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8.運配者-4



「……っぅう!」



 フライパンで力いっぱい叩かれたかのような激痛を後頭部に感じ、須藤彰人(すどうあきと)の意識は現実へと戻った。



(な、何だ……?)



 状況を判断しようと眼を見開き、すると彰人の目に最初に映ったしそれは。

 両手を腰の前で重ね合わせ、何故か満面の笑顔をこちらへと向けている少女の姿であった。

 一瞬まだ夢を見ているのかと、不覚にもそう感じてしまうほどに──少女の姿は美しかった。

 小柄な顔に、パッチリとした目は鳶色の瞳。

 それぞれの顔を造形しているパーツが、絵画の天使を模した銅像と見紛うばかりなレベルで整えられている。

 艶がかった栗色の長髪が陽光を反射し、まるで少女自身が輝いている様にさえ錯覚させ。


 そのまま暫しの間、足元から少女の頭の天辺までを彰人は無自覚に眺めていた。

 身体的にはまだ幼さを残すが、それでいて大人の成熟した雰囲気をも感じさせる少女。

 生まれてこの方17年、こんなに視線を捕らえて離さない異性は初めてであった。

 寝起きの億劫さの中で、彰人はただ呆然と夢見心地の中、その少女を無遠慮に眺め続けるが。



「目、覚めましたか?」



 首を小さく傾げ、そう自らを指す言葉を耳にし、そこで彰人はようやく完全に意識を現実へと戻した。 



「……お前がやったのか?」

「え?」

「いや、何でもない」



 彰人が問いたかったのは、この今も疼く後頭部の痛みの事であった。

 だが彰人からしてみれば、この少女如きが寝ていたとはいえ、自らに一撃を与えられるとは到底考えられなかった。



(まぁ、なんでもいいか)



 深く考えるまでもない。ただ少しばかり容姿がいい小娘に過ぎない。

 そう結論付けると、再び彰人は眠りに着くべく瞼を閉じた。



「つぅッ!」



 瞬間、彰人の後頭部を再度に渡り激痛が襲う。

 不意の痛みに、今度こそ何事かと目を見開くと。

 そこにはまるで今殴りましたよと言わんばかりの、握り拳を構えたままの少女の笑顔があった。


 目で見た情報だけで答えを出すのなら、まず間違いなくこの少女が彰人の後頭部を殴ったのだろう。

 だがそれを彰人は、信じられない物──驚天動地したかのような、見るかのような目で、少女の拳を見つめ、そして次に少女の張り付かせたような笑みへと目を向けると。



(こいつ……)


「目、覚めましたか?」



 繰り返し自らに確認を求める少女に、彰人は警戒を強める。

 物心ついてから今の今まで、かつて睡眠を取っている間でさえ、意図せず自らに指一本として触れさせた者など──存在しなかったのだから。



「お間、なんで学生なんかやってる」



 少女の服装を見て、彰人はおそらくこの少女が自らと同じ場所、ビフレスト学園を目指しているだろう事は察しがついていた。

 だが、おおよそ少女らしい容姿と、隠しているのだろう爪が学生のそれではない。


 彰人の不意の言葉に、やはりと言うべきか少女は笑顔を濁す。

 すぐにまた笑顔を浮かべ直すが、その際見えた一瞬の敵意を彰人は見逃さなかった。



「なんの事です?」



 面白い。彰人は素直にそう感じた。

 いくら神の御使い養成学校と高をくくっても、所詮は平和ボケしたガキの集まり、ぬるま湯としか考えていなかった彰人にとって、目の前の少女の存在はそれを補って余りある大きな刺激になる、と。


 少女が何者であっとしても、自らの糧として生かせるのであれば、これからの学園生活にも少しは張りが出るという物。

 無自覚に、彰人の口角が吊り上った。



「? ……何がおかしいんです――」



 少女の問いには聞き耳持たず。次の瞬間、彰人は少女の背後に回り込む。

 それは現在の須藤彰人が行える、手加減なし、限界をもってしての動きであった。

 先程自らの眠りを妨げ、無謀にも牙を向けた不審者に行ったお遊びの武力ではない。


 少女は、今だ背後の彰人に反応できずにいる。

 秒単位までに届いていないこの一瞬と言える時間の中だが、その僅かな隙は大きな命取となり。

 その隙に、彰人は自らの握り拳を少女の後頭部に、仕返しとばかりに落とす。



「……おもしれぇ」


 だが、結果としてその拳は目標を打つ事は無く。

 目を疑うような光景であった。いったいどういう反射神経をしているのか、少女は背後から迫る拳を寸前で頭を傾けることで躱して見せたのだ。

 のみならず、彰人の空を切った拳を、背後も見ずに片手でそのまま肩越しに受け止めて見せた。



「なんのつもりですか?」



 およそ少女とは思えない力が、掴まれた彰人の拳を音を立て圧迫する。

 苦痛に思わず表情に歪みが生じるが、彰人は傲慢とした態度を決して変える事はせずに。



「それはこっちの台詞じゃねぇか? やられたらやり返す、鉄則だ」



 自らは手を出さない。

 やられたら、やり返す。

 これは須藤彰人の信条であり、たとえどんな状況下でも譲れない鉄則である。

 今回の場合、先に手を出したのは少女だと、彰人はただそれだけを持ち出し反撃に及んでおり。



「やられたらって……、こんな状況下で呑気に寝ているからじゃないですか」



 落とした拳を引き、彰人が一歩距離を空けると少女は背後へと振り返り、腰に両手を置いて口にした。



「少し強引だったのは認めます。ですけど声をかけても起きないので、仕方なくです。あまり時間も無いので」



 少女が口にした意味深げな言葉に、だが彰人は興味無さ気に鼻で笑い飛ばすと。



「はッ……、何だか知らねぇが。お前が俺にちょっかいを出したって事にかわりはねぇだろ」

「何でそんなにバトル思考なんですか……、そんなことより優先すべきことがあるでしょう。今は貴方の力が必要なんです」



 真剣みを帯びた少女の言葉だが、それでも彰人は態度を変えようとはせず。



「俺の力が必要ねぇ、なら力付くで言うことを聞かせてみろ――」



 その時であった、彰人の視界の隅から小さな影が近づいてきた。

 自らの膝よりも少し高いくらいのそれは、彰人の学生ズボンの膝元を僅かに引っ張り。



「あ?」



 水を差され、心底機嫌が悪そうに彰人がそれに目を向ける。

 潤んだ瞳に、今にも泣き出しそうな表情。

 七、八歳くらいの子供──女の子が、小さな右手で彰人のズボンを掴んでいた。



「君はさっきの……」



 そう呟いたのは目の前で対峙する少女であり、どうやら少女はこの女の子の事を多少なりとも知っているらしい。

 一方で、彰人の方には全く心当たり何てものが無く。予想外の事態に反応出来ずにいると、ふと女の子が小さく口から言葉を零した。



「……あ? 何だって?」



 その言葉が聞き取れず、彰人はつい棘のある口調で聞き返してしまう。

 びくりと肩を震わせた女の子は一瞬表情を歪ませ、次には泣き出すかと思われたが。



「あり……と。お母さんを助けてくれて……、ありがとう」



 懸命に絞り出したのか、女の子はそれだけは口にして。

 そこで我慢の限界を超えたのか、声を上げて涙を零し始めた。



「は……?」



 訳が判らずにただ呆然と呟いた彰人に、事態は更に訳の判らない方向へと進んでいく。



「いのりっ……!」



 女の子の名前だろうか、そう声を上げて女性が一人駆け寄ってきた。

 おそらくは、この女の子の母親なのだろう女性は、彰人の膝元で泣く我が子を胸の内に抱きしめると、次に彰人を見上げて口にした。



「ありがとう、ございました。この子を助けて頂き、本当に……本当にありがとうございました」



 堪えきれないと言った風に、女性の目元からもやがて涙が零れ落ち。



「は……?」



 あまりに理解が追いつかない現状に彰人は頬を引き攣らせて、まるで助けを求めるかのように目の前の少女へと目を向ける。

 そこには微笑ましそうな──無性に腹が立つ笑顔を浮かべながら、自らを見つめる少女の姿があった。



「おい、とりあえず説明を――」



 言いかけて、彰人の言葉を遮り爆発したような歓声が車内を木霊した。

 それは今の今まで成り行きを見守っていた乗客たちの、彰人に対する敬意の叫びだった。



「やるじゃねぇか坊主!」


「さすが御使い候補生! 助かる、助かるぞ!」



 置いてけぼりの彰人に、盛り上がる乗客達。

 一体何に対してこんな騒ぎを起こしているのか、皆目見当もつかない自分に降り注ぐ賞賛の声に、彰人は薄気味悪ささえ覚えてしまい。

 そんな彰人の呆然とした表情に、少女はぷっと笑いを噴きだした後に提案してきた。



「この場から逃げるための策があります。乗って……、いただけますよね?」


「……ちっ」


 気に食わない。が、この場から早々と立ち去りたい彰人にとって、その提案は言葉一つで断るには耐えがたい魅力に……溢れていたのだった。



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