ロロvsエリザベス
エリザベスは、第二模擬戦フィールドで、嵐の聖剣ヴィーナスを振るい、大竜巻を起こしていた。
今は模擬戦のため、本来なら竜巻の中に混ぜるはずの、風の刃である、かまいたちは無しだ。
エリザベスは、先ほどから、冷や汗をかきっぱなしだ。
かまいたちは無しにしているとは言え、竜巻の威力は手加減していない。
それなのに……
「ぬおっ!」
またもや、竜巻を突き抜けて撃ちこまれる、凄まじい威力の矢。
その矢を、聖剣に纏った風で叩き落とす。
それは、鏃が吸盤になっている、子供が遊ぶおもちゃの矢。
本来ならば、当たっても刺さらずにくっつくだけだ。
だが、おもちゃの吸盤の矢ではあるが、あんな速度と威力で当たったら、骨など軽く折れるだろう。
これでも学園最強と呼ばれている女だ。
大人しく当たってやるわけにはいかない。
おそらく、エリザベスでなければ、この矢を叩き落とすことなど、到底不可能であろう。
第一騎士団の団長ですら、無理だと思われる。
「くそ、おっかねぇ……」
かまいたち有りの竜巻だったら、今の矢は竜巻を抜かれる前に切り裂けただろうか。
もしくは逆に、リリアナの本気の矢だったら、叩き落とすことすら叶わず、かまいたち混じりの竜巻ごと撃ち抜かれていたのだろうか。
エリザベスは逡巡する。
エリザベスは、あの七面鳥を齧った日、ロロとは初対面であった。
ロロが大魔法使いというのは、半信半疑。
覇気も自信も無い。
ただの噂に過ぎないのではないかと思った。
だからこそ、今、手合わせをしているのだ。
そして、今、エリザべスの心中は。
(……本物だっ!間違いない!絶対、本物の大魔法使い!)
勝負を開始する前、ロロの影から次々と出てくる英傑たちに、エリザベスは震えが止まらなかった。
百年前の天下統一戦争の英雄のティナ・シール・ベルモント。
元S級冒険者のリリアナ・”ザ・シューティングスター”・スピカ。
この二名がロロの眷属にいる事は、既に噂で知っていた。
さらに、学園の校舎よりも巨大なスケルトン。
あれも間違いなく、英雄と見比べても遜色のないレベルの猛者だ。
だが、あの侍。
あれは、ヤバい。
ヤバいなどというレベルではない。
あれには、近寄りたくすらない。
ムラサメと呼ばれた女。
その名は、誰も聞いたことが無い。
あれほどの者が、なぜ無名なのだろうか。
ティナ・シールやリリアナと同等クラスなのは間違いない。
もしかしたら、それよりもさらに上の……。
そして、その英雄たちを眷属にしている、顔色の悪いネクロマンサーの少年。
普通のネクロマンサーは、普通の魔法使い一人を眷属にするのがやっとだと聞いている。
英雄クラスのネクロマンサーがようやく、英雄を一人だけ眷属にできるとも。
だが、目の前の陰気な少年は、計五名を眷属にしている。
そのうち一体は、偵察用のアイボールのゾンビだったが、あとの四名は皆、力の底が計り知れない。
すると、エリザベスは、ふと気づく。
自分の吐く息が白くなっていることを。
(まずいっ!)
いつの間にか、竜巻の中には、幾千もの氷塊が混ざっていた。
その無数の氷が発する、氷点下を超えた冷気。
人間の身体とは不思議なことに、身体を一定以上冷やされると、逆に気温が暑く感じるのだ。
周囲の空気ごと、あまりにも急速に冷却されたため、身体の感覚が一気に麻痺して、白い息を見るまで気づかなかった。
身体が、凍えてうまく動かない。
大きく重い聖剣を握る力が出ない。
エリザベスの手は痺れ、聖剣ヴィーナスを地面に落とした。
周囲を取り巻く竜巻が、霧散する。
竜巻に混ざっていた幾千の氷塊が、エリザベスの周囲にスコールのように地面に降り注ぐ。
(この氷の魔法も、本気ならアタシはとっくに凍死してるんだろうな……)
この氷はきっと、氷点下の魔女、ティナ・シールの技。
あの巨大なスケルトンと、侍の女は、出番すらなくエリザベスの敗北に終わったのだ。
降り注いだ氷の山の向こうから、少年が歩いてくる。
恐るべき大魔法使いの少年が。
氷点下の冷気は既に消えていて、今では周囲の氷塊が発する、ひんやりとした空気のみ。
少年の口が開く。
「だいじょうぶですか?向こうに温かいスープが用意してありますよ」
★
エリザベスは、ふかふかの毛布を身体に巻き付け、熱いスープを啜る。
その顔は暗い。
何が学園最強の女だ。
井の中の蛙にも程がある。
周囲には、第一騎士団と第六騎士団のみんなが、ロロの眷属と、どんちゃん騒ぎをしている。
あの巨大なスケルトンが、野太い声で、見事な歌を披露していた。
一応ここは、学園の敷地内のはずだが、許可は取っているようだ。
ティナ・シールを口説く騎士団員もいる。
だが、ティナ・シールは既にロロの恋人らしい。
振られた団員を、他の騎士が慰めている。
ロロのそれぞれの腕には、デイズとリリアナが絡みついていた。
どうやら、あの二人もロロの恋人のようだ。
複数の相手と付き合う事は、世間では、そこそこあることらしい。
エリザベスは、生まれてこの方、恋愛などしたことが無いから、その辺はよく知らなかったが。
そういえば、第一騎士団には、あのデイズの姉も居たはず。
長い黒髪と黒目の、火炎術師。
デイズの姉の彼女は、テーブルに用意されたご馳走を、ひたすら口に運んでいる。
その横には、彼女の恋人の騎士が、彼女を愛おしそうに見つめていた。
(恋愛、かぁ。アタシにはわからんね)
スープを飲みながら、恋人たちを半眼で眺めるエリザベス。
そこに、袴を履いて編み笠を被った女が一人、エリザベスの前にやってきた。
あの侍だ。
侍の女は、編み笠の下の口元が笑っている。
「やあ、お嬢さん。さっきは少しばかり涼しかっただろう?」
「まあな。夏なら冷房いらずだ」
冗談に冗談を返す。
今は真冬だ。
笑い合うムラサメとエリザベス。
エリザベスが、問う。
「アンタ、何者だい?アタシが見るに、ロロの眷属の中じゃあ、アンタが一番強いんだろ?」
「しがない侍さ。それに、私は刀の間合いじゃなければ、ただの雑魚だよ」
この嘘つきめ。
エリザベスは心の中で、ムラサメを軽く非難する。
彼女は、身の上話をする気はなさそうだ。
エリザベスとしては、ティナ・シールやリリアナよりも、この侍に興味を引かれたのだが。
それにしても、世の中は広い。
ロロたちのような、まだ見ぬ強者が沢山いるかもしれないのだ。
模擬戦で負けたからと言って、へこんでいる場合ではない。
強くなろう。もっと。
エリザベスの顔の真下の地面に、雫が垂れる。
エリザベスは、涙と鼻水を、大量に流していた。
悔しかったのだ。初めて負けたことが。
侍は、いつの間にか、ふらりとどこかへ去って行ったようだ。
エリザベスの涙を、見ないでくれたのだろう。
エリザベスは、制服のポケットから、青い宝石の刺繍が入ったハンカチを取り出し、涙と鼻水を拭く。
そこに、鎧を装着した脚が、二組。
第一騎士団長と、第六騎士団長が、揃ってエリザベスの前に現れた。
第一騎士団長が、カールした口ひげをいじりながら、エリザベスに話しかける。
「エリザベス・サファイア公爵令嬢。そなたはもうすぐ、学園を卒業だね」
「ああ、アタシは大学には行くつもりが無いから、春が来たら学生じゃなくなるよ。騎士団補佐は続けるつもり。それとも、正式に騎士にしてくれるのかい?」
「そなたは帝立魔法学園の卒業と同時に、騎士団補佐から、第一騎士団長へと昇格する事となる」
エリザベスは、一瞬、何を言われたのか分からなかった。
自分が、第一騎士団長。
補佐からの異例の昇格。
つい先ほど、負けた自分が?
「エリザベス・サファイア公爵令嬢。そなたは、吸血鬼の軍団を一人で打ち倒し、大魔法使いと英雄数人相手に善戦をした。そなた以上に、第一騎士団長として適格な人物はいない。これで吾輩は、引退してのんびりできるな。ハッハッハァ!」
エリザベスは、再び涙が出てきた。
負けたはずの自分を、認めてくれる人もいるのだ。
今日の自分は、なぜこんなに涙もろいのだろうか。
エリザベスは、涙を拭き、拳を掲げる。
「団長。やってやるよ。これからはアタシが第一騎士団長だ」