memorys,98
いつもは奏とふたりきりのランチも今日は違う。数人の女子が加わり、賑やかな昼食タイムを過ごす。
「そういえば、聞いた話なんだけど……今回のファッションショーでglassのジュエリーを使うってほんと?」
ひとりの女子が興味津々な眼差しを奏に向けた。
「ええ、兄貴がどうしてもコラボしたいって頼んだみたい」
「すごいなぁー、あのブランドを身に付けてファッションショーが出来るなんて」
「そのブランドってそんなにすごいの?」
ブランドものに疎いわたしは疑問をそのまま口にすると、みんな目を見開き、こちらを凝視する。
「九条さん、もしかしてglassを知らないの?」
みんなの反応に驚きつつ、わたしは小さく“うん”と答えた。すると、奏が呆れ笑いを浮かべて返す。
「glassっていうのは、ジュエリー業界で歴代トップのブランドなの。先代の会長光沢 匠が潰れかけたジュエリー会社の社長令嬢の婿になって、会社を立て直して一気にトップまで登り詰めた実力者なの。今や雑誌やコマーシャルに出るモデルや女優のほとんどがglassのジュエリーを身に付けてるのよ。その会長も随分前に亡くなって、今は息子が会長兼社長をやってるはずだけど……」
「そんなすごいブランドなんだ」
「けど、ファッションショーでの出品はあまりしないの。あくまで購入者に合わせたただひとつのモノを造り上げていくのがモットーな会社だから、ショーで使う小物を特別提供するってことは今までなかったことなんだけど……なぜか今回、ぎりぎりのタイミングでオッケーが出たのよね。兄貴も驚いてたわよ」
「そうなんだ」
glassというブランドは物凄く有名というのは把握できたのだが、今一つ話に乗り切れないわたしは目の前のランチを頬張る。
「亜矢さん、モデル頑張ってね。わたし達、応援しに行くわ!」
「えっ!? そんな恥ずかしいよ」
「なにも恥ずかしいことなんてないわ! 亜矢さんがここへ来て、わたし達はひどい態度をとってばかりで頑張っている姿を見ようともしてなかった。だから今度は亜矢さんを応援したいの」
こんな風に言ってくれるとは予想もせず、嬉しさと照れ臭さが同時に込み上げてきて反応に困ってしまう。
「亜矢、良かったね」
奏が笑顔で告げた。
「うん……ありがとう」
素直に気持ちを言葉にのせる。
嬉しさのあまり目尻が熱くなるのを感じながら、わたしは新たな友と呼べる人たちとの時間を楽しんだ。
こうして時は過ぎ、気が付けばファッションショー当日。わたしは意を決して、会場となる建物へと足を向けた。
控え室に入ると、大勢のモデル達が慌ただしくメイクや着替えの準備に取りかかっている。その中に奏の姿も見え、最高潮に達していた緊張感が少しだけ和らぐ。
「お、来たね」
奏に声を掛けようとしたわたしの肩を軽く叩き、明るい口調で誰かが話しかけてきた。
「譲流さん」
「緊張した顔してるね。大丈夫だよ、リラックスリラックス」
振り向くと、鮮やかな青が際立つ和服に身を包んだ譲流さんが穏やかな笑顔をわたしに向ける。
「今日はよろしくお願いします!」
「こちらこそ。さあ、亜矢ちゃんも準備しておいで……笑顔で楽しむんだよ」
「はいっ!」
と、返事はしたものの緊張はなかなかほぐれてはくれない。譲流さんのデザインした着物に袖を通し、スタイリストさんが手慣れた様子で着付けしてくた。大きな鏡を覗くと、そこには普段は見慣れない着物姿の自分が映る。
「では、ヘアスタイルとメイクするんで椅子に座ってください」
手早く椅子に案内され、今度は髪の毛をてきぱき整え出す。その様子をただ見守るしかできないわたしは、じっと目を閉じた。
きっと、うまくできる。
奏とずっとレッスンしてきたんだもん。
笑顔で乗り切れる。
不意に母の笑顔が頭を過った。
最近、あまり浮かばなくなっていた母の優しい笑顔。
(お母さん……)
きっと、不安なわたしの心が呼び起こしたに違いない。けど、久しぶりに浮かんだ母の笑顔に自然と心は落ち着いていき、緊張は次第に解れていった。全身から余計な力が抜けていくのが分かった。
(ありがとう。お母さん、わたし頑張るから応援してて)
「九条さん、終わりましたよ」
スタイリストさんから声が掛かり、そっと目を開ける。そこにはまるで別人に生まれ変わったような自分の姿が写し出されていた。
「これが……わたし」
鏡の中にいるのは自分なのに、綺麗だと思わず言ってしまいそうになった。
「仕上げに付けますね」
そう言って、和服にも違和感のないイヤリングが耳を飾る。着物の色に合わせた淡い紫色の蝶々のイヤリングがまるで飛んでいるようにゆらゆらと揺れ動いていた。散りばめられたダイヤがイヤリングが揺れる度にキラキラと色を変えて輝く様子に、わたしは感激しすぎて叫びそうになる。喉元まででかかった声をなんとか飲み込み、改めてイヤリングを見つめた。
「これがみんなが言ってたglassのジュエリーなのかな」
どこか不思議と心惹かれる。
わたしはどちらかと言えば、ブランドの高いジュエリーよりも露店で売っているような手作り感のある素朴な物が好きだ。だから、子供の頃からビーズでアクセサリーを作ることに没頭していたのかもしれない。だけど、このイヤリングからは高級さを全面に押し出したような重たさはなく、素朴で優しい輝きを放っていた。
(すごい……こんな綺麗なの見たことない)
本番間近だと誰かが叫ぶ中、わたしはイヤリングから目を離せなかった。