音葉、12歳【01】
そのお姉さんは、とても優しくて安心をくれる存在だ。
お姉さんの名前は花咲木乃香さん。本当は木乃香さんと名前で呼びたいけど、お姉さんと呼んでほしいと言われたのでそう呼ぶことにしている。
お姉さんの歳はわからないけど、働いていると言っていたので僕よりうんと大人だ。
髪は暗いブラウンで、長さは耳たぶの下までだ。身長は163センチって言っていた。
お姉さんに声を掛けられる前から、僕はお姉さんのことを知っていた。なぜなら、お姉さんがいつもの公園の前を通ると、お母さんと弟が帰ってくる時間が近いという合図だったからだ。
僕の家は他の家族とは違うと知っている。クラスメイトの皆は自分の鍵を持っていて自由に部屋に入れるし、お小遣いで晩御飯を買う必要もない。
僕を産んだお母さんは僕を産むときに亡くなったらしい。その後、僕が5歳の時に今のお母さんがやってきた。新しいお母さんはとても優しくていっぱいお世話をしてくれたんだ。でも、それは僕が7歳の時に変わってしまった。7歳になった時、僕に弟が生まれた。弟は生まれつき身体が弱くて、お母さんは弟に付きっ切りになり元気な僕を嫌うようになった。お母さんは大きな声で怒ることが多くて、僕はお母さんを逆なでしないよう静かに生活することを覚えた。
お姉さんはクラスメイトと違って、僕に詳しい事情を聞かない。なんでそんなに細いの?汚い服を着てるのは何で?すごく小さな消しゴムなのに何で買い換えないの?お姉さんは僕が言いたくない質問をしてこない。ゆっくりと僕の話を聞いてくれる。
小学校は大好きだ。勉強も好きだし、給食で温かい御飯を食べれる。雨の日に外にいなくても良いし、音楽室でピアノを弾くこともできる。そんな大好きな学校だけど、今はそれ以上にお気に入りの時間がある。それは放課後のお姉さんとの時間だ。これまでは公園に居なきゃいけない放課後が大嫌いだったけど、今はお姉さんと居れるから放課後が待ち遠しい。
お姉さんの部屋から2つ上に行くと僕の家がある。夜の7時頃になるとお母さんと弟が帰ってくる。お母さんは僕のことが嫌いだから、家で動くときは気を付けなきゃいけない。
僕の部屋はリビングの端っこにあって、敷布団が一つと大きな段ボールが2つ、その周りにはつい立が有り、僕は出来るだけそこから出ないように言われている。
家に帰るとすぐに僕の部屋に荷物を置くと、ダンボールに入っている服と色褪せたタオルを持って忍び足でお風呂場へと歩く。
「あら、帰ってたの。」
声の方を見るとお母さんがいた。
お母さんはギロリと僕を睨むと、
「最近は公園に居ないみたいね。どこに居ようがどうでもいいけど、変な噂をされないようにだけは気を付けなさい。この前も学校からあんたの服装が季節に合ってないだの、家に帰りたがらないだの電話が来たんだから。他の子と同じようにしっかりしてちょうだい。」
と言った。
「ごめんなさい…」
僕は声を小さくして謝った。
もっとお母さんに迷惑をかけないように気を付けないと…。服の事とかは今度お姉さんに聞いてみよう。
「ふんっ。それと来週賢介さんが帰ってくるわ。見つからないようにあんたの荷物を片付けなさいよ。新しい服も買って賢介さんに会うとき着てきな。前みたいに女の子みたいなTシャツ着て、賢介さんの前で恥をかかせないで頂戴。あの時、どれだけ誤魔化すのが大変だったことか。」
「はい…。」
賢介さんとは僕のお父さんのことだ。僕のお父さんは今はシンガポールで働いていて、あまり日本には帰ってこない。お父さんが帰ってくる日はお母さんが優しくなるし、美味しいものもたくさん食べれるが大好きな時間だ。
今度はどれくらい日本にいるのかな。長く居てほしいな。