血の色の七人
デイズは、今までよりも明るくなった紫色の炎を噴射し、帝都中央広場の上空を駆け巡る。
路地の不自然なほど黒い暗闇からは、タタリヒメと妖怪たちが、ぬるりと歩み出てきた。
デイズは、その明るい紫の眼差しに怒りを込める。
「来たわね。タタリヒメ」
デイズを殺した、タタリヒメとミーシア。
そして、デイズを眷属として蘇らせるために、がしゃどくろが塵へと還って行ったのだ。
今起きている悪い事の、全ての原因は、こいつらだ。
そして、デイズのもう一つの懸念。
ミーシアがいるという事は、キールもどこかにいるのではないか。
ナインは、味方にはなったが、黒幕の情報は吐かない。
冒険者は、命を懸けて、依頼主の情報を守るらしい。
雷蜘蛛に命を供給していた、優男のネクロマンサーは、先ほど倒した。
それも、ナインから情報を得た訳では無く、同じネクロマンサーであるロロが、雷蜘蛛と繋がった『マナの絆』を見て、気づいただけだ。
ナインはただ、ムラサメからの願いで、合図とともにムラサメを運んだだけだったのだ。
そして、今もナインは一向に情報を出さない。
ただひとつ。
黒幕に関しては、「言えない」と。
もういない、ではなく、言えない、と。
それは、あのネクロマンサーの他にも、まだ誰かがいるという事を表している。
タタリヒメの情報は、あっさりと喋りまくっているので、タタリヒメ以外に、まだ居るのだ。
果たして、黒幕はミーシアなのか、それともやはりキールがいるのか、またはまだ見ぬ誰かがいるのか。
少なくとも、ミーシアが敵側なのは、アイのテレパシーネットワークを通じて、全騎士団へと知らせ終わっていた。
危険人物と判断されたため、騎士団を通じて、避難していた民衆にもミーシアの情報は公開されていた。
帝立魔法学園のクラスメイトは、ショックを受けていたようだ。
デイズはミーシアとはほとんど喋ったことがなかったが、仲のよかった生徒たちは、動揺を隠せないらしい。
さて。
考察の時間は、もう終わり。
タタリヒメの影からは、翼の生えた二つの影が、デイズに向かって飛び出してきた。
鳥の頭をした人間、烏天狗。
人間の顔をした鳥、姑獲鳥。
デイズは、両の手のひらを、二体の妖怪へと向ける。
顔の横には、数匹の空飛ぶ魚。
手のひらが、明るい紫色に輝く。
そして放たれる、紫の爆炎。
ロロの『マナの絆』より、デイズへは膨大なマナが流れ込んできている。
それにより、火炎の破壊力が、飛躍的に上昇したのだ。
紫の爆炎は、二体の妖怪を焼き尽くし、泥へと還す。
さらに炎は、勢いは無くならず、そのままタタリヒメへと向かう。
タタリヒメは、渦巻く数万の紙人形を盾にする。
焼けつく空気。
煮立つ、石畳。
燃えて行く紙人形。
タタリヒメの背に、冷や汗が流れる。
デイズの炎が、紙人形の盾を突破しかけているのだ。
タタリヒメは、足元の影から、紙人形の群れを出す。
そして、その紙人形の群れに乗る。
盾が突破される前に、空を飛んで逃げるつもりなのだ。
タタリヒメの背後には、数体の妖怪。
だが、妖怪を乗せている時間も、影に仕舞う時間も無い。
止むを得ず、タタリヒメは、妖怪をその場に残し、自分だけ逃げだした。
デイズの炎は、数万の紙人形の盾を燃やし、その奥に居た妖怪たちに襲い掛かる。
荒れ狂う、極大の紫の火炎。
妖怪たちは、泥の塊へと還り、燃え尽きていった。
デイズは、自分の手のひらを眺める。
「え、すっご」
精霊眼を得てから何倍にもなっていた破壊力が、ロロの死霊術の影響を受け、さらに異常なほど強力になっていた。
タタリヒメは、紙人形の群れに乗り、帝都中央広場の上空へと飛び出す。
少し離れた場所には、皇帝たちがいる大絨毯。
その大絨毯から、飛び立つ幾つもの人影。
帝国近衛騎士団だ。
近衛騎士団は、ちょうどデイズが一度死んだ時、ナインと一緒に妖怪たちの群れと死闘を繰り広げていた。
ナインの力もあり、かなりの数の妖怪を退治できたが、それと引き換えに、さらに十二人の近衛騎士が命を落としていた。
近衛騎士団、ロロとデイズを含め、残り二十九人。
タタリヒメは、紙人形を空中に広げ、大きな足場を作る。
その足場に、タタリヒメの影が大きく染まる。
それはまるで、墨汁を零したかのよう。
その水面からは、何体もの妖怪が這い出てきた。
近衛騎士団と、妖怪の群れが、ぶつかる。
近衛の岩石術師の中年女性が、尖った岩の弾丸を放つ。
それを受け、妖怪の一体が消滅する。
続いて、青銅術師の兄弟が、揃って青銅の剣で妖怪を切り裂く。
妖怪が、また二体、消滅した。
そして、青銅術師の兄弟が、タタリヒメへと襲い掛かる。
だが。
「危ない!」
鎖鎌を持った鋼術師が、近衛全員に叫ぶ。
壁を破って広場へと突入してきたレッドドラゴン。
それの吐いた火炎が迫っていたのだ。
近衛騎士も、タタリヒメと式神も、それぞれが全速力でその場から飛び去る。
レッドドラゴンの火炎は、紙人形の足場を焼き尽くし、帝都の夜空を焦がす。
離れていても炭と化しそうなほどの、凄まじい熱。
紙人形の群れに乗り、羽織の裾をなびかせて、宙を舞うタタリヒメ。
ここに来て、初めて胸中に不安が募る。
今呼び出せる式神は、奥の手のあいつらを除いて、もう弱い者しか残っていない。
奥の手を使うと、持ち帰る予定の美女も全滅させてしまうため、今まで働いた分も含め、報酬がゼロになるのだ。
ここ数週間の労力が無駄になる。
しかし、タタリヒメは決意する。
このまま、殺されるよりはいい。
タタリヒメは、神殿の上空へ向かい、その屋根の上へと降り立つ。
目の前には、戦場となっている帝都中央広場と、その隣の城が見える。
タタリヒメは、足元の屋根に手を付いた。
広がり濃くなる、タタリヒメの影。
それはまるで、墨汁の池。
その水面から、七人の朽ち果てた両手が伸びてくる。
その手が屋根瓦を掴み、這い上がる。
それは、全員が、血のように暗い赤のローブを着た、顔面に幾つもの札が貼ってある、七人。
彼らこそが、タタリヒメの奥の手。
『七人ミサキ』
タタリヒメは、彼らに命令を下さない。
彼らは、何を言っても聞かないのだ。
七人ミサキは、常に飢えと渇きに見舞われている。
彼らは人や獣に手を触れることによって、生命力とマナを吸い取ることができる。
だが、どんなに大量の生命力を吸い取っても、彼らの飢えと渇きがおさまることはない。
決して満たされる事は無い。
タタリヒメの呪術によって作られた、非常に強力だが、哀れな存在なのだ。
七人ミサキは、近場で飛行をしている第二十八騎士団へと目を付けた。
騎士団へと両腕を掲げる、七人ミサキ。
すると、七人全員の腕が、どこまでも伸びて行く。
空を飛ぶ騎士団を追いかけて。
第二十八騎士団は、中央広場へと到達した所だった。
広場には、巨大なレッドドラゴンが、せっかく作った壁を破壊し、入り込んでいた。
感染性ゾンビはまだ近くには居ないが、早く壁を修復しないと、いつゾンビが侵入してくるか分からない。
騎士団は、箒に跨りながら、杖をレッドドラゴンへ向ける。
だが、その時。
後ろから、悲鳴が聞こえた。
前列の騎士が後ろを振り向くと、朽ちた肌の手のひらが、自分の顔の目の前にあった。
「……え?」
朽ちた手のひらに掴まれる、騎士の顔。
その顔が、みるみるうちに、枯れ果ててゆく。
騎士の身体は、声を上げる時間すら無く、ひび割れ、粉々に砕け散った。
着用していた鉄の鎧が、砕けた騎士の身体から抜けて、派手な金属音を立てて、地面に落下する。
それを見ていた周囲の騎士が、叫ぶ。
「敵だ!ドラゴン以外にも何かいるぞ!」
うぞうぞと蠢く、十四本の長大な腕。
騎士たちが、それに触れられ、次々と身体が砕け散る。
「神殿の屋根の上だ!そこから腕が伸びてる!」
七人ミサキの本体を確認した騎士が、呼びかける。
それに応じ、火炎や岩の弾丸を七人ミサキに放つ騎士団。
しかし、七人ミサキは、伸ばしていた腕を、一瞬にして元通りに縮めると、騎士たちの放った魔法へと手のひらを向ける。
その朽ちた手のひらは、攻撃魔法に込められたマナすらも貪欲に吸い取る。
火炎も。岩も。風の刃も。
マナを吸い取られ、霧散する魔法。
騎士たちは、皆、唖然としている。
今、自分が見た物が信じられなかったのだ。
魔法を消滅させる技など、聞いたことが無い。
あの血の色のローブを着た七人は、一体何なのだ、と。
それでも七人ミサキは、飢えと渇きがおさまらない。
永遠に渇き続ける呪いを、かけられているのだ。
帝都の上空を旋回していた、三体のワイバーンが七人ミサキに襲い掛かる。
だが、七人ミサキは、恐るべき速度で、ワイバーンへと朽ちた腕を伸ばす。
その手のひらが目に入った時には、時既に遅し。
全身の鱗が枯れ果て、粉々になるワイバーン。
七人ミサキの動きは、ワイバーンの飛行速度よりも遥かに速い。
狙われたが最後、逃れる術は無い。
まさに、死と枯渇の化身。
その時、神殿の屋根にいた七人ミサキのすぐ真横に、巨大な赤い鱗が見えた。
魔王レッドドラゴンの、必殺の尾だ。
こことは別の大陸で、数百年、最強の名を欲しいままにしていた、巨大な尾による打撃。
今それが、帝都中央広場で振るわれる。
赤い鱗の尾は、七人ミサキが立っていた神殿の屋根を、薙ぎ払う。
「セバス。これでもないようだぞ。一体どうすればこの気色悪い世界から抜けられるのだ」
「オイラが知るかよ!レッド!とにかくぶっ壊せ!全部壊せば、どっかから出られるだろ!」
狂戦士薬の効果で、悍ましい幻の世界に投げ出されたセバスチャン。
周りの全てが化け物に見えているのだ。
配下のドラゴンたちも、その視界を共有していた。
これは、使役術の『道』により起きた、認識共有という現象。
レッドドラゴンは、その巨大な尾を引き戻す。
だがそこには、血の色のローブを着た、七人ミサキが、へばりついていた。
赤い鱗が、急激に色を無くし、枯れ果ててゆく。
「む、まずいな」
レッドドラゴンは、自らの尾を噛み千切り、七人ミサキの起こした枯渇から、自身を逃す。
渇き、砕け散る尾ごと、中央広場へと落ちる七人ミサキ。
レッドドラゴンは、そこへ火炎を放射し、追い打ちをかける。
だが、魔王の火炎は、十四本の蠢く腕にマナを吸い取られ、霧散する。
「レッド。何か、厄介な奴がいるなぁ」
「セバス。油断をするな。あ奴らは、我らを殺し得る存在だ」
レッドドラゴンの尾により、破壊された神殿。
屋根と壁が崩壊し、最奥の白蛇の像が見えていた。
もうもうと、上がる砂煙。
その中から、ゆらりと起き上がる、七人の影。
赤い竜と、七人の怪異は、帝都中央広場で対峙する。
その広場の横。
城の塔の上からは、タタリヒメが、レッドドラゴンと戦う七人ミサキを見下ろしていた。
あれこそ、呪術の集大成。
魔王だろうが大魔法使いだろうが、果てしない渇きの呪いには、勝てない。
砂煙に紛れて、神殿の前から退避した、ロロ一同。
リリアナが、七人ミサキを千里眼で見ていた。
「うええ、何なんすか、あれ」
ロロも先ほど、ちらりと見えた。
血の色のローブを着た、七人。
騎士たちを取り殺し、レッドドラゴンの火炎すら無効化する。
おそらくは、タタリヒメの配下の妖怪だろうか。
あそこまで強力な手下がいるのであれば、なぜ今まで出してこなかったのだ。
その時、近衛騎士団の通信兵から、ロロへ直接テレパシーで声がかかる。
「団長、聞こえてますか」
「うん。どうしたの?」
「実は、団長には内緒で、みんなで決めたことがあります。
団長。
近衛騎士団で死んだ者は、この戦いの中で蘇らせてください」
ロロは、顔を顰める。
それは、ロロの理念に反する事。
「それは、嫌だ。
僕は、戦うために蘇らせたくはないんだ」
「重々、承知の上です。
しかし、皆の望みでもあるんです。
この戦いに負ければ、帝国が滅ぶ。
近衛騎士団は、帝国を守るために命を懸ける所存です」
通信兵の言っていることも、わかる。
しかし、戦いの最中に蘇らせたら、戦いが終わる頃には、時間切れで塵へと還るだろう。
死んだ人々には、できるだけ幸せな最期を迎えさせてあげたい。
それは、近衛騎士だろうと、一緒なのだ。
「団長。
私たちは、本気です。
そのために、もう一つ、団長には内緒で決めたことがあります。
もし団長が、近衛騎士のゾンビを戦いに使わないと仰るならば、近衛騎士は全員、自害致します」
「……自分たちを、人質に取るつもりかい?」
「はい」
ロロは、唇を噛む。
たぶん、近衛たちは本気だ。
ロロは、通信兵に返事をする。
「わかった。ただし、身体が塵になる前に、絶対にこの戦いを終わらせよう。
必ず、全員が幸せに死ぬことを誓ってほしい。
僕の死霊術は、死者を戦いの道具にするためのものじゃない」
「わかりました。ありがとうございます」
通信兵は、通信を終わらせる。
「ロロ、どうしたの?」
デイズが、紫色の目で、心配そうにロロの顔を覗き込む。
「うん、実は……」
ロロは、眷属のみんなにも、通信の内容をかいつまんで説明した。
「あ~、それ、みんなの気持ち、分かるっす。
たぶん、私が近衛だったら、同じことしたと思うから」
リリアナが、近衛騎士の決断に同意する。
デイズとティナ・シールも同じだった。
ロロだけが、意固地になっているのだろうか。
ムラサメが、神殿の影から歩いてくる。
その表情は、編み笠の影になって見えない。
「ロロさん。
そうと決まれば、速度が命。
死んだ近衛騎士団を蘇らせて、こんな戦は、とっとと終わらせるに限りますな」
「僕も、そう思ってたとこ」
時間が経てば経つほど、死者は増え続ける。
今は、一分一秒でも早く、戦いを終わらせることが、最善の道である。
ロロは、破壊された神殿の影から、中央広場を見つめる。
赤いドラゴンと、謎の七人が、激しい戦いを繰り広げている。
近衛騎士の死体が乗っている大絨毯は、ちょうど反対側の広場の北だ。
まずは、そこに辿り着かねばならない。
ロロは、アイに呼びかける。
「アイちゃん。ナインさんに伝言。
僕たち全員、神殿の横にいるから、迎えに来れるか、って」
「はぁ~い!」
アイが、強力なテレパシーで、ナインに直接呼びかける。
その数秒後、球形バリア『ジュピター』に包まれたナインが、大絨毯から夜空へと飛び出すのが見えた。
竜と妖怪の戦いに巻き込まれないよう、上空から向かってくるようだ。
だが、その時、数本の朽ちた腕が、ナインへと迫る。
その腕の伸びる速度は、ナインの速さを遥かに超えていた。
ナインを包んでいたジュピターが消滅する。
あの手で触れられたのだろう。
ナインの重力術も、マナを吸われてまともに使えなくなり、緩やかに落下してゆく。
レッドドラゴンと七人ミサキが戦っている、ド真ん中へと。
ロロが叫ぶ。
「ナインさん!」
ロロは、走り出そうと脚に力を込める。
しかし、それよりも先に飛び出す影がひとつ。
ムラサメだ。
ムラサメが、落ち行くナインの元へと、駆け出した。
ロロと、眷属たちは、ムラサメを追いかける。
魔王の火炎と、死の腕が、交差する戦場へと。
(ムラサメさん!ナインさん!死んじゃダメだ!)
ロロは、息を切らせながらも、全力で走る。
その時。
おかしなものが見えた気がした。
宙を泳ぐ、虹色の蜥蜴。
だが、ロロが瞬きをした途端、どこかへ消え去った。
きっと、何かの見間違いだろう。
今は、それどころではない。
ロロは、走る。
灼熱の向こう側へと。
そして、竜の炎が眩しすぎて、誰も気付かなかった。
ロロの目が、薄く紫色に染まっていたことに。