何が「愛」かと魔王は問うた
ひとりの娘が魔王に捧げられた。
百年に一度、必ず行われる儀式だ。
この年、北の岩城に送られたのは、さる王国の男爵令嬢だった。
教養はあるが家は貧しく、病気がちの父と弟たちを養うため、報奨金を目当てに自ら志願したのだという。
魔王にとって、娘がどこの誰であるかは問題ではなかった。
美醜も、年歳も、性別さえ指定したことはない。
伴侶となり得る者であれば、誰でもよかったが、捧げられたのは常に『若い娘』だった。
魔王が娘たちに求めたのは、常にたった一つのことだ。
「我が伴侶となる者よ、わたしに愛を教えてくれ」
娘に対面した魔王は、これまでと同じように言った。
「出来なければ、わたしはお前を殺すだろう」
こうして新しい伴侶との生活が始まったが、リーベと名乗った娘は、これまでのどの娘とも違っていた。
魔王を恐れることも、媚びることもしなかった。
リーベは、魔王と食事を共にし、庭に出て茶を飲んだ。
この城では魔法仕掛けの繰り人形が生活の世話のすべてを行っている。
それなのに、リーベは自らの手で料理を作り、茶や菓子を準備した。
繰り人形に庭を整える指示を出し、花を摘んできて部屋や窓辺を飾った。
一週間ほどたった今は、常に同じ服を着ている魔王に、似合いそうな服を仕立てようとしている。
服には魔法がかかっており、着たきりでも常に新品同様の美しさと清潔さを保っていると伝えたが、リーベは「そういう問題ではありません」と口を尖らせた。
夜になると図書室から本を持ってきた。
幼い子どもが好むような、ありきたりな冒険譚だ。
寝所で当然するべき事のような顔をして本を読み上げ始めた時は、二千年の時を生きてきた魔王も目を丸くした。
リーベは章をひとつ読み終えると「続きは明日です」と言って自室へ帰っていった。
魔王は、これまでにやってきたどの娘にも身体を求めることはなかった。
しかし「それが愛だ」という娘には求められるままに与え、そして殺した。
身体を重ねることで魔王に「愛」を教えられた娘はいない。
一時の快楽は魔王が求める「愛」ではないように思われた。
だからといって何が「愛」であるかは分からない。
分からないが、欲しい。
「愛」が知りたい。
「愛」が欲しい。
「メイドの真似事は不要だ」
魔王の言葉に、リーベは不服そうな表情を隠さなかった。
「これがわたしの愛なのです」
「では、世の中のメイドはすべて『愛』ということか?」
「違います」
魔王とリーベは昼下がりの東屋でお茶を飲んでいた。
フランボワーズの焼き菓子に、少し苦みの強い茶葉が良く合う。
「わたしは、あなたが気持ちよく暮らせるようにしたいのです」
「だから、それはメイドの仕事だ」
「あなたは『愛を教えてほしい』と言いましたね?」
リーベが魔王の黒い瞳をじっと見つめた。
「ああ、そうだ」
「言葉は愛でしょうか?」
「違うだろうな」
「心は愛でしょうか?」
「心は変わるものだ」
「そうです。きっと、あなたの教えてほしい『愛』とは違うものです。
愛は心から生まれ、言葉で表現できますが、わたしが思うに……」
リーベが口をつぐんだ。
魔王は言葉の続きをじっと待った。
「あなたには『ただ愛される』という経験が必要なのです」
リーベの言った言葉の意味を魔王は理解できなかった。
――ただ、愛される。
その言葉を頭の中で何度も反芻した。
そのような経験をしたことは無いと思った。
リーベの仕立てた服を着て、ふたりで茶を飲む。
庭に咲く明るい色の花は、魔王のこれまでの生活にはなかったものだ。
夜に語られる冒険譚は終わりを迎え、今は新しい物語を聞いている。
心地良い日々が流れていた。
これが「愛」であるかは分からなかった。
それでも魔王は、リーベから大切にされている事は感じていた。
得るものも無いので殺そう、という気持ちにはならなかった。
「これはわたしの想像ですが、あなたは……」
弟たちが幼いころの話をしていたリーベが、ふと、視線を落とした。
「……何でもありません。失礼しました」
「かまわない、何でも話すといい」
「いいえ、あなたを傷つけるかもしれません」
「もし感情を害しても、この場では殺さないと誓おう。話せ」
「そういう問題ではないのですが……」
リーベはひとつ息を吐いてから、魔王を見つめた。
その表情はどこか悲しげで、それでいて優しい眼差しをしていた。
「あなたは、大変優秀な魔導士であったと聞きました。子どもの頃からそうだったのですか?」
「そうだな。その時代にいたどの魔導士よりも優れていた」
「では、大人から随分頼られたでしょう」
魔王は自身の遠い昔をたどってみるために思考に沈んだ。
顔も思い出せない人の群れ。
父や母と呼び、生活を共にした人間もいた。
身近な人間が己の力を求めてきた時には助けてやった。
やがて力が大きくなると、村が、都市が、国が、その力を求めてきた。
魔導士として望まれるままに力をふるい、人を殺し、国を壊し、どんなことでもやったのに、一番欲しいものは帰ってこなかった。
ある時代、裏切りに対する報復を行い、付き合いに疲れて人里を離れると、自分は大魔導士ではなく「魔王」と呼ばれるようになった。
魔王と呼ばれることに慣れると、人に戻ろうという気も起らなくなっていった。
自分は人ではないから愛されないのだ。
そう思うことも出来た。
長い孤独の内に『愛を知りたい』と思い始めた。
書物の中に『愛』を探した。
『愛』は恋人や伴侶、そして家族や友人といった人間同士の関わりから得られるものだと語られていた。
長い生の中で、恋人も家族も友人も、魔王に『愛』を教え、与えてくれた者はいなかった。
その誰もが、自分を利用し、裏切った。
だから『伴侶』を求めることにしたのだ。
伴侶であれば、自分に愛を教え、与えることが出来るかもしれない。
随分と長い間、物思いに沈んでいたらしい。
陽が傾き始め、お茶は冷めていた。
リーベはじっと、魔王の言葉を待っていた。
「確かに、多くの者にわたしの力は利用された」
「そうですか」
リーベが唇を噛んだ。
何かを耐えるような表情をした後、机に置かれていた魔王の手に、自身の手を重ねた。
「以前にも、わたしは言いましたね、あなたには『ただ愛される』という経験が必要だと」
「ああ、言ったな」
「今も同じ気持ちです。
あなたが、もっと、そう、もっと幼いころに善き人に出会えたならよかったのに。
もし、出会っていたのなら、それに気づくことが出来ればよかったのに」
リーベがつぶやく言葉が、魔王の心に折り重なっていく。
「こどものころ、誰かに頼られ、利用されるのではなく、ただこどもとして、こどもらしくある時間を持てたらよかったのに。
あなたを守り、導く人がいればよかったのに……」
重ねられたリーベの手は暖かかった。
わずかに震えているその手を、握りしめたい衝動にかられ、魔王は自分自身に驚いた。
行動をためらう心にも驚いていると、リーベが両手で魔王の手を包みこみ、言った。
「人の気持ちも、心も、頼りないものです。
愛を与えるにも、受け取るにも不都合に出来ています。
だけど起こした行動は、何かの形で残ります」
「それを信じてください。触れることの出来ない心ではなく、わたしの行動を。
あなたがいつか、わたしを疎ましく思い、信じられなくなり、殺したとしても。
この城と、あなたの記憶の中に残るわたしの行動だけは信じてください。
思い出に残り、心が少しでも軽くなるのなら、それはわたしの『愛』です」
「ベッドのそばで読み聞かせる冒険譚がお前の愛か?」
魔王が言うと、リーベは何度か瞬きをしてから笑った。
「そうです。それも、わたしの愛です」
その夜、冒険譚を聞かせに来たリーベを抱いた。
魔王が自ら娘を求めたのは初めてのことだった。
リーベは言った。
「これは、あなたの『愛』ですか?」
魔王は、ヴァイネンという名の男は、答えた。
「お前のために行うことを『愛』だと言うのなら、そうだ」
腕の中にリーベをしっかりと抱きしめて、言った。
「わたしと、この夜を、忘れるな」
ふたりは、リーベが老いるまで共に過ごした。
子は出来なかったが、満ち足りていた。
リーベの時が尽きた春、魔王も時を止めた。
北の岩城では、穏やかな陽光の中に、ふたりの愛した花が揺れている。
おわり
初投稿です。
ラーメン大好きだからラーメンの話を書こうと思っていたのに、なぜか魔王さまのお話になってしまいました。




