戦闘錬金術師マル
マルは、空飛ぶ絨毯を高速で走らせながら、親指以外の指が無い左手を眺める。
そして、指が無事な右手で、ベルトに付いたポーチの中から、金属の筒を取り出す。
これは、銃と呼ばれる武器。
古代文明の遺跡に入った時に、作り方の書いてある古文書を見つけたのだ。
数千年前に滅びたと言われる、古代文明。
もちろん、その古文書自体も、ただの本ではない。
数千年経っても無事な、特別な紙とインクで作られていた。
評議会に見つかると取り上げられて禁書にされてしまうため、マルは古文書を、魔の大森林の中の基地へと隠した。
故に、銃の作り方を知っている者は、マルのみ。
銃そのものは、驚くほど簡単な構造だった。
本来は、火薬、と呼ばれる物質を発火させて、爆発的に生じるガスの力で、弾丸を押し出すらしい。
その古文書には、火薬の作り方は、どこにも書いていなかった。
だが、マルにとっては問題なかった。
むしろ、マルだからこそ、火薬の作り方が無くても良かった。
マルは、一応は風術師だ。
しかしその魔法は、周辺にある空気を膨張させるという、大して役に立たない魔法だった。
マジックアカデミーでは、落ちこぼれの生徒。
そのためマルは、魔法使いとしての自分に見切りをつけ、錬金術師としての腕を磨き続けた。
マルの錬金術の才能は突出していた。
数々の薬や毒を開発し、数年後には、フォレストピアに無ければならない存在となった。
だが、マル見つけた。
何の役にも立たないはずの、自分の魔法の使い道を。
空気を膨張させるだけの魔法。
これは、火薬の代わりになるのではないか。
銃の中の、本来は火薬が入るべき場所を空洞にし、そこの空気を膨張させれば、銃として役割を果たせるのではないか。
結果として、マルの魔法で、銃は完成した。
鉄板をも易々と撃ち抜ける、銃。
マルだけが使える、火薬の無い銃。
強力無比な、マルだけの武器。
こうして、魔の森の猛獣すらも太刀打ちできない『戦闘錬金術師』が誕生したのだ。
本来は鉛の弾丸を飛ばすのだが、マルは更に弾丸を改造し、毒の入った、ガラス瓶の弾丸も撃てるようにした。
毒そのものよりも、それを入れるガラス弾を作るのに、一番苦労した。
発射時の衝撃では割れずに、しかし何かに命中した時には割れるよう、前後の厚さを細かく変え、試行錯誤の末に作り出した、ガラス瓶の弾丸。
今、マルの銃には、何発かの弾丸が込められていた。
それは、疫病の血が入った、ガラス瓶の弾。
マルは、大勢の人で氾濫する、帝都の街道を適当に狙う。
本来、火薬が入っているべき場所は、ただの空間になっている薬莢。
その空間に魔法をかけ、空気を膨張させる。
それに押されて発射される、感染性ゾンビの血が入った、弾丸。
人ごみの真上の壁に当たり、ガラス瓶が破裂する。
その下に居た人々は、先ほどの戦いで見せつけられた、雷蜘蛛の雨雲から逃げ出すのに必死で、誰一人として、頭上から降りかかったゾンビの血には気が付かなかった。
次々と発射される、マルの弾丸。
銃の側面から、弾の無くなった薬莢が飛び出す。
人々の頭上へ降り注ぐ、プレイグの血。
すぐ隣で、それを見ていたスウォームが大笑いしている。
彼も、この弾丸が何かを知っているのだ。
これで、帝都は中から、ゾンビの群れに食い破られるだろう。
マルは、帝国が滅びた後、この帝都を丸ごと貰えるよう、評議会には話をつけていた。
評議会の面々は、帝国人の性奴隷が欲しいだけで、帝国の領土には興味が無かったのだ。
おかげで、あっさりと承諾を得られた。
マルは、女王になりたかった。
評議会なんて邪魔が居ない場所で。
マルを、ちやほやしてくれる国民も欲しい。
自分に都合のいい法律を作ろう。
そして、死ぬまで楽しく過ごすのだ。
マルは、妄想に漬かる。
ふと気づくと、プレイグの血の弾丸を撃ち尽くしていた。
(あら、また空想癖が出ちゃった。いけないいけない。)
グリップの底からマガジンを射出する。
その代わりに、親指だけの左手で、器用にマガジンを装填する。
今度は、本来の銃の使い方である、鉛の弾丸。
騎士団の鋼鉄の鎧など、この銃弾の前では無力に等しい。
すると、音が聞こえた。
何かが、空気を切り裂く音。
右側から聞こえてくる。
マルが、右を見ると。
そこには、両脚揃った、靴の裏。
高速で飛来した、ナイン・ストライダーのドロップキックが、マルの腹部に突き刺さる。
「ぐえっ」
マルは、衝撃で胃の内容物を吐き出した。
そして、ナインもろとも、絨毯から落下する。
落ち行く二人を、スウォームが見る。
スウォームは、目も口も開きっぱなしだ。
ナインが仰向けで、その細長い両手両脚を広げ、落下しながら、スウォームに告げた。
「悪い、スウォーム!俺、帝国側に付くことにしたわ!」
そしてナインは、マルと共に、帝都の街並みへと消えて行く。
マルが運転していた空飛ぶ絨毯が、操縦主を失い、暴走する。
「うわっ!」
思わず声を上げるスウォーム。
スウォームも雷蜘蛛も、もうマナが無い。
絨毯を運転できない。
振り落とされないように、しがみつくだけで精一杯。
右へ、左へ。
上へ、下へ。
そして、幾つものカラフルな屋根を飛び越え、住宅の上すれすれを飛行する絨毯。
何度も、瓦を掠めながら。
やがて、ひとつの四階建ての建物の前に出た。
おそらくは、集合住宅の類だろう。
しかし、絨毯は止まらず。
そのまま。
スウォームと雷蜘蛛は、住宅の三階の窓へと、突っ込んだ。
マルは、落ちて行く。
宙に胃液を撒き散らし。
今日は、痛い事だらけだな、と思いながら。
先ほどスウォームに食いちぎられた左手の指。
たった今ナインに蹴り飛ばされた腹。
痛みと共に、怒りが湧いてくる。
特に、ナインに対して。
右手には、銃を持っていた。
銃は何があっても離してはいけない。
これからやって来るであろう、衝撃に備える。
マルは、自分が落ちる先を見る。
厩の前の石畳。
このままでは、硬い地面に衝突して、下手をすれば死ぬ。
だが、幸いなことに、厩の脇には、藁の山があった。
マルは、自分の側面の空気を、魔法で膨張させ、自身の体を、藁の山に向かって吹き飛ばした。
藁の山に、軟着陸するマル。
衝撃で、全身がバラバラになりそうなほどの痛みが走る。
また、痛いことが増えた。
だが、死ぬよりも遥かにマシだ。
マルは、口の中に入ってしまった藁を吐き出し、藁山から抜け出した。
そして、今いる厩の前の石畳に。
細長い人影と、襤褸のコートを羽織った人影が、ふわりと降り立った。
ナインと、顔色の悪い少年だ。
マルは、ナインへと冷たい声をかける。
「……いったい、何のつもりですか」
ナインは、背後に居る少年へと目線を送る。
「この方が、俺の新しい雇い主だ。俺は、帝国に身を捧げることにしたぜ」
弱そうな、少年だ。
だが、マルには分かる。
この少年は、途轍もない力を秘めている。
まともに戦ったら、負けるだろう。
そう、まともに戦ったら、だ。
マルは、まともになど戦わない。
常に、相手の裏をかく。
その右手にある、金属の筒こそが、その象徴であった。
マルは、銃を少年の頭へと向けた。
薬莢の中の空気を、魔法で膨張させる。
それに押し出され、鉛の弾丸が発射される。
秒速、千メートル。
それが弾丸の速度。
魔神だろうが勇者だろうが、肉眼では決して見えない速度。
だが、弾丸が発射される直前。
少年の影から、巨大な骨の右手が現れ、分厚いバリアの壁を建てる。
弾丸はバリアを貫通するも、分厚いバリアの内部で軌道が歪み、狙ったはずの少年の頭からは逸れて、その向こう側の壁を撃ち抜いた。
ナインが、弾丸の跡を見て、目を丸くする。
野太い声が響き渡る。
「ロロちゃん!逃げて!
魔法の気配がしたからバリア張ったけど、あの子の攻撃、マズイわ!」
ロロ。
あれが、ロロか。
帝国の大魔法使い。
マルは、無言のまま、次の弾丸を発射する。
しかし、今度はナインがロロを抱きかかえ、その勢いのまま、二人一緒に地面へとダイブした。
おかげで、またもや壁を撃つ羽目になった。
ナインが叫ぶ。
「お館様!逃げましょう!たぶんアレは、真正面から戦ったらダメなやつです!」
ナインが、ロロを抱えながら、猛スピードで宙に浮かぶ。
マルは銃を連射するも、ナインの動きが速すぎて当たらない。
やがて、マガジンの弾を撃ち尽くした頃、ナインはロロと一緒に、カラフルな屋根の向こう側へと、飛び去って行った。
「ちっ。まあいいわ。今はスウォームさんたちを探しましょ」
空のマガジンを地面に落とし、新しいマガジンをポーチから取り出す。
銃は、念のため仕舞わない。
右手に銃を持ったまま、スウォームと雷蜘蛛が飛んでいった方向を見る。
スウォームも雷蜘蛛も、もうマナが残っていないため、絨毯を操縦できずに、どこかに墜落している可能性が高い。
通りの向こうにある、四階建ての建物の周囲が、騒がしい。
あのあたりだろうか。
その時、テレパシーで通信が入った。
頭の中で念じ、応答するマル。
帝国に潜ませた、内通者からだ。
このスパイのお陰で、騎士団の居場所は把握していた。
しかし、ティナ・シール・グレイの事は何も言ってこなかった。
スパイからしてみても、ティナ・シールが東門に居たのは予想外だったのだろうか。
おかげで、死ぬ思いをした。
内通者は今、南門へと差し掛かるころのようだ。
セバスチャンとタタリヒメが、互いに牽制をし合っているとのこと。
実に都合がいい。
内通者には、例の計画を進めるよう、伝えておく。
これで、南門は崩壊するだろう。
いや、そのまま帝都が壊滅するかもしれない。
マルは、無言のまま、笑う。
お喋り娘のマルの時間は終わり。
今からは、戦闘錬金術師のマルの時間。
高速で飛行していた絨毯から投げ出されたスウォームは、割れた窓ガラスが所々に突き刺さり、全身から血を流して倒れていた。
幸いなことに、スウォームも雷蜘蛛も死んでいない。
突っ込んだ窓の先にあった、本棚の本がクッションになったらしい。
ここは、どこだろうか。
うまく動かない身体を、なんとか動かし、起き上がる。
隣では雷蜘蛛も、ふらつく頭を押さえ、むくりと立ち上がっていた。
すると、階段の方から、どたばたと誰かが走る音。
そして、金髪の女性が顔を出した。
「だ、だいじょうぶですか!?
なんかすごい音がしたから……。
あの、騎士団、じゃないですよね?」
きっと、ここに住む一般市民だろう。
朦朧としていた頭が、徐々にハッキリとしてくる。
ここに居たら、すぐに騎士団がやって来る。
マナが尽きた今は、かなりマズい。
マナを、補充しなければ。
スウォームは、女性に笑いかける。
浅黒い肌の、美青年のスウォーム。
「すみません、絨毯に乗って避難していたら、マナが切れてしまって。
肩を貸して頂けませんか?」
「は、はい」
女性は、ほんのりと顔を赤くし、スウォームの元へと駆け寄って来る。
女性は、スウォームの肩に手を回す。
肌と肌が、密着している。
女性の体温が感じ取れる。
スウォームは、そのまま顔を回し。
女性の首筋にキスをする。
「きゃっ!え、な、なにを……」
驚く女性の顔を横目に見ながら。
彼女の首筋に噛み付いた。