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だ~れが「虐げられていた姉」じゃスッ込んでろ

作者: ミツリ

「旦那様? 私の可愛い妹に何をされているので?」


 彼に対して初めて聞かせるような、随分と冷え込んだ声を出してしまった。ああ、いけない。冷静にならなければ。状況を見れば、旦那様がこんなことをしているのも全ては誤解なのだと理解できる。だから冷静になって、誤解を解きさえすれば――、

 解いて、どうなるというのだろう?

 可愛い私の妹。美しくて、短慮で、詰めが甘くて。身内の欲目と言われても、そんなところも可愛い私の、たった一人の。

 その子が、泣いている。ひどいひどいと泣いている。わたしなんにもわるいことしてないわ、と。それはまぁ嘘だろうなということを訴えながら、ポロリポロリと美しい涙をこぼしている。

 誤解を解いたところで、この子が泣かされた事実は変わらない。冷静になったところで、私の旦那様が私の妹を虐めた現実は変わらない。


 はぁ、と溜息をひとつ吐いて。嫁ぎ先に相応しいよう、被っていた猫を剝ぎ捨てた。


「だ~れが『虐げられていた哀れな姉』よ! 人んちの事情を当人に確認もしないで勝手に断罪(笑)しようとしてんじゃないわよこのスッッッタコ!!」


 口元を隠していた扇をバッチィン! と壊れそうな勢いで閉じ、床に座り込んで泣いている妹とそれを居丈高に見下ろしていた我が旦那様の間に滑り込むと、扇の切っ先を失礼を承知の上で旦那様の顔に付き付けた。


「おおかた? 私がこの家の家政どころか領地経営まで一手に引き受けている間に母とこの子は綺麗に着飾って社交三昧だったという話でもお聞き及びになって? そして嫁いでたった三ヶ月で『ちょっと経営を手伝ってほしい』と呼び戻された私を心配して遥々国を跨いでこんな田舎領地くんだりまでお越しくださって? かつ私を呼び戻しておいて懲りずに社交に出かけようとしていた妹を見付けてちょっとキツく咎められたというところなんでしょうけど?」

「ちょっとじゃないわ! 酷いこといっぱい言われたのよお姉さま!」

「だまらっしゃいあなた性格と頭が悪いんだから旦那様が酷いことを言ったならあなたもそれ相応の発言をしたに決まってるのよ」

「酷いわ! 可愛い妹がこんなに泣いてるのに!」

「泣いてるから味方してるんでしょうが! いいから涙の無駄遣いしてないでさっさと拭きなさい目が腫れないように優しくね! これから夜会なんでしょうその唯一の取柄と言っても過言じゃない顔面を完璧に磨いてから行きなさいよ!」


 分かったわよお姉さまのおたんこなす! と言い捨てながら去っていく妹と私を戸惑ったように見比べる旦那様に、私はトントンと扇でその厚い胸板を叩いて話は終わってませんよと合図する。身長に差があるので下から睨み上げてメンチを切るのは楽だったけれど単純に首は疲れ始めていた。


「よいですか、旦那様。私の生家は旦那様がたっぷりの支度金を送ってくださるまでそれはもう困窮しておりました。理由はご存知ですね?」

「確か海難事故で亡くなったお父上がちょうど貿易取引に多額の投資を始めたばかりでその莫大な借金だけが残ってしまったと……」

「その通りでございます。借金だけが残され、家には家政を取り仕切っていた母と、いつか夫を迎えて家を継ぐのだからと領地経営も少しかじっていた私と、どこか素敵な貴公子の元へ嫁ぎましょうねと簡単な花嫁修業をしていた妹の三人きり。しかも父がお金を借りた団体の中には行儀の悪い連中もいた。このままでは女三人、どんな手を使って取り立てられるか分かったものじゃない。そこで私たちはどうしたと思いますか? ヒントは先ほどご覧になりました、傾国とまではいかないでしょうがちょっとそこらでは見ないような美しい私の妹です」

「……まさか」

「流石旦那様、理解が早くていらっしゃる。そう、私たちは妹をなるべく高く買ってくれる男に嫁がせるか、愛人に納まらせることに決めました」


 辺境伯たる旦那様が治める領地は隣国の北の果て。

 魔獣との生存を賭けた戦いに明け暮れる激戦地。そこは領民に至るまでが兵であり、仲間であり、家族とも言える。それほどに密な繋がりを持つ領地だ。

 そんな旦那様に、金のために家族を売り飛ばす、という選択肢は受け入れ難いもののようだった。


「他に、」

「他にやり方など、私たちは知りませんでした。繰り返すようですが、内のことしか知らない女二人に、外のことを聞きかじった程度の女一人。そして家財をギリギリまで売っても、使用人に謝りながら暇を出しても、まだなお残る借金。毎日のように届く取り立ての書状。いつ、書状が取り立て屋の人間どころか、人買いになるか分からない。私たちの考えられた方法は、私たちの中で最も若く美しく価値のある妹を、いちばん高く買ってもらうことでした」


 後妻や愛人程度、なんだというのだろう。

 私は物はさほど知らなかったけれど、子爵ながらに貿易に投資しようとしていた父の書斎にはたくさんの資料があった。その中には、人が人を買うというおぞましい所業の記された本もあったのだ。

 人間は、高く売れるのだと知った。何も、必ずしも生きていなくともいいのだということも。

 髪の一本から心の臓に至るまで。魔法薬の材料なり何なりに、人間とは無駄なく使い尽くせるし、その合計金額は容易く父の借金を越えるのだ。

 借金を恐れて親戚にも腫れ物扱いをされ、寄る辺のない私たち母娘三人。借金を理由に何をされるか分かったものじゃない。死ぬならまだいい。死ぬよりも、老人の慰み者になるよりも、もっともっと怖くておぞましいことをされるかもしれない。

 それならば、妹に賭けた方がずっとずっとマシだった。


「どんな屈辱を味わっても、生きてさえいればどうにかなります。ド変態ジジイの後妻やら愛人やらでも、生きてさえいればどうとでも。……相手のクズ度によって毒殺のち婚家乗っ取りまで考慮に入れて出方を見るつもりでしたし」

「お姉さまはとっても悪知恵が働くのよ! わたしは別にすぐに死んじゃうクソジジイに何されても平気よって言ったのに!」

「あら、おかえり」

「ふふん、どう、お姉さま。わたし世界一きれいでしょう?」

「ええ、世界一高く買ってもらえそうよ」


 戻ってきた妹といつものように交わしたその軽口に、旦那様だけが気まずそうな顔をしていた。

 やっぱり殺人を匂わせたのは駄目だったかしら。でもうら若い妹を気色の悪い目的で金に飽かして囲い込むようなクソヤロウ、できることならこう、エイッとしてやりたくない? そういう契約でこちらが妹を差し出したのは百も承知で、できそうならやりたくない?

 相手はクズだし、妹を売った時点で私もクズだし。クズとクズが向かい合ったならよりクズな方が勝つ仕組みでしょう? なら勝ちに行きたいじゃない? 例え天国に行けなくても、今妹の地獄を短くできる方が良くないかしら。まぁ、これは私個人の意見だものね。押し付けたらだめよね。


「……待て、それならばなぜ妹君ではなく、アマポラ、君が嫁いできたんだ。いくらでも金をやるから娘をよこせと、端的に言えばそういう婚約だったはずだ。その話が本当なら、君は借金返済の目途が立ったら家を継ぐために婿を探すつもりだったのだろう? なぜわざわざ妹君ではなく、多少とはいえ後継者教育のされていた君が俺の元へ来たのか理由が分からない」


 日夜魔獣と戦っている猛者らしい厳めしい顔をさらに厳つくさせて、旦那様は怪訝そうにそんなことをおっしゃった。

 お姉さま、あの顔の怖い御方なにを言ってるの? と妹が私の腕を引きながら指をさす。こらっ、人を指さしちゃいけませんって言ったでしょ! というか姉の夫の名前くらいちゃんと言いなさい! え? 覚えてるけどあのひと嫌いだから呼ばない? わがまま言うんじゃありません!


「……旦那様、あなた、それは本気でおっしゃっているので?」

「……俺は何かそんなにおかしなことを言っただろうか」


 どうやら本気らしい。

 さて、この敵には情け容赦ないものの、実のところかなり心優しい旦那様になんと伝えたものか。悩む私を嘲笑うように、あっけらかんと妹は口を開いた。


「お姉さま言ってたわ! 『私はね、ちょっとでもマシな豚にあなたを売り付けるつもりだったのよ。殺人鬼にやるつもりはないわよ』って!」


 しぃん、と玄関ホールに沈黙が落ちる。繊細なところもある旦那様に、どうやらクリーンヒットしてしまったらしい。しかしそれでも妹の口は止まらなかった。


「『ロッサは美人だけど詰めが甘くて迂闊で浅慮でしょう。私は不美人だけど頭は少なくともこの短期間で一人で領地経営ができるようになったくらいには良いじゃない? お母様はロッサの付き添いで家を空けることが増えたから家政のことも私が管理していたし。問答無用でこっちを殺しに来そうな相手なら顔がいい方より頭がいい方を送った方が生き残りそうじゃない』とも言ってたわ」


 私も妹もおしゃべりな方で、話しだすと口が止まらない。そして私は父に定期的に「賢しそうで印象が悪い」と窘められていたようなハキハキとした話し方をする。今の妹はそんな私の真似が大層上手にできていた。


『姉である私の方が物覚えが良くて不美人でよかったわ。もし私たちのどちらかに才能が寄ってたらと思うとゾッとする……綺麗な顔の方が外で婚活してる間、天然で迂闊な方が家を守ってるなんて……絶対に帰ったら借金が増えてるじゃない……』

『それわたしが天然でウカツって言いたいのよねお姉さま?』

『あら、あなた迂闊ってどういう意味か知ってるの?』

『お姉さまのいじわる!!』


 そんなやり取りが懐かしい。ロッサあなた、そんな私の暴言を覚えてる暇があるなら今度はあなたが子爵家の女主人になるのだから家政に必要な知識のひとつでも覚えなさいと何度言ったら……。

 そう。私はまだ見ぬ旦那様を警戒してそんな暴言を吐いたし、なんなら


『国を仲介しないと嫁も見付けられないような男とその領地に顔しか取り柄のないロッサを行かせるわけがないでしょう? こちとら貧乏過ぎてヨソの国の難有貴族の情報収集すらままならないのよ。なのにこんな要領の悪い娘じゃなぶり殺されるに決まってるでしょう。ならこの子よりは世渡りができてそれなりに頭も回る私が行った方が生き残る確率も円満に別れられる確率も高いでしょうが』


 とまで言っていた。さすがにそこまでは覚えていなかったようで安堵する。


「さ、殺人鬼……」

「正確には人食い鬼のコルネリオ・シーラって聞いたわ」

「ロッサ、悪いお口ね。縫い付けるわよ。そろそろ夜会の時間でしょう? お母様が会場で待ってるわよ」

「はぁい。お母さまも用事でおうちにいられないなんて残念ね! お姉さまを遠いところへ連れていった憎い男が来るからいっぱい虐めてやるって息巻いてたのに!」

「お母様……」


 そんなことを言ってたの……一応合意で結婚して私は隣国の北の果てへ嫁いだのに……噂がもし本当だったら生きてるだけで御の字なのに……それはそれこれはこれなのよね、分かるわ、母娘だものね……。

 重たい空気だけを残して軽やかに背を向けた妹は、まだ家政管理もおぼついていないせいで使用人がほとんどいないこの屋敷から意気揚々と出かけていくために自分で扉を開けて門の前へと止めてある馬車へと歩いて行った。さすがに御者はいる。馬車ごと借りた人だけど。


「旦那様、とりあえず執務室にでも移動して座りませんこと?」

「……そうだな……」


 出かける妹を旦那様が咎めたために今までずっと玄関ホールに立ちっぱなしだった私たちは、ようやく冷えた体を温めるために場所を移すことにした。


 我が夫、コルネリオ・シーラは、まぁ、貴族社会にはままいる流言飛語の被害に遭って自国内に結婚相手がいなくなり、他国まで間口を広げる羽目になったタイプだった。

 人食い鬼のコルネリオ・シーラ。これは旦那様が宮廷を牛耳る中央貴族たちに比べるといささか、少々、かなり、だいぶ覇気に満ちたお顔立ちをしており、私も初対面では「なるほど人間食べてそう」と思ったくらいには正直結構コワイせいで広まった事実無根の二つ名だった。

 当人は魔獣を一吠え(間違いではなく一吠えである。見たことはないがガァッ! とか威嚇するらしい。ちょっと見てみたい)で恫喝できる自慢の顔だと最近まではさほど気にしていなかったらしいが、こと嫁探しに当たっては非常に不利に働くこととなってしまった。

 しかも隣国には貴族は貴族としか結婚できないという非効率極まりない法律があるらしく、領地内の適当な家から、ということもできず。

 哀れ日夜国のために戦ってる旦那様は「野蛮で冷酷で人を食うし顔が怖い」という、ひとつしか合ってない尾鰭の付きまくった噂のせいで窮地に立たされてしまった。


 忌避されたのは何も噂だけではなく。嫁ぎ先が過酷で危険な土地であるということも、まぁ当然と言えば当然マイナスに働いた。

 しかし、そういう土地だからこそ嫁探しは急務だった。

 嫁が見付からない、跡継ぎができない、御家断絶、新しい辺境伯を探している間に魔獣が領地を蹂躙! という最悪なパターンが、あまりに現実的な未来として領内の人々の脳裏を過ぎった。


 しかし結果は隣国に手を伸ばしてみても、ただそれだけで「自国で相手を見付けられなかった難有」とみなされ、かつ少し調べてみればヤバイ噂しか出てこないとあって、難航に難航を重ね。

 そうした果てに、貧乏で同じく難有の我が子爵家まで話が回ってくる始末だった。


 そんなこんな、双方紆余曲折を経てまとまった縁談だったけれども。

 あまりに急な話だったので、ろくに引継ぎや後処理もできず私が嫁いでしまったせいで、三ヶ月で妹と母が音を上げた。

 シーラ家からの援助のお陰でようやっと借金を完済し、どうにかまともに回り始めた領地経営だったが。私以外誰もろくに小難しい書類に触ったこともなく。外から人を雇おうにも、一度借金という痛い目を見ている母たちにとって、外部を頼るというのはかなり勇気のいることだった。

 結果どうなったか。

 まだ新婚と言って差し支えない、三ヶ月程でそれなりに旦那様と距離を縮めていた私が呼び戻される羽目になったのである。


 ――そして、一週間ほどで戻ると約束をした私が一ヶ月も帰ってこないのに痺れを切らした旦那様が私を迎えに来て、冒頭へ至る、というわけだ。

 ちなみに期間が延びたのは信頼のできる執事を頼める人を方々探し回っていたせいである。妹と母を仕込むのは最初の三日で諦めた。


「俺が君たちを色々と誤解していたことは謝ろう、すまなかった」

「いえ、まぁ、傍から見れば母と妹は贅沢三昧で私はこき使われているように見える構図でしたでしょうし……先ほどは私もついカッとなってしまって……申し訳ございませんでした」

「いや、悪い方へ想像を勝手に膨らませていたのは俺だ。君があまりに質素な格好で、貴族令嬢と言うには随分とくたびれた様子で嫁いできた印象が強く残っていて……」

「なるほど。いただいたお心遣いを借金返済とその他にも色々家回りのことで使ってしまったので本来の嫁入り支度があまりに貧相でしたものね……その節は辺境伯へ嫁ぐにも関わらずとんだ失礼を致しました。もっと相応しく整えるべきでしたね」


 すっかり不美人な私は着飾るだけ無駄だという精神が身についてしまっていて、とぽつりと呟けば、君は綺麗だ、とこの世で旦那様だけが口にする本音を聞いて苦笑してしまう。けれど、嬉しいことには変わりはなかったから、否定せずにお礼を言うに留めた。


「ともかく、私の粗末な格好や身に染みてしまった貧乏性でますます母と妹への疑惑を深めてしまっていたのですね。私へ一度確認をとってほしかった気持ちは変わりませんが、旦那様の気持ちも分かります。本当に先ほどは妹ともども申し訳ございませんでした」

「いや、俺の方こそ……」


 これは謝り合戦になりそうだなという空気を察知し、適当なところで切り上げなければと思考を回す。そしてふと、なぜ妹と旦那様があそこまでの口論になったのかということが気になった。

 妹が泣いたのはまぁ旦那様の顔が怖かったからだろうけど、旦那様があそこまで怒るのも珍しい。か弱い乙女に手を上げる人ではないのは知っているのでつい怒鳴るに留めたが、ともすると抜刀すらしそうな空気だった。そもそも帯刀していないので無理な話だけれど。


 もし、妹に手を上げていたら――あまつさえ、抜刀なぞされていたら。想像して、ふっと微笑む。

 例え妹が無事だとしても、一生涯許さなかっただろうなと。そんなことを考えた。


 そして、私が執務室で仕事をしているのに社交へ向かおうとする妹を軽く咎めた旦那様が返された言葉と言うのが、次のようなものだった。


『なぜお姉さまを手伝わないのか? 逆にどうしてわたしがやらないといけないの?』

『なぜお姉さまを夜会に誘わないのか? わたしと並んだらお姉さまが可哀想じゃない』

『なぜわたしばかりがお姉さまより高価なドレスを着るのか? わたしの方が似合うからよ? お姉さまに着られたらドレスが可哀想じゃない』


 つい、頭を抱えてしまう。あまりにも、悪意があると取られても仕方のない暴言の数々だった。

 妹が手伝わないのは単純に向いていないのと余計なことをされて仕事を増やされるのを私が嫌ったから。私を夜会へ誘わないのは妹の婚約者探し(今度は豚などではなく真っ当な男限定である)に私がくっついて行っても意味がないから。

 私と彼女の美醜についての暴言は。


「あれは、私の真似をしているだけです。私も、今まであの子にはそこそこ酷いことを言ってきました」


『笑わせないで。あなたが私の手伝いなんてできるわけないでしょう。その頭が弱いところ早く直しなさいよ。そこまで顔が良いのに中身が愚かだと良いように搾取されて若さと美しさだけ堪能されて老いた瞬間捨てられるわよ。泣くんじゃないわよ目が腫れて顔の価値が落ちるわよ。分かったら部屋に戻って鏡でも見て一番綺麗な微笑み方の練習でもしなさい!』


 私たちは、母も含めて、家の中では大層口が悪かった。妹はたまに外でボロが出そうになるけど、まぁ、顔がいいので周囲は誤魔化されてくれている。


 お前は醜いから。頭が悪いから。いつか必ず酷い目に遭うと、お互いを罵り合っていた。

 言葉は呪いだ。悪い未来なんて、本当は口になんて出さない方がいい。分かっている。分かっていて、私たちはすぐそこまで迫っている、一番恐ろしい未来に震えあがって何もできなくならないように、すべきことができるように、おまじないのように、お互いを罵っていた。

 怖い未来に慣れるための練習だったのだ。


「もう、練習の必要はないんですけどね。つい、口が滑ってしまって」


 おどけたように言っても、敏い旦那様は誤魔化されてはくれなかった。

 口汚い応酬。それは、まだ私たちが未来に怯えている証左に他ならなかった。


「俺にできることは、少ないのだろうな」


 執務室で向かい合って座っていたソファから立ち上がり、私の隣へとやってきて抱き締めてくれた旦那様は、口惜しそうにそんなことを言った。

 この人は賢い。賢いから、北の果てから滅多に動けない自分にできることは少ないと知ってしまっている。

 私のことは守れたとしても。遠く、この国にいる私の家族のことを、必ず守るとは言い切れない。あの領地の兵は、魔獣の相手で手一杯だから護衛に回すこともできない。

 できることはそれこそ金銭の援助くらいだろうけど、それも度が過ぎれば、守り手の少ない妹たちに金に汚い連中を近寄らせる遠因になる。

 できないことは言わない。リップサービスなんてもっての外。


 そんな不器用なこの人が、私はとても好きだった。


「大丈夫ですよ、旦那様」


 私はあなたの元で、かわいい子を産んで、御家を盤石にして、家政を完璧に取り仕切って、あなたの領地経営だって手伝ってみせて。

 妹はここで、あの美貌に相応しい、有能な男を捕まえてきて一緒に子爵家盛り立てて。あの子によく似た美しい子をたくさん産んで、ますますこの家を賑やかにして。母はそれを見守って。


 そんな風に、私たち。


「必ず、幸せになりますから。だから、なぁんにも、心配することなんてないんですよ」


 今度は、幸せな未来に慣れるために。

 そんな輝かしい夢を口にして、私は精一杯、幸福そうに微笑んで見せた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 漫画みたいに飲んでたお茶吹きました 怒涛の罵り合い、ギリギリアウトな悪口なのにどうしてそこに愛が見えるんだろうと不思議な感覚になり、 ラストは不覚にも涙が いいお話をありがとうございました
[良い点] それは確かに「口汚い応酬」だけれど、それが互いのためのもので、怖い未来に慣れるためのもの 互いの欠点を認識して、それを突きつけあって、でもそれは互いに相手を思うからで この家族が幸せにな…
[一言] この母娘と不器用な辺境伯の幸せな続編を期待しております。 では。
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