3.始まりの日-3
*
『権藤 優様ですね。少々お待ちください』
目的地にジャストと言う時間、ギリギリなのかアウトなのか……それでも何とか到着を果たした優は、まるでピンポンダッシュでも試みる少年のような勢いでインターホンへと駆け込み押し込み、そうして自己紹介と要件を伝えるとその場でヘロヘロと膝を折り崩れ落ちた。
「ま、間に合った……」
全力疾走からの電車へと駆け込み、降りてから再度の全力疾走……と思ったが間に合いそうな気配は微塵も無かったのでタクシーで、という結論に至り必死に探したがこういう時に限って全車エスコート役でドライブへと出かけていて。仕方なく優は最終手段と称しヒッチハイクに挑んだ訳だが。
結果捕まえたエスコート役は見るからに痛々しいファッションの男二人組であった。
道中、笑顔でこの目的地近辺まで運んで貰ったまでは良かったものの、どうも優の事を最初から女性として見ていたらしい。優が男ですと言い張るのを頑なに頷こうとせずに、ついには──。
「もう、お婿に行けない……」
がっくりと肩を落とし身震いをする優。こういったことは今回が初めてではなく、割とあることなのがまた何とも自己嫌悪に陥ってしまいそうになるが。
「何もなかった……、何もなかったんだ。忘れるんだ権藤 優」
頭を左右に振り、雑念を払うと優は立ち上がる。これから組織の一員としてクライアントと会うのだ、情けない姿は見せる訳にはいかない。
そう気合を入れ直しつつ、何気なく目的地であったインターホンの先を見つめると。
「でか……」
まず目についたのは、高さ5メートルはあるだろう洋風の白いコンクリートの塀に囲まれた、その頭上から見える豪邸の最上部の部分。
どこの城だよ、ここはジャパンだぞ? 日の丸の国だぞ?
と突っ込まずにはいられない程の規模のお城の先端が、塀を超えた先で堂々と優を見下ろしている。
それにあの城の先からこの門までかなりの距離があるように見えるのだが。
何坪あるんだよ、と現実味のなさに優が呆れて苦笑を浮かべていると。
目の前の黒鉄で固められた扉が、ギギっと音を立て開いていく。
ぽかーんと呆然とその光景を見つめていると開いた門の手前、何故か白馬に乗った和装メイドが現れた。
メイドは白馬から降りると、両手を前に重ね優へと丁重に一礼し。
「権藤 優様ですね。ご党首様から話は伺っております」
「あ、はい。どうもです」
「では早速の所申し訳ありませんが、玄関までは少々距離がありますので……、こちらでの移動となりますが構いませんでしょうか?」
「へ……? こちらって……、だってあの、これ、馬ですよね」
「馬です」
そこで即答されても、とあまりの突拍子のなさに返す言葉も浮かばず。
「それでは、あまり長時間門を開いているのもあれですので、後ろの方に」
「は、はい……」
渋々と優は深く考える事をやめにした。
世の中には知らない方がいいと言う事もある。
と、いうより説明されてもこの馬は到底理解できないだろうと、馬に跨った和装メイドのすぐ後ろに優は飛び乗った。
「あら、運動神経が良くていらっしゃるのですね」
「え、まぁ、はい」
「てっきり、跨る所か手も届かずに、ジタバタと駄々を捏ねる子供の用に縋って助けを乞われると思われたのですが」
口悪いなこのメイド……と、心の中でだけ悪態を吐き。
苦笑を浮かべて「そ、そうですか……」とだけ優は返した。
「それでは、振り落とされないよう両手でしっかりと掴まっていてくださいね」
「あ、はい。……って、え?」
「お客様を落馬させて怪我でもさせたら私の首が飛びますので、どうか」
「や、でもいいんですか?」
僕は男――、と続けようとした優に、メイドは首を傾げ。
「女性同士で何を言ってるんですか。良いから早く抱き付くなりしてください」
言った直後、メイドは手綱を引き馬の方向転換を行う。揺れに反射的に優はメイドの腰へと両腕を回し。
「それでは3分ほどで着きますので、それまでは大人しくしていて下さいね」
「え、ちょっとま――」
心の準備が整っていない優を置き、馬は風を切り疾走を始めた。
*
「お疲れ様です権藤様」
馬から降り、優を待ち玄関前で待機していた他のメイドへと手綱を任せた毒舌なメイドは、心底疲れ果て肩で息をする優へと労いの言葉を投げた。
「あの……、一つお聞きになっても良いでしょうか?」
荒く息を零しながらも、優は毒舌メイドへとこれだけは聞いて置かねばと、道中頭の中を占めていた疑問をぶつようと前置きを投げる。
「駄目です」
が、それは打ち返され優の頭上を易々と越えていく。
「ご党首様がお待ちです。お部屋に着くまでの間でお答えできる範囲でならお答えします。お約束の時間はすでに過ぎていますので。多忙な御方なのにわざわざ一般市民――、権藤様如きの為にお時間を割いていらっしゃるのですから、もう少しご自分の立場を自覚してくださいね」
「……はいぃ」
このメイドさん、言葉の端々に一々棘がある。
一生敵う気がしないタイプだ、と。
どこか止めを刺された気分で優は先導する毒舌メイドの後に続き玄関を跨いだ。
(ナンデスカコレ)
その先は、まさに別世界だった。
舞踏会でも開催できそうな程の広さがあるかと思えば、壁一面が宝石を散りばめられたかのように白銀にキラキラと輝いていて。
一体どんな材質を使っているのだろうか。というかここ玄関ですよね?と口に出して現実を否定したい気持ちに優はあんぐりと口を開けたまま呆けており。
「それで、権藤様は私に何か聞きたい事があったのでは?」
「え? あ、はい」
まるで博物館でも見学しているような物珍しさがある豪邸内に心奪われ、忘れていた道中での疑問を優は口にする。
「や、そのですね。お客様が来た時はいつもああやってお馬でお迎えに上がるのかなーと、ただそれだけのことなんですが……」
やっぱり企画外れの金持ちにでもなると、送り迎えに乗馬など普通なのだろうか、と。
無知な自分を若干恥じて聞きたかった事なのだが。
毒舌メイドは何を言うかと思えば、とでも言わんばかりに優を鼻で笑いつけ。
「そんな訳ないでしょう。それではお客様に失礼にも程があるじゃないですか」
「おい」
「今回はちょうどあの子の散歩の時間だったのと、権藤様が徒歩で来るなどいう貧民丸出しな――、こほん。実に健康的な方法でのお越しだったので」
「おい、おい」
つまり、この毒舌メイドはどうやら優の事をお客様とは認識していないらしい。
あったまにくるな~!と、その背をキッと優は睨み付ける。
その様子に、顔半分振り返った毒舌メイドは再度鼻で優を笑いとばし。
「本来、ご党首様にお目通りする方々は必ず自家用車でのお越しなんですよ、どこかの貧民様とは違って。ですから遠隔から正門を開けるだけで事足りるんです、どこかの貧民様とは違って。なのに権藤様は……ハッ。失礼、実にアウストラロピテスク的な原始的で健康な方法でのお越しでしたので、少々可哀そうになり散歩のついでにお迎えに上がりました」
歩かせないで迎えに行ってあげただけ有難く思え、と。
感謝こそせよ怒鳴れる立場ではないという事をグサグサと胸に突き刺さる言葉と共に優は重々認識させられ。
「産まれて来てごめんなさい」
「判ればいいんです」
金持ちって怖い。と、今回の事がトラウマになりそうな気持で。
メイドでこれなら依頼者であり此処のご党首であるお方はどれだけ厳格な御方なのだろうと。
まるで死地にでも赴くかのような気持ちで歩みを進めていると。
「着きました。ここでご党首様がお待ちです」
まるで死刑宣告を受けたかのように体を震わせる優の事はいざ知らず。毒舌メイドは扉を二度ノックし。
「旦那様。権藤 優様をお連れしました」
「通してくれ」
随分と若い男性の声が即答で返ってきた。
メイドはゆっくりとドアを開け、目で優に中に入るよう促する。
ガチガチに体が固まりながらも優は従って室内へと足を踏み入れる。
瞬間、視界一面に広がる景色は、最初に豪邸内へと足を踏み入れた時にこそ比べると内装自体にインパクトは無い。
目立った物は大型のソファーが二つに、その間に置かれたテーブルが一つのみ。
だが、その内一つのソファー。
扉へと対面に優へと体を向ける形で腰を掛けている男。
ピシッと着こなした茶色のスーツに、濃すぎず整えられた顎先の髭。笑顔を浮かべて歓迎しているかのように見えるが、まるで値踏みするかのように優の頭の天辺から爪先まで這い回る眼。
その男の存在感に優は息を呑み。
「それでは失礼いたします」
「ああ、案内ご苦労さま」
背後で扉の閉まる音に不安を募らせる優。
まるで拷問部屋にでも閉じ込められたような気持ちで棒立ちになっていると男はそんな優に優しくにっこりと微笑。
「緊張してるね。節子さんに何か吹き込まれでもしたのかな?」
「え、あ、せ、節子さん……?」
「君を案内させたメイドの事だよ。まぁ、立ち話もなんだ。腰を掛けてよ」
男はそう言い自らの正面に置かれた同種のソファーを右手で指す。
「し、失礼します」
ぎこちない足取りでソファーへと歩み、腰を掛ける優に男はその間も絶える事無く観察するような視線を送る。
そこには心なしか懐かしいものでも見ているかのような、どこか回顧な情も含まれておるように感じ。
優はその覚えのない情に若干の居心地の悪さを覚えるも、口にはできず。
「遠い所わざわざ呼び出してしまって申し訳なかったね。僕が今回君に依頼を申し込んだ深山景だよ」
「いえいえそんなそんな……」と、言葉を返す一方で、深山景……、との名を頭の中で優は木霊させ。
はて何処かで聞いたような名前だなーと引っ掛かりを覚える事数秒後。
「って、あの深山景さんですか!? 希少な男性神力使いの中でも、群を抜いた神技を持つ事から神の生まれ変わりと崇められてる、あの!?」
「そう面と向かって言われてしまうとむず痒いところだけど、うん。君が思っている深山景で間違いないはずだよ」
神技――神の御業。20年前、この地に舞い降りた女神が世界にばら撒いた奇跡の力、神力。その神力を極めし者だけが扱えるとされる──神の如き奇跡を起こす、超常現象の事を指す。
神力を極めし者。そうは言っても何を以て極めたと言えるのか、それは定かとされてはいないが。ただ神技は神力を授かった誰でもが扱える力ではないのだ。
当時十代の、それも女性にのみ、1万人に一人という確率で力の発現が確認されていた神力。更にその中から、ほんの一握りの人間にしか発現を許されなかった神技。
力の発現の条件は定かではなく、完全にアトランダム。だが、発現した力は何れも人間の器を超えた御業。神の力の片鱗。
故に神力を授かり、かつ神技を発現した者は神の御使いと呼ばれ。人々から畏怖と尊厳とを集め、人々の希望として世界を導いているのだ。
「……謙遜する事ないですよ。深山さんの神技《反転》は世界の抱えていた問題の約六割を解決したと伺っています。ご立派ですよ」
《神の御使い》と言う呼び方からも判るように、神力を授かる者は女性に多い。と、いう以前に最初は女性しか授かれなのではないか? と考えられていたくらいだった。
その中で、初の男性として神力を授かったのが当時18歳だった深山景とされている。
それも他の《神の御使い》とは比べ物にならない程の、並び立つものが居ないと言われるほどの、圧倒的な神技を発現させて。
──それが深山景の持つ神技《反転》。ありとあらゆる事象、物体を反転させる神に等しき力の一つである。
「僕自身が立派なんじゃなくて、この神技が立派、という声の方が実は多いのだけどね。今でも思うよ、僕以外がこの反転を授かればもっと良い方向に世界を導いてくれたんじゃないかとね」
目覚める神技を人は選べない。故に景を妬むものも多ければ、その逆も然り。
力自身に責任を感じ、重く受け止め過ぎる者もいる。口ぶりからするに、景もその内の一人なのだろう。
景が神技に目覚めてからというもの、数こそ少ないが景以外にも男性神力使いは現れ、その者達は揃って強力な神技を発現させてきた。
そうして植え付けられてきた認識──男性神力使いは神技に目覚めやすく、そしてまたその力も強大である。その認識のもと、希少とされる神力使いの中でも男性で神力を得た者は更に重宝されているのだが。
それでもやはり深山景の神技《反転》は別格であり、確認されている神技の中では最も強力とされている。
年々神技に目覚める者は増えてはいるものの、未だ尚その隣に並び立つものは確認されていない。そんな現人神な人物を前に優が驚き戸惑い、緊張と強張ってしまうのは当たり前の反応であり。
「そんな事ないですよ。仮に自分が反転の力を持っていたとしても、そんな世界を救うために毎日世界中を飛び回ろうとは思えませんし。深山さんだったからこそ、女神様は力を授けたんだと僕は思います」
固くなりながらも優の零した正直な本音。それに景は照れるでも、かと言ってこれ以上謙遜を返すでも無く、ただ無言で優を見つめ返した。
その反応のされ方に、優は戸惑いよりも疑問が先行し。
「えと、どうかされましたか?」
「あ、ああ……。いやね、あの体たらくな正樹の元で育って、どうやったらこんな淑女が育つのかと純粋に疑問に思ってね……。っと、お父さんの悪口はいけなかったかな?」
どこか正樹の事を深く知って居るような口ぶりに少しの興味は沸くが、正樹自身正体を明かしている辺り信用に値できる人物だと言う事はわかる。皮肉もまた信頼の証だろう。
そう捉えた優は深く関係を模索する事はせずに、日頃の鬱憤を込めた嘆息だけを零すと。
「むしろどんどん言ってやってください。僕も毎日それで悩まされてますから、それと僕は男です」
「おっと、そうだったね。いや失礼、危うく次には綺麗になったねと口にする所だったよ。っと、これも失礼だったか」
悪気はないのだろう景の失言に、優は「気にしてませんよ……」と苦笑こそ零すが。
「もう半分慣れっ子なので」
それでもやはり刺さってくるコンプレックスへの発泡に、どこか遠い目を浮かべた。
「本当にごめんね、僕とした事がデリカシーに欠けていたな」
と、景は少し考える素振りをしたかと思えば。
「そうだね、お詫びと言っちゃなんだけど、こう言うのはどうだい?」
今まさに思いついたように、くすりと笑みを浮かべて、
「もしも依頼を成功させた暁には――」
身を乗り出し、グイッと優へと顔を近づける景。そして、
「その君のコンプレックスを……、反転させる、というのは?」
まるで心を覗き見るかのように、優の瞳を捉えた。