19.新たなる非凡な僕私-9
*
サクラノ宮──ミルズ街、とあるカフェテラスの一画にて。
木質のラウンドテーブルを囲んだ席。そこには優と共に、クラスメイトである灯花と、そしてその友人だという羽衣の姿があった。
つい先程、一悶着あった三人であるが、
「ねーいい加減機嫌治そうよー」
心底愉快そうな灯花に対し一目瞭然、ふて腐れている優。
その間で冷然と食後のコーヒーを楽しんでいる羽衣という図。
「別に、もう気にしていませんってさっきから言ってるじゃないですか」
言葉ではそう言いつつも決して灯花とは顔を会わせようとしない優。
優は両手に包んだマグカップを口元に運び、中に注がれた紅茶をずずず、と、下品に音を立てて口に含んだ。
見るからに不機嫌そうな様子の優に、灯花は苦笑を浮かべて羽衣へと助けを求めるかのように、
「もう……、ほら羽衣も何か言ってやってよ」
「やり過ぎたんでしょ、知り合ったばかりで弄り過ぎ。灯花、貴方嫌われたんじゃない?」
「なぜに他人ごとなんでしょう? 羽衣もノリノリだったじゃん! ねぇねぇ、そうなの優ちゃん? 私のこと……きらいになった?」
しゅんとした態度で上目使い、今にも泣き出しそうな表情で優に問いかける灯花。
そんな表情をされた優は、うっ……と、小さな罪悪感に胸を痛めつつ。自らは悪くないはずなのに、悪いような気分に陥り。
「……嫌いとかじゃなくてですね。……あーもうっ!」
途端がしがしと頭を掻き息を荒げる優。
弱々しく上目使い、それで嫌いかなんて問われたら精神的にはピュアボーイな優には、冷たい態度を続けるなんてことが出来る筈が無く。
「もう怒っていませんから、許して下さい……」
がっくりと肩を落として言った優に、きょとんと無自覚に首を傾げる灯花。
その様子を見てひっそりと笑う羽衣という図。
「優はほんとに面白いわね。こんなに女の子らしい女の子は産まれてこの方初めて見たわ」
いや、女の子所か男なんですがと、胸に深々と突き刺さる言葉に表情を顰める優に。
「でしょー、いやもう私もビビってきてさー。天然記念物だよね、絶滅危惧種。何か見た目も目立たないように小細工してるみたいだけど――」
「え?」
ぐいっと優へと体を寄せ、顔を覗き込む灯花。
「何で隠してるかなー? ほれ、とりあえずその眼鏡とってみ?」
「だ、だから顔が近いですって! ご、ご堪忍を!」
肩を押しやり、必死に灯花を引き離す優。その二人の様子を羽衣は興味深げに見つめており。
「にしても、とても今日初めて話したとは思えない仲良しっぷりね。思わず妬けちゃうくらい、いったいどんな馴れ初めがあったのかしら?」
「ん?あー、別に大したことじゃないんだけど」
羽衣の問いに自ら体を引き、席に深く座り直した灯花。
優は助かったとばかりに胸を撫で下ろすと、一連のやり取りで妙に渇いた喉を潤すべく、マグカップを右手で掴むと早々と口元に運ぶが。
「そうそう、優ちゃんって正樹さんの知り合いだったんだよ。それも凄い可愛がられててさ! というか、弄られ? とにかくその時の優ちゃんが可愛くて――」
瞬間、優は口内に含んだ紅茶を噴きだした。
幸い対面には誰も座ってはいなかった為に人的被害は無かったが。
「ご、ごめんなさい!」
真っ赤に顔を染め、慌ててスカートのポケットからハンカチを取り出すと、テーブルの上に散った紅茶を拭き取る優。
そんな優の様子を呆然と見つめる羽衣に、声を上げて笑う灯花。
やがて拭い終えた優は席に座り直すと、腹を抱えて笑う灯花をキッと睨み付け。
「わ、笑うことないじゃないですかぁ……!」
「だ、だって動揺し過ぎ! なに、じゃやっぱりそうなんだ?」
「やっぱり?」
にししと悪戯っぽく笑う灯花に、意図が判らずにきょとんと首を傾げた優だが。
「だ~か~ら~! 優ちゃん、正樹さんのこと好き何でしょー?」
その瞬間、びきり、と。その場が不吉に凍りついた音を、灯花と羽衣は確かに耳にした。
「……はい?」
満面の笑顔で、問い返した優。
聞き間違えかな? とのニュアンスを含むそれは、正確にはもう一度同じことを言えと強要している訳ではなく。
「あ……、れ? ゆ、優ちゃん?」
「はい、なんでしょうか」
にこにこと邪気のない笑顔の背後から感じる確かな冷気に、灯花の頬を冷や汗が伝う。
やがて優のその笑顔に耐えられなくなったのか、灯花は羽衣へと懇願の目線を送るが。
(は、はねぃい……!)
それに気づいているのか否か、いや十中八九気づいているのだろうが。
とにかく羽衣は素知らぬ顔でマグカップを口元に運び、静かにコーヒーを口に含む。
「それで灯花さん……、ああいや、そういえば灯花でいいんでしたっけ。やっぱり……、なんですか?」
裏切られた気持ちで羽衣に恨みの視線を送っていると、唐突と問いかけられた言葉に、灯花はゆっくりと優へと視線を戻すが。
「ひぃ……!」
その笑顔は変わらない、言葉に棘も感じない。
だが体中にひしひしと突き刺さる確かな冷気に、灯花は決して踏んではならない地雷を踏んでしまったのだとようやく悟るが。
「あ、あー、えーと。その……、し、知り合いだったんダナーって、ただそれだけで、ですネ」
恐る恐ると灯花がそう口にすると、スーっと優から感じていた冷気が消えていくのを感じた。
どうやら自分は上手く地雷を撤去できたようだと、灯花は安堵からか乾いた笑いを零し。
「……まぁ知り合いとはいっても、親同士が知り合いというだけで。わたし! 自信とは深い関係は有りません。ただの! 知り合い程度ですね」
「そ、そうなんだぁ……」
やけに力強くそう説明した優に、絶対何か隠し事があると心中で察する灯花だが、その先はとても言葉にできず。
「と、いうよりですね。私としては近衛さんが権藤教官と知り合いだった方が驚きなのですが。詳しく聞いても?」
「え、ああ! うんうん、正樹さんね! 答えちゃう、私何でも答えちゃうよ! なんでも聞いて!」
どこか有無を言わさない空気を感じる優に、灯花は少し大げさに胸を張ってそう言ってみせるが。
「ありがとうございます。それでは聞きますが、近衛さんと権藤教官はいったいどういったご関係なんですか?」
「……やっぱり優ちゃん、正樹さんのこと好きなんじゃ」
「はい?」
優の問いに思わずといった具合に口から零してしまった灯花は、再度突き刺さる冷気を全身に感じた。
この子怖い、と、慌てて両手を体の前で振った灯花は、
「わ、わわ私が直接親しいわけじゃないんだよ!? どちらかと言うと羽衣繋がりで知り合いってだけで!」
「……高峰さんが?」
僅かに目を見開いて優は驚きを露わにすると、羽衣へと顔を向けた。
──優が口にした高峰、とは深山の性を偽るために、アスガルズが羽衣のために用意した仮の名字である。
世界的に見ても影響力が強い要人であるところの景の娘だ。そうして身分を偽り、他の生徒の中に上手く溶け込めるようにと考えてのことだろう。
何にせよ、優が呼んだ高峰とは深山羽衣の事で間違い無く。優の驚きの視線を受けた羽衣は、マグカップを静かに置くと、次に首を縦に一つ振り。
「ええ、と言っても私も優と同じよ。親同士が仲が良い、という点はね。ただ昔からお世話になっていて、私がビフレストに入ってからは鍛錬にもたまに付き合ってもらったりしてるわね」
「そう! そうなんだよ! だから私もたまに見てもらうってだけで! だから違うの! 私は本当に正樹さんとは何にも関係は無くて! だから優ちゃんの障害にはなりえないんだよ! 信じて! そして私を許して!コロサナイデ!」
騒ぎに騒ぎ、最後は両手を合わせてまで許しを請う灯花はさて置き、優は「なるほど」と頷くが、すぐに首を傾げて。
「あれ? でもたまに見てもらうって……、高峰さんは判りますけど。灯花さんは今日入学したばかりじゃ?」
他意は無く不思議そうにする優に、灯花はばつが悪そうに苦笑を零し。
「いやーあははー……、実は恥ずかしながら、私は二回進級を逃しててさー」
「え……」
まいっちゃうなー、と何でも無さそうに笑う灯花に、羽衣が口を挟む。
「技能だけを取れば灯花は第三階級相応の実力者よ。まぁ、私には全然敵わないんだけど」
「ほほぅ、言うねぇ。でもそんなこと言っていいのかな? 私に負けた時に言いわけが効かなくなると思うけど?」
「そもそも、その言いわけをする機会が来ないわけだけど」
睨む灯花に、不敵に微笑む羽衣。
その二人の様子に、優は羽衣が上手く話を逸らしたのだと勘付き、そのまま羽衣の好意に甘えて話題を逸らす事にする。
「なるほど、とすると灯花さんは私よりも先輩なわけですね」
「まぁね! でも、だからと言って畏まる必要はないからね。それに、歳も結構近いと思うし。ね、羽衣?」
「ええ、ただビフレストの階級での上下関係は絶対よ。表向きはね。だから公の場では私に対しても敬意を払っている様に見せた方がいいわ、これでも私第三階級だから」
羽衣の言うとおり、ビフレストでは階級による上下関係は絶対となっている。
それはこれからビフレストを出て神の御使いとしてアスガルズの隊員へと足を進める、訓練生に今の内から上下関係での態度を学ばせて置こうとする予行練習でもあった。
「ま、羽衣の場合はそれだけじゃないんだけどねー」
にしし、と笑い意味深な視線を向ける灯花に、澄ました表情で物ともしない羽衣。
優は予め、護衛対象である深山羽衣本人の情報は頭に叩き込んではある。
だからある程度、羽衣が今この学園でどういった立場にあるかは把握はしているのだが、羽衣たちからしてみればこの時点で優が羽衣の事を詳しく知っているのは不自然である。
「……と、言いますと?」
そこで優は灯花の言葉の真意が気になる、と言う風を装って首を傾げて見せた。
次いでと言っては何だが、資料では得る事が出来なかった現状での羽衣の話も聞けると考えのことだった。
「単純明快、パッと見の印象。羽衣のこと、どう思う?」
灯花の問いに、羽衣へと視線を向ける優。
パッと見の印象、第一印象と言えばやはり際立つ特異な紅い長髪。
初めは染めている物と思っていたが、資料によれば母親譲りの、どうやらそれは地毛らしく。見る人が見れば気味悪がるかもしれない要素ではある。
だが優はそれを気味悪がるどころか、綺麗だとさえ素直に思っていた。
紅葉のような儚い色合いが寂しくもあり、それでいて紅蓮の炎のような情熱をも沸騰とさせる色合い。
惹きつけられる色。際立つ長髪に目を傾ければ、そこで対象に煌めく白い草原のような肌、整った顔立ち。
異性問わず100人の人間がすれ違えば、一人も欠けることなく振り返り、見惚れる程の容姿だと言えるだろう。
それを優は、
「なんていうか、可愛いですよね」
そう表現し、あまり深く考えることもなく口にした。
その優が口にした感想に、灯花は少し驚いたように口を半開きにし。
一方、その感想を向けられた当の本人である羽衣は、いったい今自分は何を言われたのか……それを理解するのに、数秒の時間は要したようで、
「……えなに? つまり貴方は私に喧嘩を売っているって認識でいいのかしら?」
そういった口元は引き攣っており、笑顔であった。
「えぇ!? 売ってません売ってません! 何でそう言った解釈になるんです……、か」
言いつつ、優はなぜ羽衣が急に不機嫌になったのかを考え、そして呆気なく答えに到達する。
と、言うのもそれは優が羽衣に対し漏らした可愛いと思った本音、それは何も決して羽衣の容姿から沸いた感情ではなかったのだが……羽衣のある身体的要素に見事に重なってしまっており。
「ねえ? 貴方はいったい私の何を見て可愛い、とそう判断したのかしら? ん? ほら言って見なさい?」
「ち、違います! 決して高峰さんの背が小さいですとか色々と小ぢんまりしてるですとかそう言った身体的な理由で言ったのではなくて――」
「優ちゃんそれ追撃、とどめだから」
苦笑で持って灯花が優を制するが、時はすでに遅く。
「久々だわ、こうも私に正面切って喧嘩を売ってくる奴なんて」
笑顔の羽衣に震える優。その図を見て、灯花は内心で悟った。
羽衣に優は敵わない。怒った優に自分は敵わない。だが……、自分ならどんな状態の羽衣でもあしらえる自信がある、見事なまでの三竦みの関係。
(ま、ここは面白そうだから傍観するけど)
先ほどの自分を見ているような、切羽詰まった優が自分へと懇願の視線を向けてくるのに、灯花は笑顔で親指を立てて返した。
「優、貴方は何をそんなに怯えているのかしら? 別に私は怒ってなんていないわ、人から容姿のことを指摘されて、それで一々そのつど腹を立てていたらきりがないじゃない」
羽衣のその言葉に、優は内心で素直に賛同した。
優としてもことある毎に容姿について弄られてきた身、一々相手にしていたらきりがない事は経験談で同意できるところであり、妙に親近感じみたものが湧いてしまった。
だからこそ優はその言葉の真の意図に気づく事のないまま、素直に言葉どうりに受け止め、安堵して口を滑らせていく。
「そうですよね! そんな一々自分のコンプレックスを刺激されたからって腹を立ててたらきりが無いですもんね!」
「あ?」
「私もそう思います! ある程度折り合いをつけて話を流しておかないと後々苦しい思いをするのは自分自身ですし。そこのところきちんと流せているあたり高峰さんはやっぱり大人って感じがしますよね」
「あぁ?」
びきりびきりと音を立てひび割れて行く空気に、だが優は終ぞ気づかないまま。
「やっぱり、女性の魅力は容姿なんかじゃ決まらないと思うんですよ。そういった余裕のある態度が周りの目を引き付けるというか、とにかく私は容姿なんて張りぼては抜きにしても高峰さんは大変すばらしい女性だと思って――」
「優」
ぽつり、と優の名を呟き、羽衣はゆっくりとした動作で席を立った。
額を抑え「あちゃー」と呟く灯花は、空を仰いで見ては見ぬふりを貫き。
やがて立ち上がった自らを呆然と見上げる優に、羽衣はただ簡潔に、一言告げた。
「決闘よ」
「……え?」
それが夕凪優が初めて目にした、高峰羽衣――深山羽衣の、満面の笑顔となったのだった。




