけ使える魔法なの。だから、もうパンを盗んだりしては駄目よ? お腹が空いたら、西の外れにある教会に行ってみて? きっと助けになってくれるわ」

「……わかった。ごめんなさい、今日は妹の誕生日だったんだ。それで、焼きたてのやわらかいパンを食べさせてやりたくて」

「そうだったの……それじゃあ、これをあげる。チョコレートケーキよ。よかったら妹と一緒に食べて」

「いいの?」

「ええ」

「ありがとう、お姉ちゃん!」


 本当は私も楽しみにしていたけど、つい良い人ぶって渡してしまった。


 でも、ぱぁっと嬉しそうに笑う男の子の笑顔を見たら、これでよかったと思えた。


 それに、きっと神様が見ていて、私にもまたいいことがあるに違いないわ!



「ふふふ……」

「ローナ……君は――」

「あ……っ、すみません! 勝手に離れてしまって」

「いや、それはいいんだが……」


 今はグレン様と師匠と一緒なんだった。


 つい身体が動いてしまったわ!


 ……でも、悪いことをしたわけではないし、大丈夫よね?


「さぁ、帰りましょうか」

「……ああ」


 もう一度師匠の身体を支えて家に戻った私たちだけど、グレン様からはなんとも言えない視線を感じていた。




     *




 翌日から、グレン様は毎日店を訪れるようになった。


 それも、三回に一回はなにか手土産を持参して。


「今日はローナにこれを」

「グレン様、本当に、そんなにしょっちゅういただけません……」

「今日はあの店のチョコレートケーキを持ってきたよ」

「え……っ!?」


 こんなに頻繁に贈り物をもらうのはおかしい。

 グレン様はお客様なのに、申し訳ない。


 そう思っていたけれど、その日彼が持ってきたのは、あの日食べ損なったチョコレートケーキだった。


「わぁ……これは本当に美味しそう……」

「美味しいよ。やっぱりどうしても君に食べてほしくて。受け取ってくれる?」

「……では、本当にこれが最後ですよ?」

「はは、君は素直で可愛いね」

「えっ、かわ……!?」


 せっかくだし、もったいない。

 これからは何も買ってこなくていいですよと伝えて、このケーキはしっかり受け取ったら、グレン様は私を見て小さく笑った。


 しかも、可愛いだなんて……。


「グレン。ローナを口説くつもりなら店の外でしてくれ」

「では、今度の休みに俺とデートしてくれない?」

「デート!?」

「そうだな、それがいい。ローナの次の休みはグレンに合わせていいぞ」

「し、師匠まで、なにを……!」


 最近なんだかグレン様の態度が最初の頃と違う気がするのは、気のせいではなかったのかしら……?


 確かに私は人当たりのいい顔を心がけていたけれど、グレン様とどうこうなりたいと思っていたわけではない。


 彼はお客様だから。

 愛想をよくするのも、親切にするのも、当然のこと。


 それにもう、結婚だの婚約だのは懲り懲り……。


 そう思っていただけに、なんだか申し訳ない気持ちになってくる。



 そんなときだった。



「――ローナはいるか!?」


 突然、勢いよく店の扉が開いたと思ったら、血相を変えた元婚約者――ガス様がやってきた。


「ガス様!? ど、どうされたのですか?」


 彼はもう二度と私の顔を見たくないと言っていたのに。


「ローナ! こんなところで働いているというのは本当だったのか……!」

「はい……何かご用でしょうか?」

「迎えに来たよ、僕のローナ!」

「…………は?」


 胸に手を当てて熱い眼差しを向けてくるガス様に、思わず心の声が漏れる。


「聞いたよローナ、君は父君――レイシー子爵をずっと支えていたんだってね」

「え?」

「母君が亡くなり、失意の底に落ちていた子爵に優しく寄り添い、いつも天使のような笑顔で支えていたのは君だったと、子爵から聞いた」

「……お父様から?」

「そうだ。君がいなくなって、父君はようやく目が覚めたらしい。あの女とは離婚したそうだ」

「お父様が、離婚……?」


 母が亡くなってから、父はいつもめそめそしていて、継母の言いなりだった。


 もっとしっかりしてほしいと思っていたけど……。


 そんな父が、まさかあの継母と離婚するなんて――。


「ああ、本当に僕の金が目当てだったのはあの再婚相手の母親と、ジーナだったんだな! 僕を騙すなんて本当に酷い奴らだ。だから僕もジーナとの婚約は破棄してきた! さぁ、安心して帰っておいで!」

「……」


 なんとまぁ……。

 本当に勝手なことを言う方ね。

 呆れ果てて言葉も出ない。


「ん? なんだい、その顔は。僕が迎えに来て嬉しくないのかい?」

「ええ……別に」

「なに!?」


 だって彼はあんなに興奮して私を追い出し、二度と顔を見たくないと言ったのに。

 謝罪の言葉もないなんて。


「……それじゃあやっぱり君も僕のことは金づるとしか見ていなかったのか!?」

「そういうわけではありませんが――」

「僕にあんなに優しくしてくれた日々は、やはり嘘だったのか……!? あの笑顔は……! 酷いじゃないか!! この、腹黒悪女め!!」

「……」


 涙ぐみながらそんなことを叫ぶガス様に、あの日のことを思い出す。


 ……これはあの日のやり直し?

 今度は隣にジーナもいないけど。


 彼はそんなことを言うためにわざわざ来たの?


「おい、黙って聞いていればなんて無礼なことを言うんだ」

「おまえらもこの女に騙されているんだ!! この女は自分の得のために人に優しくする偽善者だ! 可愛い顔の裏であくどいことを考え、男をたぶらかす、悪女なんだ!!」


 師匠に言い返した、ガス様の叫ぶような声が店内に響く。


 確かに私は、自分のために人に優しくしてきた。

 偽善だと言われても、否定できない。



「なにを言っている。君はローナのことをなにもわかっていないんだな」

「……誰だ、おまえは」


 そう思って口を閉ざしたとき。


 グレン様の静かな声が優しく私の耳に届いた。


「俺にはわかる。彼女の優しさは本物だ。たとえそれが父や家……自分の生活のためだったとしても、彼女は追い込まれたときでも変わらぬ優しさを貫ける人なのだから」

「それは……」

「俺は彼女に出会ってあなたより日が浅い。それでもわかるぞ。彼女の優しさは、行動は、本物だ」

「そうだ。私はローナのことを学生の頃からよく知っている。彼女は昔から人が困っているのを放っておけない、本当に優しい子だった」

「グレン様……師匠……」


 私は、二人が言ってくれるような、心優しい人ではない。

 内心では、自分のためにしていることだったのだから。


 でも、きっと二人はそれもわかったうえで、言ってくれているんだ。


「なんなんだよ、ローナのことを知ったふうな口を利いて……! だいたい、おまえは誰なんだ!?」

「……申し遅れたが、俺の名はグレン・ハッセル。王宮騎士を務めている、侯爵家の次期当主だ」

「グレン・ハッセル……? ハッセル侯爵家の、嫡男……!?」


 その名を聞いた途端、ガス様の顔色は青ざめていく。


「ローナが婚約破棄されて家を追い出されたと聞き、あなたのことを調べさせてもらった。伯爵()の金をちらつかせて、随分好き勝手やっていたようだな」

「え……?」

「確かに二人の婚約は親が決めた政略結婚だったんだろう。愛がないのも当然だ。しかしそれでも彼女はあなたに優しくしていた。たとえ表面だけの優しさだったとしても、彼女はあなたに笑顔を向けていた。それなのに、あなたは余所で女を作ってやりたい放題」

「なぜそれを……!!」

「それでもローナを「金目当て」だと責めるのか? そんなこと、最初からわかったうえでの婚約だったろうに」

「……っ」


 グレン様の表情は、かつて見たことがないほど鋭かった。


 いつも爽やかで優しい人だから、少し意外だけど、そのギャップにドキドキしてしまう。


 それに、グレン様が侯爵家のご嫡男だったなんて。

 そういえば家の話は聞いたことがなかった。


「あなたのことは父にも伝えさせてもらう。うちとマレー伯爵家との取り引きが今後どうなるか、覚悟しておけ」

「ま、待ってくれ……! 僕のせいでハッセル侯爵家との取り引きがなくなってしまったら、僕は……!!」

「自業自得だろう?」

「……っ」


 涙を流してグレン様にすがりついたガス様だけど、グレン様の冷静な一言に言葉もないようだった。




「――本当にありがとうございました」


 なんとかガス様にお帰りいただいた後、師匠とグレン様に改めてお礼を伝えた。


「あいつは客ではないようだったし、従業員を守るのは当然のことだ。……そうだ、魔法付与の依頼を受けていたのだった。私は奥にいるから、店を頼んだよ、ローナ」

「はい」


 師匠はそう言って魔道室に行ってしまったけれど、そんな依頼は入っていたかしら?


「グレン様にもご迷惑をおかけしました」

「いや――」


 グレン様はお客様なのに。

 本当に迷惑をかけた。


「君とあの男の事情を勝手に調べて申し訳なかった」

「いいえ、隠すつもりはなかったので、構いません」

「君の力になりたいと思って」

「え?」


 調べたのだから、私がお金のためにガス様と婚約したことを、グレン様は知っている。


 けれど彼は、一層真剣味を帯びた表情で私を見つめて、口を開いた。


「君を見ているうちに、俺は君に惹かれていった。先ほど言った言葉も本心だ。俺は君の優しさは本物だと思っている。君がなんと言おうともね」

「ですが……」

「知っているかい? 君があのとき怪我をした子供に使った、願いが叶う魔石。あれは、心の綺麗な人にしか使えないんだよ」

「え?」

「やはりジョセフ殿から聞いていなかったのか」

「初耳です」


 師匠ったら……。

 もし私が使えなかったらどうするつもりだったのかしら?

 もしかして、私を試したんじゃないでしょうね? もう。


「それに、なんでも叶うわけではない。君の魔力に反応して、あの子の傷は治ったんだ」

「私の魔力……?」

「そう、君にはとても珍しい、治癒魔法の素質があるということだ」

「……!」


 治癒魔法が使える者は、とても稀少。

 一般的に怪我をした際は、薬草で作られた傷薬や回復薬が使われる。

 薬草なしで、魔法だけで傷を癒やせる者は、そういるものではない。


 師匠にだって、使えない魔法だ。


「とても嬉しそうだね」

「はい、この魔法がちゃんと使えるようになれば、師匠に恩返しができます……! それに、たくさんの人を助けることができますよね?」

「そうだね」


 ふふふ、そうすれば私はまた師匠に恩を売れるし、たくさんの人に感謝してもらえるわ!


「私、明日からも頑張ります!」

「はは、君は本当に人助けが好きなんだね」


 グレン様はそう言って笑った。


 私は人助けが好き……?


 人を助けると、「ありがとう」と感謝されて、お礼に私もいい思いをできることがある。


 だから、自分の得のためにやっていることだと、思っていたけど――。


「俺も、これからも君のことを応援してるよ」

「……ありがとうございます、グレン様」

「でも、これからはもっと俺のことも見てくれるかな?」

「え――?」


 そう言って、グレン様は私の手を取るとその甲に優しく口づけを落とした。


「……グレン様!?」

「俺の気持ちにも気づいてほしいな」

「…………」


 それは、どういう意味でしょう……?


 にこやかに微笑むグレン様の笑顔を見て、彼はちょっと変わった方だと思った。


 もしかしてこの人、私以上に腹黒かったりして?




お読みくださいまして、ありがとうございます。

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[一言] まさに「情けは人の為ならず、巡り巡って己がため」。 「しない善よりする偽善」は、それを通せる人はホントにすごいなって思います。 自分じゃ絶対そーゆーのやりませんしね…
[良い点] 昔の人が「情は人の為ならず」と言っていたように厳しい境遇からしたら打算があって当たり前。 自分よりさらに弱い立場にいる者を虐げるようになってもおかしくないのに、下働きなどに優しくできるロー…
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