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5.運配者-1

─入学準備編─

~運配者~



 伊形市。周りが深い高山で囲まれており、交通の不便さから昔は駅付近の商店街を除く場所の殆どが農地と民家であった元田舎町である。

 そう、元田舎だ。20年前……世界を騒がせ、そして歓喜に震わせた女神降臨の運命の日。その女神が降臨したとされる地──それが伊形市であった。

 以来、女神が愛した地とされ、世界中からの莫大な支援金を元に市は打規模な都市開発化が進められる事となった。

 周辺の市さえも取り込み、名を伊形市からサクラノ宮と変え。日本の市という枠からも外れて、新たなる国家として。

 ――総人口約500万人。日本の首都である右京都が霞んで見えるほどの最先端を行く科学都市として、伊形市──改めサクラノ宮は、世界の行く未来を見つめている。


 と、言うのが表向きなこの街の概要らしい。 



(普通に考えたら不可解な話だよな。たったの20年で、こんな交通も不便な場所をどうやって作り変えたのか)



 今や多くの人間が毎日街を行き来するようになったために、数分刻みで運行スケジュールが組まれたモノレール。

 座席は全席ロングシート式の、大人数を一気に運べるようにと立ちスペースを多めに取ったもの。

 普段なら乗客が溢れかえりまともに座れることは珍しいのだが、乗客全員がシートに腰を下ろしていてもそれでもまだ座席には余裕がある。

 時刻は車両内に設置されたデジタル時計から読み取り、正午1時5分と数秒。


 ──どうやらこの時間は空いているようだと。誰に気をつかうでもなく、権藤優は周囲に習ってシートの座席へと腰を下ろしていた。



(サクラノ宮、か……)



 サクラノ宮は一つの国である。日本とは違う法律があり、暗黙のルールも有る。だから、という訳でもないが。優自身には今まで特に理由もなかったために、一人で足を運ぶこともなかった。


 ──だが、今回はその理由ができた。そのとある理由から、こうして優は一人モノレールに乗車し、今現在進行系で桜ノ宮を目指しているという訳なのだが。


 やはり初めていく地となると何処か浮足立つのか、優は落ち着かない様子で周囲に視線を向けてみたり、また景色を眺め直したりと慌しい様子。

 景色と言っても今は山の中、見渡す限りの木々しか見えてはいないのだが。

 と、その時であった。青々とした森林の内部に作られたトンネルを通り抜け、晴天の日差しが車内を照らす。

 そうしてついにサクラノ宮の全貌が、優の視界一杯に広がった。


 都心から円状で構成されたサクラノ宮を、綺麗に等分に仕切別けられた三つの街並み。

 それぞれが和、洋、中と目に見て特色がわかり、まるで街同士が対立しているかのようにも見え。

 だが各街の中心部に存在するそれぞれの街の特色を示した塔状の建造物。それらが各街を跨ぐ形のアーチによって繋がり、街同士の繋がりを目に見て分かる形で伝えている。

 そう、あのアーチによって繋がる三つの塔。あれこそが優が目指す先であり、



(ビフレスト……、通称神の御使い養成学園、か)



 あの三つの塔を指し”ビフレスト”と呼ばれる学園。そこに優が足を運ぶ理由があるのだ。



「お母さん! あのでっかいのなぁに?」


「ふふ、あそこにわねぇ~、なんと女神様が住んでいるのよ?」


「わぁ! 女神様のおうち! すごーい! おおきい!」



 優が座る席の左斜め前。そこで笑顔を振りまき窓の外を指差しはしゃぐ女の子と、得意げに女の子の質問に答える母親親子がいた。

 その親子が話題にする塔とは、今まで優が見ていたビフレストではなかった。

 それはもっと先にあるもの。いや本来であれば真っ先に目がつくだろう。

 ビフレスト三塔の中心に位置する、サクラノ宮の象徴ともされる巨大な建造物。優も流されるように、それへと目を向け。



(あれが……、世界樹)



 サクラノ宮は大きく別けて三つの街で構成されている。

 和のミーミル、洋のミルズ、中のフヴェル。

 この三つの街を合わせた中心部――、アーチによって繋がれた学園の中央位置。

 そこに聳え建つ天をも貫く全長3000メートルにもなる強大な塔型の建造物。

 女神が降り立ったとされる場所に正確に、それもたったの3年で作りあげられたとされる第二の奇跡。

 その規格外な建造物こそが世界樹である。

 女神の意向の元で世界を導くと言う大義名分を得て創設された、神の御使い達から成る組織――アスガルズの総本山だ。



(まいったな……)



 あのような見ているだけで平伏してしまいそうな神聖な場所に、正樹はいつも不正装な格好で通っている。

 そのどうしようもない事実に、今更ながら優は堪えようのない恥ずかしさと憤りを覚えてしまい。

 まるでその現実から目を背けるかのように、がっくりとその場で項垂れた。



『お待たせしました。間もなくサクラノ宮、ミーミル街へと到着致します。間もなく――』



 そうやって優が頭を痛めていると、車内では間もなくミーミル街へと到着間近との知らせが流れる。

 優が降りるのはミルズ街の予定だが、他の乗客員たちが手持ちの荷物をまとめて下りる準備をするに合わせ、優は唯一の手荷物であるトラベルケースを自らの下に今一度引き寄せ、再度自分の身だしなみをチェックする事にした。



(スカートの丈、OK。リボンも曲がってないな……、うん。何も問題は――)



「大有りだよぉ!」



 思わず頭を両手で押さえて自らに大声でツッコミを入れてしまった優に、周りの乗客の目が集まる。

 なぜ、なぜ自分はこんなフリッフリの女生徒の制服を着て、こんな神聖な地に足を踏み入れようとしてるのか。

 1週間前。あの日に時は遡る──。




 ――意識を失い、次に目を覚ますと優の視界に映ったのは、意識が落ちる直前に見ていた応接間らしき場所ではなく、客用の寝室のような所であった。

 自らが寝かされていたのは高級感漂うシルク絹のベッドであったし、その他にも客が日常的に困らない程度の設備は一通り部屋の中に揃いに揃っていた。



 目を覚ました優は、まず状況を把握するべくベッドから降り、部屋の外へと出ようと歩みを進めた。

 その時ふと、何かやたらと下腹部の風通りがいいなーと。何気なしに自らの体を見下ろしたのが、そもそもの問題の始まり。


 所々に銀のメッシュが入った、純白を主体とした少々丈の短めなスカート。

 上半身も同じデザインで、何故だろう、胸部の部分が不自然に膨らんでいる。

 体中から嫌な汗を噴きだし、優は惹かれる様に自らの胸部へと手を伸ばし。



「んっ……!」



 触れてみた瞬間、自らの口から余程自分の物とは思えない熱を帯びた少女のような声が零れたような気がし。

 手元には何やらふにふにと柔らかいようでいて、モチモチと弾力のある今まで味わったことのない未知の感触。

 極めつけに、胸部に触れた手の熱い感触が、なぜかそのまま自らの胸部から直接伝わってくるではないか。



「……あ、あははは」



 人間はどうしようも無い時、自然と笑いが相次いで口から零れると言う。優もそれに習い、乾いた笑いを口元からぼろぼろと零れ落とし。

 一目散に出入り口の扉ではなく、部屋に備え付けられている化粧台へと悪夢を払うかのように駆けだした。



「………………………………」



 そこから、凡そ10分の時が経過しただろうか。

 その間優の思考は停止し、表情も口元を引きつらせたまま、氷像のように固まってしまっており。



(わー。可愛い子だなー。栗色の長髪も艶があって綺麗だし、アイドルさんなのかなー? それともモデルさんー? 全く、化粧台なのに鏡じゃなくてポスターを貼るなんて深山家のメイドはどうかしてるよー)



 そして10分の時を経て心中に浮かんだ言葉は、紛れもない現実逃避であった。

 優は、それが現実だと疑わないように、まるで一世一代の大告白でもするかの決意で、



「……にこっ」



 満面の笑顔をその場で浮かべてみた。



「…………かはっ」



 そうして映し出された、鏡に写った自らなのだろう。もはや兵器とも言えるだろうとびっきりの笑顔を直視してしまい。

 吐血するかのようにその場に崩れ落ち、優は頭を垂らした。



(嘘……、だろ。え、今の僕……? え、自分にトキメイタ?)



「死のう」



 現実を認め、耐え切れない事実に優はフラフラと立ち上がり。



「お、目が覚めたのかい?」



 その時、扉を開いて顔を覗かせたのは事の張本人だと思われる景であった。

 だがその優の蒼白で、今にも口から魂が昇天して行きそうな生気を感じさせない表情に、うっと呻くと、一歩足を引いて言葉を濁す。

 そんな景の登場に、優は決壊したダムのような勢いで目から涙を溢れさせると。縋るような足取りで景へと手を伸ばし。



「み……、深山しゃん? しぇ、説明とか……、ひっく。ありまずよね?」



 優の容態があまりに予想外だったのか、景は若干気後れしながらも「あ、ああ」と頷き。



「まぁ、簡潔に説明させてもらうとだね。ずばり、君の性別を反転させてもらったのさ」



 僕の神技でね、と得意げに続けた景だが。優はそれを聞き、更に涙を溢れさせる。



「にゃ、にゃんでそんな事するんですかぁ。女っぽいの……、コンプレックスだって言ったじゃないですかぁ」


「い、いやね。必要な事なんだよ。護衛の件も含めてそこの所を詳しく説明したいんだが、いいかな?」



 嗚咽を漏らしながらも「ふぁい」と頷いた優に心苦しくも微笑を向けて景は続ける。



「最初に君に伝えたね。君に頼みたいのは護衛だ。ただしそれは僕じゃない……、と」



 景は部屋内に備え付けられていた小さめの机まで歩いて行き、そこから優に手招きをする。

 何とか嗚咽を治めた優も、目元を制服の袖で拭いながら景の傍まで寄り。



「君に護衛してもらいたいのはね、この子なんだ」



 景は右手に持って居た封筒から、一枚の履歴書を取りだし机の上に乗せた。 

 優はそれを掴み、僅かに潤んだ瞳でそれを眺める。

 そうしてそこに記載された、顔写真から名前、年齢、出身、学歴、特技などなどを一通り眺め終えると。



「この子って……、深山さんの娘さんですか?」



 景は頷き、封筒に再度手を伸ばす。すると次に中から取りだしたのは、手帳サイズのなにかであった。それを優に手渡す。

 優は一度履歴書を机に置き、今度はその手帳サイズの何かを受け取ると表紙に目を向ける。

 白をベースにした表紙には女性の横顔と思わしき紋章が金箔で描かれており、その下に見える文字も同じく金箔で『ビフレスト学園在学証明証』と刻まれている。

 パラパラと中を流し見、優が背表紙を見ようとそれを裏返すと。


 ビフレスト学園 ミルズ支部 第一階級 B-26――、夕凪優(ゆうなぎゆう)

 そう、学園の押し印と共に刻まれていた。


「これって……」


 訝しげに首を傾げ、優は説明を求め景へと視線を向けた。

 夕凪 優。

 名は優と全く同一のものだが。



「ビフレスト学園。この学園の概要は別段特に何も話さなくても大丈夫だよね?」



 優は頷き、先を促した。


 ――ビフレスト学園。その名はあまりにも有名だ。別名、神の御使い養成所という。


 神力を授かった若者は、アスガルズの管理の下一度その力の扱い方をきちんと学ぶ事を義務付けられている。

 どこに住んでいようが、海外に住居を置いて居ようが神力所有が発覚すれば強制的に養成所に送られる事になっているのだ。

 個人の意思は関係なく、まるでそれが名誉だと言わんばかりに。


 実際、そうやって養成所に連行される者の九割がそう認識しており、特に否定的な言葉は上がらず、問題にはなっては居ない。

 だが、残りの一割、自らの否定的な意思とは関係なく強制的に養成所送りにされた者たち。

 彼らは揃って養成所の事をこう呼ぶ――監獄、と。



「色々と有名だからね……、あの学園は。それでなんだが。履歴書を見てもらった通り、実は僕の一人娘が今ビフレストに通っていてね。と、言ってもすでに連れて行かれて5年も経過しているんだけど」



 苦笑を浮かべる景の表情に、僅かな寂しさの色が見え隠れする。

 養成所は全寮制であり、年に二度ある長期休暇の間のみしか生徒はサクラノ宮から出る事を許されていない。

 大切な我が子と年に二度しか会えない、その寂しさは親にしか判らないのだろうが。

 大半の親はそれに耐え切れずにサクラノ宮に移り住むことが多いと聞く。

 だが多忙な景ではそう簡単にという訳にも行かないのだろう。



「これでも娘の事は妻と共に溺愛していてね。優秀な子だから、学園の方では上手くやってるみたいだけど。やっぱり僕たちとしては不安なものでね」


「それで、自分に護衛を任せたいと……?」



 苦笑を零し、景は「いや」と首を横に振り。



「まぁそういう話も一度はあったよ。でもね、実際5年間あの子は何事も無く一人でやって来たんだよ。なのに今更君をそれだけの理由で護衛役として付けた所で、それは些か過保護すぎるという話だ。あの子はもう僕たちが守ってあげなくても、日常の範囲でなら自分一人でやっていける強さを持っている」



 なら、どうして自分を? と当然のように疑問を浮かべた優に。



「だけどね、どうもそうは言って居られなくなった。今のあの子の日常の範囲を超えた所で、あの子に危険が迫っているかもしれない」


「かもしれない?」


「うん。実は確証の持てる話じゃないんだけどね。とある筋から耳に入れた話で、どうも僕を狙っている一味が近々娘の誘拐を企てているみたいでね」



 なるほど。景の神力を狙っての犯行の計画か。

 確かに、反転の力があれば大体の不可能、と呼ばれる事柄を可能にまでしてしまえる。

 だがだからと言って景本人を拘束し手元に置いた所で、景がそう易々と思い通りに力を振るうとは思えない。

 それ以前に、反転の力を持つ景を捕える事自体が不可能に近いのだ。


 なら、一体どうすればいいのか。

 馬鹿でも思いつく、景自らの意思で力を振るわせればいい。

 例えばそう、景にとって世界中の人間を敵に回してでも守りたい者の命と、天秤に掛けてしまえば……さてどうだろう。



「この5年間あの子はサクラノ宮──いやアスガルズの総本部、という抑止力によってその身を守られてきた。監獄の中で犯罪を犯す馬鹿なんていない。いたとしてもそんな奴は鼻から脅威にもならないしね。だから今の今まで僕たちは楽観視していたんだ」



 でも……、と景は重い表情で続け。



「どうもそうは言っていられない状況になった。そのとある筋、とは結構長い付き合いでね。いつも確証の持てない情報を持ってくる割には、ほぼ確実に的中する。だから今回もほぼ確実に事が起こると見ていい」



 景はそこで一度区切り、まるで不安を表すかのように少し長めに嘆息を吐き。



「すでにアスガルズの方には娘の警護を申請してはいる。けど、そもそもが確証のない話だ。大々的に動いてくれそうも無い。だから君を頼ったんだ。動きを制限されない生身の人間かつ、襲撃が来ても跳ね除けるほどの腕を持ち、なにより娘と同年代の君にね」


「……それで、僕の性別を反転させたんですか?」


「コンプレックスと言うのは重々承知だったよ。現に君を傷つけてしまったみたいだしね。でも護衛をしてもらうに当たって同じ性別に越した事は無い。四六時中一緒に生活していてもただ仲のいい友人で済ませられるだろう? それに――」



 景は笑顔を浮かべ、まるで絶対の信頼でも示すかのように優の両肩に自信の両手をポンと乗せると。



「同性であったなら、万が一娘に好意を持ったとしても、貫く矛も無いだろう?」



 笑顔の中に隠れる父としての狂気を目の当たりにした優は、その気に中てられ危うく素直に頷いてしまいそうになる。

 だが、それでもここは権藤 優、男としては譲れない、と。



「で、でででも。やっぱり、女の子として生活するのは少し、いやかなりの無理が――」


「大丈夫。男の僕から見ても今の君は、正直見惚れるレベルの容姿を持っている。男性の時にもすでに感じてはいた事だが……、まさかそこから性別を反転させただけでここまで化けるとは……。いやいや、本当に予想外だったよ」



 いや、そんな事は判っている、と。

 先程自らを鏡を通し眺めた瞬間を思い出し、激しく自己嫌悪を覚える優だが今の問題はそこではなく。



「ち、ちがくて! もっと根本的に不味い事があるでしょうっ!?」


「ほう、それは例えば?」


「だ、だからぁ……!」



 羞恥に頬を染め、優は自らが感じている最大の問題点を口にすることを決意する。

 今否定しなければ、このままずるずると事が進み取り返しがつかない事になる。

 男として、最大の問題点が今実際に自らの体を襲っているのだから。

 景の視線から逃げるように俯き、優は内股をもじもじと擦り合わせる。

 そろそろ、限界である。意を決して、優は口を開いた。



「ト、トイレとか……、どうすればいいんですか」



 まるで完熟リンゴのように赤く実った優に、景は何を言ってるんだこいつ? とでも言いたげな表情で首を傾げ。



「ん? ああ、この部屋にも備わってるよ。待っているから行ってくると良い」


「そ、そそそそそれが出来ないからこうして恥も忍んで聞いているんです!」


「何でだい、普通に行って来ればいいだろう」


「普通ってなんですか!? 僕は男ですよ? なのにそんな、まずいでしょう色々と」



 誰が聞いても問題視するだろう筈の事柄に、だがこの深山景は。



「何でだい? 役得じゃないか。誰も咎める者なんていないよ」



 「自分の体なんだからね」とさも当然と言わんばかりに笑顔で言って見せた景に、優は拳を強く握りしめ悟ってしまった。

 ああ、この人、どこか正樹に似ているんだな、と。

 つまり経験上、おそらくもう何を言っても無駄なのだろう。

 一度そうと決めた事は絶対揺るがせないのが正樹だ。

 長年その正樹に連れ添って来た優が景にそれを感じたのだから、口約を済ませた時点で全てが遅かったんだと、優は自らの早計さを呪い。



 ──数分後。



「もう……、お婿に行けない」



 渋々と重い足取りで用を足し戻って来た優に、景は愉快気に微笑みを浮かべ。



「それじゃあ事が治まるまで間、娘の護衛を頼んだよ。今君が持っているその、ビフレストの生徒手帳が仮の学生証でね。すでに君の席は性を偽った夕凪 優として用意してあるから、すぐにでも出向いてもらって構わないよ」



 さらりと言われたとんでもない事実に、優は鬱気な表情を消し、俯けていた頭を上げた。



(すでに用意してあるって……)



 それでは最初から、自分が依頼を受けるのが判っていたみたいではないか――。

 と、その時頭の中に電撃が走ったように思考が──してやったり顔の正樹の憎たらしい笑みが脳裏に忌々しくも浮かんだ。



(あの野郎、最初から全部判っていながら依頼の話を受けやがったな……!)



 偽の戸籍を用意するにもリスクと手間、そして何より時間がかかる筈だ。

 それも、あのビフレストに生徒として在籍させていると言うのだから、かなり前からこの依頼のための準備が周到に重ねられていた筈なのだ。 

 思えば、と優は一年前進路を正樹に唐突に尋ねられた時の事を思い出す。

 高校へは行かずに、E.H.としての任に集中したいと言った時も、どこか反応が良かった。

 普段は優がE.H.の任に深く関わるのを良しとしない正樹は、その時だけはどこか安堵したように「そうか」と頷いたのだ。


 あの時は優もその態度に違和感こそ感じた物の、あまり深くは考えなかったが、思えばあの時からすでに景からこの話が来ていたのではないか。

 護衛として優にビフレストに通わせるため、優が進学を選ばなかったのを都合が良いと頷いたのではないか。


 そう考えると、ちょうど一年前から正樹が急に優に家事全般を押し付けてきたり。そんなんじゃ男にモテない――とのニュアンスの言葉を数多く投げて来たのもそれを裏付ける要素となる気がする。



(つまり……、僕は一年の間、正樹と深山さんの掌の上で踊らされていた、と)



 花嫁修業、とはいかないが。

 女の子として最低限違和感が無くなるように、優に前々からスキルを磨かせていたのだろう。

 全ては、これからの日の為に。



(あのクソ親父……!)


 

 次に会った時覚えて居ろよと、米神を震わせながらも笑顔を浮かべた優に、景は悪寒を感じ一歩足を引いた。



「ま、まぁ。あまり気を負わずに学園生活を楽しむつもりでやってくれて構わないよ。あとの詳しい夕凪 優としての経歴、その他今回にあたって必要になるだろう情報はこの封筒の中に全て同封してあるから。悪いけど、この後僕も予定があってね。すぐに出なくちゃならないから、これ以上の細かな説明は出来ないんだけど」



 景が差し出してきた封筒を受け取り、その際優はぼそっと「気を負わずに……?」と一瞬目を据わらせたが、すぐにまた笑顔を浮かべ。



「構いません。後はこちらで資料を拝見しますから。あ、あと。お時間無い所申し訳ありませんが、一つ頼みたい事が」


「な、なんだい? こちらで出来る限りの範囲でなら何でも聞くよ」



 優の只ならぬ気配に先ほどから怯えを感じている景は、優の機嫌を伺うかのように返事一つで耳を傾け。



「いや、大したことじゃないんですけど――」



 その予想外であり、また見事に自らの笑いのツボを押さえたお願いに、景は快く頷き。



「了承したよ、次に会った時には必ず。それじゃあ、後の事は全て節子さんに任せてあるから。娘の事をよろしく頼んだよ」



 ――その後、景は慌しく部屋を飛び出していき。


 暫く待った後部屋を訪れた節子に色々とお世話になり。

 そうして一週間後の今日、ビフレスト学園入学式、その前日に至るのであった。



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