泣き虫王女と俺
「いつまでもシケた顔してんじゃねーよ。」
王城内離宮の庭で、すれ違いざまに呟いた俺の言葉はしっかり王女に届いていたらしい。動揺が伝わり、振り返って俺を見ているのがわかる。
もう、一年なんだ。もう…。
俺の配属された王宮騎士団は、その名の通り、王宮内の警衛を主な職としている。だから、口外することはないが、王族の私的な面を見て知る事も多い。この国には、五人の王子と、二人の王女がいる。今すれ違ったのは、第一王女。去年、隣国の王子に失恋した女だ。
王族同士の婚姻なんて、愛があるはずがない。打算と国益を見て考慮した駆け引きの末、隣国の王子は別の国の王女と婚姻を結んだ。よくある話だ。ところがどっこい。うちの王女様と来たら、ずいぶん脳内はお花畑だったらしい。よく言えば純粋。
隣国の王子の口だけの甘い言葉を信じ切って。未だ立ち直れていないらしい。現実見ろよ。全く。なーにが「あなただけを愛しています。」だ。薄っぺらい口説き文句でコロッと惚れて、あんな顔だけ野郎のどこがいいのか。
「あの…。」
王女の小さな声が聞こえたが、無視した。ちょうど前から団長が歩いて来ていたしな。王女が何か言っても、しらばっくれてしまえばいいんだよ。団長に礼をとる。団長には、王女が団長を見たように見えるだろう。王女と、王女のご機嫌伺いをする団長を残して、さっさと俺は立ち去った。
ふわりと王女が俺に微笑む。全く。何でこんなことになったのか。この間の一言のせいかよ。あーもう。やってらんねー。あ?俺?侯爵家の長男だけどよ。表面的には無口だし、普段は丁寧な言葉しか使わねーって。内心、こんな口が悪いなんて、誰も知らねえし。ああ。知ってるのは従兄弟のマルクだけかな。
「騎士、スイル。」
「ハッ。」
手を取り、馬車までエスコートする。今日は城下の孤児院視察。女性騎士をいつも連れていくのに、今日は馬車内での第一警護に指名されたのが俺だ。城下は心配なんだとか言ったらしく、女性騎士は馬車横で警護している。まあ、メイドが二人も同乗しているから、二人っきりでもないし、黙っとけばいいんだけど。それも面倒。馬車内で見えない周囲の音を拾って有事に備えるとか、神経使うばかりでクソつまんねえ。
王女が扇子を開き、優雅に扇ぎだす。甘ったるい香りが馬車内に広がる。んん?この匂い…。王女を見るとふんわりとほほ笑む王女。
二人のメイドがぼんやりした表情をしている。睡眠系の薬効か。王女を睨む俺を見て王女は少し寂しそうにほほ笑む。
「何のつもりですか?」
「話がしたかっただけよ。」
「私とですか?」しらばっくれる俺。
「わかってるの。自分で。みっともないわね。もう、一年も経つのに。」
そう言って、少し目を伏せる王女。美人なんだからさあ。わかってるって言うんだったら、さっさと誰かと結婚してしまえばいいんだよ。そう思っていると、王女の手にポトリと、雫が落ちた。
「泣くなよ…。」つい。普通に話してしまった。
王女が俺を見ながらポロポロと涙をこぼして泣いている。ああ。どうしてこんな面倒な事になっちまったんだよ。
メイド二人は完全に眠ってしまっているらしい。目的地の孤児院までもう間もなく着こうというのに。
馬車の重心が急に変わらないように気を付けて王女に近づく。
「失礼します。」そう言って、王女を抱きしめる。
「もうすぐ着く。換気をしてメイドを起こす。10秒で泣き止め。」俺の言葉に、頷きながら、ギュッとしがみつく細い腕。
心の中で数えた10秒きっかりで王女を引き剥がす。
何食わぬ顔で、両側の換気窓を開ける。王女の振りまいた薬効で少し頭がボーっとしそうだ。ちっ。そう思っていると、王女が先ほどの扇子を取り出して、フワリと扇いだ。さきほどの甘ったるい匂いではなく、酸味のある果物のような清涼感のある香りが馬車内に広がる。スッと頭が冴えていく。
さすが王族。薬剤耐性は高そうだな。まったく、どんな仕掛けになった扇子だよ。王女に声をかけられてメイドが目を覚まし、慌てて謝罪している。メイドを叱らない優しい王女様の出来上がり、か。見事な切り替えだな。もともと美人だからか?派手に化粧をしていないこともあって、泣いたなんて微塵も感じさせない。やや瞳がうるんでいるが、それだけだ。
これ以上、面倒ごとに巻き込まれませんように。そう心から願って。俺は残りの日程を消化したのだった。もちろん、馬車の窓は常に開けていた事は言うまでもない。本当に。泣き虫の大人しい王女様かと思っていたら、何されるかわからない、怖い王女様だったってわけだ。
☆
「いつまでもシケた顔してんじゃねーよ。」
空耳かと思った。でも、確かに聞こえた。離宮の庭園。満開の花の中で、今すれ違った一人の騎士を振り返る。彼は…。振り返った先に、騎士団長の姿。礼を取り、何事もなかったかのように立ち去る騎士。彼は、確か侯爵家の…。
騎士団長が私に挨拶して、話をする。来週の孤児院視察の日程について。折しも、数日前に賊に子爵家の馬車が襲撃されたばかり。と、言っても領地の治安が悪く、個人的な怨恨の線が濃厚なのだが。ポツリと「心配だわ」と、言ってみた。団長は困った顔をしたが、今まで警護に口を出したことが無い私の発言に、配慮されたらしい。少しのやりとりの後、直属で付いている女性騎士を目立たせるように配置して警護体制を整える事になった。馬車同乗の騎士に、家柄を考慮したようにして、先ほどの騎士を指名した。
彼は。どう反応するのかしら…?
何事も無かったように進む馬車。先日、すれ違いざまに言われたと思ったのは、私の聞き間違えだったのだろうか。
睡眠剤を含ませた扇子をふわりと扇ぐ。即効性の薬が馬車内に充満する。
「何のつもりですか?」
あくまでも、臣下として返される返答。
「話がしたかっただけよ。」
「私とですか?」
冷静な視線が痛く。冷たく感じる。
「わかってるの。自分で。みっともないわね。もう、一年も経つのに。」
彼が本当にあの言葉を言ったかなんて、少し、どうでもよくなっていた。私の心が弱いから、人の視線が怖い。彼に見られただけで、怖いと感じてしまう。何を信じればいいのか。どうしたらいいのか。わかっている。本当はわかっているのに、進めないでいる。
誰かに降嫁して国を支える一つの駒にならなければいけないんだ。そう。もう、グダグダする時間なんて残されていない。王家との結びつきを強めようと、あの手この手で婚約の打診はあるのだ。
ポロリと涙が落ちた。
「泣くなよ…。」
驚いて、顔をあげる。少し困ったような表情。その彼の素の表情を見たら、堰を切ったように、涙が溢れて止まらなくなった。
そっと、彼が私に近づく。
「失礼します。」そう言って、優しく、抱きしめられた。
「もうすぐ着く。換気をしてメイドを起こす。10秒で泣き止め。」
静かに。でも、ハッキリと言われたことで、少し冷静になった。温かい。騎士の大きい身体。ギュッと縋りついて、目を閉じる。微かに香る服に付けられた香水と土とお日様の匂い。
身体を離されながら、冷静になる。私は王女だ。私は王女。やるべき事を。今、為すべき事を。
つつがなく、孤児院の視察は終わる。
隣国の王子に振られた日も、みっともなく騎士にしがみついて泣いたあの日も。夢だったのだろうか?と思うくらい何事もなかったかのような日常。そうして、私が婚姻に向けての流れに可を出した為、降嫁先の選定は驚くほどの速さで進んでいった。
半年で降嫁先は三家に絞られた。隣国の公爵家、国内公爵家、国内侯爵家。
国内侯爵家は…。相手は、あの騎士家スイルだった。
どうしよう。どうしよう。
隣国の公爵家は、全く知らない。用紙でのやり取り。25歳の文武に長けた方だという。国内公爵家のリチャードはお兄様のような存在だった。後は、スイル…。
私は単純なんだろうか。あの、抱きしめられた日を思い出すだけで、ドキッとする。馬鹿だわ。武の侯爵家で、今まで特段与する事も無く中立を保ってきた家に入り込めと、そんな王家の思惑も透ける。彼に愛される筈が無い。そんなの幻想だ。政略結婚なんだ。もし、彼に愛されなくても。愛人ができても。笑って女主人を務めなければいけない。それは、どこに嫁いでも一緒だわ。
机上に置かれた書類を見てため息をつく。
☆
まさか王女の降嫁先に自分の名前があがるなんて思いもしなかった。王女様が…王族が降嫁するには、我が家は侯爵家といえど、武の一族で、発言力は弱い。中央政権に食い込んだ家柄ではないからだ。
取り込んだところで。王家に大した利はあるまい。
どうせ、当て馬なんだろう。本命は、公爵家。せいぜい、ご不興を買わないようにしないとな。そう思って臨んだ顔合わせだった。
なのに…。おい、全く。何でそんなに死にそうな顔してんだよ。美人が台無しじゃねえか。
衆人環視の中での表面的なやり取りの後、庭園で二人で話す時間を作られた。と、言っても、少し声が大きくなると耳がいい奴には聞こえるだろうってくらい、近くに護衛がいる。しかも、知り合いばっか。最低。マジ。お前ら下がれよ。てか。俺も帰りてえよ。
そんなふうに思ってたのにさ。王女様、美人なのに捨てられた猫みたいに小さくなってやんの。会話も無いし。しばらく、庭園の東屋でぼーっとしてた。
「笑えよ。」
何となく、言ってみたら、驚いたようにこっちを見てる。
「美人なんだから、笑ってろよ。」
そして、また、泣くんだ。
あーあ。やっちまった。どうしてくれんの?これ。俺、やばくない?泣かせちゃったよ。
「ごっ…。ごめん、なさい…。」
そう言いながらポロポロと涙を流す王女様。あー。美人だなあ。我慢して震えちゃって。なんか、かわいい。
「…わかった。いっぱい泣け。」
頭をポンポンとすると、縋りついてきて、泣きだした。
「泣き虫だなあ…。」
もう、しょうがない。どーにでもなれ。後から王女を泣かせたって、なんか言われんのかなあ。でもなあ。俺、悪くないし…。女が泣くのって、ホント、男は困るんだよなあ…。
「そんなに辛いんなら、もう俺にしとけよ。」
選ばれる筈が無いと思って。つい。そう言ってしまったんだよなあ…。
それで、その日は王女が泣いただけで、顔合わせは終わったのだった。
「は?今、何て?」
数日後、勅使に向かって、俺は頓狂な声を上げてしまった。
「スイル家に第一王女降嫁が決定した。と、申し上げた。」
「…承知致しました。」
「本日、夕の五刻に王城、華の間にて王が謁見される。遅れず登城するように。」
「はっ。」
青天の霹靂ってヤツだよな。ったく。どうしてこうなったのか。相変わらず、王女様の気持ちなんて、サッパリわかんない。美人なのに、国王と共にお出ましになった王女様は、少し緊張してる様子で。
堅苦しい言葉で、降嫁の内容が述べられていく。莫大な持参金つき。それを聞いて、正直、少し恐ろしくなった。本当に俺でいいのかよ。
ほとんど会えないまま。会っても衆人環視の下、当たり障りないやり取り。
彼女が降嫁し、式が終わって初めて、二人っきりで話をした。
「今更だが。本当に俺でよかったのか?」
そう尋ねたら、泣きながら笑って言ったんだ。
「あなたが、いいんです。」
「…ったく。泣き虫だなあ。」
そう言って、強く、抱きしめた。
王女様、もとい、ルリアージュは、今では自然によく笑う。あの緊張した、固くすました笑いじゃない。毎日、俺の横で小さく丸まって眠る。まるで、小動物みたいだ。
寝返りを打って、俺の腕に触れるとすり寄ってきて眠っている。
月の光が差し込む室内で。
静かな寝息が聞こえる。
静寂の中で。
優しい夢を。
抱きしめると、柔らかい。
甘い、花のような彼女の匂いを吸い込んだ。
この泣き虫を。これ以上泣かせないように。
ずっと、笑顔でいてくれるように。
頭を撫でて、そっと頬に口付けをした。
彼女が目を覚ます気配は無い。
愛する人を抱きしめて。
俺もそっと、目を閉じた。
おやすみなさい。
いい夢を。
読んでいただいてありがとうございました。