地震
「違うってどういうことですか?」
「いや、何でもない」
三浦、なぜおまえがキレる。
「約束通り、こいつを元にもどしたぞ」
「ひどいやり方を…」
「驚くなって言ったはずだぜ」
絵里奈は、おれの体に尻をぺったりつけたまま、下半身はアヒル座りの体勢で、顔を胸にくっつけている。体柔らかいな…。丁寧に撫でている髪からほのかにシャンプーの香りがする。…うう、女くさい。全体の姿勢がカエルのようだ。はしたない…。学校一の美少女が台なしだ。
…まずいな。
気づくなよ…。気づいても言うなよ…。
いきなり絵里奈は胸から顔を外すと、おれの顔の横、耳元に口をよせた。バカ…、吐息が…。
「ふふっ、高彦……」
含み笑いが耳の中をくすぐる。
「おっきくするな」
「おいっ、みんなに言うなよ…」
いきなり上半身をガバッと上げた。
いやな予感的中。
「みなさーん、こいつはねえ、今いやらしいことを考えてますよー」
女性陣の視線が痛い…。しかしいつもこういう時まっさきにツッコミを入れてくる村雨が何も言わんな…。
「ああ、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い! 部室だろうがどこだろうが、あたし二度とあんたと二人きりにならないわよ。この変態!」
「おいっ、ものすごく傷つくぞ、それ!」
「三浦さん…、あの人、そう思うんだったらお兄ちゃんの上からどけばいいんじゃない?」
「そう思ってないんでしょ…」
「四年越しの恋なんだ…。中等部の舞台でベアトリスをやっていたのを初めて見て以来の…、遅い初恋の人なんだ! ずうっと好きだった女の尻が体の上にあったら、だれでもヘンな気になるだろうが!」
「そんな経験は、だれでもできるわけじゃありません!」
絵里菜の手が下に降りていって、おれのものをすーっと…。
「おい…」
いきなり手首を返してその下のモノを握りやがった!
「おいっ!」
「バーカ。何期待してんの? 今はあんたを喜ばせるようなことはしないわよ!」
あわてて手を下にやる。こいつの脚とデカい尻が邪魔してなかなかとどかない。なんとか手首だけはつかんだ。
「男の力で振り払おうったって無駄よ…。今、あたしがちょっとでも力を込めたら…」
「おい、絵里菜、話し合おう。暴力は何も生み出さな…」
「よくもさっきは、あんなひどいことを言ったわね!」
「お、おまえ…。許してくれるって言ったじゃないかよぉ…」
「安心しなさい。つぶしゃしないから…。だってあたし、二人くらいは産みたいもの!」
「恐ろしいことを言うなあ!」
ぎゅっ。
ぎゃぁぁぁぁぁぁ!
「おい、そこをどけぇ! 気持ち悪い。苦しい。腹がいた…」
「お兄ちゃん!」
「部活中だ。先輩と呼…」
「だめだよ、女の子をあんな目にあわせちゃ!」
きゅっ。
きゃぁぁぁぁぁぁ!
「おまえら! 自分のしたのがどんなに恐ろしいことか…」
「ユリエちゃん! 誰がさわっていいって言ったのよ! ………なに足をモジモジさせてるのよ。まさか濡らしたの! 変態! 中坊のガキのくせに! こいつはあんたの実の兄よ!」
「部長さんこそ、今はいている下着を先輩に見せてあげたら? 高彦さんへの想いでベトベトだよねぇ!」
どこかでガタッという音がした。
「また大きくしたわね…。まさかあんた、ユリエちゃんのパンツの中を想像…」
矛先がこっちに帰ってきた!
「するか! おれはそこまで変態じゃない!」
「じゃああたしのパンツの中は?」
わからない…。どっちが正解だ? やむを得ず正直に答えた。
「いや…、ちょっとだけ」
またガタッという音がした。
「えいっ!」
ぎゅっ。
ぎゃぁぁぁぁぁぁ!
…ガタガタガタガタッ。…さっきの物音はこれの伏線か!
「地震だ…。絵里菜、そこどけ!」
しかし絵里菜はおれの体からどくどころか、思いっきりおれの上半身に覆いかぶさり、おれの頭を抱え込んだ!
「ど、どけえ…、きけん…」
叫んだつもりだったが、絵里菜のデカい胸が邪魔で、満足に声が外に出ない。同時に床がバウンドするように波を打った。シャンデリアがブランコのように揺れているのがわかる。
「このままじゃこいつが危険だ! 榛名! おれたちの体勢をひっくり返せ!」
「『おれたち』か…。やっぱりウチより部長さんの心配をするんだね…」
「おまえは大丈夫だ!」
「高彦さんが大丈夫じゃないよ!」
「こいつがおれを殺すわけがねえだろ!」
「いつもならともかく、今の部長さんは、悲しみと喜びと、怒りと恥ずかしさと、そのほか色んな気持ちがごっちゃになっていて、自分でも何をしたいかわからないんだよ! 何が起きるかわからないよ!」
照れ隠しのために死なれてたまるか!
「おれは大丈夫だ!」
「そんなの、わかんないよ!」
「今日もまた、おれは絵里菜に嘘をついた…。おれは嘘つきだ。だけどおれは、おまえにだけは絶対に嘘をつかない! おれは大丈夫だ…。やれ!」
床から体がふわっと浮いた。上半身をひねり、同時にそばにあった壁を右足で蹴った。自分と絵里菜の体を半回転させて、絵里菜の後頭部に手を当ててそっと床に寝かせる。上まで這っていき、絵里菜の頭をぎゅっと抱えた。
榛名の足が見える。三浦もそばにいる。村雨は…。
一人だけテーブルの下に潜り込んでいる!
「鈴、こっちに来い!」
三浦が叫んでいる。
「いやっ!」
「ここが今世界中でいちばん安全なんだ!」
「怖いから無理!」
「部長がおまえを殺すわけがないだろ!」
「いや…。今日の澤霧先輩…、怖い!」
「今はもういつものこの人だ! 女を無責任に甘やかす、バカがつくほどのお人よしが帰ってきた! さっきまでの神の支配者でも、世界の支配者でもない!」
「女の子にあんなひどい嘘をつく人なんて信用できな」
「おれを信じろ!」
この喧噪の中で、村雨が息を飲むのがはっきり聞こえた。
「鈴…」
「……」
「走れ!」
バタバタバタバタ…。ガン!
「ぐえっ…」
腹に頭突きをくらったな…。