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木乃香、22歳【04】

木乃香はノートパソコンを閉じると一息吐いた。土曜日のオフィスは社員もまばらだ。木乃香の会社は基本的に完全週休二日制ではあるが、トラブルがあった場合は週末に休日出勤をすることも稀ではない。


残っていたコーヒーを全て飲み切ると、立ち上がって鞄を持った。


そのとき、木乃香に声が掛かる。

「お、仕事終わったの?」

振り返るとそこには同期入社の佐藤がいた。


「あ、佐藤。お疲れ。今回のトラブルは軽かったからね。おかげで今日は家でお昼ご飯を食べれそう。」

佐藤と呼び捨てにしているが年齢は木乃香より年上だったように思う。正確な年齢は覚えていない。


「羨ましいよ。俺はまだ暫くかかりそうだな~。」


「どんまい。」


「今晩の同期会に間に合うように頑張るとするよ。花咲は来るのか?」

木乃香との代の同期入社のメンバーはとても仲が良く、月に一度同期会と称して飲み会をしたり出かけたりしている。今日はその同期会の日で、同期メンバーの一人の家でたこ焼きパーティーをする予定だ。


「んー、今日は行かない。」


「またかよ。最近参加率低くね?これまで以上に残業もしないで早く家に帰ってるみたいだし。」


「…定時内に終わる仕事量を与えられるのは当たり前じゃん。」


「あのなー。お前が特殊なの、あの仕事量を新入社員が定時内に終わるなんて。俺の部署にまで花咲の評判が届いてるぞ。」


「先輩が丁寧にサポートしてくれるからね。」

素知らぬ顔で木乃香は言うが、その先輩も忙しい人と聞いているので定時内に仕事を終わらせるのは木乃香の能力が高いからだろう。


「で、会社にいる時間が少なくなったのは彼氏が出来たからか?」

佐藤がニヤリと笑う。


「そんなわけないでしょ。」

人の愛し方なんてわからないし、その先の夫婦という関係は木乃香にはもっとわからない。彼氏なんて出来たことがなかった。


「あーあ、花咲は見た目ほんわかしてて可愛いのに、性格はさばさばしてて男勝りだもんなー。」


「煩い。そんなこと言ってる暇があるなら早く仕事を終わらせて奥さんと子どもの元に帰りなよ。」

木乃香は鞄からチョコレートを取り出し、佐藤に渡した。


「へいへい。じゃ、また月曜日な~。」

そう言う佐藤に手を振ると木乃香は会社を出た。





家の最寄り駅を降りて、駅前のショッピングモールへと足を向ける。お昼ご飯を家で食べようと思っていたが、思いのほかお腹が空いてしまったので今日はモールのフードコートで御飯を食べよう。


「お姉さん!」

モールに入ろうとしたとき、聞きなれた幼い声が聞こえる。


そこにいたのは音葉だった。

これまで土日に音葉が木乃香の家に来たことがなかったため、週末は何をしているのか気にしていたがこんなところで会うとは思わなかった。

木乃香は人の多いこの場所で音葉と会うことに一瞬躊躇ったが、相変わらず薄着の音葉を放っておくことはできない。木乃香はポケットに入れてあるレコーダーをオンにすると口を開いた。


「こんなところでどうしたの?」

音葉に歩み寄ると、音葉は俯きがちにもじもじするだけで何も言わない。

どうしたものか…何か言いたいことでもあるのだろうか。


ぐぅ~

そのときお腹の鳴る音が聞こえた。音の主は音葉のようで声を真っ赤にしている。


「私もお腹ぺこぺこなんだけど、良かったら一緒に御飯食べない?」


「う、うん。」

何か言いたいことがあるみたいだし、御飯を食べながら話を聞いてみよう。


そして、木乃香と音葉は歩き出した。音葉は特に食べたいものが思いつかなかったみたいなので、よくあるチェーンレストランに行くことにした。そこだと色々な種類のメニューがあるし、音葉も食べたいものも見つかるだろう。

レストランでは運よく他のお客には見えにくい席に案内された。


音葉は目をキラキラさせてメニューを見る。


「何でも好きなもの選んで良いよ。私も丁度音葉君に聞いてほしい話があったし、そのお礼だよ。」

特に何か言いたいことはないのだが、何か理由をつけることで音葉の後ろめたさや申し訳なさが軽減されればと思う。

後で適当に佐藤のうっかりドボン事件でも話しておこう。


「う、うん。ありがとう。」

音葉は笑顔でそう言うと、嬉しそうにメニューをめくる。音葉の背景にはわくわくという言葉が見えるようだった。


「すきやきって何?」

音葉はすき焼き鍋のセットを指さして木乃香にメニューを見せる。


「すき焼きって言うのは甘辛いお肉と野菜のお鍋だよ。味付けはお醤油やお砂糖をメインに使うの。」


「そうなんだ。えっと…これは何?」

音葉が次に指を差したのはラザニアだ。


「ラザニアはグラタンの仲間だよ。ミートソースとチーズの味だね。」


暫く音葉に色々なメニューの説明をすると、音葉は悩みぬいた末にすき焼きを選んだ。

なかなか渋いチョイスだ。

木乃香は心の中で微笑ましく思うと、すき焼きと自分の食べるチキン南蛮定食を注文した。

一緒にドリンクバーも頼んでいたので、料理が来るまでに飲み物を取りに行く。


「好きな飲み物のボタンを押して選んでね。」


「好きなの…」

たくさんの種類の飲み物を前にまた悩む音葉。


「何回でもおかわりできるから、まずは最初の一つ目を選んでみて。」

木乃香はそう言いながらコップにウーロン茶を注ぐ。


「何回も飲めるの?」


「うん、でもお腹壊しちゃうから飲みすぎないようにね。」


「わかった!」

音葉はメロンソーダを選ぶと、二人で席に戻った。


早速メロンソーダを飲む音葉。

「うわっ…ゴホッ」

炭酸を勢いよく飲んでしまったみたいで音葉はむせる。


「大丈夫?」

木乃香は急いでテーブルに備え付きの紙ナプキンを音葉に渡す。


音葉は紙ナプキンで口を拭く。

「ご、ごめんなさい。すごいしゅわしゅわでびっくりしちゃった。」

炭酸にあまり馴染みはないらしく、勢いよく飲んでしまったようだ。


「飲みにくいなら交換する?」


「ううん、気を付けて飲めば大丈夫。美味しいよ。でもメロンソーダって名前なのにメロンの味はしないんだね。」


「そういえば、あまりメロンの味はしないかも。」

そのような話をしていると、すき焼きとチキン南蛮が運ばれてきた。


「熱いから気をつけてね。その卵を割って溶き卵にして、お肉や野菜とつけて食べても美味しいよ。」


「うん、ありがとう。」

音葉はぎこちなく箸を持ち食べ始める。まだ少し違和感があるが、随分と箸の持ち方が上手になった。


「おいしい!」

牛肉を一口食べると、パッと顔を上げる音葉。

初めてのすき焼きはどうやら口に合ったようだ。


「良かった。良かったらこれもどうぞ。」

木乃香は自分のチキン南蛮をひと切れ音葉へ渡す。


「ありがとう!じゃあ僕も…」

音葉は惜しげもなく大きな牛肉を木乃香のお皿に乗せた。


「私もありがとう。」

木乃香はにっこりと笑うとありがたくすき焼きをいただいた。温かくて甘辛い味が白米を進めてくれる。



二人が食事を終えると、木乃香はホットコーヒーを飲む。音葉もホットミルクティーをちびちびと飲む。本当は木乃香と同じホットコーヒーを飲もうとしたのだが、苦いということで木乃香に止められミルクティーにした。


「さっき話したいことがあったみたいだけどどうしたの?」

駅前でもじもじしていたが、何を言いたかったのだろう。


「あの…」

音葉はカップを両手で包み込みながら、俯く。音葉は何か言いたいときに俯く癖があるようだ。


「大丈夫だよ。言ってみて?」


「あのね、実はお母さんにお金もらって服を買ってって言われたんだ。」


「服?」

冬用の服だろうか。流石に寒い季節なので母親も心配したのかもしれない。


「うん。あの…明後日からお父さんが帰ってくるんだけど、そのときのために着る服だって。」


「…。」

父親のために着る服…母親は父親の前では良い顔をしているのだろうか。母親が薄着を心配しているというのは杞憂で自分のメンツのためだったらしい。


「前もそんなことがあって自分で服を買ったんだけど女の子の服を買っちゃってたみたいで…それでお母さんに怒られたから…」

なるほど。音葉は母親に怒られない服を選んで欲しいのだろう。


「この後時間があるなら一緒に服を買いに行こうか?」


「う、うん。お願いしてもいいかな?」


「もちろんだよ。」

此処から10分程歩いた場所に安くて比較的質の良い衣類屋さんがあるのでそこが最適だろう。木乃香もそのお店をときどき使っている。





二人はお店に着くと、子供服コーナーへ向かった。

このお店が安いと言っても5000円では買える数に限度がある。見た目も重要だが、機能性の良い服を探さなければいけない。


音葉の服探しはスムーズに終わった。

お会計は木乃香が音葉から5五千円札を預かり会計をした。会計の間、木乃香は音葉をトイレに行くよう促していた。


「計6723円となります。」

木乃香は音葉から預かった五千円札と自分の財布から出した千円札2枚で支払いをした。


支払いを終え商品を受け取った時に丁度音葉が戻ってきた。

音葉が木乃香に駆け寄る。

「ありがとう。」

音葉は少し重い服の入った袋を受け取ると両手で持つ。


「いえいえ。さっきドリンクバーでたくさん飲んじゃったからね、トイレに行っておいて良かったと思うよ。それと、これ。」

木乃香は先ほどの会計のおつりである277円を差し出した。


「ありがとう、お姉さん。」

音葉が小銭を受け取るとすり切れた財布にお金を入れた。


「それと…ちょっとごめんね。」

木乃香は音葉の持つ袋からコートを取り出すと、音葉の肩に掛ける。

ずっと音葉が鳥肌を立てていることがずっと気になっていた。音葉と服を選んでいる際に運よく型落ちのコートを見つけ買い物かごに追加していたのだ。コートを買ったことで予算はオーバーしてしまったが、音葉はコートの値段を知らない。会計の時にコートのタグは切っておいてもらった。


音葉はモスグリーンのダッフルコートを着るとふにゃりと笑った。

「温かい。」

木乃香にとって満足と安心の言葉を聞けた。


今日買ったのは冬用肌着2枚、ニット1枚、裏起毛のトレーナー1枚、少し丈の長いジーンズ1本である。木乃香としてはもっと服を買いたかったが、親族でもない少年の服をポケットマネーから出しすぎるのは良くないだろう。



二人は無事に帰路に就いた。音葉がこの後どうするのかと気になっていたが、自分の家に戻るらしい。



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