20.新たなる非凡な僕私-10
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所々跳ね、少しばかりか白髪が目立ち始めた不清潔な黒髪。
毎日とは言わず気がたったら剃るようにしているためか、不格好に整った無精ひげに、気力の無い細めな目元。
そもそも見た目から感じる印象からして、やる気の感じられないその男は、さらにそれを助長するように大きく欠伸を零した後に。
「ども、権藤正樹っす。歳は今年で43。ちなみに独身よろしくね」
ビフレスト学園ミルズ支部──その教職員室にて。本日付でミルズ支部に赴任となった新たな教官を出迎える祝いの場が、今祝うべき当事者の手によって急速に冷えつつあり。
「……権藤正樹聖務少佐。いえ、ここでは権藤正樹教官とでもお呼びしましょうか。それで?」
「ん? なにが?」
「……挨拶はそれでおしまいですか?」
正樹を正面にその前を囲む一般職員五名、神の御使いであり教官としてこのミルズ支部にすでに赴任している御使いの女性が二人。
そして、その先頭に立ち米神を震わせているミルズ支部の長たる御使い、夕闇香に対し。
「なんだなんだ香ちゃん、そんなにツンツンして。ひっさしぶりの再会なんだ、こうぎゅ~っと跳び付いてきてくれてもいいんだ――」
「権藤教官、いまは職務中ですよ? いくら知人と言っても場と空気を弁えて発言をして下さい」
ぴしゃりと正樹の軽い口を咎める香に、正樹はつまらなそうに口先を尖らせ。
「うぇ、固いこと言うなよ。よし、ならここは固い空気をほぐすために一つ、まだ香ちゃんが俺の事を正樹お兄ちゃんと呼んでくれてた頃の昔話でも――」
「や、やめなさい!」
先ほどとは打って変わり羞恥に頬を赤く染めて叫ぶ香に、にやにやと笑みを浮かべる正樹。
まるで久方ぶりにあった娘の成長についつい父が嬉しくなって弄り倒すような、そんな現状に。香はやれやれと嘆息を一つ零し、額に右手を当てて。
「申し訳ありません皆さん。先に一度権藤教官と二人で話をさせてもらってもよろしいでしょうか?」
香の提案に他の職員、御使い達は頷いていく。とても変わっている、というよりは無礼な正樹にどう対応してよいか判らなかったのだろう。ここは見知っている香に任せた方がいいと判断したのだった。
皆一様にどこか安堵した苦笑を浮かべる中、許しを得た香は正樹の横を通り過ぎ、体半分振り返ると。
「権藤教官、こちらに」
心底疲れた表情でそう言うと、職員室の奥、支部長室へと正樹を案内する。
「なになに、香ちゃん俺と二人っきりになりたかったの? なんだよ、最初からそう言ってくれればホテルの一つや二つ予約しておいたのに――」
軽口を叩く正樹には構う事はせず、香は正樹が部屋へと入ったのを確認すると部屋の鍵を閉めた。そのまま扉に背を預けると、腕を組んで鋭い視線を正樹に向け。
──香を取り巻く空気が変わった。それを背中越しに瞬時に理解した正樹は、取り繕うように浮かべていただらしのない笑みを剥ぎ取り、背後へと振り返る。
「やっぱ……、そうなるよな」
そして目に映る、その香の冗談を浮かべる隙もない在り様に、正樹は自らの後頭部に参ったとばかりに右手を当てて。
「今更、よく私の目の前に姿を現せましたね」
そう言った香の眼は鋭くもあり、だが決して冷え切ってはいなかった。
どういった感情をもって正樹を見つめているのかは判らないが、だが香の眼に宿る二つの光は……まるで二つの感情の狭間で揺れているかのような、そんな感情の表われのようにも見え。
その香の変貌を見て、正樹も気持ちを切り替える意味で一息零すと。
「もう、正樹お兄ちゃんって呼んじゃくれねえんだな」
どこか遠くを見つめるような、そう物憂げに言葉を零した正樹に、香は居心地が悪そうに視線を正樹から逸らした。
「……そんなのはもう、とうに昔の話です。そんなことより、今は私の質問に答えてください」
香の追及に、だが正樹はどうしたものかと後ろ頭を掻く一方で、早々に口を開くことはしなかった。
そんな正樹の様子に、ふっと冷めた笑みを零し、香は瞼を落とすと。
「話す気はありませんか。なら当てて見せましょうか?」
そう口にし、今度は鋭い視線を正樹へと戻し、
「夕凪 優」
香が口にしたその名に、正樹は表情こそは崩さないが、無言で香へと目を向け。
「私が気づかないとでも思いましたか? この支部を今任されているのは私。とうぜんミルズ支部全生徒の個人情報も一度は目に通しています。もちろん、ここ数年入学した生徒の情報も含めて、全て」
「だろうな」
まるであたりまえのように素っ気なく返した正樹を香は忌々しげに睨みつける。それはまるで私怨の相手を睨む殺すが如く。
「どういうつもりなんですか? あなたは私がここにいるのを知っていてやって来たんでしょう? 知っていてあの子達を──あの子を私がいるこの場所に送り込んだのでしょう? あんな、あんな――」
怒涛のように押し寄せる感情の本流は、正樹の素っ気の無い一言で簡単に堤防を破壊され。激流の如く香の口を通して言葉として流れ出て行く。
そして、その最大の大波が、今香の最後の理性すらもぶち壊し。
「あんなまがいものをッ!」
吐き捨てるように香はそう叫んで、だがその目尻にはどういった感情から零れ出たのか、深く滲んだ涙の跡があった。
「……ちげぇよ」
そんな香の心の叫びを受け止めた正樹の呟きは、限りなく小さく、だが確かな重さを感じさせるもので。
「全部、全部偶然なんだよ。俺がここにいるのも、あいつらがここに来たのも。こうしてまた香ちゃん、君の前に俺が立っているのも、全部」
まるで自らを絆してくるかのような、そんな正樹の言葉に、だが香は首を左右に振って否定し。
「うそ、うそよ。そんな偶然、ありえない。あなたはまたそうやって――」
正樹を、いや正樹であって正樹ではない、そんな誰かを香は目前の正樹に重ねるかのように。
「――また、私をだますの?」
その時、初めて正樹は寂しげに表情を歪め、動揺を見せたと同時に瞼を伏せた。
まるで今の自らの感情を、悟られぬようにと、香から逃げだすかのように。
「悪かった、じゃすませられねえのは判ってる。香ちゃんの目の前に、今の俺が立つ資格がねえのも判っちゃいるんだ」
「なら、どうしてまた私の目の前に――」
「あいつを」
香の憤りを、正樹は言葉で遮った。
それは本来自らがが受け止めねばならない、絶対の咎めであるにも関わらず。
だが今度ばかりは、いやだからこそ。正樹は口にしなければならなかった。
「優を……、息子を。救うためだ」
どれだけ醜かろうが、どれだけ罵られようが、果たさなければならない願いを成就させる。
そのためだけに――、権藤正樹は、今この世に存在するのだから。




