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2.始まりの日-2



「うん、我ながら上出来」



 正午。つい先ほど朝食を終えたとばかり思っていれば、気付くと時計の針はすでに正午の針を刺し示していた。

 現金なことにそれに気づいてしまえば腹の虫もエサを求めて鳴き始めるものであり。

 現在優は腹の虫を慰めるべく、自ら作りあげた昼食を前に時間の流れの速さを痛感していた。



(やー、最近時間が経つのが早いなー。このままあんなオジサンの世話をして僕は人生終えるのかなーあはは)



 肩を落とし、項垂れる。

 鬱だ。激しく鬱である。


 思ってみれば、自分はなぜ高校で青春を謳歌するという道を取ずに、律儀に貴重な十代の時間を削ってまであんなむさいオジサンの世話をしているのだろうか。

 と、優は今更ながらの事に乾いた笑いを零し。



(や、中学を卒業したらE.H.の仕事に専念したいって言ったのは僕だけどさ……、この現状は何か違うよな)



 中学卒業からすでに1年。

 新高校生なら来週から初登校、新しい生活にこれからの期待で夢を膨らませている時期だろう。


 対して優は、この一年専業主婦みたいな事を、いや実際家事に専念しているのだからそうなのだろうが。


 一年前、権藤家の家事全般をお世話してくれていた万能家政婦様がこの土地を去った後、優は正樹に家事全般を文字通り全て押し付けられた。

 あれから一年、否が応にも家事スキルは上達し、今ではどこにお嫁に出しても恥かしくないまでの実力を有するまでになった優ではあるのだが。



(男らしくない、限りなく男らしくない)



 人生の選択ミスったかなーとか、正樹の前では決して吐けない愚痴を漏らしながらも、一人分にしては作りすぎた特製クリームソースのパスタを皿に盛り付ける優。



「クリームソースだけにお先真っ白だね♪」



 激しく鬱だ。と、自分で言って置いて肩を落としている優に、訪問を知らせるベルが鳴る。


 こんな時間にお客が来るのは珍しい。この一年で通しても2、3度セールスか正樹の頼んだ如何わしい何かが宅配物で届くのみだったのだ。



「はいはいー今いきますよっと」



 リビングを離れ、玄関へと向かう。

 まぁおそらく前者、セールスだろうと優は適当な外靴を履き、ドアノブを捻ると。



「どちら様――」


「ちわわん、元気にしてたか優~ちゃん」



 するとそこには、セールスにしては気さくで、スレンダーな体系をしたショートヘアーのとんでも美人さん――改め、



「ユウナさんっ!?」



 餅月ユウナ、優の良く見知った顔が笑顔を振りまきそこにいた。



「何でこんな時間に起きてるんですか!?」


「って、驚くのはそこなんだ。せっかくお姉さんが遊びに来てあげたと言うのに――、ん? この匂いは」


「へ?」



 唐突にそんな事を呟くと、唖然とし固まっていた優の横を通り、軽いステップで宅内へと不法侵入を果たすユウナ。

 突然の事態に優は若干反応が遅れながらもドアを閉じ。



「ちょ、待って下さいって!」



 一直線にリビングへと向かうユウナに、優は速足で後を追う。



「おっ、綺麗に片付いてるね。そんなことより~」



 リビングへと侵入した途端、鼻歌交じりにそう呟き一直線に台所へと向かうユウナ。



「あ、やっぱり~! 優ちゃん特製クリームソースのパスタだっ! 私これ大好きなの~!」

 


 盛り付け途中のパスタを前に、両手を握りしめ腰をくねらせるユウナに遅れて、優もリビングへと戻ると。



「一体全体、急にどうしたんですか? こんな早い時間に。いつもならまだ寝てる時間じゃないですか」


「そんな事より、私の分、ないの?」



 優の問いには少しの気も向けずに舌を舐めずりパスタへと指を指すユウナに、優はやれやれと嘆息を零し。



「もう……。ちょうど作りすぎたと思ってたんです、今盛り付けますので椅子に座って待っていてください」



「さっすが優ちゃん、いいお嫁さんになるわね! 私が貰いたいくらい」


「僕は男です」



 少し拗ねたように言った優は台所へと向かう。

 お皿を一つ取り出すと先に盛り付け最中だった方を盛り付けてしまい、新しく出した皿にもパスタを盛り付けていく。

 ちょうど二人前……、まるで女神様にユウナが来るのを見越して作らされた気がする、と。どこか複雑な気持ちになりながらもユウナが待つ机へとパスタの入った皿を運び。



「今日は一人で食べるつもりでしたので、色が無いですけど――」


「ね、ね、食べていい? 食べちゃうよ!?」



 急遽振る舞う事になった手料理の、準備をしていなかった為に欠けた見栄えを言い訳しようと発した言葉を、ユウナは待ちきれんとばかりに遮って目を輝かせる。

 味が大切なのはわかるが、やはり見栄えにも力を入れて料理人としての満足感を得ている優としては、少々複雑な気分であり。

 それでもここまで飛びついて食って掛かられるのは、それだけ味を認められているようで嬉しいのも確かなのだが……。


 ──実はこのユウナ、正樹と同じく重度の味覚音痴なのだ。



「今フォークを持ってくるので少し待っていてください。ユウナさんはスプーンいりませんよね?」


「何それ。私に下品って言いたいの?」


「そ、そういう訳では。本場イタリアではスプーンは使わないですし」


「あら、じゃあ優ちゃんは私に本場イタリアンなマナーを熟知しているお上品な女って言いたかった訳ね。もう、可愛い! なでなでしてあげるからこっち来なさい?」


「ご遠慮します」



 苦笑しながら否定し、優はフォークを二本持って机へと戻ったのであった。



 *



「ご馳走様。あ~おいしかった」


「お粗末さまでした」



 物の数分で二人はパスタを食べ終え、優は席を立つと食べ終えた食器を二人分回収する。



「ん? 洗い物くらい私がするのに」


「エ、ご冗談――、じゃなくて。ユウナさんはお客様なので、そんな事させる訳には行きませんって」



 また割られでもしたら堪らないしな、と心の中で付け加え。

 優は台所に食器を運ぶとそのまま洗い始める。



「もう、本当に気が利くわね優ちゃん。あんな無彩オッサンの世話なんてしてないで、私の家でメイドでもしない?」


「せめて執事として雇って下さい」



 それに実は正樹と違い無職なユウナの生活態度は、非常に悪かったりする。

 先程優がユウナに驚いたのはそれ。

 普段は夕方まで寝ているのが普通な物だから、優はそれで自分の目を疑ったのだ。

 正樹を女にして職を失わせたらちょうど瓜二つ……、や、容姿だけは天地の差か。

 と、優はチラリと背後に振り返り。



(う……)



 その際どい姿をまじまじと目に入れてしまう。

 細身な体なのに出る所は出ていて、本人はファッションには気を使っていないと言ってはいるが、そこら辺の安物ジーンズとTシャツを着ているだけでもその飛び抜けた容姿から一流のファッションモデルが着こなすようなコーデに見えてしまう。


 何より、Tシャツからはち切れんばかりのバストが、お年頃の優には非常に目の毒であった。



「なーに、優ちゃん。そんなにジロジロこっち見て」


「わ、す、すいません!」



 視線に気づかれた優は、慌てて目を逸らして洗い作業へと戻るが。



(何を考えてるんだ僕は! 煩悩退散……、煩悩退散……!)



 邪念を振り払うが如くゴシゴシと一心不乱に食器を擦る優。

 その背後で、悪戯を思い付いた子供の用に口元を吊り上げ、ゆっくりと席を立つユウナ。


 音を忍ばせ優のすぐ背後まで接近すると、嘆息を吐きつつ冷静に努めようとしていた優の背筋に不意に右人差し指を伸ばし、ツツ……とゆっくりと撫で上げた。 



「ひぅっ!」


「やん♪ なにその悲鳴~! か~わい~!」



 体の力を抜いた所で不意に襲ったこそばゆい感覚に耐えられず、反射的に爪先をぴんと伸ばし弓形にしなる優。

 男にしては見事に括れた腰が強調され、ユウナはそこに両腕で悪戯っぽく抱き付いた。



「ちょ、ゆ、ユウナさん!? な、何を……!」


「なーに照れてるのよ~! 昔は一緒にお風呂とか入ってたでしょうに~?」


「そ、それは10年も前の事でしょうっ!? それに一緒に入ったのは一度だけ――」



 濡れた手を使えずに、必死に口論でユウナを引かせようと矢継ぎ早に口を開く優の耳元に、ユウナはゆっくりと口を寄せ。

 そうして、まるで舐るように、熱い吐息交じりに口を開いた。



「それじゃあ……、今から一緒に入っちゃう?」


「ふぇ……?」


「パスタのお礼に……、大人への階段登っちゃう?」



 ユウナの言葉を理解するのに数秒。

 優の思考と体が停止し、やがて処理能力を超えた体中が上気し、湯気が立ち上がった。

 それを見たユウナは腹を抱えると笑いながら床を転げまわり。



「もうっ、おっかしい~! 優ちゃん見た目凄く女の子してるのにさぁ、ちゃんと中身は男の子してるんだもん~!」



 弄ばれた! と理解し今度は羞恥に頬を染める優へと、これでもかと笑い転げるユウナに、優はぷいっとそっぽを向き。



「もう絶対ユウナさんには手料理は振る舞いませんから」


「ちょ、ちょっとちょっと! ほんのちょっとした遊び心だって~! というか、脹れてる優ちゃんも可愛いぃ~!」



 床に両肘を立て、両手に頭を乗せたユウナはニコニコと笑顔を浮かべて優の反応を楽しんでいる。 

 一々反応をしたらユウナの思う壺だ、と優は何とか歯を食い縛り反論の言葉を呑み込み。



「そ、そそそそう言えば。何でユウナさんはこんな時間に我が家に?」


「ん~? だって、今夜は集まりがあるでしょ? なら早めに来て夜まで寝て待ってようと思ったのん」


「集まり? って、E.H.のですか?」


「そうだよ。あれ? オッサンに聞いてなかった?」


「あの野郎……!」



 何でいつも肝心な事を遅れ遅れで伝えるんだ! と今のやるせない感情を全て怒りとして正樹へと矛先を向ける。……その遠方で、ぞくりと悪寒からか体を震わせた正樹が居たとかいないとか。

 兎にも角にも、集まりがあるとなれば色々と準備が必要になるのだ。主に優は、だが。

 というのもだ、組織はアジト、本拠地、そんな太祖れた物は存在せず。代わりに定期的に権藤家に集まる事になっているのだ。

 正樹曰く、そんな格好つけてアジトとか気取ってるより、アットホームに家に集まった方がカモフラージュになる、との事らしいが。

 毎度のことだ、メンバーが帰った後のリビング内は、まるでリビング内を台風が襲ったかのように原形をとどめて残さない。

 つまりそれなりに前準備をしておかなければ、貴重品その他もろもろが塵と化す、と言うこと。

 洗浄を終え、両手の水分を備え付けのタオルで乱暴に拭き取ると優は慌しくリビング内を駆け回る。



「優ちゃん? 何やってんの?」


「物を廊下に出して置くんです! せっかく買ったばかりの戸棚をまた分解して擦り削って爪楊枝にでもされたら堪ったモノじゃないですから」


「またまた~、大袈裟だって優ちゃん」



 大袈裟なものか。アルコールを入れたこの人はもはや怪獣だ。ネジと言うネジを見つけては愛でる様に全て引き抜き、木材は全てを爪楊枝に変えてしまうなどと言う訳の判らなさ。

 おかげで権藤家の倉庫には爪楊枝だけですでに十数年分の貯蔵はある。



「自分の胸に手を当てて良く罪を思い出してから発言してください。それとも今日はお酒は無しにしますか?」


「それは私に死ねと言っているの?」


「なら、ユウナさんも運び出すの手伝って下さい。僕もこの後用事が――」



 と、そこで優はハッと思い出す。

 午後三時からの待ち合わせ、正樹に今朝になって事付けらていた事をだ。



(今何時――)



 リビングに一つだけ掛けられている電波時計。狂いはなく正確な、現在十三時三〇分を示す無慈悲な二本の針。



「あれ? そんなに重かったの? 汗ダラダラ垂らしちゃって。お姉さんも手伝おう――」


「すいませんユウナさんっ! 出来るだけここにある物全てを廊下に出して置いてください! 僕少し出てきますので!」



 優が今朝書き渡された地図を見るに、今優が居る右京区から指定された地である井魂市までは結構な距離がある。

 当初の予定では昼食を食べてしまったら、すぐにでも家を出るつもりだったのだが。



「ちょっと、優ちゃ――」



 まるで今朝の正樹の再現のように、優は呼び止める暇もなく慌ただしく家を飛び出して行ったのだった。


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