memorys,79
パーティーも終盤に差し掛かった頃、わたしはタイミングを見計らってひとりになった彼のもとへと近付く。
「あの……神木さん」
わたしに声を掛けられたのに驚いた様子の神木さんに勇気を振り絞って告げる。
「えっと、話がしたいんだけど……今いいかな?」
「ええ、構いませんよ」
少し迷った素振りをしたが、笑顔で頷いてくれた。
「では場所を変えた方がよろしいですよね……寒いかもしれませんが、またバルコニーでもよろしいですか?」
「はい」
呼び出すことには成功したものの、未だに何から話したらいいのか分からずにいる。彼の背中を見つめながら、話の切り出し方ばかり頭に巡らせていた。
きっと、どう話したとしても神木さんを傷付けてしまうかもしれない。
この三か月、後悔しながらわたしを想ってくれた。
そんな彼を傷付けたくないのが本心だった。
「失礼いたします」
バルコニーへ出た途端、自分の上着を脱ぎ、わたしの肩へと掛ける。
「ここは冷えますので……わたくしので申し訳ないのですが」
「ありがとう」
こんな風に優しすぎる彼を今わたしは悲しませようとしていると思うと胸がチクリと痛んだ。
「そんなに緊張なさった顔を見るのはいつ振りでしょうか」
「え?」
「初めてお嬢様と会った日……あの時もかなり緊張されていたせいか険しい表情をなさっていましたね」
少しおかしそうに思い出し笑いする神木さんに、わたしも小さく微笑み返す。
「緊張なんてものじゃなかったですよ」
思い出せば、あの日のことが映像を見ているかのような鮮明さで頭に浮かび上がってくる。
「あの時は本当にびっくりしたんですよ! 家は見たこともないくらいの豪邸だし、神木さんにいきなり様付けされるし……何がなんだか分からなくてパニックだったんです」
「そうですね。あの頃はお嬢様は大変苦労されたと思います」
「陽太さんも暉くんも全然歓迎してくれなくて、学校にもついていけなくて、挫けそうになったこともありました。けど、それでもこうしてあの家が居心地いいと思えるようになったのは……」
わたしはゆっくりと神木さんの瞳を真っ直ぐ見つめた。
「神木さんがいてくれたからだよ」
懐かしい記憶の中に必ず映る笑顔の神木さんにどれだけ救われただろうか。
「わたしを支えてくれてありがとう」
そう言い終えた時だった。急に神木さんに腕を引かれ、今までにないくらい力強く抱き締められてた。
「ごめん……少しだけ執事やめるから」
耳元で囁き掛けられた言葉に驚き、相手から離れようと身を捩らせたのたが、それは一瞬の抵抗で終ってしまう。
「今も好きだ」
この一言に何も動けなくなった。
「この気持ちは変わらないし、ずっと変えられない。俺を家族だって言った亜矢が……俺を受け入れて好きだと言ってくれた亜矢をそう簡単には忘れられない」
少しだけ力が緩んだと知りながらも、腕の中から抜け出すことなく彼の声に耳を傾ける。
「あの日、亜矢から離れて……何も言わないまま消えた俺がこんなことを言っても今更だけど、本当に後悔してる。どうして現実と向き合って戦えなかったのか、自分自身の弱さと君との未来のためになぜ覚悟できなかったのか」
顔を上げると、今にも泣いてしまいそうな瞳で切なく微笑む神木さんがいた。そんな表情をする彼を見たら、ぎゅっと胸が締め付けられる。何も返す言葉が見付けられない。
「今3ヶ月前に戻れるとしたら、亜矢を絶対に手離さなかった。何がなんでも君の側にいた」
「あの、神木さん……わたし」
「でも、それは俺が勝手に言っている“もしも”であって……現実的には無理な話だよね。俺が亜矢の手を振り払ってしまったあの瞬間から俺たちの恋は終わったんだって理解しているんだ」
どうしたらいいのだろうか?
こんな神木さんを見てしまったら本当に言えなくなってしまう。
白藤さんのことを伝えて、彼を待てなかったことを謝って終わりなんて簡単に考えていた。それなのに、どうして神木さんの顔を見ると迷ってしまうのだろうか。
「分かっているのに諦めるのが怖くて、さっき困らせるようなことを言ってごめん。それでも、亜矢を前にしたら自分を止められなかったんだ……気持ちを抑えられなかった」
「……ごめんなさい」
「ごめん。亜矢を悲しませてばかりで」
違うよ。神木さんだけが悪いんじゃない。
こんなにもわたしを想ってくれていると知っていたはずなのに、去ってしまったことばかりが悲しくて待つ選択をしなかった自分自身の弱さがいけなかった。どうして、いつか彼と再会するときまで待ち続けることができなかったんだろうか。
もしも、こんな風に彼が気持ちを伝えてくれる日が来ると分かっていたのなら、わたしはどうしたのだろうか?
それでも白藤さんに惹かれただろうか?
こんな時にわたしの中に溢れてくる“もしも”の映像が音もなく流れ出す。白藤さんに告白すると決めたのに、こんなことを考えてしまうわたしは最低だ。それなのに止まってくれない。
だって、神木さんを想う気持ちはちっとも薄まっていなかったと今痛感したんだから……




