名も無き死霊術
帝都の大気中のマナは枯渇していた。
大魔法使いだろうと、無いマナは吸えない。
だが、ロロの明るい紫色の目に映るは、マナを生み出す根源である、数百万の精霊たち。
ロロは、夜空へ向かって両手を広げる。
精霊眼を会得したロロは、精霊から直接マナを引き出すことができるのだ。
ロロの心臓に注がれる、膨大な魔法の力。
発動するマナ・アブソープション。
そしてロロは、死者の魂を導く。
ロロの両手から放たれた、無数の黒い光によって。
最初に、異変が起きたのは、皇帝グリーンハルト。
胸元には、最愛の妻の塵が入った、銀のカプセルのネックレス。
そのカプセルが、弾け飛んだ。
驚きと同時に、嘆くグリーンハルト。
大切な、妻の身体の一部が、吹き飛んでしまったのだ。
だが、その嘆きは、すぐに別の感情へと変わることになる。
カプセルから飛び出した、ほんの少しの塵は、どこからともなくやってきた、大量の塵と混ざり合い、グリーンハルトの目の前で、ドレスを着た女性の姿を成す。
敵の来襲かと判断し、杖を構える近衛騎士団。
だが、グリーンハルトは、玉座から立ち上がり、手で騎士団を制する。
塵から生まれ出たのは、グリーンハルトの最愛の妻、カサンドラ。
再び、ゾンビとしてこの世に舞い戻ったのだ。
グリーンハルトは、目を丸くする。
「カ、サン、ドラ……?」
震える声。
その目から溢れる、涙。
「ええ。そうよ。あなた。ただいま」
グリーンハルトは、カサンドラに駆け寄り、抱きしめる。
滂沱の涙を零しながら。
「ずっと見てたのよ。まさか、あなたが皇帝になるなんて、思わなかったけどね」
「皇帝になったことよりも、今、君に会えることが、何億倍も嬉しい」
カサンドラは、グリーンハルトを抱きしめ、背中を撫でた。
グリーンハルトは泣きながら、カサンドラへと問いかける。
「でも、どうしてだい?一度塵になった人は、蘇れないはずじゃ……」
「私にも、わからないの。何か、黒い光が見えて、それに付いてきたら、ここに来ちゃった」
果たして、一体誰の仕業だろうか。
しかし、グリーンハルトは確信していた。
こんなことをできる死霊術師は、世界に一人しかいない。
彼の仕業以外に、ありえない。
次なる異変は、大絨毯の下に居た、帝立魔法学園の死霊術師の老婆、フローレンス。
彼女が使う杖は、亡くなった夫の利き腕の骨。
その骨の杖が、ふわりと宙に浮かび上がる。
「うわわっ!な、なんだいっ!?」
瞬時に警戒態勢を取る、双子のゾンビ、ジョニーとヘンリー。
二人は、腰の鞘からレイピアを抜く。
三人の目の前に浮かび上がる、骨の杖。
そこへ、大量の謎の塵が、集まって行く。
塵が、血となり肉となり、一人の老人の男性を形作る。
長い白髭の、老人のゾンビ。
ぽかんとする、フローレンス。
双子のゾンビも、唖然としていた。
老人は、フローレンスに笑いかける。
「やあ。久しぶり」
フローレンスは、即座に老人の胴体へと、抱き着いた。
ロロは、次々と黒い光を放つ。
それは、帝都中を駆け巡り、死者の魂を導く、道標。
今、帝都は強大な敵であるキールと、十万のプレイグに襲われている。
だが、それにも関わらず、帝都のあらゆる場所で、歓喜の声と涙が流れた。
ロロは、数百万の精霊から取り込んだ、膨大なマナを使い、死者の肉体を構築してゆく。
そして、精霊を介した、全く新しいマナのネットワークを作り上げ、全ての死者へとマナを供給する。
今まで使っていた『マナの絆』とは、全くの別物の、精霊ネットワーク。
マナの絆では、眷属以外では、マナの供給に限界があったため、この世に留まれる時間が決まっていた。
だが、この精霊ネットワークは、マナを生み出す精霊と、直接死者を繋げることによって、常時マナを供給することができた。
結果として、眷属以外の死者でも、ロロが生きている限りは、肉体が滅びることが無くなったのだ。
これは、精霊と魂の世界を見て、その世界の住人と話ができる、ロロだからこそ可能になった技。
精霊ネットワークで死者の肉体の構築と維持を行い。
黒い光の道標で、魂を導く。
この世で初めて生まれた、全く新しい死霊術。
まだ、名前すら付けられていない、名も無き死霊術。
そして、精霊ネットワークを介し、眷属のみんなにもマナが行き渡る。
今まで使っていた、マナの絆よりも、遥かに膨大なマナが流れる。
かつてないほどの、身体に漲る力。
大理石の床を踏みしめ、立ち上がる眷属たち。
落とした得物を拾い上げ。
リリアナは、黄金の弓を左手に。
ムラサメは、刀の納まった鞘を持ち。
ティナ・シールは、氷の粒をその身に纏い。
デイズは、目と髪を、明るい紫色に染める。
デイズが、ロロの目をみて笑った。
「ロロ、目の色、私とお揃いだね」
ロロも、デイズへと笑い返す。
「さあ、行こうか」
ロロは、眷属を引き連れて、出陣する。
屋根も壁も壊れて、大きな白蛇の像のみとなった、神殿から。
遥か上空では、本物の白蛇の土地神が、果てしなく長い身体で、帝都を取り巻くように円を描いていた。
ロロが神殿から出ると、普通の人間と同じ背丈になった、がしゃどくろが、バリアを張っていた
ロロは、がしゃどくろに謝罪する。
「ごめんなさい、がしゃどくろさん。
他の人も身体を作らないといけないから、がしゃどくろさんに回せる塵がほとんど無くて。
僕と同じくらいにまで小さくなっちゃった」
「いいのよ、ロロちゃん。
おかげで、色々おしゃれ出来そうだわ」
がしゃどくろは、半透明のバリアの向こう側を見る。
先ほど防いだ、無数の真鍮の凶器。
それがまた、帝都上空へと舞い上がる。
神話に登場する、ヒドラのように。
大絨毯は、キールの元へと向かう。
本来ならば、皇帝グリーンハルトの乗った大絨毯は、近衛と共に避難すべきだ。
しかし、ただ守っているだけでは、徐々に防御が削られ、遠くない未来に、グリーンハルトは近衛と共に、斃れることになるだろう。
全員で守り、全員で攻める。
それが最善。
今こそ、攻勢の時。
グリーンハルト本人が、帝国近衛騎士団へと命令を下した。
帝国の敵を撃破せよ、と。
近衛は、広場の向こう側のキールを見つめる。
大絨毯の上に立つのは、二十七名の近衛騎士。
ミラージュ男爵が、薄緑の球形のバリアで、大絨毯を包み込む。
さらに、箒に乗った防人全員と、学園の生徒のバリア術師たちが、ミラージュ男爵のバリアを補強する。
防人の団長が、ミラージュ男爵へと挨拶する。
「流石です、ミラージュ男爵閣下。
あの異常な威力のドリルを、お一人で三つも弾き返すとは。
我々は総動員で、ようやく五つを防げたと言うのに。
”ザ・リフレクター”は健在のようですね」
「いえ、私などまだまだです。
もう、近衛を何人も死なせてしまった」
ミラージュ男爵は、片眼鏡の奥の瞳を、寂し気に伏せる。
だが、次の瞬間には、その目は決意に燃える。
まだ戦いは終わってなどいない。
十万の、感染性ゾンビ。
目の前にいる、真鍮のヒドラ。
あれらを倒さねば、帝国に平穏は来ない。
それにしても、今もまだ見える、神殿の前にそびえる、分厚い半透明のバリアの壁。
先ほど、ヒドラの無数の攻撃にも耐えた、今まで見た事の無い、強力無比なバリア。
一体、何者があのバリアを立てたのか。
只者ではない事だけは、わかる。
それこそ、大魔法使いのバリア術師でも現れたのだろうか。
その時、アイのテレパシーネットワークで、近衛騎士団全員に、ロロからの指令が入る。
「近衛騎士団、総員、神殿の隣の広場へ集合、だってぇ!」
大絨毯を操縦していた十人の近衛騎士たちが、互いに顔を見合わせる。
そして、絨毯へと全霊のマナを込めた。
大絨毯は、最高速度で飛ぶ。
地上には、それを見上げる帝立魔法学園の教師と生徒たち。
箒に乗ったバリア術師の生徒たちは、大絨毯の向かう先に発生した、半透明の分厚いバリアの壁を見ていた。
自分たちが総がかりで防いだ、無数の真鍮の巨大武器を、難なく弾き飛ばしたのだ。
恐るべき硬度。
間違いない。
あれはきっと、がしゃどくろのバリア。
がしゃどくろファンの皆は、拍手喝采の大喜び。
斯くして大絨毯は、神殿の隣の広場へと舞い降りる。
防人と、バリア術師の生徒たちも、大絨毯を保護するために付いて来てくれた。
これで、絨毯を操縦していた十人の騎士も、参戦ができる。
ロロとデイズを除いた、二十七人の近衛騎士。
もう、約半数が死んでしまった。
この二十七人で、死んだ近衛たちの敵を取るのだ。
そう誓った時、上空から飛来する、二十二人の人影。
二十二人は、次々と着地する。
その内の一人は、本来は黒いはずの目と髪を、青く染めた、中年の女性。
裸足になった足の裏からは、青い炎を噴き出し、落下速度を緩めながら、地上に降り立った。
茫然とする近衛騎士団。
空から舞い降りた二十二人の先頭に立った、中年の女性が、近衛騎士団へと告げる。
「近衛騎士団、総員集合、なんでしょ?
私たちを置いてけぼりにしたら、いやよ」
その女性、デイズの母であるイザベラが、青く染まった長い髪をなびかせ、近衛騎士にウインクをする。
そして、神殿の前からは、イザベラに駆け寄る二人の影。
デイズとリリアナだ。
「お母さん!」
「イザベラママぁ!」
デイズとリリアナは、イザベラに抱き着く。
その目からは、涙を流して。
イザベラは、デイズとリリアナの頭を撫でる。
「二人とも、無事だったのね。よかった」
デイズとリリアナは、イザベラの胸の中で泣きじゃくっていた。
そして、その向こう側。
その向こうから歩いてくるのは。
眷属と共に、歩いてくるのは。
襤褸のコートを、はためかせ。
足元には、犬のスケルトンが、共に歩き。
汚れた制服のブレザーの胸元に輝くのは、宝石に巻き付く白蛇の紋章。
顔色は悪く、目の下には濃い隈ができていた。
その目を、明るい紫色に染めて。
だが、その場に居る誰もが、彼を待ち望んでいた。
玉座から立ち上がっていたグリーンハルトが、カサンドラと手を繋ぎ、潤んだ目で彼を見る。
四十九名の近衛騎士団が、着地した大絨毯の前に整列する。
そこに、デイズも加わった。
帝国最強の、近衛騎士団長。
大魔法使いロロ。
「さ、全員揃ったみたいですし、やりましょうか」
ロロは、広場の向こう側から鎖を伸ばし、がしゃどくろのバリアを打ち破ろうとしている、キールを指差す。
「帝国近衛騎士団。出動」
今、帝国近衛騎士団、総勢五十一名が、動き出す。