ティナ・シールとの朝
ロロが目を覚ますと、ティナ・シールは既に起きて、朝食を作っていた。
フライパンで、ベーコンエッグを焼くティナ・シール。
熱魔法使い用の、コンロで。
ティナ・シールは、専門は氷結術だが、同じ熱魔法である火炎術も少しだけ使える。
三角帽子が机に置かれ、長いウェーブのかかった白髪が、きらきらしている。
「ロロ様!おはようございます!」
フライパンを持って、横顔だけをこちらに向ける。
青白いゾンビの顔に、薄っすら赤みをさして、挨拶を交わすティナ・シール。
彼女の赤い瞳が、揺れている。
英雄と呼ばれてはいるものの、こうしていれば普通の小柄な女の子だ。
ロロの二人目の彼女、第二婦人となったティナ・シール。
昨夜、ふたりは男女の関係となった。
ロロは彼女の事を、昨夜からは、呼び捨てで呼ぶようにした。
こうなってしまったからには、影の中に住まわせるのは、気が引ける。
早く新しい家ができるといい。
ロロは、朝食の準備をしているティナ・シールに、後ろからそっと抱き着く。
「きゃっ!」
驚くティナ・シール。
小柄な身体が可愛らしい。
「ティナ・シール。
もうすぐ、新しい家が建つからね。
ティナ・シールの部屋も作ろう」
「ほんとですか?
うれしい!
本とか、魔法の道具とか、色々置いておきたいものあるんです!」
ベーコンエッグを焼きながら、ロロの方へ少しだけ振り向き、目を輝かせるティナ・シール。
彼女は、思いの外、物欲が多いみたいだ。
魔法の道具があれば、自分の所持魔法とは全く別の系統の魔法が、疑似的に使える。
特にリリアナは、数多の魔法の道具を使いこなす、専門家だ。
ティナ・シールは熱魔法・氷結術を使うのだが、大気魔法が使えないため、箒で空を飛ぶことなどはできず、移動は徒歩だ。
しかし、最近では大気魔法使いでなくとも、自分の所持魔法の応用で、飛行ができる箒もあるらしい。
そういえば、クラスメイトの何人かが、使っていたかもしれない。
さすが、貴族や豪商の子女たち。
たぶん、ああいった魔法道具ひとつで、何万ドルもするのだろう。
高価な魔法道具は、お金の無いロロには、無縁だったのだ。
フローレンスも魔法の道具を持っていなかった。
貴族でも何でもない、ただの教師というのは意外と薄給なのだろうか。
新しい家は、もうあと数週間ほどで出来上がるみたいだ。
作り始めてから、完成予定まで、二か月もかかっていない。
尋常な速度ではない。
家って、普通は一年以上とか掛けて作るものではないのか。
ロロは、ティナ・シールを軽く抱きかかえながら、窓から作りかけの新しい家を眺める。
もう外側は、大部分が完成している。
樹木を操る大地魔法使いたちが、壁や屋根に使う木を生やし、それを金属魔法使いが操る工具で切り、綺麗に整えている。
服の袖から蔦を生やした男が、整えられた木の板を、蔦で次々と所定の位置へと運ぶ。
結構な大きさの家のはずなのに、目の前で凄い速度で出来上がっていく。
グリーンハルトが、奮発して腕のいい職人を多数用意したみたいだ。
新居は、二階建ての部屋が十個くらいある邸宅になる予定。
家の外装そのものは、明日にでも出来上がりそうだ。
あとは、内装を整えることに時間を費やすのだろう。
元々は、今の小さな小屋でも満足していたロロ。
でも、やっぱり新しい家ができるとなると、気分が上がる。
自分と、デイズと、眷属たちの部屋のある家。
それでも、まだ部屋が余っている。
将来、デイズとの間に子供でもできたら、子供部屋にでもしようと思う。
ティナ・シールはゾンビだから、子供はできない。
少しだけ残念だ。
だけど、その分、ティナ・シール本人に愛情を注ごうと思う。
今、目の前でロロに後ろから抱かれながら、器用に朝食を作るティナ・シール。
小柄な白髪の後頭部に、そっと口づける。
あまり邪魔になってはいけないと、名残惜しいが抱擁を解く。
ティナ・シールが、肩越しにロロを見て、残念そうな顔。
またあとで、いっぱい抱きしめようとロロは思った。
★
キールは、看守に引き連れられ、牢獄の出口までやって来た。
父が、保釈金を支払い、保釈されるのだ。
キールは、魔法学園の制服の、白いブレザーに着替えている。
おそらく、既に退学になっているはずだけれど。
キールが着用できる服は、今はこれしかない。
牢獄の出口の頑丈な鉄のドアを開けると、そこには父が立っていた。
「行くぞ」
そう言うや否や、警察署の廊下をどんどん先を進む父。
キールを解放する看守。
急いで後を追うキール。
「父さん、ありがとう。
おかげで保釈されたよ。
自由っていいな!」
父が、キールの方を向こうともせず、返す。
「お前が言ってたからな。
コレクション集めの役に立つと。
役に立つところを見せろ。
次は無い」
父、ルイーゼ伯は、既にキールを息子としては見なしていないようだ。
恐らくは、既に戸籍からは抜かれていることだろう。
貴族の世界は面倒だ。
九割が世間体で構成された世界。
逮捕されたキールを、もう今後は息子扱いはしないだろう。
キールは、もはや貴族ではなく、親の存在しない平民となった。
これからは、ルイーゼの町の領主の息子、キール・ルイーゼではなく、ただのキールとして、父の手先となるのだ。
何という屈辱。
この俺が平民だと?
早足のルイーゼ伯に急いで付いて行きながら、傷ついたプライドから血を流す。
あのネクロマンサー。
許さねえ。
デイズもだ。
牢獄のある警察署の建物を出ると、雨が降っていた。
ルイーゼ伯は、傘を差す。
キールの分の傘は無かった。
さっさと前へと進むルイーゼ伯。
キールはそのまま、建物を出る。
退学済みの学園の白い制服は、雨に濡れ、みじめな思いでルイーゼ伯の後に続く。
キールはもう、法で治められている表の世界では、成り上がれないだろう。
ならば、無法である裏の世界で上がってやる、と決意する。
傘を差して前を歩くルイーゼ伯に、声をかける。
「父さ……、ルイーゼ伯爵。俺は、何だってやってやる。
犯罪だろうがなんだろうが、何でもだ」
すると、ルイーゼ伯は、前を向いたまま、傘を差して歩きながら、キールに肩越しに、結ばれた金属の鎖の束を投げ渡した。
キールも、歩きながらそれをつかみ取る。
様々な真鍮の凶器が付いた、真鍮の鎖の束。
キールが愛用していた、真鍮の武器。
キールは、結ばれて束になっていた鎖をほどき、制服のブレザーの袖の下の腕に装着する。
地位も、金も、恐らくは女すらも失ったキール。
今、自分が頼れるのは、この真鍮の鎖のみ。
「ルイーゼ伯爵。お願いがあります。
『本』を読ませてください。絶対に汚さないので」
本。
それは、ルイーゼ伯のコレクションにあった、毒物・薬物の禁書。
皇帝陛下の図書室の隠し部屋から盗まれた、禁断の知識。
ルイーゼ伯は、あれをただのコレクションとして見ているのならば、中身を読むのは構わないはずだ。
ルイーゼ伯は、こちらを決して向かずに、前を見ながら続ける。
「構わん。ただし、汚したり失くしたりした場合、お前には死んでもらう」
それは脅しではなく、ただの未来の予定。
キールは雨に濡れながら、一筋の汗を垂らした。
読むときは、細心の注意を払わねば。
キールは雨の中。
ただ復讐と欲望だけが生きる糧であった。