モブになりたいミリアリアの異世界事情2〜異世界人の胃袋事情〜
前作の続きです。
私のヒロインは大体ヒーローの胃袋を掴む系です。
設定はゆるいので、爵位のあたりの説明はスルッと流し読みしてください。
「ミリー、結婚してくれ……っ!」
「2ヶ月待って下さい」
ラルフェルドの求婚をあっさり躱したミリーこと伯爵令嬢ミリアリア・ハウエルは深い溜息をついた。空のランチボックスを手に、身体はがっちり彼に抱きしめられている。離して欲しいが仕事から戻ったばかりのラルフェルドに一応配慮して虚無でいる事を選んだ。
そもそも二人は現在婚約中で2か月後には結婚式を控えているし、なんなら今だって花嫁修業とか何とか言われてラルフェルドの実家であるシュレーゼン公爵家に住まわされている。
「……孕ませればもっと早く結婚出来たのに……」
「この世界で授かり婚なんて醜聞でしかないですよ」
おまけに貞操の危機もあった。
勘弁してほしい。
このヤンデレイケメンことラルフェルド・シュレーゼン。
シュレーゼン公爵家の三男坊で財務大臣を務める父親の補佐官に付く将来有望株の青年であるのだが、3歳下の婚約者であるミリアリアに大層ご執心で、約5年間彼女のストーカーをしていたという経歴(軽犯罪?)の持ち主だった。ミリアリアはまだ16歳なので11歳の頃から見初められていた事になるのだが、それを知ったのは婚約後。後の祭りである。
ストーカーといっても家族構成だったり行動や友人関係などを調べられているだけなので実害は無かったが、5年、という年月がちょっと気持ち悪い。だが、ラルフェルドはその気持ち悪さを差し引いても有り余る程の美貌の持ち主だったので、ミリアリアは『愛が重い』という言葉で括って済ませた。イケメンは正義である。
「お弁当、そんなに美味しかったです?」
空の容器をアイテムボックスにしまって両手をラルフェルドの背に回す。背中をトントン、と優しく擦ると彼はミリアリアの肩に額を乗せる。
「うん…懐かしくて。玉子焼きの味付け好きだ。ネギ入ってて美味い。肉巻きも、全部」
忙しくて食堂に時間通りに行けていないと聞いたので、それならばと軽い気持ちで弁当を持たせたのだが、ここまで前世を引きずらせると思わなかったので逆に申し訳なく思う。
二人は互いに日本人だった前世を持つ。
伯爵家の次女であるミリアリアが公爵家のラルフェルドに見初められたのもそれが理由―――といいたい所だが、公爵家の祖先に竜族がいたらしく、運命の伴侶である『番』を求める血が彼にも受け継がれており、ミリアリアはそのセンサーに引っ掛ってしまったのだ。それ故、愛は重く、執着が激しい。だが、血のせいで愛してしまったであろう婚約者に気持ちが追い付かないミリアリアは―――ラルフェルドの胃袋を落とす事にした。血の重みより『メシウマ』的な自分の価値で惚れさせたい。
(好かれてるのは間違いないし、見ず知らずの人を充てがわれるよりラルフの方が全然イイもの)
貴族の結婚に希望など持てなかったところ、こんな風に相手からやって来て全力で愛されればミリアリアだって絆される。しかも格好いい。私のことを何も知らないくせに、なんて物語のヒロインみたいな感想も無く、長いものには巻かれる気分で愛を受け入れたミリアリアはリアリストだった。
「うち、共働きでお弁当は自分で作ってたんです。お菓子作りとか凄い料理は出来ないけど、こんなので良かったらまた作りますよ」
「こんなの、じゃない。これがいい。ミリーのご飯大好きだ。でも弁当は俺の分だけにして。あ、勿論俺達の子供にならいいよ」
「気が早すぎる」
首筋にスリスリしながら甘い、独占欲剥き出しのラルフェルドにくすりと笑う。ミリアリアは猫派だが、彼の可愛らしさはまるで大きな犬のようで。いや、帰宅した飼い主に擦り寄る猫かもしれない。
「お義母さんは料理されないんですか?」
「母は壊滅的だな。代わりに父が料理するんだが……父は拘りが強い料理人で、豚の角煮とかビーフシチューとかスパイスカレーとかそういうのを作るんだ。手打ち蕎麦とか」
「え。蕎麦は食べてみたい」
「父の料理も美味いけど、正直そんな濃い料理ばかりは…」
だから普通のご飯が食べたかったのだと語るラルフェルド。
普段は料理人の作った物を美味しく頂き、好きな時にアイテムボックスを駆使して自分で作っていたミリアリアなので、ラルフェルドの気持ちもまぁ分からなくもない。洋風が続くとあっさりした物食べたくなるよねー、と。
街の食堂には日本食もあったりするが、公爵家の人間でしかも多忙のラルフェルドが外食に割く時間を早々作れる訳もなく。日本でいうところの『家庭料理』的なミリアリアの料理は彼のハートを鷲掴みにした。やってて良かった弁当作り。あとお義母さん料理出来なくて良かった。
「じゃあ暇見て作っておくので、アイテムボックスの『共有』しちゃいましょうか」
「えっ、何それ」
異世界あるあるの|時間停止機能付き異空間収納。特に転移・転生人にはほぼ無限の収納箱となっているそれは基本的に個々人所有であったが、研究熱心なミリアリアがその機能を調べまくっていたらまぁ不思議。任意の相手と機能を共有できる事に気付いてしまったのだ。元々、中は異次元みたいなものだから可能なのだろうが、面倒なのでそこは深く追求しない。ミリアリアはラルフェルドと掌を合わせるようにして、共有の契約を唱えた。
「出来ました。好きな時に私のボックスと『共有』してご飯を食べて下さいね。いつでも出来たてホカホカです」
「ありがとう…!」
破顔して礼を言うラルフェルドであったが、彼は気付いていなかった。温かい弁当を食べるだけなら、渡してすぐアイテムボックスに入れ直せばいいだけだという事を。そう。ミリアリアの目的は他にあったのだ。
(これでラルフのお宝コレクションが合法的に見放題…!)
花嫁修業、いや、行儀見習いで公爵家にやっかいになっているミリアリアが来て早々行ったのが婚約者の家探し。この世界でも男性は枕の下に秘蔵のお宝を隠し込んでいるものなのか。ワクワクしながらラルフェルドの部屋を漁ったが、期待も虚しく枕の下もマットの下も本棚の奥にも何もなかった。残すは個人空間のみ。そんな訳で、割とどうでもいいミリアリアの好奇心を満たすだけの為にこの契約が成された。
だが、後にミリアリアはこの安易な行動を後悔する事となる。彼女にご執心なラルフェルドの個人空間がどうなっているかなんて、よくよく考えれば分かった事なのに。5年分の集大成がそこにあったなんて、今のミリアリアには考えも及ばなかった。
「ところでラルフ。結婚したら私達は何処に住むのですか?」
現在この国の公爵家は8家あり、そのうち王族に連なる血を持つ者が当主の大公爵家は3家で残る5家が功績などで叙爵した公爵家。シュレーゼン家には近い歴史で王族の血は入っていないが、歴代当主は軍事で手柄を挙げた者や領地の経営・産業等で経済を活性化した者、叉は現当主の様に国の重鎮として働く者など多才だ。
そんな血筋に生まれたラルフェルドだが、ここは公爵家の本邸でラルフェルドは三男坊。嫡男でない彼は家を出なくてはならない。ミリアリア的にはこの城のような邸宅は落ち着かないので、こぢんまりした屋敷に移してもらいたかった。是非とも。出来れば簡易な家庭菜園を作りたいし、自分で気ままに料理もしたい。身分が身分だけにこっそりとだが。
実家では料理をする際、料理人不在の時間(主に夜)に調理場で下ごしらえを済ませ、後は焼くだけ煮るだけのような状態にした物をアイテムボックスに入れ、自室で魔導具の簡易コンロを使用して一人楽しんでいた。公爵家では料理人達が使用する調理場の他にキッチンがあったので、そちらを使用させてもらっている。恐らく義父用に作らせたものだろう。ちなみに義母同様、息子達にも料理の技術はない。生前作っていたと言っても、料理の素を使った経験ではこの世界の調理に役立たず、この一家は皆日本の家庭料理に飢えていた。
「うーん、一番上の兄が家を継ぐから、領地を管理するのに今もそっちにいるんだよね。下の兄も補佐で向こうにいるし、俺の仕事的には王都で暮らすことになるから……恐らくこのままここに住むんじゃないかな?」
「えええ―――?!」
夢のお手軽スローライフが消えた。
社交は最低限だと言った癖に、と目で訴えるミリアリア。
これは詐欺だと訴えようとした彼女の耳に、更に衝撃の発言が飛び込む。
「いや、爵位を継ぐのはお前だろう、ラルフ」
「父上!?」
いつの間にか近くに来ていたシュレーゼン公爵に驚く二人。いや、公爵にではなく発言内容に驚いたというべきか。
「お前の兄二人は官僚の仕事より領地管理がいいと、早々に爵位を継ぐのを放棄した。公爵位はこっちで仕事のあるお前に譲ってあやつらは補佐として、向こうで暮らすそうだ」
シュレーゼン公爵家は父方の祖母が伯爵位を持っているので、長男か次男のどちらかがそれを継げば良いし、結婚相手が貴族か平民かでまた変わってくる為、伯爵令嬢のミリアリアと結婚が決まっているラルフェルドが公爵家を継ぐ方が後々問題が出ない。ミリアリアの心情以外は。
「だが、兄上達だって今後高位の家の令嬢と縁があるかもしれないじゃないですか」
ラルフェルドの反論にミリアリアはコクコクと肯定の首振りをする。高速で。しかし公爵は逆の、横に否定の首振りをした。
「あれだけ夜会に出て見つからなかったんだ、もう高位の令嬢の中からは見つからんだろう。だからやつらも領地へ引っ込んだんだ」
そういえば、とミリアリアは思う。
ラルフェルドの兄二人に会ったのはあの夜会の時だけで、婚約するからと紹介されたあの一瞬のみ。別棟にいるから会わないのではなく、この屋敷を出ていた為に義兄達の姿を見かけなかったのだ。
「デビュタントを済ませた王都の令嬢はほぼ会っているから、あとは領地から偶に社交しにくる令嬢のみ。ミリーより高位の令嬢は居ないな。よってラルフが次期公爵だ。頼んだぞ、二人共」
こんな詐欺があっていいのだろうか。いや、ない。
健康にも素行にも問題ない兄が二人もいて、何故三男坊が爵位を継ぐなどと思えようか。予想外の展開にラルフェルドも呆然自失だ。彼は彼なりに、嫁いできた祖母の持つ伯爵位を譲り受けるか、仕事の功績で男爵や子爵の爵位を受けそのまま仕事を続けるつもりだった。まさか自分が跡取りになるなど夢にも思わず。
「……ごめん、ミリー。契約、破って。捨てないで……」
縋り付くようミリアリアを抱きしめるラルフェルドの声は弱々しく、震えていた。だがミリアリアは知っている。ここで迷ったり断ったりすればこの男は確実に病むだろうと。言葉だけ聞けば情けなさ満載だが、こう見えてラルフェルドの属性はヤンデレだ。物語でのヤンデレはいつスイッチが入るか分からないのが常。更に5年というストーカーの実績も合わせ持つ。監禁エンド駄目、絶対。婚約破棄の道など彼に見初められた瞬間から無いのだ。
「大丈夫ですよ。ラルフがロクデナシにでもならない限り一緒にいますから」
「ミリー…っ!」
「たまにスローライフが出来るよう、あの辺に家と家庭菜園作りましょう」
ミリアリアは窓の向こうを指差す。
シュレーゼン公爵家の敷地は広いので、ログハウス的な家を建てるのも、その近くに菜園を作る事も可能だが景観ぶち壊しである。少なくとも庭師は戸惑…いや、泣くだろう。
「いいね!外で焼肉もしよう」
「窯作ったらピザも焼けるかしら。一度やってみたかったの」
「何それ。父さんもピザ食べたい」
キャッキャと秘密基地でも作るかのような計画に花を咲かせながら、ミリアリアは取り敢えずトマトとバジルを植えようかと考えていると、
「お母さんも窯のピザ食べた―――いっ!」
魂の叫びと共に乱入してきたのは義母。結婚前に息子が捨てられないようにフォローするつもりでこっそり隠れて見守っていたという。下世話な言い方だと、盗み聞きだ。
何よりも先にピザ窯が作られそうだと遠い目をしたが、流石のミリアリアもピザ窯を使った経験はない。まずは公爵家に転生人のコックを雇うべきじゃないかと真剣に思う。今更ながら小説の主人公達の素晴らしい料理スキルに感心するのだった。
「胃袋を掴むのって大変だわ……」
モブでいたかったのに、今では立派なスローライフ系ヒロインになってしまったミリアリア。聖女とは関わりもないし関わるつもりも毛頭ないが、元王子の婚約者だった令嬢に求婚した召喚勇者の存在が気にかかるので、絶対に接触しないように公爵家の権力を振りかざしてもらおうと固く誓った。
そして、結構先の後日。
「えーと、何だこのカントリーハウス」
「ピザ窯……イタリアンレストランか?」
シュレーゼン公爵家の敷地内に、平屋建のカントリーハウス的な建物と小さな菜園が出来ていた。前世日本人の者が見ればレストランに見えるそれは、結婚する三男坊の(嫁の)為に建てられた趣味の部屋、である。中はまさに個人経営のレストランのような広いキッチンと大人数で囲めるテーブルと椅子が設置されており、カントリー風の癖にお高い保冷庫(魔導具の冷蔵庫)があったりで、ミリアリアの憧れがこれでもか、という程詰まっていた。嫁に逃げられたくない一家が一丸となって作り上げた執念の結晶。
久し振りにやってきた長男と次男が見た実家は、謎の方向に振り切った変貌を遂げていた。それぞれ記憶にある前世のレストランを思い浮かべていたのは混乱からかもしれない。
だがしかし。
外に設置されたテーブルに続々と焼き上がって置かれるピザを両親と弟が嬉々として口へ運ぶ姿を見ているうちに、何だか考えるだけ無駄な気がした兄弟は、自分達もちゃっかりその輪に加わり懐かしい味を堪能することにした。
「あー、美味い…焼き立てマジ最強…!ミリー、はいこれ」
「生地もトマトソースもお家の料理人の方が作ってくれたし、私は生地を伸ばして焼いただけ〜」
ラルフェルドから分けてもらったピザを食べつつ、楽しそうに外に作られた石釜の前に立つミリアリア。口元から手に持つピザまでチーズがみよーんと伸びている。
「窯で焼くのってオーブンより早い気がする…!」
そんな楽しげな義妹の様子を見ながら、彼女が焼いたピザを食べつつシュレーゼン家の長男次男は思った。
彼女は焼いただけ、と言うが料理が出来ない人間に調理過程を指示する事は出来ないし、使用素材すら不明である。味噌汁にしても出汁なんて取れない。そして、前世日本人の記憶を持つ者で料理の職についている人間を探す方が困難である事は、彼らの父を見れば一目瞭然だ。これは嫁、逃げ出せないし全力で囲われるだろう、と。
「……俺、絶対日本人の奥さん探すわ……」
「兄貴、奇遇だな。俺もそう思ったわ」
その後、領地に戻った二人が必死に運命を探した結果、料理上手な嫁を捕まえたが、その嫁達の前世が日本人だったかどうかはまた別のお話。