空を泳ぐ魚
デイズは、困っていた。
ふとした時に、見えるのだ。
魚が。
宙を泳ぐ、半透明の魚の群れが。
それに混じり、虹色の蜥蜴や、淡く光る蛙なども。
そして、気づいた時には、いつの間にか見えなくなっているのだ。
それの繰り返しだった。
(私、どうしちゃったんだろう……)
今は、第二模擬戦フィールド。
今日はいつもの授業と違い、フィールドの周りに作られた観客席に、見学者が沢山いる。
帝立魔法学園の、中等部のみんなだ。
デイズは、周りを見回す。
そこには、高等部の一年生から三年生までの、選抜された強力な学生たち。
みんな、体育着に着替えている。
その目には、ゴーグルを装着して。
デイズも、自分の額に引っかけてあるゴーグルを、指で叩く。
軽量化された強化ガラスで作られたゴーグル。
叩くと軽い音がする。
これは、つい最近、体育着の標準装備に加えられた、目の保護のためのゴーグルだ。
戦場では熱や風や砂が乱れ飛ぶが、目を瞑る訳にはいかない。
敵を前に目を瞑れば、その次にやってくるのは死だ。
デイズは、再び前を向く。
フィールドの反対側には、巨大な人影。
今日の授業は、彼と対峙しなくてはいけない。
目の前にそびえ立つ、がしゃどくろに。
観客席から、声援が飛び交う。
「きゃー!がしゃどくろさーん!」
「やべえ、本物だよ。圧力すげえ」
「お、俺、初めて見るわ……。噂には聞いてたけど、デケぇな」
「がしゃどくろさんのバリア、近衛騎士のイザベラさんとリリスさんの一斉攻撃でも、びくともしなかったらしいじゃん」
「えっ?マジで?」
「ウチの父ちゃんもバリア使いだけど、あの二人の同時爆撃に耐えるバリアなんて絶対作れんって言ってた」
「がしゃどくろさん、ファイトー!」
がしゃどくろは、左手を腰に添え、右手は天を指差し、ポージングを決めている。
その骨の体表には既に、薄く強力なバリアが張られていた。
(もうバリアつけてるなぁ。不意打ちは効かないか)
がしゃどくろの更に向こう側には、ロロが簡素な椅子に座って観戦している。
ロロの第一夫人として、無様な真似を見せる訳には行かない。
今はもう、デイズ・ブラスター男爵令嬢ではない。
デイズ・グレイ男爵夫人なのだ。
がしゃどくろは、近衛騎士との御前試合の時を境に、熱狂的なファンを得ていた。
なにせ、バリア使いは多いのだ。
人間だけではない。
バリア、テレパシー、サイコキネシスなどの、念動魔法を使う獣は数多く。
そのため、バリアの専門家である第二十九騎士団『防人』は、近衛騎士団の次に人気の花形であった。
今日の中等部の見学者の中にも、バリア術師は相当数いるようだ。
デイズは、額に引っかけていたゴーグルを、目に装着する。
はたして、このゴーグルはちゃんと目を保護してくれるのだろうか。
途中で割れて、ガラスの破片が目に刺さる羽目になど、ならなければいいのだが。
軽くジャンプを繰り返し、準備運動をする。
靴は既に脱ぎ捨てられ、裸足になっていた。
(お母さんとリリスさん二人がかりで壊せないバリア相手かぁ……。ちょっと荷が重いなぁ)
だが、エリザベスが卒業した今や、デイズも学園で最強の一角。
現在所属している第六騎士団や他の騎士団から、卒業後は是非入団してくれとスカウトされているのだ。
(まあ、私だって、遊んでばっかりだった訳でもないし。これでも、火力アップの訓練しまくってたんだよね)
デイズの周りの空気が、熱を帯び始める。
ショートカットの黒髪と、黒い瞳が、紫色に変わる。
足元から上昇気流が発生し、髪の毛をなびかせる。
(やるだけやってみるか。あのバリア突破できたら、近衛騎士超えだ)
膝を曲げ、全身をかがめる。
それはまるで、押し縮められ、弾ける寸前のバネのよう。
足の裏から、紫色の光が漏れ出す。
周りにいる他の学生陣も、やる気は満々だ。
なにせ、今回はいつもと違って、学園中の精鋭たち。
誰もが、自分こそが最強だと自負している。
その時、空から、蝶ネクタイをした、丸々と太ったおじさんが、箒に乗って飛んで来た。
学園長である。
学園長が、第二模擬戦フィールドの端に降り立つ。
彼は希少な、光魔法の使い手でもあった。
学園長が、持ち前の光魔法で、自分の顔を青空に投影する。
突然上空に現れた、巨大な学園長の顔。
その顔が、大きく息を吸い込んだ。
「それではぁ~、みなさん~、スタァト!」
学園長が、癖のある喋り方で、開始の合図を告げる。
デイズが、大きく跳んだ。
がしゃどくろが、両手を前に突き出し、分厚い半透明のバリアの壁を作り上げる。
それは、城壁と言っても過言ではないほど、巨大な壁。
彼の野太い声が、こだまする。
「さあ、学生ちゃんたち、来なさぁい!このバリア破ったら、貴方たちの勝ちよ!」
足の裏から紫の炎を噴き出し、宙を駆けるデイズ。
だが、その横を、さらに凄まじい速度で通り抜ける者がいた。
箒に乗った風術師たち。
デイズもかなり高速で動ける方であったが、風術師には流石に及ばない。
第二模擬戦フィールドは広大で、がしゃどくろまでには結構な距離が空いているが、風術師たちは早くもバリアの壁に到達していた。
デイズは、自分の遅さに歯噛みする。
風術師たちは、風の刃や空気の弾丸を、バリアの壁に放つ。
それがバリアに衝突する度、壁に弾かれる硬質の音が響く。
強力な風術師組による総攻撃。
だが、がしゃどくろのバリアは、傷ひとつ付かなかった。
「えっ、硬っ!」
「私のかまいたちでも、全然ダメ!」
「これ壊すとか、無理じゃねえ?」
その時、箒の上に立ったまま乗った、一人の男子生徒が到着した。
たしか彼は、数少ない一年生の選抜組。
「お前ら、そこどけ」
一年生の風術師が、言い放つ。
彼からすれば、今、周りにいる人間は先輩のはずだが、敬意など微塵も感じられない。
「オラどけよ。巻き込まれんぞ」
一年生は、体育着のポケットからマッチの箱を取り出す。
そして、箱から一本のマッチを抜くと、箱の側面に擦りつけ、マッチに火を灯す。
ふと気が付くと、その一年生の前の空気が歪んでいるように見えた。
一年生が、その歪んだ空気に向かって、火のついたマッチを放り投げる。
くるくると、回転しながら宙を舞う、燃えるマッチ。
それが歪んだ空気の塊に辿り着くと、激しく燃焼する。
そして、次の瞬間、大爆発を起こした。
「きゃっ!」
デイズは、咄嗟に顔を両手で庇う。
巻き起こった熱風が、肌と髪の表面をじりじりと炙る。
ゴーグルを着けていなければ、目を瞑ってしまっていたかもしれない。
周りからも悲鳴が聞こえてきた。
「うわっ!なんだっ!?」
「あいつ今、何やった!?」
デイズの額に、汗が伝う。
おそらく今のは、酸素を高濃度に凝縮させて、着火して爆破したのだ。
閃光をまともに見てしまったせいか、目がチカチカする。
風術師のみんなは無事だろうか。
「あちあちっ!」
「おい、一年!ふざけんなよ!」
バリアの壁の付近にいた風術師たちが、箒にまたがり、這う這うの体で逃げ出して来た。
みんな、命に別状はなさそうだが、火傷を負ったものも数人いるようだ。
「治癒術師、いるかっ!?」
「はいはーい!治しますよ!」
「怪我人ども、全員こっち来な!」
フィールドの一角に、治癒術師の集団が居たため、幸いな事にその場で治療が出来る模様。
先ほど爆発を起こした一年生は、飛行する箒に立ち乗りして、集団の中へと戻る。
「マジかよ。俺様の爆破も効かねえとか、意味わかんねえ」
そう、今の大爆発でも、がしゃどくろのバリアの壁は、びくともしなかったのだ。
がしゃどくろは、肩を揺らして笑う。
「ぬっふっふ。ほらほらぁ。早く壊さないと、タイムアーップよぉ」
爆発の閃光でふらつく頭を押さえ、何とか走り続けるデイズ。
だが、速度がだいぶ落ちてしまった。
風術師以外の箒に乗った者たちが、デイズの頭上を追い越して、バリアに向けて飛んで行く。
あれは、去年くらいに発売された、風術師でなくとも空を飛べる箒だ。
なかなかの値段だった気がする。
(みんな、お金持ってるなぁ)
デイズは心の中で、場にそぐわない感想を述べると、気を取り直し、再び足の裏から紫の炎を上げる。
とにかく、まずは皆に追いつかないといけない。
何もできないまま、他者にバリアを破壊されて戦闘修了だなんて、ロロの妻として恥だ。
だが、やはり箒に乗った面子は速く、バリアの壁へと近づいてゆく。
何人もの、箒に乗った魔法使いたち。
その中に、ベリーショートの銀髪の、小柄な女子生徒がいた。
それは、体格こそ別物であったが、顔はエリザベス・サファイア公爵令嬢に生き写し。
彼女は、高等部一年生。
エリザベスの妹。
アビゲイル・サファイア公爵令嬢だ。
アビゲイルは、箒で跳びながら高笑いをしていた。
「あははははっ!これでアタシがあの壁をぶっ壊したら、近衛騎士超えだわっ!
それって要するに、お姉様超えでもあるわよねっ!
超えるわよ!お姉様を!今、ここで!」
アビゲイルは、がしゃどくろのバリアの壁まで到達すると、箒を乗り捨て、宙へと身を投げ出す。
もちろん、そのまま地面に激突するわけではない。
大地に衝突するまでのわずかな時間。
その間に、アビゲイルの全身を青い光が包み込む。
サファイアの名に相応しい、美しい青。
どうやら彼女も、バリア術師らしい。
アビゲイルが、空中で両手両脚を大きく広げ、落ちながら叫ぶ。
「バリアにはバリアよっ!どっちのバリアが強いのか、勝負!」
そして、アビゲイルが地面に降り立った瞬間。
大地が割れ、土砂が巻き上がる。
そのまま割れた地面を蹴り、野獣のようなスピードでバリアの壁へと駆け抜ける。
サファイア色の光の軌跡を、後に残して。
アビゲイルは、バリアを使った格闘スタイルのようだ。
バリアとは、ただ身を守るためだけにあらず。
強固な盾は、そのまま強固な鈍器でもあるのだ。
一定以上の硬度のバリアで殴れば、敵の頭を兜ごと砕くことができる。
アビゲイルは、跳躍する。
大人の背丈よりも、さらに高く。
あれは筋力だけではなく、サイコキネシスを自分の身体にかけて、機動力を強化しているのだろう。
アビゲイルは、空中で横向きに数回スピンすると、そのままの勢いを乗せた回し蹴りを、がしゃどくろのバリアの壁へと叩き込む。
鉄と鉄が、思い切りぶつかり合うような、耳障りな音。
青の、半透明の欠片が宙に舞う。
アビゲイルの脚の、サファイア色のバリアが、砕けて霧散しているのだ。
がしゃどくろのバリアは、土で汚れてはいるものの、傷らしい傷すら見当たらない。
「ええっ?私のバリアが負けたの!?」
アビゲイルはショックを受けつつも、すぐさまその場を退避する。
そうしないと他の生徒の攻撃に巻き込まれてしまうため。
ヒット・アンド・アウェイは戦闘魔法使いの鉄則なのだ。
上空からは箒に乗った生徒たちが飛来し、バリアの壁に、巨大な火の玉をぶつけたり、二刀流の剣技を食らわせたりもするが、アビゲイル同様、傷ひとつ付けることができなかった。
観客席では、がしゃどくろファンの学生たちが、大盛り上がりだ。
その中には、バリアの専門家である『防人』の子女も数名混じっていた。
『防人』を親に持つ彼らから見ても、がしゃどくろのバリアは強力無比。
近衛騎士団も、オーバードライブという奥の手に近い存在を投入し、初めて割ることができたのだ。
デイズは駆ける。
その心には、他の生徒に先を越されなかった安堵と、バリアのあまりの強力さへの不安が、入り混じりながら。
(私も、歯が立たなかったらどうしよう)
心の中に、一抹の不安を覚える。
ロロに、失望されはしないだろうか。
ロロが、そんなことは気にしない質であるとは知ってはいるけれど。
それでも、無意識に思ってしまう。
しかし、今は授業とはいえ、戦闘中なのだ。
戦いでは、余計なことを考えている者から死んでゆく。
悩むのは、全てが終わった後にしよう。
バリアの壁は、もう目の前だ。
デイズは足の裏から紫の炎を噴射し、空高くへと舞い上がる。
両の掌を広げ、前に突き出す。
掌からは、紫色の火炎が燃え上がる。
「みんな、どいて!」
デイズの両手から、炎が放たれようとしている。
箒に乗った魔法使いたちが、声を上げる。
「デイズだ!みんな、逃げろ!」
「下手したら俺たちも燃えるぞ!」
巻き添えを食わぬよう、周囲の生徒たちが慌てて退避する。
これで、遠慮なく本気が出せる。
両手の先の熱量が、急速に上がって行く。
だが、その瞬間。
デイズのゴーグル越しに。
デイズの顔のすぐ横に。
半透明の魚が数匹。
優雅に宙を泳いでいた。
(またか!こんな時に!)
先日から見え始めた、謎の幻覚。
ふと気づくと現れて、ふと気づくと消えている。
自分の頭がおかしくなってしまったのだろうか。
だが、これもまた、悩むのは全てが終わった後だ。
今は、全神経を戦いに集中するのみ。
デイズは、炎を放つ。
その瞬間に、少しの違和感。
反動が、いつもよりも大きい。
自分の炎が、制御できない。
(えっ……?ちょっと、なに?)
反射的に、炎を抑え込む。
両の掌が、紫に燃え上がり、指と指の間から、炎が漏れ出す。
その勢いは途轍もなく強く。
気を抜くと、腕が跳ね上げられそうになる。
(や、ば……!)
このまま抑え込んでいても、数秒後には耐え切れず暴発し、自分自身も焼き尽くされてしまうだろう。
本能で判断したデイズは、抑え込むのを止め。
前方のバリアの壁に向かって、全力でそれを解き放つ。
デイズから距離を取った、選抜の生徒たちは、全てを目撃していた。
その時、デイズの放った火炎は、
かつてないほどの大きさの、灼熱の爆炎となり、
第二模擬戦フィールドを紫色に眩く照らし、
大地を焦がしながら燃え広がり、
周囲の空気を巻き込んで焼き尽くし、
その衝撃は、広大な学園の敷地全体をも揺らし、
がしゃどくろのバリアの壁を、打ち砕いた。