おまえの敵なら、どこの誰でも
村雨が椅子の上でぼうっとしている。三浦が立ったまま呆然としている。メイクさんが、メイクボックスを抱きしめながらおれを見まいとしている。榛名は比較的落ち着いているようだ。いつの間にか手を離した支配人さんが、こちらに尻を向けて四つん這いになっている。
…絵里菜が、床の上にぺたりと座り込んでいる。
いきなり立ち上がってパソコンから無線RUNを引き抜き、窓をガラリと開けた。パソコンを窓の外に出す。
支配人さんが這ったままで言った。
「秋月さま、下に人がいたら…」
言ってやった。
「下に人なんかいませんよ」
あいつはパソコンを窓の外に放り出した。またぺたりと座ってしまった。大きく息をしている。パソコンが地面に当たる音は聞こえなかった。
そのままあいつに言った。
「そうだ。おれはおまえが好きだ。
出会った時から、おまえが好きだ。
…とでも言えば恰好がつくのかもしれないが、事実は少し違う。
初めて会う前から、おれはおまえが好きだった。
ここまで恥をかいたんだ。
これを言ってしまった以上、おれはもうおまえのそばにはいられない…」
あいつが座ったままこちらにくるりと振り返った。蒼白だったあいつの顔に、色がもどっている。
腰を落としたまま両手を床についた。まるで獲物に跳びかかろうとするネコ科の動物のようだ。
上目使いにおれを見てニヤリと笑った。
いいねえ…。
やっぱりこいつはこうでなくっちゃ。
おかえり、絵里菜。もどってきたか。
おれは体をあいつに向けたまま後ろの扉を開けた。
「それを聞いたからには…」
「今度こそお別れだ。じゃあな、絵里菜。さ・よ・う・な…」
「逃がすかぁっ!」
「らぁぁぁぁっ!」
ある程度予想はしていたが、そのまま突進してきやがった…。
姿勢を低くしたまま、おれの両膝の裏に手をかける。
見事な諸手刈りだ。ドレス着てやることじゃないが。
体を左側にひねって受け身を取った。あいつがそのまましがみついてくる。マウントとられたな…。
「あんたに、恥をかかせてやる…。人前で恥をかかせてやる…。あんた、これを聞いたら恥ずかしくて恥ずかしくて、二度とあたしの顔をまっすぐ見れなくなるわよ!」
胸の上で絵里奈が絶叫した。
「おそい…」
「…は?」
「遅い…、遅い…、おそい! 今まで何をしていやがった! 何でとっくに言わなかったんだ! このドロガメ野郎!」
ガッツーンという音がして目から火花が跳んだ。こいつ、思いっきり頭突きしやがったな…。
「あんた、よくもあたしにあんなモノ押させようとしたわね!」
ガッツーン…。おまえ、頭蓋骨の中に鉄球かなんか仕込んでないか。
「あんたをそんな目に会わせるくらいだったら、あたし電車の中で丸裸になるわよ!」
「捕まるからやめろ」
捕まらなくてもやめろ。
「あんたをそんな目に会わせた奴がいたら、地球の裏側でも追いつめていって、なぶり殺しにするわよ!」
それは…、やるだろうな。おまえなら…。
「あんたがこんな情けない奴だとは思わなかった…。ガッカリしたわ…」
話の展開が無茶苦茶だ。だけどとりあえず頭突きは来ないようだ。
「ちっとくらい女が拗ねたからってなあ、大の男が本気になるな!」
ガッツーン…。アタマの痛さで発狂しそうだ…。
「あたしはあんたの前に立っている時は、いつだって本気だ!」
ガッツーン。アタマが…。
「なにが敵だぁ。おまえの敵は、どこの誰だろうが…、あたしの敵だ!」
ガッツーン。…以下略。
「よーく聞きなさい。高彦、あんた二秒であたしを殺せるのよ…。あんたに『死ね』って言われたら、あたしは! どんなに怖くたって死ぬしかないのよ!」
ガッツー…、以下略。
「だけどそんなことは全部許してあげる。あたしに押せるはずがないものを押させようとしたことも…。女の子相手に本気を出したことも…。『敵』だって言ったことも…。あたしを殺そうとしたことも! ぜんぶぜんぶ許してあげる…。だから、だから…、だからさあ…」
いきなりあいつが胸に顔を押し当ててきた。
「いつぼみだいにやざじぐじでよぉ…」
絵里奈がおれの胸に顔を埋めながらオンオン泣いている。いつのまにかおれたち二人をのぞいたほぼ全員が立ち上がってこちらを見ていた。
「もしかして、こいつが望んでいたことって、これか?」
絵里奈の髪を撫でてやりながら、こう聞いてみた。
ほぼ全員が頷いた。ただ村雨だけは少し離れたところからこちらをうかがっている。
「こいつはそんなもののために今まで大騒ぎしてたのか?」
ほぼ全員が頷いた。なんでこいつら怒ってるんだ?
「……違うな」