16.新たなる非凡な僕私-6
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少女の手を引き騒動の場から離れ、早々に目に留まった喫茶店へと一先ず入店することにした優。
人目を避けるためにと店内の一番奥の席を陣取り、そうしてようやく腰を落ち着けた。
──かと、思えば。
「申し訳ありませんですぅうっ!」
少女はそう叫び、先程とは打って変わって、今度はどういう訳かぺこぺこと優へと頭を下げてきた。
まったく少女の今の心理状況が理解できない優は、もはやなんて慌ただしい少女なんだと、そう戸惑うことしか出来ず。
「す、少し落ち着きましょうか」
自然と浮かんでくる苦笑とともに、一先ずそう口にして少女を嗜めることにした。
──のだが。
「落ち着いてなんていられないです! 命の恩人ですよ! 対応がどうであれ、救われたことに代わりはないのに私としたことが……、ああ! 何が《神の御使い》を目指す者同志ですか! 礼を弁えて居ない私なんてまずそれ以前の問題じゃないですかぁああ!」
ゴンッゴンッゴンッと音を立て、まるで釘でも打つかのように机に自らの額を何度も打ちつける少女。
まるで嵐のような暴れ具合に気圧され気味の優、というよりもはやどう手を付けていいかわからなかった。
「い、命の恩人なんて大袈裟な……。というかもうお止めに……せっかくの綺麗なお顔が台無しになっちゃいますから」
あ、あははー……と、恐る恐るといった具合で言葉を選んだ優に、少女の動きがぴたりと止まった。
優の言葉に顔を上げる少女。
言葉通りに、打ち付けていた額はすでに真っ赤に染まっており。
「で、ですが……、なんと私はお詫びをしたらいいか。せ、切腹?」
「戦国時代か。いや、普通にお詫びなんていいですから」
「そういう訳には行きません! せ、せめてこの恩知らずめにここのお代金だけは払わせてくださいますよう!」
「え、あ……はい。それではそれで水に流すと言うことで――」
「店員さんカモン! 店にある物全部持ってきてくださ――」
咄嗟に身を乗り出し、優は少女の口を塞いだ。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
少女の言葉に駆けつけて来た店員に、優は無難に紅茶を二つ頼み、営業スマイルを浮かべて去っていく店員をしり目に少女から身を引いた。
「な、なにをするのですかぁあ!」
「それはこっちの台詞です」
僅かに怒気をはらんで言った優に、少女は不満そうに口を尖らせ。
「だってあれじゃないですか、私が罪を報いるにはそれ相応な対価が必要になってくるわけで――」
「押し付けがましい贖罪は罪を報いる事になりません。はっきり言って迷惑です」
包むことなく本音で心境を吐いた優に、ぴきりと音を立て項垂れる少女。
「……ごめんなさい」
「はい。少しは頭が冷えましたか?」
頭を上げ一度大きく息を吸うと、それを吐きだす少女。
すると先ほどまで忙しなく動いていた表情が、ようやくきっちりと整い。
「お騒がせしました。改めまして、如月美羽ともうします。先程は窮地の所をお助け頂き、また助けて頂いたにも拘らず無礼な態度をとったこと。心からの感謝と、心からのお詫び申し上げます」
丁重に腰を折り、言葉を口にする少女――美羽に。優は少々驚いたように目を瞬きさせ。
「お姉さま?」
「え? あー、うん。えっと……如月さんってそっちが素なんですか?」
先ほどまでの見た目どうりの子供っぽさと、現在優が美羽から感じている大人びた雰囲気。
頭を冷やしたのか冷静になったと言えど、そのあまりの変貌ぶりに思わず驚き聞いてしまった優に、美羽は僅かに頬を羞恥に染めて視線を逸らし。
「先程の事は忘れてください。気の迷いです。いえ、何か霊的な物で私に摂り付いていたのでしょう。あれは私ではありません」
「え、えぇ……」
「そ、そんな事よりですね。お姉さま、お一つ提案があるのです」
「提案?」
首を傾げた優に、一層頬を朱く染めて美羽は口を開いた。
「そ、そのですね。先程の街中での一件なのですが」
「あー……ナンパされていたことですか?」
優の問いに頷き、どこか言いずらそうに体を縮め込む美羽だが。
「やっぱりあれはそうなるのでしょうか。なにぶん初めての経験だったもので」
そう言った美羽の意外な告白に、僅かに眼を見開く優。
「……意外です。如月さん、大変可愛らしいのに」
「はい、そうなんです。自分で言うのもあれなのですが、私凄い可愛いと思うのですよ。でもですね、つまりはそう言うことなんです」
「えーと、つまり?」
「マスコット、小動物保護欲。……ぺったんこ」
自らの胸部に両手を置き、その耐え難い事実に項垂れた美羽は続けて呟いた。
「幼女趣味は犯罪です」
苦笑でしか答える事の出来ない優であった。
「まぁ、つまりはそう言うオチなので。初めてでいきなりな事に対応を誤っただけと言いますか……。心の準備さえ出来て居れば普段の気丈な私の対応で一喝だったんです」
「え、気丈?」
「で、ですから。その……今回の件は他言無用とか……、そういう訳にはできませんでしょうか」
一生の恥とでもいうように縮こまり顔を真っ赤に染めている美羽に、確かに優は先ほど美羽が自ら口にした保護欲なような物を、まじまじと感じてしまい。
「言われなくとも、誰にも言うつもりは無かったですよ。全然気に病む事なんて――」
「ほんとですかっ! なんとお優しい……、まさかあのミルズ支部にこんな素敵なお方がいらっしゃったなんて……はぅ。今まで知らずにいた自分が恥ずかしいです! この目は節穴です! 一生の恥です!」
ガンッガンッと音を立て机に額を打ち付け始めた美羽に、またかと優は身を乗り出し、今度はそれを抑えた。
美羽の頬に右手を添え、きょとんと不思議そうな顔で見返してくる美羽に、優は、
「だからダメですって。せっかくこんなに可愛らしいお顔をしているのに……、傷がついたら大変ですよ?」
にっこりと微笑み、そう口にした。
「…………きゅん」
「きゅん?」
そんな優に対してか、突然謎の言語を発する美羽。心做しか、その表情はぼんやりと熱っぽく、溶け出しそうなものへと変化しており。
「失礼かもしれませんけど……、お姉さまはどこか凄く男らしく――頼りがいがあるように感じます。触れられていると……、こう胸の奥が温かくなるような……」
触れる優の右手に、自らの両手を重ねて、次に瞼を瞑ると甘える様に頬ずりをする美羽。
一方、優は今しがた美羽が言った言葉を反芻させ、心ここにあらずとなっていた。
(お、男らしい……僕が? ふふ。何だこの子凄く良い子じゃないか)
自然と頬が緩み、お世辞にも頼りがいがあるとは言えないその表情は、幸いにも美羽には見られていなかった。
普段から男らしい、などと男を匂わせる賛辞など貰った経験のない優にとって、今の一言はこれ以上にないほどの喜びを覚えるものとなり。
──それはもう、自らが現在女性である事など忘れてしまう程であった。
可愛い物は愛でたくなる、優はついつい意地悪をしてみたくなり、今もご執心に頬ずりを続ける美羽から右手を遠ざけ。
「あっ……」
すると名残惜しそうな声がぽつりと漏れ、悲しげに表情を歪ませる美羽。
その手が物欲しそうに僅かに優へと伸びた。
その反応にくすりと優は微笑を零すと、今度は離した右手をもう一度美羽の頭に向ける。
今度はその手を頭の上に乗せて、少しの意地悪に謝罪の意味も込めて、やんわりと優しく撫で回し。
「あ、あの……」
「うん?どうしましたか?」
うっとりとした表情で優を見つめる美羽に、優はこの上なくごきげんな表情で、小動物を愛でる様に頭を撫で続けていたが。
「私、恋をしてしまったかもしれません」
ぴたりと、優の右手が動きを止めた。笑顔は、凍結した。
両手を胸の前で合わせて、美羽は自らの高鳴る鼓動を確かめながら、瞳を潤ませた。
「こんな気持ち、産まれて初めてです。これが初恋というものなのでしょうか。私、お姉さまに恋をしてしまったようです」
美羽の投下した、もはや核弾頭並みの爆撃の直撃を受け、一気に正気に戻った優はさっと右手を引く。
出来るだけ冷静を保ち笑顔を作るが。その笑顔は引き攣り、口元からは乾いた笑い声が漏れ。
「……そ、そのお姉さまに思いが通じるといいですね。あはは」
苦し紛れにそう誤魔化した。が、美羽は一層瞳を輝かせ止まらない。
「はい。時にお姉さまは、同性を愛してしまう女の子のことをどうお思いでしょうか?」
「え、あー私は別に否定はしないですね。その好意が自分に向くとまた話は別ですけど。そのお姉さまはどうなんでしょうね?」
優の返しに「よし」と美羽は小声で呟き小さく胸元で拳を握りしめた。
勿論それは優の耳にはきちんと聞こえており。
(どうしてこうなった。あれ、僕今女……だよな? 生物学上的には。いや嬉しくないか嬉しいかで聞かれるとそりゃもう素直に嬉しいと言えるんだけど。え、だけど同性ですよ? まずいだろうどう考えても。いやでも本当は男だからいいのか……? いやいやそういう問題じゃない。とにかく、これ以上この子と一緒にいるのは不味い気がする、精神的に)
どうにか言い訳を考え今はこの場を立ち去ろう、そう考える優だが。
咄嗟に浮かぶ口実も無く。とにかくこの空気を何とかしようと話題をずらす作戦に出る。
「そ、そういえば。さっきから気になっているんですが、そのお姉さまって誰のこ――」
「あぅ……、言わせる気ですか。そうやって私の反応を楽しむ気なんですね。でも……そういうSっ気が在る所も素敵です。えへへ」
恍惚とした表情で身を捩じらせる美羽に、優はどうやら火に油を注いでしまったようだと自らの考えの浅はかさを呪った。
「な、何で私がお姉さまなんですか?」
「それは……、だってお姉さまは私と同じ第三階級の生徒じゃないですか。私よりも年上でいらっしゃるみたいですし、それならお姉さまとお呼びするに他は無いと思いましてですね……」
第三階級、とはビフレストの最上級生の事を指している筈なのだが。真実、優はビフレストの新入生である。
というかこの子第三階級だったのかと、さらなる爆撃を受けつつ。
まず、なぜ美羽がそう思い至ったかは判らないが、自分が第三階級なのだろうという誤解から解かなければいけなそうだと。
「な、何かもの凄い誤解があるみたいなのですが……、とりあえず何故そうお思いになったかお聞きしてもいいですか?」
「誤解……、ですか? さっきのあの動き、見た限り体術では私の遥か上を行っているように見えました。手元を捻った所までは見えたのですけど、あとはさっぱりです。そして、それほどの動きをしたにも拘らず神力の反応すら残さない技量。何年もの間訓練を積まなければ到達しえない域です、ですから当然候補生であるなら第三階級かと思った訳なのですが……。年齢の方は、その……凄く大人びて見えましたので」
何を見て第三階級と判断したかと思えば、どうやら神力が無い事を隠せる程の技量を持っていると、そう判断したかららしい。
これはどう言ったものかと、優は頭を悩ませて。
「なるほど……そう見られたわけですか。あ、ちなみに年齢の方はお聞きしても?」
「今年で十八になりますね。……成長期は終わったのです」
どこか遠くを見つめる美羽に、苦笑を浮かべて困り果てる優。
(と、年上……、なんか散々年下扱いとかしたけど。それにお姉さまなんて呼んでるし、これは……)
美羽のプライドを考え、真実を明かすべきか、否か。
それを決めかねている優に、美羽は物憂げな表情で溜息を吐き。
「もうしわけありませんお姉さま。悔しい、殺意すら芽生る事態なのですが、そろそろその……時間のようです」
店内に吊られている針時計で時間を確認したのだろうか、美羽は唐突にそう口にすると、また一つ溜息を吐き。
「このあと人と待ち合わせているのです。そもそもわざわざ私がこうしてミルズの街に足を運んでいるのも、奴を待っていたからなので。あんな奴居なければまだお姉さまとお話しができていたのに……、とか思いもしましたが、奴との待ち合わせが無ければそもそもお姉さまとの出会いも無かったので、そこは感謝するしかないですね。くそったれ」
美羽の唐突な切り上げ話に、内心でホッと胸を撫で下ろす優。どうやら難はあちらから去ってくれるようだと安堵するが。
「あのお姉さま、どうか最後にお名前と連絡先と身長と体重とスリーサイズと好きな女性のタイプと誕生日と血液型とあと好きな食べ物と好きな女性なタイプとご趣味とをお教えいただいても――」
「うん、私携帯とか持ってないので。名前は夕凪 優です、あとは黙秘で」
「夕凪優さま……、ゆー……お姉さま……はぅ」
恍惚とした表情で優の名を噛みしめる美羽、その目は完全に恋する乙女であった。
次いで、美羽は恥ずかしそうに身を縮めると、おそるおそると優に聞いた。
「あの、ゆーお姉さま。最後に一つお願いがありまして」
「え? あーうん。なんでしょうか? 聞くだけなら何でも」
一泊の間を置き、美羽は耳までを真っ赤に、顔を俯けて。
「……別れる前に、もう一度だけ……頭を撫でてほしいのです」
そのあまりに可愛らしいお願いに、つい思わず優は微笑みを零し。
自然と美羽の頭に手を伸ばし、優しく撫でてしまっていたのだった。




