ウォーチーフ
マルは、騒めく民衆の波を掻き分けて、四階建ての住宅の元へと辿り着く。
三階部分の窓が割れている。
近くの民衆が「絨毯が突っ込んだ」と喚いていたため、おそらくスウォームたちは、ここに墜落したと見て間違いないだろう。
すると、顔を青ざめさせた住民が、階段を駆け下りてくる。
「ひ、ひ、ひ、人が死んでる!」
「あちゃー、絨毯に乗ってたやつか」
「違う!首を噛み切られてて、両脚も切り取られてる!誰かが殺したんだ!」
ざわめく民衆。
おそらくは、スウォームと雷蜘蛛の仕業だろう。
消えた両脚というのは、弁当にでもしたか。
その時、人混みの中から、オレンジ色に染めた革鎧を着た、三人の騎士が現れた。
先頭の男は丸い顔に口髭を生やしている。
その丸顔の男が、住民に事情聴取を始めた。
これはまずい。
スウォームはマナを回復させるために、何名か人間を食わなくてはならないだろう。
しかし、この騎士団が邪魔だ。
今、この帝都には、人が溢れかえっている。
スウォームたちを目撃した者は多かろう。
騎士団が聞き込みでも始めれば、あっという間に後を追えてしまう。
だから、マルは先手を打つ。
オレンジ色の革鎧を着た、丸顔で口髭の男に、声をかける。
「あの、騎士団の方ですか?」
「いかにも、第六騎士団であります。如何なさいました、お嬢さん?」
「さっき、そこの家から、血まみれの人が二人、向こうへ逃げてったんです」
騎士団の三人は、互いに顔を見合せる。
「犯人かもしれません、団長」
どうやら丸顔で口髭の男は、第六騎士団長のようだ。
第六騎士団長が、マルに尋ねる。
「どこへ行ったか分かりますかな?」
「途中で見失っちゃったんですけど、その場所までなら案内できます!」
マルは、駆け出す。
第六騎士団の三人は、慌ててマルを追いかける。
騎士団には冷静に考える時間を与えてはいけない。
主導権は、こちらが握るのだ。
街道を駆け抜け。
角を曲がり。
野良猫をジャンプして避けながら。
マルは疾走する。
第六騎士団の三人は、きちんと付いて来ているようだ。
やがて、薄暗い路地へと辿り着く。
マルは、騎士たちに告げる。
「この中です。ここに入っていったのまでは見たんですけど、いつの間にかどこかへ行ってしまって……」
当然、何もかもが出鱈目である。
騎士たちを、人気の無い所へ誘導できれば、何でもよかったのだ。
三人の騎士は、神妙な顔つきで、路地へと入って行く。
手掛かりが有るのではないかと、路地の捜索に入る。
何も見つかるはずがないのに。
騎士たちは、ゴミ箱の蓋を開け、地面に痕跡が無いかを調べ、木箱をどかす。
だが、何も見つからない。
「団長、手掛かりらしきものは見当たりません」
「うむ。逃亡した輩は、もしかしたら通信で連絡が来た、魔神・雷蜘蛛の一味かもしれん。
場合によっては、帝都を巡回中の他の騎士団や、協力してくれている冒険者たちと合同捜査に当たろう」
第六騎士団長は、先ほど東門で第四騎士団を襲った雷の嵐を思い出し、身体が震える。
もし、あれが雷蜘蛛とやらの力であったのであれば。
第六騎士団全員でかかっても、一蹴されるだけであろう。
第六騎士団長は、震える手を握りしめ、恐怖を無理に抑え込む。
命に代えても民を守るのが、騎士団の務め。
魔神だか何だか知らないが、刺し違えても倒してくれよう。
第六騎士団長は、ここまで案内をしてくれた緑色の服のサイドテールの少女の存在を、ふと思い出す。
雷蜘蛛のイメージが強すぎて、少女の事をすっかり忘れていたのだ。
第六騎士団長は、マルへと向き直る。
「お嬢さん、ご協力感謝しますぞ。
……ん?何ですかな、それは?」
第六騎士団長は、眉をひそめる。
少女が、何やら金属の筒のようなものを、第六騎士団長へ向けていた。
魔法の杖ではないようだ。
おもちゃか何かだろうか。
そして、マルは魔法を発動した。
銃弾が放たれる。
第六騎士団長の額に向けて。
膨張した空気で押された鉛の銃弾が、秒速千メートルの速度で、第六騎士団長の頭蓋を貫く。
銃弾の破壊的なエネルギーにより、爆散する第六騎士団長の後頭部。
血と脳が、路地に撒き散らされる。
あまりにも突然の展開に、残りの騎士二人は、ただマルを見ているだけ。
だが、マルは動きを止めたりしない。
騎士二人にも考える暇など与えず、それぞれ銃弾を一発ずつお見舞いする。
全員、ヘッドショットだ。
砕け散る、頭蓋骨。
飛び散る、血と脳。
路地に転がる、三つの死体。
これで、少しはスウォームたちの時間を稼げるだろう。
その間に、食事を済ませてマナを回復してほしいものだ。
さて、この現場を人に見られては非常にまずい。
さっさとここから離れて、誰かと合流しよう。
少し遠回りにはなるが、西門で戦闘中のセブンを助けに行ってもいいかな。
そして、マルは去る。
第六騎士団長の死体を後にして。
★
ウォーチーフは、葉巻を咥えながら、双眼鏡で南門を覗く。
ここは、帝都の南東の外壁の上。
第九騎士団『ならず者』は、全員馬に乗って待機していた。
騎士の一人が、ウォーチーフに話しかける。
「ボス。どうですか」
「まだわからん。だが、いつでも戦えるようにしておけ」
「はい」
「それと通信兵。俺らが間に合わんようだったら、即座にテレパシーで伝えろ」
「わかりやした」
ウォーチーフは、葉巻を吹かせ、双眼鏡を下ろし、杖を構える。
これから始まるであろう、より激化する戦いへと備えて。
レッドドラゴンに乗ったセバスチャンは、焼ける空気の熱波により朦朧とする頭で、戦況を鑑みた。
現在の状況は、帝国側にやや有利。
アイを中心とした帝都全体をカバーするテレパシーネットワークで、現在の状況はほぼ把握できている。
まず、本当かどうかは疑わしいが、敵側のS級冒険者が一人、帝国側に付いたようだ。
そして、東側から来た脅威である、魔神・雷蜘蛛とやらも、ティナ・シールの手により、その力を大きく弱体させる事ができた。
雷蜘蛛は、そのまま帝都へと入り込んでしまったため、帝都内を巡回している騎士団と冒険者たちで、捜索中だ。
しかし。
セバスチャンは、数を少し減らした十万のゾンビの真上に漂う、大きな絨毯を見上げた。
(さっきはバカでけぇ氷で攻撃してきたってぇのに、今度は急にだんまりかい)
そう、あの絨毯の上の人物たちは、先ほどの氷の攻撃を境に、突如として何もしてこなくなったのだ。
(なぁに企んでやがるんだか)
間違いなく、絨毯の上の黒幕たちは、帝都に目的がある。
そのために十万以上の帝国の民をゾンビにまで変えたのだ。
まさか、本当にただの愉快犯という落ちは、流石に無かろう。
セバスチャンは、ゾンビの大群を踏みつぶすレッドドラゴンの背から、南門と、その周辺の外壁の上を見る。
そこでは、各騎士団の火炎術師たちが力を合わせて、何とかゾンビを焼ける威力の炎を放っている。
風術師や水術師が、ゾンビを焼いた灰を、吹き飛ばしたり流したりして、灰が積もってゾンビたちの足場にならないように、協力していた。
そのさらに向こう側では、黄金の剣を携えた騎士団が、全員馬に乗りながら、長い黄金の光を振り回し、ゾンビをひたすら斬り続けている。
第二十三騎士団『黄金騎士団』だ。
先頭を走る騎士団長、スターライト侯爵だけは、剣のみではなく、全身の鎧が黄金で出来ていた。
黄金騎士団は、団長の黄金術の魔法道具化で、特性を強化された武具を使う。
黄金の剣は、より長く鋭く。
黄金の鎧は、より硬く軽く。
黄金の馬具は、より速く。
スターライト侯爵は、黄金の籠手が着けられた腕で、黄金の剣を振るう。
第二十三騎士団の剣は、壁の上からゾンビたちを易々と斬り倒せるほど長大になっていた。
「ふはははは!スターライト侯爵、見参!生ける屍どもめ、覚悟せよ!」
スターライト侯爵たちが切り裂いたゾンビの群れを、黄金の杖を備えた火炎術師たちが焼く。
どうやら、スターライト侯爵の魔法道具化は、杖を使った魔法すらもパワーアップさせるらしい。
ずいぶんと便利な技だ。
武具を揃えるのに、金がかかりそうだが。
黄金騎士団の他にも、帝都内部で控えていた騎士団たちが、次々と箒に乗って現れ、ゾンビに魔法を放つ。
この十万以上のゾンビの大群と戦い始めてから、およそ数時間。
戦いは、朝日が昇る頃から始まり、今はもう午後だ。
肝心のゾンビは、どれくらい倒せたかと言うと、ようやく、一万弱を葬ったという所か。
(……ゴールが、遠いな)
そう、これが十万という数字の重さ。
城の会議室で、紙の資料の上で見るただの文字では、真の恐ろしさは感じ取れない。
実際に対峙して初めて分かる、この絶望感。
しかも、掠り傷一つ追うだけで、奴らの仲間入りだ。
ゾンビに触れられないように戦っているのは、思っている以上に神経を使い、体力を擦り減らす。
おまけに、一匹でも帝都に入られたら、終わる。
今、帝都には周辺の村や町から避難してきた住民で、いっぱいになっている。
外壁のすぐ向こうには、数万の人間で溢れかえっているのだ。
レッドドラゴンが、巨大な火の塊を吐く。
炎は、百のゾンビを薙ぎ倒し、灰へと変えてゆく。
凄まじい、熱。
レッドドラゴンの身体から揺らめく陽炎。
セバスチャンは、レッドドラゴンの背中に触れて、直にマナを流し込んでいる。
だが、あまりの暑さに、再び意識が遠のいた。
体力が、もう無い。
やはり歳だな、とセバスチャンは思う。
若い時よりも、限界が来るのが早い。
「悪い、レッド。オイラぁもう無理だ」
「なに?もう終わりか。昔よりも衰えたな、セバス」
「お前ェらと違って、人間様は寿命が短えんだよ。一休みしたらまた来る」
セバスチャンは、すぐ真横に向かって手をかざすと、赤い魔法陣が宙に浮かび上がる。
そこから出てくる、一匹のワイバーン。
セバスチャンは、そのワイバーンの背に飛び乗る。
レッドドラゴンが、ワイバーンで飛び去ろうとしたセバスチャンに吠える。
「セバス!儂へのマナの供給を途切れさせるな!」
「わかってる!直接背中に流すよりも、量は減っちまうが、そこはお前ェで何とかしやがれ!」
セバスチャンの扱う使役術には、ロロの『マナの絆』と似たような技がある。
『道』と呼ばれる、眷属へとマナを供給する技。
セバスチャンの体内のマナは、大気中からマナ・アブソープションで吸収できるため、ほぼ無尽蔵に近かったが、それを十分に眷属たちに供給できるかは、また別の話だった。
『道』を使うよりも、背中に乗って、直接マナを流し込む方が、大量に供給できるのだ。
だが、炎を吐くドラゴンの背中と言うのは、常に熱との戦いだ。
特に、魔王と呼ばれるほどのレッドドラゴンの強力な炎は、周囲の温度を急速に上昇させる。
(くそ。やっぱり、副団長を連れてくりゃあ良かった)
セバスチャンは、氷結術師である副団長に、いつもは温度の冷却を頼んでいた。
だが今回は、セバスチャン以外の近衛は、皇帝陛下の身を守ることを最優先にした。
副団長も、陛下の警護に回っている。
セバスチャンは、テレパシーでアイに伝える。
「アイ、聞こえるか」
「はぁい~。聞こえてるよぉ」
「副団長に連絡。今からワイバーンを一匹そっちにやるから、オイラんとこに来いと伝えろ。冷却が必要だ」
「了解~」
セバスチャンは、南門の少し東寄りの外壁の上に、ワイバーンから飛び移る。
ワイバーンは、そのまま王城へと向かった。
セバスチャンは、一番マナの消費が激しい、レッドドラゴンからあまり離れる訳にはいかない。
この外壁の上が、レッドドラゴンに対する『道』の距離の限界だ。
ワイバーンたちは、レッドドラゴンに比べマナの消費が少ないため、『道』の距離は長いのだ。
そのためセバスチャンは、自分自身は外壁に降り立ち、王城へはワイバーンを遣わせる。
セバスチャンは、外壁の上から、辺りを見回す。
壁の外には、十万から少し減ったゾンビの大群が、相変わらず押し寄せてくる。
壁の内側には、帝都周辺の町などから避難してきた民草が、数万人。
南門の西側の外壁の上では、エリザベスが、聖剣ヴィーナスの突風で、ゾンビを燃やした灰を吹き飛ばしているのが見えた。
その手前では、黄金騎士団が長大な黄金の剣でゾンビを薙ぎ払いながら、馬をこちらへと走らせて来る。
団長のスターライト侯爵が高笑いをしながら、ゾンビを切り裂いている。
そして、セバスチャンは、何気なく後ろを向いた。
そこは、東門へと繋がった、外壁の上。
東門方面から、馬に乗った集団が、セバスチャンへと駆けてくる。
(ん?誰だあいつら)
セバスチャンは、目を凝らす。
遠すぎて、よく見えない。
騎士団らしき鎧を着ているようだ。
(南側に配属されてんのは、もう出揃ってるはずだけどなぁ)
少しずつ、少しずつ近づいてくる、謎の騎兵の集団。
先頭を走る馬の上には、葉巻を咥えた男。
ウォーチーフだ。
とすれば、あれは第九騎士団か。
(あん?第九騎士団は、東門配属のはずだぞ。なんで、こんな所にいやがる。)
ウォーチーフ達、第九騎士団の顔が、ようやく見え始める。
全員、何やら必死の形相をしていた。
すると、突然にアイから通信が入る。
「セバっさん!第九騎士団のウォーチーフから緊急の伝言!
『逃げろ』って!」
ウォーチーフが杖を抜き、セバスチャンへと向ける。
セバスチャンの方へと攻撃魔法を放つつもりだ。
(オイオイ、何がどうなってやがる)
ウォーチーフは、気でも触れたか。
もしくは、裏切ったのか。この土壇場で。
しかし、何だ今のアイからの通信は。
セバスチャンは、ウォーチーフへと手をかざす。
手の先に現れる、赤い魔法陣。
魔法陣からは、ワイバーンの首と翼が伸び出てくる。
第九騎士団が、敵か味方かわからない。
どっちに転んでも対処できるよう、いつでもワイバーンを放てるようにしておく。
ウォーチーフが、咥えていた葉巻を吐き捨て、何かを叫んでいる。
「……だ!」
戦場では、あちらこちらで爆音が鳴り響いている。
攻撃魔法の音。
馬で疾走する騎士団の音。
市民たちの悲鳴。
ウォーチーフの叫びは、セバスチャンへは聞こえない。
ウォーチーフは、先ほどからセバスチャンへ杖を向けてはいるが、攻撃を放たない。
何がしたいのだ。
ウォーチーフは、まだ叫び続けている。
「じいさ……!……ろだ!」
だが、先ほどよりも大きくなった馬の足音で、聞こえない。
セバスチャンは、ワイバーンを出現させるが、まだウォーチーフへは襲い掛からせなかった。
何かを伝えようとしている。
先ほどのアイを通じてのウォーチーフからの通信。
『逃げろ』とは、何からだ。どこへだ。
ウォーチーフが、構えた杖の先から、油で出来た槍を作り上げる。
ウォーチーフは、液体魔法使いの油術師である。
油で作った剣や槍を飛ばし、それが刺さった後に火をつけて燃やす戦闘スタイルだ。
その槍の穂先は、セバスチャン側へと向けられていた。
「あの野郎、やっぱり裏切りやがったのか?」
セバスチャンは、魔法陣からワイバーンを放つ。
大空へと舞い上がり、第九騎士団へと襲い掛かるワイバーン。
だがウォーチーフは、ワイバーンへは見向きもせずに、未だ油で出来た槍でこちらを狙ったままだ。
再び、ウォーチーフが叫ぶ。
「じいさん!うしろだ!」
セバスチャンは、自分のうなじに、ちくりと小さな痛みを感じた。
肩越しに、背後を見る。
そこには、黄金で出来た籠手があった。
そして。
セバスチャンの首筋に刺さった注射器。
中身は、既に空だった。
既にセバスチャンの体内へと、中身が注入された後であったのだ。
それは、赤い液体。
『狂戦士薬』と呼ばれる、禁断の薬だった。