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1.始まりの日-1

─入学準備編─

~始まりの日~



「ほら、朝だよ起きて」



 時刻は明朝六時丁度。

 悉く設置した目覚し時計を寝ながら粉砕すると言う寝起きの天災さから、正樹を起こす際に優は決して機械の手には頼らない。


 まずはジャブ、優はその華奢な両手を正樹の対称な肉付の良い両肩に乗せ、激しく体を揺さぶった。



正樹(まさき)、朝だって。たまにはすんなり起きろよ」



 格闘技の試合でも、試合開始のゴングの前には、レディーの声が必ず上がる。

 所謂これは、それだった。



(これで起さなかったら起さなかったで機嫌悪くするんだからなぁ。普通は逆の立場だと思うんだけど)



 優は大きく嘆息を吐くと、拳を大きく振り上げた。

 正樹は今年でちょうど43の歳となる。

 対して優は今年で17歳となった。

 いい加減一人でも起きられるようになれよと、自らの倍にもなる……所謂いい年をしたおっさん相手に若人からの不満が浮かぶのは致し方なく。

 今朝もまた日課となってしまった愚痴を心の内で吐き出しつつ、優は大きく息を吸うと、



「はっ!」



 発声と共に、振り上げた右手を躊躇も無しに、膨らませた不満ごとぶつけるように渾身の力で正樹の顔面へと落とす。


 これがゴング、試合開始の合図となる。


 優の拳が正樹に迫る。そうしてその拳が触れようかという所で、正樹は何とその拳を右に転がることで器用に避け──かと思えばすぐさま方向転換、左に転がりその勢いで振り上げた右足で優を蹴りつけようとする。


 だがそれに優は驚かなかった。ただ舌を打ち不満を見せると、空を切った拳を引いてすぐに後ろに飛び退きその蹴りを避ける。

 優にとって反撃はもう慣れっこだった。最初こそ不意を突かれて起こそうとする度に優は生傷を作ったものだが、今では眠拳と呼べるこの技にも冷静に対処することが出来るようになっていた。

 蹴りを避けられ、そのまま仰向けで呑気に寝続ける正樹の背へと、優は両足を使い跳躍し、



「とどめっ!」



 発生と共に宙返り、その遠心力と重力をも乗せ、渾身の右踵を正樹の尻に叩き落とした。



 *



「なぁ、優。なんだ……、俺の尻が裂けるように痛いんだが。何か知らないか?」


「元々裂けてるじゃないか。原因が知りたいなら正樹なんて愚息を産んだお母様にでも聞いたらいいんじゃないの?」



 目を覚ましてからというもの、自らの尻を我が子の頭を愛でるかの様に両手で擦り続ける正樹。その表情は見るからに苦悶気に歪んでおり。

 対して、優は素知らぬふりで強引にリビングへと正樹を引きずり出し、そのままいつも食事の際に正樹が座っている椅子へと腰を下させた。



「いっつつ……、お前、本当に毒舌になったよな。誰に似たんだ一体」


「正樹にだけだよ」



 やはり尻が痛むのか表情を歪める正樹に対し、優も変わらず素知らぬふりを通し。机を挟んだ反対側の席に腰を下ろした。

 そうして二人が座る席に挟まれた机の上に広がるのは、それぞれ白米に味噌汁に鮭の塩焼き等が乗せられた食器の数々。日本の定番な朝の食卓であり。



「良いからさっさと食べちゃってよ、後片付けしたいから」



 優はどこか疲れ切った表情で素気なく返すと、テーブルに置かれていたリモコンを手に取り、そのままテレビを点灯させて好みの番組の検索を始めた。

 朝のこの時間だ、どこもニュース番組ばかりだ。

 適当なニュース番組で検索を止めると、優はリモコンを置いて右手で箸を手に取った。

 すると、



「お、何だお前また料理の腕を上げたか? 味噌汁から味噌の味がするぞ」



 お椀に注がれた味噌汁を下品に音を立てながら啜った正樹は、ワザとらしく驚いた表情で何とも言えない賛辞を優へと送った。

 ご機嫌取りのつもりなのだろうが、適当にもほどがあるだろう……、と優は内心で愚痴を零し。嘆息を吐いた後に。



「味音痴が無理に褒めなくてよろしい。いいから黙って食べろ」



 一喝し、針で刺すような鋭い視線で正樹を貫き。そうしてまた一つはぁと嘆息を零すと、すでに冷めて温かみの無くなった味噌汁に同じように口をつけ、音を立てずに上品に口に含んだ。

 そんな可愛げの無い優の反応に、拗ねたように口元を尖らせて無言でズズズと下品に味噌汁を啜った正樹だったが。すぐに手に持ったお椀を置くと呆れた表情を作り、右手で握った箸で行儀も悪く優を指すと。



「お前、本当に朝は機嫌悪いよな。いくら家事全般得意でもな、そんなんじゃ男は寄ってこないぞ。スマイルを心がけないとな。カカァ天下何て男の墓場だ」



 と、まるで年頃の娘に対したお小言めいたことを口にするが。



「誰のせいで……! と、言うか――」



 ドンッ、と両手で机を叩き、優は眉間を震わせて立ち上がる。

 ギロッと正樹を睨み付け、大きく息を吸い込み。



「僕は()()()()()()っ! Are you ok? いい加減そのネタ止めないと明日から本当に朝食抜きにするぞ!?」



 その容姿からは想像できない声量でリビングの一室を震わせた。



「よっ! 優君男前! 正樹惚れちゃう~!」


「この野郎……」



 権藤優(ごんどうゆう)。生物理学上の性別は、()である。

 一見女性のように、と言わず女性でも羨む程の華奢な体を持ってはいるが、()である。

 儚げな大和撫子──1000年に1人の奇跡の美少女──天界から舞い降りた天使──などと声高らかに周囲が持て囃したとしても、誰もが嫌味もなく頷くだろう程の、()である。

 それに反抗して一年前までは伸ばしていた女性なら誰もが羨むであろう天然の絹糸のような艷やかな髪を思い切って短めに切り捨て去ったとしても。その上で男と本人が言い張ったとて、結局ボーイッシュな美少女で通ってしまうのだが、正真正銘な()なのだ。


 身長 160cm 血液型はA。周囲からの評価は、女の子よりも女の子している女の子。

 今年で17歳となった権藤 優は、今日もコンプレックスである女の子みたい、に朝から無自覚に磨きをかけていた。



「おし、ご馳走さん。今日も味音痴の味覚を刺激するいい味だったぞ」



 豪快な性格をしている割には米一粒残さず全て綺麗に食べ終えた正樹は、そのまま箸を置くと目の前で食事を続ける優へと賛辞を送りつつ席を立った。



「それ褒め言葉になってないって判って言ってるの? どうでもいいけど、顔くらい洗って行けよ? 髪ぼさぼさだし」


「あぁん? お前ほんとに女みたいに細けぇ――」



 続きを言おうとした正樹に、優のジトっとした視線が突き刺さる。

 正樹は背筋を駆け上った悪寒に「うっ」と言葉を詰まらせ。半分それを誤魔化すように「そう言えば」と続け、



()()があるぞ。それもお前ご指定のな」



 瞬間、優の箸が止まった。

 同時に、朝のおちゃらけムードが一瞬でその場から霧消する。

 部屋を張りつめるピリピリとした空気に、リビングの窓の外からこちらを眺めていた野鳥が飛び去って行くようにも見えた。



「そんな大事な事はもっと早くに言えよ。詳細は?」



 箸を置き、空気を切り替えた様子の優を見ると正樹はリビングに置かれている雑貨棚へと歩いて行く。



「護衛の依頼だそうだ」


「護衛? 僕宛に?」


「お前宛にだ」



 正樹は雑貨棚に積まれていたチラシの山から一枚適当に手に取ると、同じく棚に置かれているペン立てからも適当に一本ペンを取り、机へと戻る。



「護衛って。僕は今まで――」


「知らねぇ訳ないだろ。お前はもっぱら強襲任務か、隠密任務に特化している。それはお前がただの平凡な人間、神力を授かっていない生身の人間だからだ」



 正樹が制して言った言葉に、優は押し黙る。

 神力。女神フレイヤが二十年前人類に授けた──奇跡の力。

 清き心の持ち主よ、悪き心の持ち主を払え、などと身勝手に人類に押し付けた超常の力の事を指している。


 授けられる時は何の前触れもなく、唐突に自信に芽生えるとされる神力だが、優は未だにその感覚を味わっていなかった。



「そう落ち込むなよ。まだ十代を終えるには三年もある。可能性はあるんだ。それに、神力を授かった人間の方が異常なんだよ。年々増えてるとはいえ、今だに一万人に一人って所だろうが。別に気に病むことでもない」



 正樹が言った通り、神力を授かれるのは十代の内にだけ、とされている。

 それも条件は清き心と曖昧な物であり、今の十代の殆どは年を取るごとに焦りを募らせていく。

 それは何も力を欲しているから……そういった理由だけではなく。



「大体《(ヴァル)御使(キリー)い》とかくだらねぇ呼称が蔓延ってるからいけねぇんだ。こっちは授かりたくて授かった訳じゃねぇってのに、やれヒーロー、やれ英雄だとか、押し付けられて持ち上げられて、重いったりゃありゃしねぇ。割に合ってねぇんだよ」



 《(ヴァル)御使(キリー)い》。女神の理想とする世界を実現するために神力を振るう、一人前の神力使いに与えられる称号である。

 

 どんな役職に就こうとも、今の世ではこれ以上の名の意味を持つ名誉が存在しない。 

 持つだけで崇められ、称えられる。神力を授かる事より、この名誉が、役職が欲しいが為に大多数の10代の若者達が神力を欲っしているのだ。

 正樹はその10代の若者が見ている指標を持ち出し、自らの見解と天秤にかけることによって優を窘めようとしているのだが。


「や、落ち込んでなんかないし。別にそんな得体の知れない力を授からなくたってやっていけるし。そもそも今の10代なんてただ超能力使える俺かっけぇー! だとか、神の御使いになってお金がっぽがっぽだぜ! だとか、そんな利己的な考えで神力を欲しがってる奴ばっかりでしょ。そんな奴らと同類にされてもね」



 優の言った事は、はっきりと言う所正しい。

 英雄を気取りたいだけなら神の御使い程適した役職は無いし。

 手っ取り早く金持ちになりたいなら、それこそ神力を授かり神の御使いの称号を授かる事が若者視点では一番楽に見えるのかもしれない。


 神の御使いにさえ選ばれれば、世界から集まる援助金と名を打った徴収金を給料として分配されるのだから、どれほどの巨額が毎年懐に入って来るかと思うと、それだけで勝ち組負け組を若い世代で差別してしまっても仕様がないという話。



「お前、そんな疚しい事ばかり考えてるから女神様のお眼鏡に適わないんだよ」


「うるさい。とにかく、僕は神力なんてイ・ラ・ナ・イ。大体正樹を選ぶ時点で女神の目は当てにならないよ」


「え、優くん負け犬の遠吠え?」


「ウルサイダマレ。ま、と言う訳で神力を授かってない僕には護衛は向いていない。今の時代生身の人間が護衛何て笑われるだけだろ」



 優の言った通り、今の世の中生身の人間が護衛をする、誰かを守るなんて発言は軽い冗談だとしか思われない。

 言って見れば、子供に素っ裸の大金を守らせるのと同じことだ。

 そう極端なのは何故か。

 簡単だ、力に狂った神力持ちが犯罪を犯すこと自体が珍しくないからだ。

 生身の人間では神力を授かった超人には歯が立たない。

 それが世間一般の常識、覆せない筈の道理。

 だからこそ優は、神力を持たない自分は護衛任務には不適任だと述べているのだ。



「ま、兎也(とうや)にでも任せた方が――、ユウナさんに任せた方が適任なんじゃないかな?」


「言い直すくらいなら最初から名前を出してやるなよ……。確かにまだ雑用の域は出ないが」



 正樹は言いながらもチラシの裏、白紙の部分にペンを走らせ。それを優へと手渡す。



「言ったはずだ。それが判っていても、依頼者はお前をご使命だ。断るにしろ、こっちからの連絡方法は無いからな。文句があるなら直接出向いて言いたい事を言ってこい」


「は? って、これ地図……。直接会うように指定してきたのか? しかもそれに承諾したって事? 正樹、仮にもE.H.(エインヘリアル)のリーダとして組織の存続が関わってくるような行動は――」


「ああ、ああ判ってる。こまけぇんだよ。だから女と間違えられ――、じゃなくて承諾した理由だったな」



 優が所属する組織――、E.H.は、簡単に言って終えば何でも屋だ。

 密に要人から依頼を募り、素顔を晒し合わずに依頼だけをこなし報酬を払ってもらうといったシステム。

 中にはグレーな依頼もあるため、構成員の素顔が割れる様な事は決してあってはならない。

 つまり、直接顔を合わせるなんて事はもっての外なのだが。



「今回の依頼者は信用に値する奴だ。と、いうより俺が組織のリーダーをやってるってのを知ってるお仲間みたいなもんだ。だから無下に断りもできなくてな――とと、そろそろ時間だ」

 


 唐突にタイムリミット宣言をした正樹は、急ぎ足で背を向けソファーに投げてあったジャケットを羽織る。白をベースとし、所々に金色のメッシュが入った正装。

 神の御使いの証だ。



「ちょ、待って! 情報の整理が出来てない……! というか、そんなクライアントがいるならもっと前に話して置いてくれても――」


「あー、もう行くわ。指定時刻は今日の午後三時な。じゃ」


「え、まっ――」



 優が呼び止める暇もなく、正樹はリビングを慌しく飛び出て行った。



「……結局顔、洗ってないし」



 ソファーを見つめ、そこで今週すでに土曜となるにも拘らず、まだ一度も同伴を許されていない綺麗に畳まれたままの正装の下半身と同じ気持ちに浸りながらも。



「とりあえずやること終わらせよっか……」

 


 優の一日は、今朝も熟年の主婦の如く朝の家事から始っていくのだった。



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