内股
「部長を後悔させるか…、たとえばこんな風に?」
三浦が銃を床から拾って隣に立ち、おれの左胸に銃口を向けた。
「…空鉄砲構えて何をしている」
「あんた忘れたのか? ロシアンルーレットをする前にタマを床に落としたじゃねえか。それをポケットに入れてたんだ。それをもう装填している」
こいつ、ガンマニアだったのか? …ガキだな。
二人でにらみ合った。
「フン。部長を後悔させるんだったな。絶望させたら元も子もな…」
背後でガタッという音がした。
いきなり立ち上がって左手で銃をつかみ、右手で襟を取り、へたくそな内股を放った。
三浦の体が空中で一回転する。
間に合え…。間に合え…。
三浦がそのままテーブルの向こうにとんでいく。銃が床に落ちる。床の銃を蹴飛ばす。銃がテーブルの下に隠れる。入口のドアが勢いよく開く音がした。
「高彦! あんたやっぱり覚悟が無いの! …何やってんの?」
背を向けたまま言った。
「絵里奈…、ホテルの一階にコンビニがあるからパンツ買ってこい」
「はぁ?」
「おれは、最低限自分を守ろうとしない奴を守ることはできない」
あいつがにらみつけている視線を後頭部に感じる。
「さっさと行け!」
バタンッという背後のドアが閉じる音がした。
膝から崩れ落ちた。
間に合った…。
テーブルの向こうから三浦が顔を出した。
「いやあ…、いま先輩が守ったのは部長でも榛名さんでもない…、ぼくですね」
楽しそうな顔しやがって。
「当たり前だ。おまえだろうが、死なれてたまるか」
椅子に腰掛けた。まだ息が荒い。
「さっさと座れ」
「大活躍ですね、先輩」
「今日は、絵里奈を守りながら、支配人さんを守りながら、お巡りさんを守って、しまいにはおまえか! 何でもかんでもおれにやらせやがって…」
村雨だけはおまえが守れよ。
メイクさんがポツリと言った。
「『ワンピでなければ萌えではない』」
真冬なのに、あんな格好しやがって…。
「外見にすぎません。外見を自分の好みに、ほんの少しいじっただけですよ」
三浦がおれの隣に座った。
「話の続きだ。この事件の冒頭部から書き換えさせる。おれが気絶したことを使う。あいつ自身のつらいことじゃないから、おれとしても強調しやすい。つまり『おまえの前で倒れたことが恥ずかしい』といつまでも言い続けるわけだ。それで『時間を巻き戻すことができたら』と繰り返す。あいつは無意識のうちに今日あったことを全てなしにしてしまう。別の次元からの攻撃。本物のアウトレンジだ」
「そこならば使えるってことですか?」
「それだけじゃない。この事件の本質にかかわることだ。まず、あいつが今日、なぜあの姿をしたのかってことだ。そしてなぜおれが気絶したのか。気絶から覚めてあいつのことを苗字で呼んだのはなぜなのか」
「最初の質問になら答えられます。部長はあの姿をしてあなたの隣に立ちたかったんですよ」
「『あの姿』にはどんな意味があった」
「たとえおままごとでも、あなたと結婚したような気持ちになるためでしょう」
「全然違う」
「どういうことですか?」
「あれは、あいつの、戦闘服だったんだ」
「戦闘…。誰と戦うんですか?」
おれに決まってるだろ。
「だから、汚れようが破れようがかまわない…」
「はあ…」
こいつの想像外だったらしい。
「おれが気絶した理由だが、『過換気症候群』とか支配人さんが言ってたが、実はもっと格好悪い病名だ」
「それ以上に格好悪いって…」
この野郎…。
「ヒステリーだ」
「はぁっ?」
「『劣等感、孤独、性的不満、対人関係などの心理的感情的葛藤が運動や知覚の障害などの身体症状に無意識的に転換される反応。他者の注意をひき、その支持を期待するという合目的性が本人の意識しない形で含まれると見られる』…、つまりおれは無意識のうちに、倒れることによってあの場をワヤにしようとした」
「何のためにそんな…」
「あのな、ウェディングドレス着た女がブーケ持って迫ってくるんだぞ! 怖くないわけねえだろうが!」
三浦、村雨の方を見るなよ。にらんでるぞ。
「そして目が覚めたとき、あの姿をしたあいつが目にとびこんできた。おれは恐怖のあまりあいつの『旧姓』…、『秋月』で呼んでしまった。…こう考えれば全てのパーツが当て嵌まる」
「先輩。もう一つ気になることがあります。部長が『いつものようにやさしくしてほしい』と望んでいたことについて、『違う』と言っていた」
「あいつが何を望んでいたかを聞きたいのか」
「その通りです」
「あの時、あいつは…、おれに殺してほしかったんだよ」
「殺すって…」
「大袈裟なんだよ。たしかにキスされるフリをして携帯でキス顔を撮るなんてひどくタチの悪いイタズラだが、それでもイタズラだ。死ぬの殺すのっていう話になるか?」
「カリスマの担い手」
「あいつのことだな」
「カリスマ・トレガーが態度を決めれば周りはそれに流されてしまいます。支配人さんはいいようにしか言っていなかったけれど、ああいうギラギラしたカリスマっていうのは、他人だけでなく自分さえ傷つけてしまうことがある。だからあなたは、今までそれを自分の奥底に隠してきた。しかし今日部長が危機に、それも生命の危機に直面した。あなたは自分のカリスマを抜き放たざるを得なかった。まさに伝家の宝刀…」
そして両刃の剣。
「そのせいなのかもしれないが、あいつはそれほど後悔していた。だから殺してやった。だけど死にっぱなしでは仕方がないから、その後生き返らせてやった。…あいつはおれたちよりはるかに強い。だけどはるかに弱い。あいつの強さは素直に尊敬できる。おれはあいつの、弱さが怖ええ…」
「だけど、だからといって、全てを無しにしてしまうというのは、あまりに…」
「あいつ今日おれに何をさせやがった! 殺人未遂だぞ、殺人未遂! おれは好きな女が死にそうな顔をして苦しんでいるところを見る趣味なんかねえ!」
おれはテーブルの上にあったモノをつかんで床に叩きつけそうになった。
「君! それは…」
モノを見た。ティーカップだった。
「マイセンだな。カップだけで六万五千円…、一客八万四千円っていうところか」
メイクさんが驚いている。バカにしてるのか。
「要するに…道具だ。お茶を飲むための道具だ。道具はその目的に合った使い方をするべきだ。八つ当たりのために使うべきじゃない」
そっとテーブルにもどした。
「役者も同じだ。演出や脚本家のイメージ通りの場面を作るための道具であるべきだ。余計なことに使われるべきじゃない。ただの役者のおれたちが介入した物語なんか、ボツにするべきだ」
三浦に向き直った。
「おれの言うことがわかるか」
「わかりますが、しかし…」
「おまえに協力しろとは言わねえ。ただ、黙って見過ごしてくれればいいんだ!」
メイクさんがテーブルの向こうにまわった。
「おまえが罪悪感を感じることもない。リセットされればリセットしたことさえなしになるわけだからな」
「そういう問題じゃ…」
「今日のことであいつは相当傷ついたはずだ。リセットすればそれも無しになる。大丈夫だ。うまくやる…。あいつの傷を完全に元通りにしてやる!」
これは効いたらしい。
「そうですか…。あなたの気持ちがわからないこともない。できることならやりましょう」
三浦の手をつかんだ。
「ありがとう、恩に着る!」
「おい…、そこの色男…」
「康一郎、呼んでるぞ」
「おい…、そこの女たらし!」
「先輩、呼んでますぜ」
「二人ともだ!」
三浦といっしょにメイクさんに襟首をつかまれた。