マンイーター
「くっそ、暑いな……」
キールはマントに付いた黒いフードを目深に被り、人を焦がしそうなほどの炎天下の中、砂を纏わりつかせながら、石畳を歩いていた。
マグナ・ダイア帝国の南にある、灼熱の砂漠の国、フライングパン。
本来はきっと別の国名があったはずだろうが、いつの頃からか、キッチンで目玉焼きを作る調理器具の名前が俗称として定着してしまったのだ。
その名の通り、天からは全てを焼き上げそうな日差し。
かいた汗すらも、即座に蒸発する。
キールは、今はこの砂漠の国で人混みを掻き分けていた。
そこは、様々な商品が売り買いされる市場だった。
服に雑貨に野菜が、所狭しと、布を張って出来た簡易的な屋根の下に広げられている。
そして、砂に塗れた石畳の通りは、人、人、人。
真昼の市場は、まるで人と砂の海。
帝国と違い、町行く人々は浅黒い肌で、皆、麻布のフードを被っている。
キールも実際に来るまでは、暑いのだからフードなど脱げばいいと思っていたのだが、直射日光があまりにも強すぎて、肌を露出すると火傷をするのだ。
なぜこんな所にわざわざ人が住んでいるのだろうかと思案するが、この国は宝石の名産地でもあり、また幾つかの国の境に位置するため、交易の要でもあった。
フライングパンは巨大なオアシスを囲むように、円形に町が作られている。
空から見たら、きっと目玉焼きのようだろう。
キールはオアシスの北側の区域の市場区画で、人混みに逆らいながら、とある場所を目指していた。
そして、その人混みの中、キールの後ろに付いてくる青いフードの少女が一人。
「キール君、はい、氷」
青いフードの少女は、手のひらに魔法で氷を作り、キールに手渡した。
彼女の名はミーシア。
キールの元クラスメイトで、地を這う冷気で敵の脚を凍り付かせる技を得意としている。
キールがまだ在学中の頃、ミーシアを含め、最も仲のいい三人の取り巻きの少女が居た。
だが、ミーシア以外の二人は、キールが退学になった途端、キールに見向きもしなくなった。
地位も金も失ったキールに興味が無くなったのだろう。
しかし、ミーシアだけはキール本人に惚れ込んでいたようで、たった一人でキールに付いてきたのだ。
キールは、ミーシアが生成した氷を無言で受け取り、額に当てる。
暑さで茹で上がった顔に、氷の冷たさが気持ちいい。
ミーシアも新たに氷を作り、自分の頬に当てている。
キールとミーシアは、そのまま無言で市場を歩く。
黒のフードと、青のフードが、人の流れに逆らって進んでゆく。
目的地は、もうすぐのはずだ。
すると、唐突に人混みから抜け出した。
その町の一角には、人が寄り付かないのだろう。
そこには石で出来た、三階建ての四角い家屋があった。
ドアの左右には、明らかに気質ではない空気の男達が立っている。
キールはその三階建ての家屋に向かって歩き出す。
男達が、キールを睨みつける。
近寄るな、と言わんばかりに。
キールは、そのまま歩みを止めない。
ミーシアも、男達の異様な雰囲気に飲まれながらも、キールの後ろにくっついてきた。
キールは男達を無視し、ドアノブを握ろうとする。
ドアの右側に立っていた男が、キールの肩に手をかけ、キールを止めた。
「待て。誰だお前」
キールは、肩を掴んだ男の手を払い、告げる。
「お前んとこのボスの客だ」
ドアの右側に立っていた男が、左側に立っている男に目線を送る。
左側の男がキールに尋ねる。
「名前は」
「キール」
すると、一匹のトンボがキールの目の前を横切って、宙を円を描いてくるくると飛び回った。
トンボはそのまま上空に向かって過ぎ去って行く。
トンボを追って、空を見上げるキールと男。
男がキールに向き直り、ドアを開けて顎で入場を促した。
「入れ。スウォームさんがお待ちだ」
キールは、真鍮の編み込まれた革のブーツで、ずかずかと家の中に入る。
ミーシアも、おずおずと続く。
家の中は薄暗く、幾つかの部屋の中からは、顔に傷のついた男達や、娼婦と見られる女達が、キールとミーシアを物珍しそうに眺めていた。
キールとミーシアは石で出来た狭い階段を上り、三階の奥の部屋へと進む。
その奥の部屋にはドアは無く、出入り口には、ただカーテンが掛けてあるだけであった。
キールは、カーテンを押し退け、部屋に入る。
その部屋は、華美だった。
中央には、大きな天蓋付きのベッド。
その周囲のテーブルには、金銀の器に入った果物。
ベッドの上には、数人の娼婦達。
そして娼婦に囲まれた、浅黒い肌の垂れ目の美形の男が一人。
男は、ウェーブのかかった黒髪で黒目。
その男も、半裸の姿に、ところどころ宝石を身に着け、華美で派手であった。
垂れ目の美形の男が、キールに声をかける。
「いらっしゃい。ずいぶんと人混みで手間取ってたみたいだけど」
男が、右手の小指を無造作に宙に掲げると、開いた窓からトンボが飛んできて、その指先に止まった。
トンボは、キールを見つめている。
よく見ると、そのトンボは腹が裂けていた。
キールが吐き捨てるように言う。
「覗き見かよ。趣味悪ぃ」
「これが私の専門なものでね」
男は、両手を大きく広げる。
すると、トンボやミツバチや蝶の群れが、窓から飛び込んできた。
「きゃあっ!」
娼婦達は、突然舞い込んできた虫の群れに驚き悲鳴を上げる。
虫達は、男の手や脚や頭に止まる。
どれも皆、胴体に穴が空いていたり、脚がもげていたりと、まともな姿ではなかった。
男はキールに告げる。
「改めて自己紹介しよう。私はスウォーム。ご存じの通り、情報を売買している」
スウォームは、蝶が止まった右手の人差し指をキールに向けた。
その蝶の羽根は、ボロボロだった。
「ネクロマンサーのスウォームだ。よろしく」
★
キールは、スウォームの部屋で、テーブルに出された肉に噛り付いた。
美味い。
こんなに美味い肉を食べたのは、いつぶりだろうか。
隣では、ミーシアも肉の美味さに驚いているようだ。
現在も貴族の令嬢であるミーシアですらも、ここまで上質の肉には、そうそうありつけない。
テーブルを挟んで向かい側に居るスウォームが、ニコニコとキール達を眺めている。
ベッドに居た娼婦達は、スウォームの命令で既に退出していた。
「美味いだろう?こればかりは、金があっても手に入るとは限らない。場所と情報が大事なんだ。このフライングパンは、君達の帝国よりも豊かかもしれないよ」
複数の国に隣接し、交易で成り立っている国、フライングパン。
スウォームの言う通り、場所と情報が大事なのだろう。
こんな砂漠のド真ん中で、帝国貴族以上の食事にありつけるのだから。
キールは、肉を飲み下し、スウォームに話を切り出した。
「そんで、買ってくれるのか?情報を」
「本物ならね。本物なら、金に糸目はつけない」
スウォームは、笑顔だった。
だが、その笑顔はたぶん、嘘だ。
帝国貴族にもよく居るタイプだった。
この手の輩が人前で見せる笑顔は、本物ではない。
「金よりも、俺にも一枚噛ませろ」
「噛ませろ、とは?」
「薬が出来たら、俺にも分けろ」
スウォームは、いまだ笑顔のままだ。
その笑顔の奥の瞳は、キールを値踏みしているよう。
そのまま、スウォームが口を開いた。
「君の父が『本』を手に入れたという情報は、既に手に入っている」
『本』
マグナ・ダイア帝国の皇帝陛下の図書室の隠し部屋から盗んだ、毒物・薬物の禁書のことだ。
中身を知っているだけで死罪となる、禁書。
「私の虫達も、君の屋敷までは辿りつけたんだよ。でもね、本が仕舞ってある地下室には入れなかった。魔法封じがかけてあるようでね」
スウォームは、このフライングパンから、遥か遠くの帝国まで虫のゾンビを飛ばせるようだ。
あの忌々しいロロでさえ、ここまでの距離で死霊術を使う事はできないらしいのに。
大魔法使いのロロでも不可能なことを、なぜスウォームは可能なのか。
スウォームに尋ねてみたら「省エネだよ。省エネ」とのこと。
スウォームの死霊術は、人は操らず虫だけに特化している。
それが遠距離の死霊術を可能にしているらしい。
そういえば、ロロの眷属の中でも、あのアイボールのゾンビだけは、他の奴らよりも遠方に出かけることが可能らしい。
キールは、あのアイボールのゾンビを頭に浮かべ、怒りが湧いてきた。
デイズを犯そうとした日。
あのアイボールさえいなければ、目的は達成できていたかもしれないのに。
だが、今は怒りを抑えなければならない。
復讐の時は、きっと来る。
そのためにも、スウォームの力が必要だ。
キールは、スウォームに、またひとつ切り込んだ話をする。
「俺はその本の中身を、全部暗記した」
スウォームは、そこで初めて、笑顔を少しだけ止めた。
ニコニコしていた目の奥には、冷たい光が。
その冷たい光を宿したままの瞳で、料理の置いたままのテーブルの上に身を乗り出し、キールに顔を近づける。
「マンイーターの薬の作り方も?」
「知ってる。材料が無いだけだ」
「証拠は?私の元にはよく来るんだ。嘘つきどもが」
もうこの時点で、スウォームは笑顔ではなくなっていた。
冷たい目をした、残酷な裏社会の人間の顔。
その『嘘つきども』がその後どうなったのか、容易に推測できた。
しかし、キールも引かなかった。
裏社会で生きているのは、スウォームだけではない。
キールも平民以下に落ちた後、野党のような生活をし、傭兵や冒険者達との戦いで、何度も死線を潜り抜けてきたのだ。
スウォームの圧を押し返すように、キールも身を乗り出した。
テーブルの上で、スウォームとキールが睨み合う。
口火を切ったのは、キールの方だった。
「狂戦士薬なら作った」
キールはマントの下の、長い真鍮の鎖に繋がれているガラスの注射器に入った、赤い薬を掲げて見せる。
「疑うなら、こいつを試してみればいい」
スウォームは、無表情のまま、注射器の中の液体を見つめる。
そしてまた、笑顔になった。
嘘の笑顔に。
「もちろん、最初からそうさせて貰うつもりだったよ」
スウォームは、テーブルの下へと両手を伸ばし、大きなガラスの箱を取り出した。
その大きなガラスの箱の中には、小さな一匹の蠍。
「この蠍に狂戦士薬を使う。本物かどうか、私なら分かる」
「数滴だけだぞ。俺だってギリギリ人ひとり分しか作れなかったんだ」
「十分だ」
スウォームは、元から準備してあったのだろう、昆虫採集に使われる小型の注射器をポケットから取り出した。
キールは空になった手元のコップに、自分の注射器から赤い液体を数滴垂らす。
スウォームは小型の注射器で、その液体を吸い取った。
「この蠍は比較的おとなしい種類なんだ。臆病で、自分から攻撃を仕掛けたりすることは滅多に無い」
スウォームは、ガラスの箱の蓋を開け、蠍を手の平に乗せてみせた。
蠍は手の上で縮こまっているだけだった。
蠍はガラスの箱の中へと戻される。
そして、その派手な美青年の浅黒い手により、蠍の表皮を小さな注射針が貫いた。
蠍の体内に流し込まれる、ほんの数滴の赤い液体。
一拍の後。
途端に暴れ出す蠍。
狂戦士薬の効果だろうか。それとも針で突かれた刺激のせいだろうか。
スウォームは、またもやテーブルの下から、何やら四角い箱のようなものを取り出した。
今度は金属製の檻だ。
中には、蠍よりもずっと大きな、トカゲが入っている。
「サバクオオトカゲだ。凶暴で強い。皮膚が固くて、蠍の毒針も通らない。本来ならばこの小さな蠍は逃げるだけ」
スウォームは檻の扉を開けて、蠍の入っているガラスの箱にトカゲを落とし込んだ。
ガラスの箱にいきなり放り込まれたトカゲは、迷惑そうな顔。
そして蠍は、自分よりもずっと大きな体躯のトカゲに、ひるむ様子も無く向かってゆく。
臆病なはずの蠍は、威嚇すらせずに、即座に毒針をトカゲに突き刺した。
だが、トカゲの固い鱗には、小さな毒針は通用しない。
しかし、蠍は狂ったように毒針の尾を振り回す。
トカゲには微塵も効いている様子も無く、ただ面倒くさそうな表情をしているだけ。
トカゲは欠伸をすると、蠍に向かって前足を一振り。
小さな蠍は、大きなトカゲの一撃でガラスの壁まで吹き飛び、身体が真っ二つに折れ、息絶えた。
それを見ていた、キールとスウォームとミーシアの三人は、黙り込んでしまった。
キールは、これから先の展開が分かり切っているかのようで。
スウォームは、これから先の展開が待ち遠しいようで。
ミーシアは、これで終わりか、と呆気に取られて。
ミーシアは隣にいる金髪の美少年に向かい、気まずそうに聞いた。
「あの、キール君。その、これだけ?何か禁書とか言うから、もっとすごいパワーアップとかする薬なんじゃないの?凶暴になるだけだったら、別の麻薬とか色々あるんじゃ……」
「まあ見てろ、ミーシア。スウォーム、見せてくれんだろ?」
「もちろんさ。お嬢さん、この薬のレシピが禁書たる所以は、ただ凶暴になるからじゃない。一番恐ろしい点は、他の薬と違って解毒する方法が無いんだ。死ぬまで、ではない。死んでも、だ」
スウォームはズボンのベルトに挿し込まれていた、何かの骨で作った片手用の杖を取り出した。
そして、真っ二つになり体液を流し絶命していた、蠍の死体へと杖を振る。
すると蠍は、割れた胴体が半分ほど元に戻り、毒針の尾がぴくりと動く。
「私の死霊術で蘇った虫は、私の意のままに操れる」
スウォームは骨の杖を蠍に向け、命じる。
「動くな」
だが、蠍はスウォームの命令など聞く素振りもなく、半壊したままの身体でトカゲへと突進し、毒針の尾を叩きこんだ。
トカゲは流石に苛ついたようで、今度は蠍を前足で踏みつぶす。
トカゲの前足の下で、蠍の身体は砕けたが、それでもなお、毒針の尾はトカゲに一撃を食らわそうと、暴れ回っていた。
スウォームは、それを見て感動していた。
「私の制御が全く効かなかった。素晴らしい。間違いなく本物の狂戦士薬だ。キール君、これは誰に使う予定だい?」
「ウチの帝国にムカつくネクロマンサーが居るんだよ。その恋人のデイズって奴にでも使ってやれば面白いと思ってな」
「大魔法使いのロロ君と、恋人のデイズ・ブラスター男爵令嬢だね」
「ああ。死んでも解毒できねえんなら、死霊術で蘇らせてもイカれたまんまだ。その時のロロの顔が見てえ」
「うんうん。いいね。でも私は、どうせ使うんなら、皇帝陛下とかに使ったらどうかと考えてしまうんだ。私は帝国が崩れる瞬間が見てみたい」
「それも悪くねえな。帝国の奴らは、どいつもこいつもムカつく奴らばっかりだ」
国家転覆の話題で盛り上がるキールとスウォーム。
そこに、ミーシアが割り込んだ。
「あの、話し込んでる所、悪いんだけど、これってキール君のレシピが本物かどうかのテストしただけでしょ?その、本題があったじゃん?何だっけ。マンイーターの薬?だっけ?」
一瞬だけ呆けた顔をしたキールとスウォーム。
その後、スウォームは笑った。
おそらく、出会ってから初めて見せる、本物の笑顔。
「ああ、ごめんごめん。そうだったね。マンイーターの薬」
「って、何なの?」
「その前に、ミーシア嬢。大魔法使いと認められる条件は知っているかい?」
その質問に、ミーシアは少し苛立つ。
それを知らない魔法使いは居ない。
「マナ・アブソープションが使える事」
「そう。大気中のマナを吸収し、自在に扱えるマナ・アブソープション。これが使えたらと夢見る魔法使いは星の数ほど居れど、その域に到達できるのはほんの一握り。天才が死ぬ気で努力して初めて使える、魔法使いの極致のひとつ」
「知ってるに決まってるでしょ、それくらい」
「じゃあ、ある薬を飲むだけで、マナ・アブソープションに近いことができるようになると言ったら?」
ある薬を飲むだけ。
それを聞き、ミーシアは息を呑む。
スウォームは笑顔のままだ。
「それ、もしかして……」
「そう。マンイーターの薬だ」
「そ、そんなのがあるんなら、みんな使えばいいじゃない……。なんで禁書になんか……」
「マナ・アブソープションに近い、と言ったね。完全に同じじゃない。その薬を飲んで取り込めるようになるのは、大気中のマナじゃない」
「え?じゃあ、何から……」
マナは取り込める。
だが、大気中のマナではない。
マンイーターの薬。
そう、マンイーターだ。
「あ……」
中身を知るだけで死罪となる禁書。
何かからマナを取り込める。
マンイーター。
ミーシアは、その時点で薄々感づいてしまっていた。
しかし、その推測があまりにも悍ましすぎて、口に出せなかった。
ミーシアの額に汗が一筋流れる。
沈黙が、肩に重く圧し掛かる。
まさか。まさかそんなことを。
スウォームが、心底楽しそうにミーシアにを見つめていた。
呻き声すら出せないミーシアに、言葉を投げかける。
「もう分かってるんでしょ?
人間だよ。
人間を食って、そのマナを取り込めるようになるんだ。
代償として、人間の肉でしか飢えを満たせない人食いの化け物になるのさ」




