26.新たなる非凡な僕私-16
*
「はぁ……」
羽衣とロビーにて別れた後。まっすぐに自らの部屋の目前まで戻ってきた優であったが、そこから一歩も動く事が出来ずにいた。
大きく息を吸い込んだかと思えば、そのまままたすぐに吐き出し。やはりそこから動こうとはしない。
(相部屋って、今更そんなこといわれてもさ……)
いわく、新入生は基本一つ上の学年の先輩にあたる生徒と、一年間共に部屋で過ごさなければならないらしい。
更にこれは事前に知らされるものではなく、入学式当日の夕食後、一人部屋だと思い込んで部屋でくつろいでいる新入生に二階級の生徒が突如として抜き打ちで押しかけ、プライベートでも気を引き締めろと注意を促すことで完成する毎年の恒例行事らしく。
(迷惑すぎる、訓練だか何だか知らないけど、誰だよこんな嬉しくもないサプライズ行事を思いついた奴は……)
これも訓練の一環、ということで先ほど羽衣から説明を受けた優であったが、精神的にいまだ不安定である優としては大変迷惑極まりない話であり。
(さすがに色々とまずすぎるって。部屋の中までとなると、ずっとぼろを出さずに女を演じきれる自信がない……。というか、そもそも部屋の中でくらい気を休めないとこの先絶対にもたない)
ただでさえ年頃の女の子の格好をして外を出歩くというだけで優の精神はがりがりと削られているのだ。
そこに来て唯一気を休められると思っていたプライベート空間である自室が奪われるとなると、これから生活していくうえで常に不安定な精神状況で挑むこととなるのは明白。
(だからといって学園側に頼み込んで一人部屋にしてもらうってのも……現実的じゃない。いっそある程度まで同居人の子に事情を説明して協力してもらうってのも……何ていえばいいんだ。実は僕男なんですって……だめだ、間違いなく危ない性癖の人と疑われる)
どうしようもない、変えられようがない現実に、優の心が栓を抜いた風船の如く急速にしぼんでいく。
おそらく、今この目の前の扉の奥で、すでに同居人の生徒が首を長くして優を待っているはずなのである。
本来であれば部屋でくつろぎ警戒を緩めている優に対し抜き打ちで押しかける予定であった所を、たまたま外に出ていたことで避けられたのは不幸中の幸いではあるが。
(もう腹を括るしかないか。任務の一環だと思って……夕凪 優を貫き通すしか……。くそう、こんなに精神的につらい依頼なんて思いもしなかった……。景さん、絶対に来世まで恨みますからね)
がっくりと肩を落とし、優は深く嘆息を吐いた。
とにかく残された最善の選択肢は、どのような人物なのかを確認し、そのあと徐々に気を休める隙を見つけていくこと。
(覚悟を決めて……よし、いくぞ)
胸の内で意を決して、ついに優は息を大きく吸いこむと。そのまま息を止めたまま満面の作り笑顔を顔面に貼り付け、伸ばした手でドアノブを握りしめ……いざ参らんと扉を開い──、
「──あ、お帰りなさいませ優様。お風呂にします? 私にします? それともワ・タ・シ?」
──た所で、優はビデオの逆再生のように踏み出した右足を戻し、そしてパタリとドアを閉じた。ついでにドアノブを握り締めたまま固定するのを忘れずに。
『ちょ、ちょっと優さま!? 優さまひどいです! ここを開けて下さい! あ~っけ~って~っ!』
頭痛を覚える。それもしっかりと痛みを伴って。
幻視……何て現実逃避はしないが、何故彼女がここに居るのか、それも裸にバスタオル一つというあられもない姿でだ。
それ以前にここ……、本当に僕の部屋だよね。と、優はドア越しにギャーギャー吼える声を他所にもう一度ドアに掛けられたプレートに目を通すが。
部屋を間違えた、何てオチもなく。間違いなく昨日一日とはいえ自らが過ごした自室であることは確かであった。
どうやら今しがた目にした彼女が優の同居人であるらしいことは間違いないようなのだが。
「あー、えっと。とりあえず言いたいことはたくさんあるけど。とにかくまずは服を着て、お願いだから」
『あれれ? 照れてるんですか? やーんもう優様のえっち~。何度も一緒にお風呂に入った仲じゃないですか』
「そんな事実はありません。お願いだから、まずは服を着て」
『別に恥ずかしがらなくても良いじゃないですか~』と言いつつ、どうやらバスルームにでも戻ったのだろう足音を聞き取る。
やれやれとまた一つ嘆息を吐き。とにかく妙に頭が冷えてしまった優は、何事もなかったかのように扉を開き部屋の中へと足を踏み入れた。
そうして視界に広がるのは、なんの間違えか一夜の夢と消えて欲しかったと願わずにはいられない──昨日の内に吹っ切っていたと思っていた桃色一色の部屋であり。
(あいっ変わらず目に痛い光景だな……)
兎に角と、今直前に見た現実は余所に置き、優は履いていた靴も被っていた猫も放り投げ、部屋に備え付けられている特大のベッドへと飛び込んだ。
「あー、ふかふかだ~。羽毛だ~。や~す~ら~ぐ~」
あまりの気持ちよさに学園登校初日で溜まった、主に精神的な疲れからどっと眠気が押し寄せてくる来る中で、優はその誘惑を何とか振り払い。
「よっと……」
上半身を起こし、改めて部屋の中を見渡した。
広さは十二畳あるかないかだろうか。大の大人が4人は寝れるだろう今優が腰をかけているロイヤルなベッド一つに、アンティークな化粧台一つ。後は木製のラウンドテーブルが一つに腰をかけられる椅子が二つ。大き目のクローゼットも備わっており、後はバスルームとトイレがそれぞれ一つずつ。
それだけ言えば古き良き貴族の部屋の一室、なんて言えるのだが、如何せんすべては桃色で染まっており。
その部屋の隅に、今朝優が部屋を出たときには確かに存在しなかった……大量の荷物の山を見て、優はすぐにそれを視界から外して現実から逃避してみるが。
「どうです優様? 私たちの愛の巣はお気に召しましたか?」
唐突に聞こえた声に優が振り返ると、そこには寝間着の、これまた薄い布地の際どい服装に身を包んだ彼女のネグリジェ姿。
腰の後ろで両手を組み、肩で切り揃えた白銀のブロンドの髪を、ふわりと揺らしながら。そしてどこか悪戯っぽく笑顔を浮かべている――。
「ミリカ……」
――苦難を共にしたE.H.のメンバーである内の一人、一年前から行方が知れずにいた筈の……ミリカ・クラリエッタ当人の姿がそこにはあった。
「とりあえず言いたいことはたくさんあるけど……、それで?」
「今の私のスリーサイズですか?上から──」
「何でミリカがここにいるの、というか今までいったいどこで何をしてたのさ?」
ミリカのボケ(ボケであってほしい)に冷静に返す気力も沸かず。ビフレストの制服を着ている所から大体の事の察しはつくが、念のため(後せめてもの現実逃避に)本人の口から事のあらすじを聞く事にした優であったが。
「そんなの、愛に決まっているじゃないですかっ」
が、お話にならなかった。所か、ミリカはカッと目を見開くなり、
「私、ミリカ・クラリエッタは生涯を優様に尽くすと誓った身です。ですから火の中! 風呂の中! ベッドの中! 優様在る所に私もありです! ……ア、余計な害虫が近づいた場合は遠慮なく駆除するのでそこら辺も心配なく」
と、満面の笑顔でまくし立てるようにそう言い切った(最後の一言は決して目が笑っていなかったが)。
「……最後の台詞はさておき。まだそんなこと言ってるんだ。そんなに重荷に感じなくていいって何回も言ってるのに」
「重荷なんかじゃないです、私の生き甲斐ですよ。優様のことで私が知らないことなんか何もないんですから。体の隅々まで記憶しています」
「誤解を招くからその言い方は止めようね」
確かに色々とミリカに知られてしまったのは不可抗力とはいえ事実なのだが、優としては全て忘れ去りたい過去であり。
「じゃなくて! そもそも何でミリカがここに居るのさ!?」
いつの間にか外れかけていた論点に話を戻す。どうも優はミリカの前ではペースをひどく乱してしまうのだ。
ミリカからのこの自分への執着を早く何とかしなければ、本当に取り返しがつかなくなる、と改めて思い浮かべた優に。
「だから、愛だって言ってるじゃないですか」
訂正。今すぐにでも何とかしなければならないようだ、と頭痛に表情を顰めた。
「あ、そうでした忘れてました」
真剣にまずどう会話を成立させようか優が本気で頭を痛めていると、ミリカはふとそんな事を言いだして部屋のわきに積んである荷物の山まで歩いて行った。
そうしてそこから一つのボストンバックを手に取ると、ファスナーを一気に下げて中からそれを取り出した。
いわゆる、ノートPCと言われるものだが。
「少々お待ちくださいね。いま回線をお繋ぎしますので」
「ちょっと待て! この学園はそう言った類の電子機器、それに準ずるものの持ち込みは禁止されているはずだろ? というか、かなり厳重なチェックが校門の所でされてたと思うんだけど」
「そこはほら、愛ですよ愛」
「いや、そういう問題じゃ……」
学園敷地内に持ち込める電子機器は基本個人に一つずつ許された携帯型通信端末、それに準じる物であり。それ以外の不必要とみなされる電子機器類は持ち込みが禁止されている。
もちろん、それはPCであっても当然例外はなく。
如何にして警備の目を掻い潜り持ち込んだの? とか。その前にまず何でここに居るの? などの疑問が大量に優の頭の中に浮かぶ中で。何だろうか、もう口からは溜息しか次いで出ていなかった。
「お、クリアです。全く、無駄に時間をかけさせてくれやがりましたね。でもこれでここの部屋からの穴も確保しました。いつでも通信その他もろもろ筒抜けなしでいけます」
優が苦悶しているその間にも、ミリカは開いたノートPCのキーを機関銃のように叩き、ご満悦な笑顔を浮かべている。
「ふふ、この天才ハカーミリカ様を敵に回したのが運の尽き。見えます、領内の学園内のすべての監視カメラの映像がっ! そしてこの部屋の風呂場の景色も……」
「そんなの仕掛けたの!? だめ! 外して!」
冗談ですよ~と薄らとした笑みでつぶやくミリカ。冗談……、だろうか、と優は後で念入りに風呂場の中をチェックしておこうと密かに決意し。
「お。来てました来てました。メールメール。優様宛でですよ、必読ください」
優と会話をしながらもキーを叩き続けていたミリカはディスプレイを優の方へと向け、メールを表示する。そこに羅列しているのは、一見意味を成さない文字の列だが。
「暗号文……? それもこれE.H.の……」
「はいです。ちょうどこの時間に届けると言われていたので」
E.H.独自の暗号が使われている、ということはこのメールの送り主は少なくともE.H.の構成員の内の何れかの者であるか、深く関わりのある誰かからと言う事になるが。
とにかく優は一度メールの文面に目を通し、それは脳内で解読していく。
『やぁ、ご機嫌いかがかな優ちゃん。
僕の方は、まぁそれなりに忙しい毎日だね。ちなみに今は地球の最北端の島にいるんだけど、これがまた寒いのなんのって。
ペンギン超可愛い。
とと、話が脱線しそうだね。すぐ世間話に花を咲かせようとするのは僕の悪い癖だ。
では、早速だけど本題に入ろうか。
今回こうして君とコンタクトを取ろうと考えたのは、今君が浮かべているだろう疑問に答えをだすためなんだ。
今君は度重なる偶然と必然、その中でひどく頭を混乱させているはずだ。
その混乱を解すため、いくつか君にその答えを伝えておこうと思う。
まず初めに、そこにるミリカ・クラリエッタ嬢について話しておこうか。
今回の任務にあたり、もともと一人君のサポート役を付けることになっていた。
いくら君といえど、慣れない環境で一人でやっていくには辛いものがあるだろう?
そう考えて、サポートに一人付き添わせるのは初めから正樹と話していたことだったんだ。
そこで誰を付き添わせようか、と二人で話を進めた結果。そこにいるはずのミリカ・クラリエッタ嬢が選ばれたわけだ。
あの伝説の彼女がまさかE.H.の一員だったことには私自身も驚いたが、いずれにせよ情報戦は君の得意分野ではないはずだ。
こと情報戦においては世界を探しても彼女の右に並べる者は、指折り3本にも満たないだろう。
その実力は君自身が一番よく理解しているはずだ、身を以てね。
それに君の本来の性別のこともある、相部屋になるならよく見知った顔の方が君としても好都合だろうと思ってね、学園には少し根回しをさせてもらった。
と、ここまで話したが、君はまた新たな疑問を浮かべた筈だ。
なぜ最初から、このことを話しておいてくれなかったのだと。
答えを出そう――さいっこうの、サプライズ。正樹より』
びきり、と音を立てて額に青筋を浮かべた優は、だが満面の笑顔を浮かべており。
「ころす」
ぼそりと口から一言零して、目を据わらせた優は一先ず湧き出る殺意を置いて、メールを読み解くことを続行することにし。
『さて、話を次に進めるが。
今回君が敵対するだろう勢力について、詳しい話が判ったので伝えておこうと思う。
君も何度か聞いたことはあるんじゃないだろうか。
神力を授かり、女神の寵愛を授かったにも関わらずご意向に背いて悪事に、私利私欲に力を振るう者たち、通称 咎堕ち』
咎堕ち。女神の意向に背き、神力を振るう者を蔑む通称。
女神の敵であり、人類の敵。もはや同じ人類とすら認めてはならないとまで言われる、もっとも個を蔑む際に宛てられる悪意の総称であり。
『その咎堕ちの、さらに神技を扱う重度の咎堕ちだけを集めて組織された、少数精鋭の犯罪グループ。
それが、今回君が相手をすることになる組織の実態、通称――Rokiだ』