フォレストピアの勇者
とある日の真夜中のこと。
デイズは、ふと目を覚ました。
特に理由なども無く。
寝ぼけ眼で布団から起き上がると、少し日に焼けた裸体が月光に照らされる。
デイズが横を見ると、ロロの安らかな寝顔が。
その向こうには、ティナ・シールとリリアナが並んで眠っている。
全員、裸だった。
昨夜は、四人で同時に交わったのだ。
少し前までは未経験だったはずのロロは、最近ではデイズの弱い所を的確に責めてくる。
ここ最近のデイズは、ロロに責め立てられ、ただ啼き叫ぶばかりであった。
デイズは、眠るロロの布団を少し剥いでみた。
痩せたロロの肉体。
この肉体の一部が、先ほどまで自分の中に入っていたのだ。
情事を思い返し、デイズは頬を赤く染める。
今、四人が寝ている場所は、ロロの私室の巨大なベッド。
巨大すぎて、四人並んで寝ているというのに、まだまだスペースには余裕がある。
このベッドを発注したグリーンハルトは、ロロが何人の女を作ると思っていたのだろうか。
部屋の隣に備え付けられた、洗面所のドアを見る。
気付けば、喉に渇きを覚えていた。
デイズは、ロロたちを起こさないようにそっとベッドを抜け出し、洗面所へと向かう。
今日は雲ひとつ無い、満月の夜。
ゆらめくカーテンの隙間からは、月の光が差し込んでいた。
一糸まとわぬ、自分の裸体。
腕や脚に、いくつかの傷跡が付いている。
この国では、男女問わず戦いの場に出るため、傷跡のある女性は多かった。
ロロと出会う前は、どうせ政略結婚でもするのだろうと、傷跡のことなど、気にしたことは無かった。
ロロに恋してからは、傷跡を見られるのが怖くなった。
この傷が原因で、嫌われてしまうのではないかと。
しかし、ロロは傷跡ごと愛してくれた。
古傷ひとつひとつに、口づけをしてくれた。
それからだろう。
本当の意味で、自分の身体に自信が持てたのは。
デイズは、洗面所のドアを開け、備え付けられていた水道の蛇口をひねる。
出てきた水を手で掬い、喉を潤す。
洗面台に手を伸ばし、水を止める。
すると洗面台には、手のひらに乗るほどの小さな白蛇が、いつの間にかとぐろを巻いていた。
「きゃっ!」
反射的に手を引っ込めるデイズ。
この帝国では、白蛇は神の使いと言われ、縁起がいいとされている。
だが、もし毒でも持っていれば、噛まれたらたまったものではない。
「どこから入ってきたのよ、もう」
いくら縁起物とは言え、家の中に居座られては困る。
追い出そうとするも、素手で触らなくてもいいように、箒と塵取りを探すデイズ。
白蛇が、鼻先をデイズに向ける。
そして、その白蛇の口から音が発せられた。
「そなたが、こんだいの、せいれいがんの、もちぬしか。
にんげんが、せいれいがんをもつのは、じつにひさしぶりだ」
デイズの動きが止まる。
今、蛇が喋った気がする。
自分の耳がおかしくなったのだろうか。
「くしくも、せんだいとおなじく、ひのまほうをつかうのか。
せんだいの、せいれいがんのもちぬしは、ほのおをまとう、からすであった」
幻聴に違いない。
疲れが溜まっているのだろう。
ロロがあんなに激しく求めるからだ。
明日、文句でも言ってやろうと、デイズは目を閉じる。
「そなたのせいれいがんは、むらさきいろなのだな。
めったにみないが、うつくしい、いろだ」
だが、白蛇らしき声は止まない。
再び目を開けるも、白蛇は洗面台に鎮座したままだ。
「えーっと、何なのよ、これ……」
デイズが、半眼で白蛇を睨みつける。
白蛇が、赤い瞳でデイズを見つめている。
「そなたのちからは、ようやく、めばえたばかり。
これからは、せかいのほんとうのすがたを、しるだろう」
白蛇の身体が崩れて行き、霧となって消え去った。
茫然とするデイズ。
今のは、夢か幻か現実か。
一体何だったんだろうか。
デイズは、きっと寝ぼけていたのだろうと、無理に自分を納得させ、寝室に戻る。
カーテンの隙間からは、満月の光が差し込んでいる。
その光の中を、半透明の魚の群れが、宙を泳いでいた。
「……へ?」
そして、その魚の群れは、瞬きをした途端に、きれいさっぱり見えなくなってしまった。
★
キールの背中には、滝のような冷や汗が流れ、シャツを濡らしていた。
キールの目の前には、くしゃくしゃの赤毛の、小柄な少年。
少年の身体の表面に、黄色い稲妻が走る。
魔神・雷蜘蛛が、つい今しがた、巨大な蜘蛛の姿から、少年の姿へと、変貌したのだ。
雷蜘蛛の、閉じていた目が開かれる。
そこには、黒真珠のような漆黒の丸い瞳。
その瞳の中には、左右それぞれ四つずつ、両目で計八つの瞳孔が空いていた。
八つの瞳孔が、キールたち一同を、眺めまわす。
「勇者は、どこにいるの?」
強力な稲妻の熱で、キールの全身の皮膚が焼けそうになる。
逃げたい。
脚が、震える。
武者震いなどではない。
心の底からの恐怖の震えだ。
先ほど解き放った、真鍮の鎖の束を握りしめ、何とか耐える。
(これが、雷蜘蛛かよ……!)
頬が引き攣る。
先ほどまでは、いつもの相手を侮る悪癖が出てしまっていた。
だが、今は。
決して侮ることなど出来はしない。
幸いなことに、S級冒険者たちは臨戦態勢のままであった。
キールは彼らの実力は知らない。
だが、仮に雷蜘蛛がキールたちに攻撃をするのであれば、キールが逃げるための時間稼ぎ程度にはなるだろう。
キールは、気付かれないよう、少しずつ後ずさりをする。
雷蜘蛛の前では、スウォームが立ち竦んでいた。
あれはあれで、いい囮になる。
もう一歩、後ろに下がる。
だが、次の瞬間。
何かが弾ける音がして。
キールの足元に、雷が落ちた。
「ひっ!」
キールの足元の床のレンガが、煙を上げて黒く焦げていた。
この一撃で分かる。
人間の雷術師など、比較にならない。
雷蜘蛛が歩いてくる。
くしゃくしゃの赤毛と、ゆったりとした服を、静電気によって乱しながら。
雷蜘蛛が、人差し指を、キールの鼻先に突きつける。
その指先は、帯電していた。
「君。今、逃げようとしたよね。
勇者の居所、知ってるの?」
キールは、動けなかった。
雷蜘蛛の全身から迸る、黄色い火花。
おそらくは、その指先に触れただけで、感電死するであろう。
キールは、雷蜘蛛に触れないよう、全身を微動だにさせずに、質問に答えた。
「い、いや、知らねえ。
勇者とかいう言葉も、さっき初めて聞いた。
スウォーム……、そこの派手な男から」
雷蜘蛛は、二つの瞳の、八つの瞳孔を、全身に宝石を身に付けたスウォームに向ける。
そして、棒立ちのスウォームの元へと足を運ぶ。
蜘蛛の糸で作った服の裾が、ふわりと浮かんだ。
「君、何か知ってるの?
誰も知らないんなら、とりあえず全員死んでもらうけど」
赤毛が逆立ち、電流が走る。
スウォームは、杖を蜘蛛に向けて牽制する。
「あ、あなたは私の死霊術で蘇らせたんです!
私が死んだら、あなたの肉体も塵に還るんですよ!」
だが蜘蛛は、さほど気にもしていなかった。
「別にいいよ。
奥さんたちも死んじゃったし。
勇者には復讐したいけど、人間に媚び諂うくらいなら、大人しく死を選ぶよ」
マルが、金属製の筒を雷蜘蛛に向けながら、スウォームに叫ぶ。
「スウォームさん!雷蜘蛛さんの奥さんたち、蘇らせられないんですかっ!?」
「死骸が残ってれば!蜘蛛たちの死骸はどうしたんです!?」
「もう二年前ですよ!残ってないです!保存しておけばよかったぁ!」
スウォームは内心、焦っていた。
雷蜘蛛と勇者、両方を手に入れるつもりだった。
雷蜘蛛に関しては、スウォームの意思ひとつで身体が塵に還ると知れば、大人しく従うと思っていた。
だが実際は、死を選ぶなどと宣う。
おまけに勇者は行方が知れず。
これでは、両方を配下にするどころか、何も手に入らないだろう。
いや、それよりも雷蜘蛛の手によって、この場で全滅する危機ですらあるのだ。
しかたない。
二兎を逃すよりも、せめて一兎を得るのだ。
スウォームは、杖を構えたまま、雷蜘蛛に言葉を交わす。
「ゆ、勇者の場所は今はわかりません!
ですが、必ず探し出すと誓います!
同盟を組みましょう!」
雷蜘蛛の動きが止まる。
八つの瞳孔が、スウォームを見つめている。
「同盟?」
雷蜘蛛は、顎に指を当て、宙を見る。
「僕と、君たちが?」
「は、はい。そうです。
私たちが、勇者を見つけます。
フォレストピアは広い。
ご自分で探すとしたら、かなりの手間がかかりますよ」
雷蜘蛛は、再びスウォームを見る。
この提案に、乗るか否か。
キールは、いつでも逃げ出せる体勢でいた。
無事に逃げおおせるかどうかは、分からなかったが。
雷蜘蛛は、しばらくの間、思案する。
その身体に、雷を纏ったまま。
その場の全員が、動けなかった。
果たして、交渉が決裂した場合、この雷の魔神にどこまでまともな勝負ができるのだろうか。
時間だけが過ぎて行く。
それは、ほんの数分だったのかもしれないが、キールにとっては何時間も待ったかのよう。
そして、雷蜘蛛が告げる。
「うん。それなら、いいかな。
勇者、絶対見つけてよね」
雷蜘蛛の全身から走っていた稲妻が、霧散する。
逆立っていた赤毛も、元に戻った。
スウォームも、構えていた杖をようやく下ろす。
その腕は、震えていた。
S級冒険者たちも、臨戦態勢を解く。
キールも、大きく息を吐く。
緊張で、呼吸が出来なかったのだ。
雷に撃たれるよりも先に、窒息して死にそうであった。
とりあえずは、命拾いをした。
だが、スウォームが勇者とやらを見つけなければ、いつ雷蜘蛛に殺されるか分からない。
スウォームは、どうするつもりなのだろうか。
キールは、解いた真鍮の鎖の束を、袖の中に戻しながら、スウォームを睨む。
キールの命は、スウォーム次第となってしまったのだ。
汗だくのキールは、レンガの床にへたり込む。
キールはスウォームに声をかける。
「おい、スウォーム。勇者を絶対に見つけろよ」
スウォームは、それを聞いているのか聞いていないのか、わからない様相で、独り言ちていた。
「うーん……。
そもそも、おかしいんですよねぇ。
魔神を倒した勇者なんて、本来はフライングパンの『固有種目録』に載ってしかるべきなんだ。
魔神よりも強い、人間の個体。
異常だとか、最早その程度のレベルではない。
千年語り継がれてもおかしくないほどだ。
それが、固有種目録には、勇者については一言も書かれていない。
固有種目録は、フライングパンの王族が直接管理している。
こんなに大事な情報を秘匿すれば、フライングパンの王族を敵に回す可能性すらあるのに。
それでもフォレストピアの評議会は、勇者の存在を隠したがっているのか?
なぜだ」
すると、E級冒険者の一人が、青ざめた顔で、スウォームから半歩だけ距離を取った。
それはきっと、その冒険者自身ですら気付いていない、無意識に取った行動だろう。
だが、スウォームは見逃さなかった。
先ほど地下室へと入る前に、勇者の話を聞いて、顔を青ざめさせていた冒険者の男だった。
スウォームがその冒険者に向かって歩き出す。
冒険者は逃げ出そうとするも、足が竦んで動けない。
スウォームは、早足で冒険者の前に来ると、そのままの勢いで冒険者の首を掴み、レンガの壁に押し付ける。
冒険者の革の鎧の金具がレンガに当たり、金属音を鳴らす。
冒険者は、喉を握られ、呻く。
スウォームが、冒険者に問う。
「お前、何か知ってるな。話せ」
スウォームの影から、スズメバチのゾンビの群れが次々と現れ、舞い上がる。
そして、二人の頭上を、嫌な音を立てて飛び回る。
「話さないなら、蜂に全身を刺されて死ぬことになる」
「ま、待て!話すには、条件がある!」
「お前、交渉できる立場だと思ってるのか?」
「条件を飲めないなら、俺は死んでも話さない!」
スウォームは、冒険者の首から手を離した。
だが、スズメバチの群れは、未だ二人を周囲を飛んでいる。
「わかった。勇者は、どこだ?」
「……」
「おい、話さないなら……」
「死んだ」
「は?」
「俺が、殺した」
皆、黙りこくっていた。
ただ、スズメバチの羽音だけが響く。
だが、きっとその場の全員が、同じ思いを頭に浮かべたであろう。
E級冒険者程度に、勇者が殺せるわけがないだろう、と。
スウォームが、沈黙を破る。
「お前、ふざけているのか?」
「本当だ!俺がこの手で、勇者様の首を、斬り落とした……。
ああそうだ!敬愛する勇者様を!俺が!」
冒険者は、ぼろぼろと涙を流し始めた。
「勇者様!あの気高いお方を!
俺が!
俺が……」
冒険者が、その場に崩れ落ちる。
俯いたまま、スウォームに請い願う。
「あんた、ネクロマンサーなんだろ?
勇者様の死体を見つけても、何もしないでくれ。
あの方は、俺たちのために生きて、俺たちのために死んだんだ。
安らかに眠らせてあげて欲しい」
「それが条件とやらか」
「そうだ。これが飲めなければ、ここから先は何をされても話さない」
「わかった。飲もう」
果たして、その返事が嘘か真か。
キールには、スウォームの真意が分からなかった。
だが、冒険者はまともに信じたようだ。
冒険者が、ぽつぽつと喋り出す。
「まず、このフォレストピアに住む人々は、非常に善良だ。
人を疑うことすら知らない人間がほとんどでね」
スウォームが、相槌を打つ。
「ああ。それは知ってるよ。
お人好し過ぎて、評議会にいいようにされているからね」
「評議会は、腐ってる」
「それも知っているさ。なにせ、この私と気が合うんだ」
はは、と笑うスウォーム。
それは、いつもの嘘の笑いだろうか。
スウォームが、キールに言葉を投げかける。
「評議会は、腐り切っている。いい感じにね。
国民は、自分たちに奉仕して当たり前。
労働も軍事も性欲処理も、これでもかと民衆を酷使しまくってるのさ」
謎を頭に浮かべるキール。
「なんだそりゃ。よく反乱起きねえな。
帝国貴族だって、もうちょい上手くやるぞ」
キール自身も、帝国貴族だった時は、平民は貴族に奉仕して当然だと思っていた。
いや、今でも、他人は自分の欲望を満たすだけの存在だと思っている。
しかし、それは違法だという事も把握しているし、おおっぴらにやり過ぎても反撃されるのも理解している。
だからこそ、金銭を盗むのも、女を犯すのも、慎重に行っていた。
唯一の失敗は、デイズを犯せなかった時だけだろう。
スウォームは、人差し指を立てて、教師のように語る。
「そこで、情報統制が有効なのさ。
それが当たり前だと思い込ませるのが肝心。
生まれてから死ぬまで、それが間違っているとは思わない。
特に、他国の常識が入ってこない、この国ではね」
いわゆる、擦り込みだ。
マインドコントロールと言い換えてもいいかもしれない。
評議会に都合のいい価値観を、唯一絶対にしてしまうのだ。
素朴で善良な民衆。
詐欺師からしたら、いいカモだ。
しかし、もし他国の情報を得たら、フォレストピアの国民は思ってしまうだろう。
評議会は、おかしいと。
だから、情報の出入りは異常なまでに制限されているのだ。
冒険者は、蹲ったまま話を続ける。
「俺がまだE級ですらない、冒険者見習いの時。
俺を含めた何人もが、勇者様に付き従っていたんだ。
俺たちは勇者様に、弟子にして欲しいと願ったが、勇者様にはその気が無かった。
ならば、せめて少しでもお役に立とうと、勝手に小間使いみたいなことをしていたんだ。
勇者様は、迷惑そうな顔ひとつせずに、笑っていたよ。
俺たちは、それで幸せだった。
でも、そこを評議会に目を付けられて……。
それは、勇者様が、雷蜘蛛……さん、を、倒してからすぐの頃だった。
評議会は、勇者様に死刑の宣告をした。
反乱を企てたとか、何とか言って。
民衆の味方だった勇者様は、評議会からは煙たがられていたから。
そして、俺たちは人質にされたんだ。
評議会は、勇者様に言ったんだ。
死刑を受け入れなければ、俺たちと、その家族を殺すと」
スウォームが、冒険者を見下ろしたまま後を続ける。
「だから、評議会は勇者の存在を隠したがったのか。
魔神よりも強く、仲間のために死ねる勇者サマ。
まるでおとぎ話の主人公だ。
下手をしたら信仰の対象にすらなり得る。
でも、勇者を殺したことがバレたら、民衆が抑えられなくなるな。
だったら、最初から死刑になどしなければいいのに……。
ああ、それはそれで評議会の真実を知った民衆が、蜂起してしまうのか。
最強の勇者と一緒に。
それは堪らないね。
評議会からしてみたら、民衆と勇者が結託する前に、勇者を始末して、なおかつそれを秘匿するしか存続する道は無かったんだな。
それで、勇者は死を受け入れたと?」
スウォームは冒険者に問いかける。
冒険者は、懺悔をするかのように応える。
「ああ。そうだ」
スウォームが問う。
「死体はどうした?」
「わからない。
勇者様は最後に、好きな場所で死にたいと言った。
その願いだけ聞いて貰えれば、一切抵抗しないで死ぬと。
それが聞き入れられて、勇者様は俺たちと一緒に、窓の無い馬車で何週間も移動した。
たぶん、俺たちには目的地が分からないように、色んな場所を行ったり来たりしていたんだと思う。
それで、最後に辺鄙な村に着いた。
評議会に証拠として提出するため、仲間が映像記録の水晶で、一部始終を記録していた。
そこで俺は……。
勇者様の首を……」
冒険者は床に座り込んだまま、拳を握る。
その拳に、水滴がぽつりと垂れた。
スウォームは、そんなことは気にもせず、問い詰める。
「その場所は、どこだか知らないのか?」
「ああ。でも、大森林も砂漠も見当たらなかったから、たぶん帝国のどこかだと思う」
スウォームが、足元の冒険者の胸倉を掴む。
「お前、帝国がどれだけ広いと思ってるんだ」
「そ、そんなこと言われても……」
「地名は?」
「地名は分からない。村人たちですら、自分たちの村の名前を知らないくらいなんだ」
スウォームは、冒険者を床へと突き放し、杖を向ける。
「この役立たずが。蜂に刺されて死ね」
「ま、待ってくれ!まだ話の途中なんだ!」
冒険者は、慌ててスウォームの脚に縋り付く。
スウォームが勇者の死体を見つけたとしても、約束通りに何もしないと思っているようだ。
この冒険者もまた、他人を疑う事を知らない、善良なフォレストピアの国民の一人なのだろう。
冒険者はスウォームを見上げて告げる。
「その村には、他にはない特徴がある」
「何だ」
「墓場だ」
キールの腕が、ぴくりと動く。
「村よりもずっと大きな墓場があるんだ」
スウォームは、冒険者の額に杖を突きつける。
「墓場くらい、どこにでもある。じゃあな」
スウォームは、雷蜘蛛を前にして気が急いていたのか、彼らしくないほど冷静さを欠いていた。
普段であれば、スウォームが誰よりも先に気づいていたであろう。
その村のことを。
スウォームが、杖を掲げる。
スズメバチの大群が、冒険者に襲い掛かろうと、上空をホバリングしている。
そして、スウォームが杖を振り下ろそうとした時。
キールは、咄嗟にスウォームを止めた。
「待て、スウォーム!」
スウォームと、冒険者の男と、その場の全員がキールを見る。
キールが、重たいブーツの音を響かせて、冒険者に歩み寄る。
「名前は!?」
冒険者は、唖然としている。
「……いや、だから村人ですら名前を知らない場所だと」
「村の名前じゃない!勇者の名前だ!」
先ほど、マルが言った。
魔神討伐は「二年前」と。
今しがた、冒険者が言った。
勇者の首を斬り落としたのは「魔神を倒してからすぐの頃」と。
そして、村よりも大きな墓場。
そこで死んだ勇者。
好きな場所で死にたい、と言って。
もし、勇者が全てを知っていた上で、処刑場所をあえてあの村へと誘導したのであれば……
「勇者様の名前は」
冒険者が、応える。
「ムラサメ様だ」




