タタリヒメ
スウォームの提案した生物兵器、感染性ゾンビ『プレイグ』。
プレイグに噛まれたり引っ掻かれたりした人間は、数時間で死亡し、新たなプレイグになる。
その正体は、赤血球と同じくらい小さな寄生虫である原虫を、死霊術を使えるように改造したもの。
傷口から体内に入り込んだ原虫が、宿主を殺し、そのまま死霊術で操り、また別の犠牲者を探すというループ構造になっている。
スウォームの計画は、最初は帝国領土の南端にある、砂漠に隣接する小さな村に、最初の数体のプレイグを投入する。
そこからは鼠算式に増殖し、一か月後には帝国の南側の全域に住む、約十万人がプレイグとなるだろうと。
円卓に着いていた評議会は、皆、黙るしかなかった。
プレイグは確かに、強力な兵器だ。
帝国をも滅ぼせるかもしれない。
だが、見境が無さすぎるのだ。
滅びるのは、おそらく帝国だけでは済まないだろう。
フライングパンとその周辺国、そしてフォレストピア国家群までも。
その場の皆が同じ思いをする中で、評議会の中年の男性が、意を決しスウォームに尋ねた。
「こ、このゾンビが有効なのは分かった。だが、我々への安全性は、どうなんだ?」
スウォームは、にこやかな笑顔で、質問に答える。
「ご心配なく。プレイグが狙うのは、人間だけです。
人間以外の獣は襲わないし、感染もしない。
魔の大森林や砂漠には、基本的に入ってこないんですよ。
それに、森や砂漠には、獰猛で強い獣が沢山いますでしょう?
何割かのプレイグは、森や砂漠に迷い込んでくるかもしれませんが、人の住まう地域に到達する前に、獣に捕食されて終わりですよ。
そして、さらに何か月か経てば、全てのプレイグの肉体は自然と朽ち果て、残るのは無人の帝国領。
あとはその土地を、皆さんの好きにしたらいい。
ああ、奴隷が欲しいのであれば、プレイグに滅ぼされる前に、ちゃんと取り分は確保しておいてくださいね」
これは、ある種の詭弁だった。
人間しか狙わないのは本当。
獣に捕食されるのも本当。
だが、もしプレイグが帝国全域を飲み込んだとしたら、最終的にその数は五十万を超える。
森や砂漠に迷い込んでくる何割か、というのは、おそらく万単位だ。
そのうちのほんの数体でも、たまたま町に辿り着けば、そこから一気に国は崩壊する可能性はある。
フライングパンやフォレストピアも、十分に危険なのだ。
しかし、スウォームは分かっていて、それを言わない。
もし、この大陸から人類が消えて、地の果てまでゾンビで埋め尽くされることになったのならば。
その光景を目に焼き付けて、自らも喜んでプレイグに食われよう。
スウォームは、他者に対する強すぎる憎しみと、歪んだ希望を胸に抱き。
ただ笑う。
スウォームの学生時代は、悲惨の一言だった。
その頃は、まだ虫を操る発想すら無く。
ただひたすらに、人を蘇らせようとしても、無反応の日々。
最弱のレッテルを貼られたスウォームは、反撃の手段を持たない、学生たちの憂さ晴らしの道具だった。
殴られ蹴られは、日常。
新しい魔法の実験台と称し、身体を焼かれ、四肢を切断されることも。
どうせ教師の治癒術師に治してもらえるのだから、と歯止めは効かず。
そして、美しい顔をした少年時代のスウォームは、男子たちの性欲の捌け口ともなった。
口や尻の穴を犯され、何度となく涙した。
だが、クラスメイトたちは、げらげらと笑うばかり。
最弱のスウォームは、親からも出来損ないと言われ、見放されていた。
やがて、人を蘇らせることを諦め、虫を使うようになってからは、ようやく少しの暴力を得た。
蜂や蠍のゾンビで、一人ずつ静かに、毒殺していった。
虫を使うようになったことは、誰にも言っていなかったため、疑われることも無く。
そして、クラスメイトの大半が死に、ようやく生き残りであるスウォームに捜査の目が向けられた時。
その時には既に、スウォームは両親をも殺害し、行方をくらましていた。
ざわつく円卓の間で、昔のことに想いを巡らせる。
スウォームの中の、他者を愛するという気持ちは、ずっと昔に滅び去ってしまった。
今では他者は、一人残らず憎しみの対象だ。
前々から本当にやりたかったのは、帝国潰しではなく、人類の殲滅だったのだ。
評議会の面々は、互いに顔を見合わせる。
スウォームの言い分に、半信半疑だ。
だが、先ほどまでの絶望的な緊張感は、もう無くなっていた。
少し、打ち解けた評議会のメンバーたち。
キールやミーシア、S級冒険者組も、こわばった顔が、ようやく緩む。
もちろん、評議会のメンバーたちは、スウォームの言う事を、そのまま鵜呑みにはしないだろう。
だが、ほんの少しの安心材料を与えてやれば。
帝国人の奴隷や土地が欲しいという欲望に、秤は傾く。
スウォームは、話を続ける。
「帝国には、大魔法使いが二人います。
強力な騎士団や冒険者たちも。
お聞きになったかもしれませんが、死んだはずのフォレストピアの勇者ムラサメまでも。
単純にプレイグを投入するだけでは、計画が失敗するかもしれません。
でも、ご安心ください。
そのための我々です。
私たちと雷蜘蛛で、まず帝国の強者たちを始末します。
その後は、プレイグに任せれば、勝手に帝国は滅ぼされることでしょう」
スウォームは、ぱん、と手を叩く。
「しかし、計画は盤石にしたい。
私が望むのは、一緒に戦ってくれる最後のひとり。
いらっしゃるんでしょう?
フォレストピアの大魔法使いさん」
円卓の、唯一の空席。
その向こう側にある、両開きの扉。
その扉が、錆びた音を立てて、ゆっくりと開く。
扉の向こうは、不自然な暗闇だった。
この部屋の光が漏れて届くはずなのに。
扉から先が、全く見えない。
その暗闇の向こう側から。
ずる、ずる、と引きずる音。
そして、その粘液のような暗黒の水面から、ぬるりと出てきたのは。
長く黒い羽織を着た、美しい女だった。
肩口で真っすぐに切り揃えた、黒髪。
その瞳は、なぜか光を一切映さない、黒。
女のすぐ近くの、評議会のメンバーが、呻くように呟く。
「……タタリヒメ様」
タタリヒメと呼ばれた黒い女は、くすくすと笑い声を響かせる。
だが、その顔は能面のように、微動だにしなかった。
「はじめまして。スウォームさん、とお呼びしてよかったかしら?
祟姫命でございます。
タタリヒメとお呼びくださいませ」
タタリヒメは、円卓に残っていた、唯一の空席に座る。
長い羽織を、床にずるずると引きずらせて。
これで、ようやく円卓が全て埋まった。
タタリヒメが、声を投げかける。
静かなようで、しかしなぜか聞き取れる小声で。
「話は、すべて伺っておりましたわ。
この部屋の音声は、わたくしの部屋に聞こえるようになっておりますの」
スウォームが、聞く。
「ならば、話は早いですね。
ご協力願えますか?
帝国潰しに」
タタリヒメが応える。
とても、ゆっくりとした声で。
「もちろんですわ。
わたくし、ほんとうは、すぐにでも出てきて、あなたたちのお仲間に入れて欲しくて、そわそわしてましたの。
でも、せかせかした女は美しくないでしょう?
わたくし、常に美しくありたいのです」
タタリヒメは、円卓に肘をつき、白い肌の腕を、羽織の袖から覗かせる。
その仕草は、実に妖艶であった。
ある種の傾国の美女であろう。
しかし、得体の知れない恐ろしさが、タタリヒメにはあった。
「スウォームさんは、たしかネクロマンサーでしたね?
わたくしも、同じ黒魔法使いですわ。
でも、わたくし、死霊術は、からきしでして。
そのかわりに、呪術と暗黒術を使います。
自分で言うのもなんですが、大魔法使いの祟り、とってもこわいのですよ?」
タタリヒメの、暗黒の瞳が、スウォームを見つめる。
それは、色気と悍ましさが混じり合って出来た、黒。
タタリヒメは続ける。
「わたくし、美しさを保つために、純潔の乙女の血を浴びるのが趣味ですの。
でも、やりすぎたのか、フォレストピアには、もう乙女は少なくなってしまいまして。
帝国には、いっぱいいらっしゃるのでしょう?
わたくし、その子たちが欲しいのです」
ふふふ、と声だけで笑う、能面の美女。
スウォームは、一筋の汗をかく。
目の前の大魔法使いは、文字通り、国を傾ける。
だが今は、その力が欲しい。
国どころか、世界を傾けようとしているのだ。
その時。
がたん、と音を鳴らし、椅子に座ったまま、円卓に脚を乗せる者がいた。
細長い脚。
ナイン・ストライダーだ。
「あ~。勘弁してくれよ。
うるせえ女がいるだけで、こっちはイライラしてんのに。
気色の悪い女まで追加トッピングかよ、オイ」
姉のセブンが、ナインの脚を叩く。
「ちょっと、ナイン。脚を下ろしなよ」
「俺に指図すんな!」
ナインは声を張り上げる。
円卓の間の、円形の部屋に、ナインの声が鳴り響く。
ナインは、円卓から脚を下ろした。
だが、それはセブンの言う事を聞いたからではない。
椅子を倒して、そのまま立ち上がるナイン。
「お・れ・は!
うるせえ女も!
きめえ女も!
大っ嫌いなんだよ!
おいスウォーム!
俺は戦いに来たんだよ!
なのに、何週間も女のお守りさせられて!
S級冒険者、舐めんじゃねえ!」
ナインは、スウォームに喚き散らす。
二メートルの長身のナインが、スウォームを見下ろす。
だがナインとスウォームの間に、巨大な氷の壁が、突如出現した。
円卓の間に、霜が下りる。
急激に襲いかかる低温。
空気中の水分が凍り付いて、きらきらと輝いている。
氷の壁を放ったのは、ミーシアだった。
「うるさいのは、アンタよ。
そんなに戦いたいなら、私が相手してあげるわ」
ナインの顔は、怒りで真っ赤になっている。
額には、血管を浮かばせて。
「おもしれえ。
やってやんよ。
何がマンイーターだ。
直径1ミリに圧縮してやる」
ナインは、胸元で右手を開く。
その掌のすぐ先に、極小の黒点が出現する。
部屋の中の空気が、黒点に吸い込まれ、薄くなってゆく。
セブンが、慌ててナインを止める。
「ナイン!待ちなさい!こんな所でブラックホール作る気!?」
「うるせえ!セブン姉も、いつもいつも指図しやがって!
全員まとめて、ブッ潰れちまえ!」
ナインが右手を開いたまま掲げる。
黒点に集約するように、凄まじい風が巻き起こる。
スウォームの配った、プレイグの資料の紙が、黒点に吸い込まれ、消えて行く。
その場の全員の身体が、ふわりと浮いた。
皆の髪の毛が、黒点に向かって引っ張られる。
今この部屋の重力の中心は、あの黒点だ。
スウォームが焦って杖を取り出す。
(まずい、このままでは、本当に全員……)
突然。
ナインの黒点へ吸い込まれていた空気の流れが、止まった。
ナインも、右手を掲げたまま、硬直している。
その掌にあったはずの黒点は、消えていた。
黒点に吸い込まれかけて浮いていた皆の身体も、通常の重力に従って、その場に音を立てて落ちる。
「おちついてくださいまし」
妖艶な声が響く。
ナインの様子をよく見ると、その影に、紙で出来た人形が突き刺さっていた。
「わたくし、言いましたでしょう?
大魔法使いの祟り、とってもこわいのですよ」
タタリヒメが、黒の羽織を引きずって、ナインの元へと歩み寄る。
ナインは、相変わらず右手を掲げたまま、固まっている。
「暗黒術・影縫い、ですわ。
ほんとうは、このまま、わたくしの式神の餌にしてしまうのですけれど。
わたくし、ナインさんとは仲良くしたいのです」
タタリヒメが、白い手で、ナインの頬を撫でる。
ナインは動けないまま。
それでも内心は怒り狂っているのがわかる。
タタリヒメは、ナインに囁く。
「ナインさん。
ストライダー家の麒麟児。
本来は、秘宝に選ばれたセブンさんだけが生き残れるはずだった、S級冒険者になるための、過酷な教育。
秘宝を持たずにストライダー家の試練を生き残った、唯一のひと。
その重力術の才能は一族の中でも突出している。
ここで死なせるのは、惜しいですわ」
ストライダー姉弟は有名だ。
タタリヒメが語った、ナインの出自も、知る人間は多い。
それにしても、あと半秒、タタリヒメの影縫いが遅ければ、全員ブラックホールに飲まれ圧死していた。
決して、ナインの動きが遅かったわけではない。
事実、タタリヒメ以外は、ナインの技の速度に反応できなかった。
タタリヒメ。
『陰陽師』 祟姫命
その実力は、マナ・アブソープションだけではないようだ。




