ジュピター・システム
ブライト・ダイア皇帝、死す。
その知らせは、アイのテレパシーを通じ、帝都中の騎士団へと報じられた。
感染性ゾンビによる、帝国滅亡の危機の中、その悲報は、騎士団の士気を落とすのに、十分過ぎた。
特に、市民を守るため、皇帝のそばから離れて、妖怪どもと戦っていた近衛騎士の嘆きは、凄まじかった。
誰もが思っていた。
自分が皇帝から離れなければ、死なせなかったかもしれないのに、と。
九万のゾンビは、逃げ遅れた帝都民を感染させ、また十万ほどに膨れ上がってしまった。
セバスチャンは、相変わらず元に戻る気配は無い。
誰もが、絶望していた。
ただ一人を除いて。
ロロだ。
ロロは、ブライト元皇帝の遺体を抱きとめる、ボラン教授の元へと歩く。
ボラン教授は、ロロを見上げた。
「ボランさん。僕に言ってくれましたね。
一人でも多く、命を助けるって。
まだ死んでない人たちも、沢山います。
これからもまだまだ大勢が死ぬかもしれない。
近衛騎士の中にも、死人が出るかもしれない。
僕も、死ぬかもしれない。
それでも、一人でも多く、です」
ボラン教授の瞳が揺れる。
その目は、顔色の悪い痩せた少年を映していた。
ロロは、襤褸のコートを翻し。
帝都上空の夜風に、コートの裾が舞う。
それはまさに、近衛騎士団長として相応しき、威風堂々とした立ち姿。
その場の誰もが、ロロを見ていた。
近衛騎士も。
貴族も。
皇帝の使用人たちも。
グリーンハルトも。
ロロは、通信兵の元へ向かった。
「アイちゃんを通して、近衛騎士全員に……。
いや、全騎士団に、伝えてください」
アイから、全騎士団の通信兵へと流れる、ロロの言葉。
『一人でも多く』
それは、地上で戦う近衛騎士にも伝わった。
リリスは、悲しみで滲む視界で、それでもなお、力強く大地を踏みしめる。
そうだ。悲しむのも、苦しむのも、全部終わってから味わえばいい。
今は、その時じゃない。
横を見れば、黒と赤のオッドアイ。
オーバードライブが、腕を組んでいた。
その顔には、涙の跡。
「やるか」
「うん」
周りを見回せば、いつのまにか、他の近衛騎士の地上組も集結していた。
お互いに、目を合わせる。
そう、うじうじなんてしていられない。
何よりも、新しい皇帝陛下が待っているのだ。
さっさと妖怪どもを片付けて、グリーンハルト陛下を守るのだ。
まだまだ近衛騎士団の仕事は終わらない。
それは、箒で飛行する第一騎士団にも伝わった。
他の騎士団と合流し、数名の岩石術師で、帝都を二分する高い壁を作り上げながら、中央へと向かう第一騎士団。
エリザベスが、涙ぐみながら、箒に乗ったまま、聖剣ヴィーナスを掲げる。
「てめえら!ロロの言う通りだ!
アタシたちがグダグダ悩んでたら、その間に死ぬ奴が居るんだ!
第一騎士団に、悲しんでる暇なんてないぞ!」
その横に、偵察飛行部隊の二人が、並んで箒で飛んでくる。
「ようよう、さっきまでダウンしてたのに、いきなり元気になったなあ!」
「それでこそ第一の団長よ。単純明快じゃねえとな!ガハハ!」
「うっせえぞ!そこの二人!」
偵察飛行部隊の二人は、げらげらと笑いながら、スピードを上げて先を行く。
遥か向こうの帝都中央部では、レッドドラゴンの炎が見える。
(セバっさん。アンタもう元に戻らないんなら、アタシらがキッチリ片付けてやるからよ)
それは、町中の騎士団を通して、帝立魔法学園の生徒たちにも伝わった。
がしゃどくろファンの生徒たちが、帝都に仁王立ちをする、がしゃどくろの横を、箒や絨毯で飛んで行く。
「がしゃどくろさん!俺たちも助けに出るよ!」
「私たちにも、できることがきっとあるから!」
「がしゃどくろさん!見ててくださいね!僕たちのバリアを!」
がしゃどくろは、右手の親指を立てて、生徒たちを見送る。
野太い声が響き渡る。
「がんばりなさいよ!でも死ぬのは無しね!がしゃどくろとの約束!」
帝立魔法学園の生徒たちは、がしゃどくろに手を振って、彼方へと飛んで行く。
それは、全ての騎士団に伝わった。
『一人でも多く』
自分たちが立ち止まった分、命を落とす人がいるのだ。
そんな単純なことすら忘れていたとは。
あるものは、箒に乗って空を飛び。
あるものは、馬で駆け抜け。
あるものは、町中で怪我人を治療する。
騎士だって普通の人間。
笑いもすれば、泣きもする。
愛しい人の死に絶望だってする。
だが、今だけは前を向く。
それが、騎士。
セブンは一人、帝都上空に漂い、訝しむ。
皇帝を殺したというのに、士気が落ちない。
いや、正確には、一度落ちた士気が、再び上がった。
何が、起きた?
すると、球形バリア『ジュピター』の内部モニターに、ワーニングメッセージが出る。
未確認飛行物体、接近。
セブンは、帝都北側の上空に浮かぶ、大絨毯を見た。
そこから、ものすごいスピードで飛んでくる、細長い男。
ナイン。
「へえ、向こうから来たのね。上等!」
セブンは、ジュピター・システムの衛星を、巨大な剣に変化させる。
ブラックホールの使えないナインなど、攻撃手段を持たない雑魚だ。
この剣で、真っ二つにしてやろう。
空気を切り裂く音。
ナインが、もうすぐそこに。
セブンは、狙いを定め、巨剣を振り下ろす。
巨剣はナインに衝突し、硬質な金属音を鳴らし、火花を散らす。
ナインは、左手に装着した、丸い青銅の盾で、セブンの巨剣を防いでいた。
「は?はあああ?」
そのままナインは、セブンのバリアに斜め上から、両足を付け着地する。
そして、右手に持っていた青銅の剣で、ジュピター・システムのバリアを突き破った。
青銅の剣は、セブンの顔面すれすれの所で、止まっていた。
「ちょっ!待って!何それ!」
ナインは、自慢げな顔で、セブンに盾を見せびらかす。
「いいだろ、これ。
近衛騎士団の青銅術師の兄弟の、魔法道具化付きの剣と盾だ。
ジュピター・システムにすら負けねえぞ」
バリアから、青銅の剣を抜き、ふわりと宙に上がるナイン。
これは、まずい。
そもそも重力術の腕自体は、ナインの方が圧倒的に上だ。
セブンは、古代の秘宝であるジュピター・システムがあり、さらにナインがブラックホールを使えない今、ようやくナインと渡り合えるのだ。
それが、あんな強力な魔法道具を身に付けられたら……。
セブンは、巨剣を八十の衛星に戻し、衛星を千のナイフへと変換する。
「こうなったら、数の力で押す!」
セブンはナイフを飛ばす。
ナインは丸い青銅の盾を構える。
すると、青銅の盾が巨大化した。
次々と、青銅の盾に弾かれるナイフ。
セブンは、ナイフを八十の衛星に戻す。
衛星が、セブンの周りを旋回する。
「あの剣と盾、なんとかしなきゃ……!」
ナインが青銅の剣を振りかぶる。
あんな遠くから振っても、届きはしないはず。
だが、嫌な予感がする。
セブンは、衛星を巨大な盾の形にし、ナインへと向ける。
ナインが振る、青銅の剣。
それは振った瞬間に、巨大化する。
ナインの重力術が上乗せされ、破壊力の上がった青銅の巨剣は、セブンの衛星の盾を割り、ジュピター・システムのバリアを裂き、セブンの左脚を切り落とした。
切断された傷口から、どばどばと血が流れる。
「ぎゃああああっ!あしぃ!私の脚がぁ!」
セブンは、騒ぎながらも、ズボンのベルトを抜き、切り落とされた左脚の根元を縛り、止血する。
痛みと出血で、気が遠のく。
フライングパンに帰ったら、治癒術師に再生して貰おう。
そのためにも、今を切り抜けなければ。
ナインが、セブンのバリアの裂け目に、飛来する。
セブンが、咄嗟にバリアを修復する。
だが、ナインの剣は、バリアを貫通するのだ。
修復した所で、今度こそバリアごと胴体を斬られるだろう。
ナインが、バリアに着地し、セブンに向かって剣を振る。
だが、青銅の剣はバリアに弾かれた。
先ほどは、易々とバリアを切り裂いた、青銅の剣。
なぜか、威力が激減している。
ナインは呻く。
「げっ!魔法道具化が切れちまった!」
青銅の武具に補充してあったマナが枯渇したのだ。
セブンの目が、ぎらりと光る。
「ははっ。運は私に味方したみたいだね!」
セブンは、旋回していた八十の衛星を、巨大な両腕に変化させる。
その手で、ナインの胴体を握りしめにかかる。
ナインが後ろ向きの重力を発生させ、逃げようとするも、セブンは重力術で引き寄せようとする。
双方向の重力が相殺され、その場から動けない。
ナインは、青銅の剣と盾を放り出し、両手を広げる。
秘宝の巨大な手に向かって、逆向きの重力を発生させ、ナインの身体に触れる直前で止める。
セブンの秘宝の力と、ナインの重力術の、力比べだ。
両者とも、額に血管を浮かび上がらせ、全力で拮抗する。
「ナ、イン!おとなしく、潰され、なさいよぉ!」
「い、や、だ!俺には、愛する、ひとが……、ぐおおっ!」
少しずつ。
少しずつだが、セブンの秘宝の両手が、狭まって行く。
本来ならばセブンは、ナインの重力術には敵わない。
だが、ナインは今、ロロとの戦いにより、マナがほとんど無い状態だ。
「ナイ、ン!アンタ、さえ、いなければぁ!」
「死、ぬ、訳には、いかないんだあああ!」
ナインに迫る、巨大な手。
もう少しで、ナインの指先が、巨大な掌に触れるほど。
「死ねえええええっ!」
「嫌だあああああっ!」
そして。
秘宝『ジュピター・システム』の八十の衛星のナノマシンで構築された、巨大な手が、ナインの指先に触れる。
二人の耳に、機械的な女性の声が響く。
「ジュピター・システム最適合者、認証。
所有者の変更を開始します」
ナインの指先に触れた巨大な手が、極小の機械であるナノマシンへと分解されてゆく。
慌てふためくセブン。
「えっ?な、なに?」
セブンを包んでいた、透明の球形バリア『ジュピター』も、足元から消失してゆく。
今は、ただの重力術のみで、セブン自身と、切り落とされた左脚が、ふわふわと宙に浮いている。
二人の周囲に、分解されたナノマシンが集結し、八十の衛星となる。
衛星は、二人を中心に旋回する。
セブンの右手の人差し指に嵌っていた、指輪。
『ジュピター・システム』の制御装置。
それすらも、ナノマシンへと分解され、セブンの指から宙に舞う。
セブンの右手が、それを追いかける。
塵にも等しい大きさのナノマシンを掴めるはずもないのに。
「待って!待ってよ!私のジュピター!」
セブンの指から解き放たれたナノマシンは、ナインの右手の人差し指に再集結する。
ナインの指にナノマシンが組み上がり、銀の指輪となった。
再び、女性の声が鳴る。
「ジュピター・システム、起動」
ナインを、透明な球形バリアが包む。
八十の衛星が、ナインを中心に旋回する。
セブンは、右手を宙に向けたまま、茫然としている。
「そ、んな……」
ナインはナインで、驚愕していた。
「え?ジュピター?え?俺?」
二人はそれぞれ、別の意味で困惑していた。
だが、セブンよりもナインが早く、状況を理解する。
今、この時より、ジュピター・システムは、ナインのものになったのだと。
ジュピター内部に、青く光るホログラムの四角いスキャナーが幾つも現れる。
スキャナーが、ナインの脳波を読み取る。
ナインがイメージしたのは、セブンを捕らえる檻。
八十個の衛星が、微細なナノマシンへと分解され、セブンの周りに再集結し、セブンを捕らえる檻となる。
「え、やだ!ちょっとナイン!出しなさいよ!」
「出すわけねえだろ。セブン姉を裁くのは、帝国の裁判所だ」
「この裏切り者!」
「違うね。俺は、愛を知ってしまったんだ」
訳の分からないことを述べるナイン。
憤るセブン。
真夜中の帝都の空で、長年に渡る、二人の確執に決着はついた。
こうして、ナインは名実ともに、ストライダーの当主となったのだ。
「ほれ、セブン姉、とっとと歩け」
「わかったって!急かさないでよ!左脚治ったばっかりなんだから!」
ここは、大絨毯の上。
新たな皇帝となった、グリーンハルトの玉座の前。
ナノマシンの鎖で縛られた、セブンを連れて歩くナイン。
切り落とされたセブンの左脚は、ボラン教授が治療した。
帝国は法治国家である。
皇帝と言えど、裁判の結果には逆らえない。
そして、裁判の結果が出るまでは、無罪でも有罪でもないのだ。
それは、マグマ・ダイア帝国からエメラルド帝国へと姿を変えても、同様であった。
それを知ってか知らずか、セブンは助命を望む。
「皇帝陛下。私の身柄については、戦争捕虜としての待遇を求めます」
グリーンハルトは頷く。
「……わかった。君は今より、帝国の捕虜となる。
逃亡を試みれば即座に死罪となるため、重々気を付けるように」
大絨毯の上には、怨嗟が渦巻いていた。
犠牲者の出なかった、ナインの時とは訳が違う。
セブンは、ブライト元皇帝の、殺害の実行犯なのだ。
グリーンハルトは、拳を握りしめ、耐える。
仲の良かったブライト元皇帝の顔が、脳裏に浮かぶ。
気を抜けば、持ち前の水晶の弾丸で、セブンを撃ち殺しそうになる。
だが、帝国は法治国家。
皇帝自らがそれを破れば、法は意味を無くし、たちまちのうちに無法国家となり下がるであろう。
当然、セブンもそれを見越していた。
(帝国、チョロい!
とりあえず今だけ凌げれば、後はどうとにでもなる。
ナインを殺して、ジュピターを奪い返す。
それには……)
頭の中で計略を巡らせるセブン。
その目に、三つの光の線が見えた。
それは、三本のガラスの剣に反射した光。
(……え?)
ガラスの剣は、セブンの両の肺と、腹部を貫いていた。
肺の中に出血し、大量の血を絨毯へと吐くセブン。
呼吸をしても、空気を取り込めない。
切り裂かれた腹部からも、腸が飛び出していた。
それはまさしく、地獄の苦痛。
セブンの耳に聞こえてくる、惚けた声。
「ああ、しまった。私には、逃亡しかけたように見えましたので、ついうっかり」
それは、グリーンハルトの隣に控えていた、ガラス術師。
激痛と呼吸困難で、のたうち回るセブンを見下ろす、周囲の目線。
そのどれもが、セブンに暗い目を向けていた。
左目が潰れた、近衛の副団長も言う。
「私にも、逃亡を試みたように見えました。今の判断は妥当かと」
青銅術師の兄弟が、笑いながら同調する。
「同感。逃げようとしてたぞ、こいつ」
「俺も同じく。危なく逃げられるところだったよな。ナイス!」
青銅術師の兄弟は、ガラス術師に向けて、二人して右手の親指を立てていた。
地面に倒れ、ただ血を吐くばかりのセブン。
その目は、弟のナインを見つめていた。
(ナ、イン……)
ナインも、セブンを見つめていた。
その目には、悲しみもあり。
すがすがしさもあり。
恨みもあり。
憐憫もあった。
ナインは、目を閉じる。
今はもう、セブンを見もしない。
(ナイン、助け……)
こうしてセブンは、果てしない苦痛の中で、ひとり死んでいった。