18.新たなる非凡な僕私-8
*
入学式を終えると、予め割り振られていた教室へと各自で足を運ばされた新入生達。
ミルズ支部校舎内、第一階級全二クラスの内の、Bクラスに選ばれた生徒達は、教室に入るなり騒ぐことはせず。
教室の正面奥に位置する巨大モニターに記された席の位置と、自らの名を照らし合わせて速やかに席に着いていった。
やがて半数の生徒──加護なしと呼ばれる生徒たちを二時間は待たせ、平然と知る由もなく戻ってきた加護ありと呼ばれる生徒たち。
何をするでもなく二時間も待たされていた加護なしの生徒たち一同から、妬みの視線で揃って射抜かれながらも、全く気にする素振りを見せず。どこか清々しい表情を崩さずに席に着いていった。
そうしてクラス全員の生徒が席に着き、そこからそれ程待たずして、教室の扉が開いた。
三十代後半の男。だらしなく無精ひげを散らかした、目元もどこか気だる気に。加えて入ったと同時に欠伸も一つ零した、まるで覇気の欠片も無い男。
言ってしまえば場違い、そんな感想を一同に浮かべる生徒たちだが。だが、そんな男が纏う衣服は……紛れも無い神の御使いの聖衣であり。自分達がこれから目指す先、到達点である事は間違いなく。
彼ら彼女ら、席に大人しく着いていた生徒たちは、いよいよこれからビフレストでの生活が始まるのだと……、そう一様に緊張した面持ちを浮かべて背を伸ばした。
──のだが。一方その中で、一人表情を引き締めるどころか、表情を引き攣らせて咄嗟に俯いた生徒が一人いた。
(な、ななななんで!)
内心で叫び、今にも声を張り上げそうになってしまうのを懸命に堪える夕凪 優の席は……、窓際から数えて二列目、その最後尾であり。
(順調、順調だったのに……!)
変装を自らに施したその結果は、大変上手くいったと言える出来だった。
と、言うのも素顔であった時は針のむしろの如く視線を集めていた優だったが、今朝施した変装後の眼鏡姿で今の今まで過ごした結果、一人でいる限りは周りの生徒に一瞥たりともされはしなかった。
街中での成果もある、まさに計画通りと言った結果。
遅れて教室に入室した際も、初めこそこぞって視線を集めたものの、すぐに興味を失われたのか優から視線は遠のき。
自然と開放感からか、自らの席に着いた途端欠伸をしてしまうほどだった。変装は確実に上手くいっていると言える。
順調も順調、あとはさり気なく護衛対象に近づき、陰ながら見守るだけ。そう、そう思っていたのだ。
「おーし、全員席に着いてるな。さて、とりあえず入学一発目はホームルームってことになってるが……、その前にお互い自己紹介とかしとくか。定番だしな」
教壇に立ち、男が気だるそうに言うと、背後の黒板サイズの電子モニター、そこに浮かび上がった男の物と思われる名前。
その名に生徒達がざわつく。その生徒達の様子に、優は音を立てて額を机に落とした。
(何でここにいるんだよ――)
ビフレストの生徒の教育、訓練は本部に所属する神の御使い隊員が直々に担当する事になっている、と言うことは優も前々から知ってはいた。
そう、なら少し考えて見れば判る事だったのだ。
いくらE.H.の冠を背負った依頼だからと言え、年単位で自らの元を離れていく子に、一声も掛けずに行かせるなんて事が、あのバカ親に限ってあるわけが無かったのだ、と。
(そう言う事か――)
ああ、また自分は踊らされていた、そう優が悟ったと同時。
その名が、忌まわしくも聞きなれた気だるそうな声色で、ついに公言された。
「権藤正樹だ。これから一年間お前らの専属教官を押し付けられた。まぁ、判りやすく言えば担任の先生みたいなもんだな。甘えられるのは遠慮したい所だが、どうしても自分の手におえない事態に遭遇したら、少しは遠慮して俺を頼れ」
「これ、連絡先な。めもっとけ」と最後に正樹が呟くと、モニターに映された名前の下に電話番号が追加された。生徒は慌てた様子でメモを取れるものを各自で取りだし、それを書き写していく。
そんな中、やはり優だけが動かない。正樹が名を明かしたと同時に停止した思考、もう現実逃避のしようも無い。
優は観念したようにおそるおそると頭を上げ。
そこで、正樹と目が合った。
震えて頬を膨らませ、今にも吹き出しそうな程に笑いを必死にこらえる正樹の姿が、そこにはあった。
(あ、の、や、ろ、う)
ここまで来る上での数々の恨み、腫らすべきか……? と今すぐにでも掴みかかりたい衝動を必死に握り拳を作り、堪えた。
ここで怒りのままに目立ってしまえば、せっかくの変装も無駄になる。今は我慢し、追々呼びつけて話をつければいい。
とにかく今は堪えて目立つのを避け――。
そこまで思考し、優の表情がびきりと引き攣った。
(目立つのを避ける? あんな風に変顔で見られたら――)
ギギギと、まるで機械人形のように優は正樹から視線を外し、辺りに注意を向けると。
(ふざけんなよあのクソ親父ッ……!)
案の定、クラスの生徒の視線が優に集まっている。
それもその筈、いくら優が目立たないように振る舞っていたとしても。目立つ人間があんな変顔で優を見つめていれば、周りの興味が集まらない訳がない。
虚空を見つめて、誤魔化すように苦笑を浮かべる優。だが、すでにもう手遅れだった。
*
(おわった)
HRを終えて、本日の日程は終了となる。
授業終了の鐘が鳴ると共に、ちりぢりに生徒達が教室を後にする中、優は疲れ切った表情で机に上体を伏せた。
すぐにでも正樹を追いかけ、色々と問い詰めてやりたい所だが、如何せんHR中に散々弄りに弄られた為に精神的に疲れ切っていた。
例えば、自己紹介。
『それじゃあ一人一人自己紹介をしてもらうが。まずはそこで一人で百面相してる夕凪 優ちゃん? お願いしていいかなー?』
例えば、クラスでの役職を決める場面でも。
『とりあえず総監督的なのでクラスの委員長? 的なのを決めないと何だが。優ちゃーん? やってくれるかー?』
など、ことある毎に優へと親しげな対応を取る。
おかげ様で、優の名はクラスの全員に知れ渡ったと言えるだろう。
そこに弄られ役、という有難くない汚名も付けて、だ。
(何がしたいんだよ、あのクソ親父は……)
優が目立たないように振る舞っている、と言うのは正樹にも一見して分かった筈である。
なのに、正樹は優が敢えて目立つように始終立ち振る舞っていたのだ。
ただの悪ふざけでそれをするほど、正樹もE.H.の長として何も考えていない訳ではないだろう。
(何にせよ、とにかく一度話は聞かないと)
私情はこの際捨て置き、依頼の事を最優先に考えることにした優は、吹っ切った表情で上体を起こして、最後に一つ大きく嘆息を吐いた。
(ん?)
するとそんな優の素振りになのか、思わず吹き出してしまった、そんな笑い声がすぐ隣の席から耳に入ってきた。
反射的に優がそっと顔を向けると。そこには罰の悪そうな表情で優に苦笑を向けている、一人の少女の姿があり。
(この人はさっきの……、確か近衛灯花さん、だったっけ)
自己紹介の際、隣の席、と言うこともあり覚えていた。
天然のゴールドブロンドの長髪に、藍色の瞳。
優の目から見ても素直に可愛いと言える、まるで仏蘭西人形のような女の子。
そんな見目麗しい容姿もあってか、優の記憶にも深く印象に残っており。
「あ、あはは……ごめんね? 夕凪さんってその、見てて面白いと言うか……思わず」
申し訳なさそうに両手を合わせて頭を下げた灯花に、優も苦笑を浮かべ。
「い、いえ。全然気にしていませんので。えーと、近衛さん、でしたっけ?」
優が確かめる様に灯花に名を問うと、初めは呆然と瞬きで答えたが、すぐに満面の笑顔を浮かべて返してきた。
「あ、私の名前覚えててくれたんだ! いいよいいよ、灯花で。それにそんな肩っ苦しい態度じゃなくていいしね。あ、その代りに私も夕凪さんのことを優ちゃんって名前で呼んでもいいかな? だめかな?」
優が名を覚えていた事で何かの枷が外れたのか、捲し立てる様に腰を上げて身を乗り出してくる灯花に、優は勢いに押されて若干上体を引きつつも。
「え、は、はい。優でいいです。えーと、と、灯花さん?」
「さんはいらないよー。それに敬語もなしで、ね?」
ぐいぐいと嬉しそうに顔を近づけてくる灯花に、ついに鼻の先が触れ合いそうになるのを優は感じ。
「と、灯花! 判ったから! かお、顔近いって!」
灯花からしてみれば女の子同士と言うこともあり、そこまで羞恥心が無いのかもしれないが。
お世辞抜きで可愛いと言える女の子に迫られて動揺しないほど、優は男を捨てている訳ではなく。
「お、おぉう?」
動揺からか頬を朱くして灯花の肩を両手で押し返した優。
ぽすん、と灯花は自らの席に座らされて。
「照れちゃってもー可愛いな~。女の子同士だってのに、結構初心なんだ?」
(あ、すごいデジャブ……)
灯花の悪戯っぽい笑顔に、とある女性の姿が脳裏をよぎっていった。
経験が語る、この子に深く関わるべからず。
おそらくは関わるとろくな目に合わないと、優の脳では警報が鳴り響いており。
「あれ、もしかして気を悪くさせちゃった……?」
弱々しそうに上目使いを行使し、僅かに首を傾げた灯花に優は息を詰まらせる。
これだ、女の子はこれだから反則なんだ。ずるいよなぁ……と、かっくりと肩を落とし。
こんな小動物が餌をねだる様に愛らしく迫られれば、年頃の男としては、拒絶の二言なんて選択肢が選べるはずも無く。
「いや、ちょっと驚いただけです。知り合いに同じように私を弄る人がいたので、ちょっとそれを思い出してしまって」
「あー、優ちゃん弄ると可愛いもんね、判るなーその人の気持ち」
「判らないで下さい」
引き攣った笑顔で肩を落とした優に、満面の笑顔で自らの頬に人差し指を添えた灯花。
その仕草に不覚にも胸を高鳴らせてしまい、そんな優に、はっと思いついたように灯花は両手を合わせ。
「あ、そう言えば優ちゃん、このあと何か予定とかあったりする?」
「? というと」
「せっかく午前で上がりだし、これから街で遊ぶ予定なんだー。友達も一緒なんだけど、良かったら優ちゃんもどうかな?」
これぞ名案とばかりに人差し指を一本立て、そう口にした灯花に、優はどう返事をすべきかを考える。
彼女が好意で誘ってくれているのは判るが、優としてはあまりこれ以上目立ちたくは無く(すでに遅いが)、それでいて正樹にも出来るだけ早く接触しておきたい。
護衛対象も今日の内には実際の姿を確認しておきたく、欲を言えば友好関係も築きたい所。
(悪いけど、ここは断るべきだよな)
席も隣ということもある、これからも話す機会はあるだろう、と優は申し訳なさ気に笑顔を作り。
「えーと、実はこのあと予定が――」
言いかけて、優は背後に気配を感じた。
思わず反射的に振り返ってしまう程の、圧倒的な存在感。
周囲全ての視線を独占しているのだろう、それはまるで昨日の自らを見ているようで。
「──と、話の途中だった?」
それは見る者全てを燃え上がらせ、燃やしつくす――紅蓮の河。
目を疑って振り返る者全ての視線を集め、そこで改めて釘付けとなる――白夜の化身。
(深山……、羽衣)
喉を鳴らし、優は思わず息を呑んだ。
特異な紅の長髪に、透き通るような白い肌。優を訝しげに見つめる、深淵の藍玉。
まるでお伽話の中の妖精のような、この世に存在していい者なのかと慄く程、異質な存在。
そのあまりの異質さ――美しさに、優は呑まれた。
「やっほー、は~ねい! もう三階級の方もホームルーム終わったんだ?」
「ええ、今日は顔合わせだけだったから。そんなに新しい顔が増えた訳でもないし、すぐに終わったわ。それで――」
親しげに灯花と会話を熟して見せた羽衣は、次に呆然と自らを見つめる優へと顔を向けた。
興味深げな視線が優に向き、そこでようやく凍結していた優の思考が回転を始める。
(な、なんでここに深山羽衣が? 確か三階級の生徒だったはず……、それに灯花さんとも知り合いみたいだし)
状況が呑み込めないあまり、思考が追いつかない内に次々と浮かぶ疑問。
やがて優が解を出すよりも早く、灯花が先に口を開き。
「あー、羽衣紹介するよ。今しがた友達になった夕凪優ちゃん、たぶん処女」
「ちょ、灯花さんッ!?」
にししと笑顔を浮かべて言った灯花に、思考も吹き飛ばして振り返った優。
(いや確かに否定しないけど一生そのままでいいけどさ!)
そんな優の顔はゆでダコのように真っ赤に染まっており、それを見た灯花は悪戯っぽく微笑み。
「あれあれ、それともーもしかして経験あったり? 意外とおっとなだね~」
「遊んでません! それに男に興味なんてあるわけが――」
言いかけて優はハッとなった。急速に冷えていく頭が、冷静に今しがた口にした地雷を珍味して行き。
「……もしかして、私貞操の危機?」
自らを両手で抱きしめて優から顔を背けた灯花に、優は焦って両手を伸ばし。
「ち、違うんです! 今のはそう言う意味じゃなくて――」
灯花の両肩を掴み、勢いよく迫る優に。
「……やんっ」
妙に色っぽく頬を赤らめた灯花は、満更でもなさそうに吐息を零した。
びきり、と優の表情が凍りつく。
「……あー、もしかして私お邪魔だったかしら?いえ、その。何と言うか……うん。おめでとう?」
ばっと灯花から手を引き、誤解を解くべく羽衣へと体を向ける優。
「ご、誤解です! 私はノーマルです! 平常に異性にしか興味がありません!」
灯花と羽衣が知り合いだったと言うことには驚きだが、こんな偶然を逃すほど優には羽衣と接点を作る妙案があるわけではなく。
こんな誤解で、いや誤解でもないのだが、とにかく羽衣と距離が出来てしまうような誤解を残して置く訳には決して行かなかった優は、両手を大きく振って懸命に誤解の意を示したのだが。
次の瞬間、羽衣はまるで耐え切れなくなったと言う風に、腹を抱えて笑いだし。
「え……、え?」
理解が追いつかない優の背後、灯花からも噴き出したように笑い声が上がる。
ぽつんと一人取り残されたような疎外感に、優はあたふたと羽衣と灯花に交互に顔を向け。
やがて一頻り笑うのに満足したのか、灯花が羽衣に声を掛けた。
「どう? 優ちゃん可愛いでしょ」
「そうね、これは久しぶりに遊びがいのある玩具……いえいえ新入生だこと」
羽衣は愉快気にそう口にすると、今だ理解が追いつかずに呆然としている優に向けて、右手を差しだし。
「高峰羽衣よ。貴方とは階級は違うけど、その分教えられることも多いと思うの」
だから──と続けるように、差し出した羽衣の右手に、優は未だ状況について行けず。
だがその差し出された右手の意味は言わずとも判り、同じく右手を伸ばすと、その手を取って握手を交わし。
「は、はい。夕凪優です、その、どうかよろしくお願いします?」
「ええ、こちらこそよろしくね、優」
友好的に笑顔を浮かべる羽衣とは反対に、未だ戸惑ったまま……苦笑を浮かべる優であった。




