精霊眼から見える世界は
「……ズ!……イズ!]
耳鳴りがする。
一体、何が起きたのだろうか。
「デイズ!だいじょうぶ!?」
デイズが薄っすらと目を開けると、そこはロロの腕の中。
身体は地面に横たわっている。
いつの間にか、気を失っていたみたいだ。
周囲には、がしゃどくろとの対戦に選抜された生徒たちが、おそるおそるデイズを眺めている。
その目には、なぜか怯えの色も。
どうやらここはまだ、第二模擬戦フィールドの一端のようだ。
デイズを治療してくれたのだろうか、治癒術師の女子たちもいる。
それにしても、戦いの場のド真ん中で、気絶するなど、失態にも程がある。
結構高く宙を舞っていたはずだが、よく墜落死しなかったものだ。
飛行系の魔法を使う誰かが、助けてくれたのだろう。
ロロが、涙を浮かべ、デイズを抱きしめる。
「デイズ!よかった!気が付いたんだね!」
「ロロ、ごめんね。私、かっこ悪いね」
デイズが力なく笑う。
そういえば、試合の結果はどうなったのだろう。
頭の中がぼんやりとしている。
炎を放った後から、思い出せない。
がしゃどくろのバリアは、誰かが打ち破れたのだろうか。
その時、ロロのさらに上空に、巨大なスケルトンが顔を出した。
がしゃどくろだ。
「デイズちゃん、怪我はない?
すごいわ。貴方、いつの間にあんなに強くなってたのよう。
まるで、オーバードライブちゃん並みじゃない」
デイズは、がしゃろどくろの言っている意味が、よくわからなかった。
頭が混乱していて、考えがまとまらない。
ロロが、デイズに優しく話しかける。
「デイズ、覚えてないの?」
「……え?なにが?」
ロロがデイズの頭を撫でる。
その柔らかな手つきに、デイズは何だか嬉しくなってしまった。
ロロと結婚して、本当によかった。
ロロが、続ける。
「デイズが、がしゃどくろさんのバリアを壊したんだよ」
デイズは一瞬、その意味がわからなかった。
身に覚えがない。
すると、そこに口を挟む者が居た。
酸素を凝縮して爆破する、風術師の一年生だ。
「なあ。あのバリア、俺様の攻撃で、元々壊れかけてたんじゃねえの?」
しかし、それに反論する者も居た。
エリザベスの妹、アビゲイル・サファイア公爵令嬢だ。
「それはないわ。悔しいけど、アタシもバリア使いだから分かる。
あのバリアの壁は、デイズ先輩の炎を食らうまで、全然ダメージなんて受けてなかった」
その後ろに居た、何人かのバリア術師たちも、無言で頷いている。
デイズは、自分が論点になっているらしいというのに、何が何だかわからない。
生徒たちの話を統合してみると、どうやら自分がバリアの壁を壊したというのは、本当らしい。
しかし、全く記憶が無いのだから、勝利の美酒に酔いしれることもなく。
どう振る舞えばいいのかすら、わからなかった。
しかし、ひとつだけ、心当たりがある。
もしかして、だけれど。
しばらく前から見えだしていた、あの空を泳ぐ、半透明の魚。
あれが関与しているのではないか。
だが、デイズはロロに、魚のことを告げることが怖かった。
実際はそんなものは居なくて、ただデイズの頭がおかしくなっただけかもしれないのだ。
そして、ロロに知られたら、嫌われてしまうのではないかと。
横たわるデイズの身体を抱き上げてくれているロロ。
この温もりを、失いたくない。
黙っているべきなのだろうか。
デイズの髪を、ロロが撫でる。
「デイズ。何かあったの?」
「……」
勇気が、出なかった。
最初にロロに告白したときよりも。
一度手に入れた宝物を失うかもしれないのが、こんなにも怖いなんて。
デイズの手が、思わずロロの服の袖を掴む。
その手は、震えていた。
ロロが、優しくデイズに問いかける。
「思い当たることがあるなら、言ってみて。何があっても、僕はデイズの味方だから」
デイズは、こんな状況だというのに、ロロの言葉に、心の中で歓喜する。
本当に、本当に、この人の妻になれてよかった。
デイズは、決めた。
全てを話すことに。
たとえ狂人扱いされたとしても。
それで、ロロが離れてしまったとしても。
今までのロロとの思い出さえあれば、これからの人生、きっと生きていける。
デイズは、息を吸う。
そして、意を決して告げた。
「ロロ。私、おかしくなっちゃったのかもしれない」
★
「やほー!デイズ、具合はどうだい?」
いつも元気な老婆のネクロマンサー、学園の教師のフローレンスが、ドアを開けて入って来た。
その後ろには、彼女の眷属である、双子の執事の青年のゾンビが、古い本や巻物を大量に抱えて登場した。
デイズは、ロロの私室の巨大なベッドの上に座り、ロロが剥く林檎を食べていた。
ベッドの上には、ティナ・シールとリリアナも、寝転がって本を読んでいた。
ティナ・シールは魔法の技術書で、リリアナが恋愛小説だ。
ベッドの脇に座っていたロロがサイドテーブルに剥きかけの林檎を置き、フローレンスたちに手を上げて、挨拶を交わす。
「おはようございます。何か分かりましたか?」
そう、デイズは、ロロに全てを打ち明けていた。
洗面所で、小さな白蛇に話しかけられたこと。
それから度々見えるようになった、宙を泳ぐ魚の群れ。
そして、突然に発現した、がしゃどくろのバリアの壁を破壊するほどの超火力。
ロロは、フローレンスやグリーンハルトなど、信頼できる人物に、尋ねてみていたらしいのだ。
もしこれが、ただのデイズの妄想や幻覚ならば、ロロも恥をかくことになるのにも関わらず。
「うんうん。色々と、珍しいものが見れたよ!楽しかった!
見てよ、この本!皇帝陛下の図書室の本を借りられたんだ!
これもグリーンハルトの坊ちゃんが根回ししてくれたおかげだねえ!
流石に禁書は見せてくれなかったけどね!あはは!」
フローレンスは、執事の片方、ヘンリーの持つ本のうちの一冊を抜き出して、掲げた。
「たぶん、なんだけどねえ。
デイズが見たのは、精霊だね!」
フローレンスは、本をパラパラと捲る。
「えーっと、あれ、どのページだったかね」
「163ページです。フローレンスさん」
「おお、ありがとうね、ヘンリー!」
フローレンスが、163ページを開いて、ロロとデイズに見せると、そこには空を泳ぐ魚の群れが、図解付きで記載されていた。
デイズが思わず声を上げる。
「あっ!これ!これです!」
デイズは、今の今まで、自分の妄想なのかもしれないという不安が拭いきれていなかった。
だが、この本に描かれている図は、まさにデイズが見た謎の現象そのものだった。
ようやく、自分の妄想ではないかもしれないと、少しだけ安心できた。
フローレンスが解説する。
「この本はね、まだ帝国が出来るずっと前の時代のものさ!
その頃は、マグナ・ダイア帝国じゃなくて、ダイア王国っていう名前だったらしいね」
ダイア王国、という名前を聞いて、ティナ・シールが顔を上げる。
「うわあ、なつかしいです!私、ダイア王国の生まれなんですよ!
ちょうど、今の帝都がある場所が、そのまんまダイア王国だったんです!
私のお家は戦争で無くなっちゃいましたけど」
ティナ・シールは、百年前の天下統一戦争の英雄だ。
当然、帝国が大陸を統一する前の時代も生きている。
ティナ・シールは語る。
「その時の王様で、後の初代皇帝となるマグナ・ダイア様は、とっても優しい王様だったんです。
でも、周辺国家が軒並み、民衆に悪政を敷いていて、それがどうしても我慢できなくて、天下統一をすると決めたんです!」
フローレンスが、興味深そうに聞いている。
なにせ目の前で、歴史の証人が、本では伝わらない、ナマの歴史を語っているのだ。
「ほうほう!なるほどねえ!どうりで、侯爵を初め、地方領主は評判が悪いわけだ。
その悪政を敷いていた国の王族の血を、そのまんま引いてるんだからね」
ロロからしてみたら百年前とは、途方もなく昔の事に感じるが、実は百年前などつい最近だ。
当時の世代から、三代か四代しか経っていないのだ。
その程度では、民衆を虐げていた頃の、凝り固まった価値観は、そうそう変わらない。
グリーンハルトも、他の貴族を「妖怪みたいなもの」と言う訳だ。
ロロは、爵位を賜った時に初めて見た、ブライト・ダイア皇帝陛下を思い出す。
まるで武将のような佇まいの、少年の目をした老人。
ブライト・ダイア皇帝や、グリーンハルト、それにエリザベスと言った、皇帝の血族はみんな良い人たちばかりだった。
血筋が全てとは言わないが、やはりその家系ごとの教育などもあるのだろう。
ロロは、皇帝の一族である公爵家や、デイズの実家であるブラスター男爵家のみんなは好きだったが、逆にどうしても好きになれない貴族も多かった。
きっとそれぞれの家系が、それぞれの価値観を、昔からずっと色濃く伝え続けているのだろう。
フローレンスが、話を戻す。
「や、ごめんごめん。話がそれちゃったねえ。
それでね、デイズ。君は、数百年ぶりに現れた、精霊眼の持ち主かもしれないんだよ」
精霊眼。
精霊信仰が国教である帝国では、精霊を知らないものは居なかった。
しかし、精霊眼とは聞き慣れない言葉。
だがデイズは、洗面所での白蛇との会話を思い出す。
そなたが、こんだいの、せいれいがんの、もちぬしか。
にんげんが、せいれいがんをもつのは、じつにひさしぶりだ。
デイズが思わず叫ぶ。
「あっ!そういえば、白蛇に言われました。
その、妄想じゃなければ、の話ですけど……。
私が、今代の精霊眼の持ち主だって」
フローレンスが唸る。
「ああ、やっぱりね。それはきっと、妄想なんかじゃないよ。
デイズの見た光景は、この本の図解と一致してる。
この本は、数百年前の当時の精霊眼の持ち主である巫女が書いた文献なんだ。
もちろん、原本はとっくの昔に朽ち果ててるから、写本の写本のそのまた写本なんだけどね」
ロロは、フローレンスとの授業で習っていたため、精霊眼のことは知識として知っていた。
「精霊眼を持つ人だけが、精霊を見たり話したりすることができる、でしたっけ?」
「そうそう!ロロ、よく憶えてたねえ!
大魔法使いがマナ・アブソープションで吸収する大気中のマナも、精霊が生み出してると言われているんだよ。
でもこの文献によれば、精霊は人間にだけ味方してくれるような、都合のいい存在でもない。
デイズの急激なパワーアップも、精霊の何体かが、たまたま気まぐれにマナを与えてくれた結果かもしれないねぇ。
でも、なにせ資料が少なくてねえ。
この国で『精霊』って言われると、たぶんみんな頭に思い浮かべるのは、あの大きな白蛇の土地神様だと思うんだ。
でも、この文献に記されているのは、実は精霊って色んな種類がいて、それぞれ色んな姿をしていて、その代表格が空を泳ぐ魚なんだよ。
私もこの歳になって、初めて知ったよ!
ワクワクしてくるねえ!」
ほくほくの笑顔のフローレンス。
この老婆は、いつだって元気だ。
朗らかに笑うフローレンスを見て、デイズは、ようやく安心できた。
自分は狂ってなんかいなかったと。
ロロは、離れていかないと。
安堵した途端、涙が零れてきた。
ぽつぽつと。
膝元の布団を濡らす。
ロロが、デイズの頭を撫でた。
それが、とても優しくて。
涙が、止まらなくなってしまった。
ロロと出会う前は、孤高の存在であったデイズ。
デイズ自身も、それで構わないと思っていた。
でも自分に、こんなにも愛おしい夫ができるなんて。
今のデイズは、ロロと出会う前よりも、弱くなった部分もあるかもしれない。
しかしそれは、とっても幸せな弱さだ。
フローレンスが、改めてデイズに聞く。
「デイズ。このことは、私たちだけの秘密にしてもいいし、神官様に伝えて、精霊眼の持ち主であると公表してもいい。
他人の事は考えずに、自分の好きな道を選ぶんだよ」
デイズは、思う。
もし、自分が精霊眼の持ち主だと公表したら、デイズを含めた、グレイ家を見る周りの目はどうなるだろうか。
数百年間、現れなかった、精霊眼の持ち主。
未だ実感がないが、もし本当に自分がそれだとするならば、精霊の本来の姿など、誰ひとり知る者はいない訳で。
運が良くても崇拝の対象にされ。
悪ければ、グレイ家全員が嘘つき呼ばわり。
もし公表すれば、国が保護してくれるかもしれないけれど。
社会的な地位も、すごく上がるかもしれないけれど。
でも、そうなれば、ロロと一緒に過ごす生活も無くなるかもしれない。
そう考えると、今の生活が幸せなデイズとしては、公表するメリットなど、何も無かった。
欲しいものは、既に自分の手の中にあるのだ。
「フローレンス先生。秘密にしておいて頂けませんか?」
フローレンスは、優しく笑う。
「もちろんさ!これは、私たちだけの内緒の話にしとこうねえ!
急激に強くなった理由は、なんかすっごい頑張って修行した成果とか言っておけば大丈夫だよ!」
デイズは、千々に乱れていた心の中が、ようやくいつも通りに戻った気がした。
信頼を置ける人に話をするというのは、とても大事なことなのだ、と知る。
きっと、自分だけで抱え込んでいたら、いつか身も心も耐えられなくなっていただろう。
自分がおかしくなってしまったのだと、いつまでも思い込んで。
本当におかしくなる、その日まで。
デイズは、心に余裕が生まれたせいか、がしゃどくろのバリアを打ち破った時の事を考える。
デイズ自身には記憶が無かったが、凄まじい大爆炎を放ったらしい。
先ほどの、フローレンスの推測。
- 精霊は人間にだけ味方してくれるような、都合のいい存在でもない -
- 精霊の何体かが、たまたま気まぐれにマナを与えてくれた結果かもしれないねぇ -
もし、もしその推測が当たっているのであれば。
あの大量に泳いでいた、空を泳ぐ魚のうちの、ほんの数体が気まぐれにデイズにマナを与えた結果だとするならば。
大魔法使いとは。
あの空を埋め尽くすほどの、途方もない数の精霊の大群から生み出された、マナを全て吸収するのであれば。
マナ・アブソープション。
それは、今まで漠然と考えていたよりも、ずっと、凄まじい技術なのかもしれない。
デイズは、横に座るロロを見る。
今では、愛しい夫となったロロを。
先日、謁見した皇帝陛下から、こっそり教えてもらった真実。
もしロロがその気ならば、万を超える強力なアンデッドの軍勢を、次々と生み出すことができると。
たった一人で、国を滅ぼすことすら可能だと。




