memorys,76
花柄が刺繍されたワインレッドの絨毯。その上を飾る高級感漂うテーブルの上にはクリスマスらしい料理たちが並んでいる。レンガ造りの暖炉からはパチパチと時折音が聞こえた。
みんなドレスアップし、シャンパングラスを片手に会話を楽しむ。
久しぶりに家族と再会できた喜びで賑わう部屋に、なんだかひとりだけ取り残された気分がした。それは、自分の頭と心がうまく噛み合っていないのが原因だろう。フランスに来て、白藤さんと会えて嬉しかった。両親とも会えて、こうやって一緒にクリスマスを過ごせるのが夢のように感じられるほど幸せと思える。
なのに、先ほどから神木さんの顔がちらついて思うようにパーティーを楽しめていない自分がいた。
白藤さんの存在によって、心に余裕ができたと過信していたのかもしれない。だから、神木さんに会ったとしても普通に接することができると思い込んでいた。だけど現実はそれほどあまくはない。やはり、心などそう簡単には整理できる筈などないのだ。
神木さんを見た瞬間、忘れていた気持ちや蓋をしてきた想いが一気に身体から噴き出してきたように感じた。それを悟られないように笑顔を作り、気持ちが揺るがないように頭に言い聞かせたが、心はやっぱり正直なのだろう。いくら大丈夫と唱えても、心は真逆のことを訴えかけてくるんだ。
まだ大丈夫じゃない……と。
「亜矢ちゃん、具合でも悪い?」
突然話しかけられ、体の反応がグラスに入ったジュースを揺らす。
「お母さん」
「なんだかぼんやりしてるから心配になちゃって」
「如何なさいましたか?」
涼華さんが不安そうにわたしの顔を覗き込むと、その様子を見ていたのか白藤さんまでやってきた。
「ごめん、なんでもないよ」
「もしかして疲れちゃったかしら? ホテルに来るまで観光したりして歩き回ったんでしょ?」
「かもしれない」
ここは変に誤魔化すよりも、涼華さんに合わせた方がいいとわたしは直感的に考え頷く。しかし、白藤さんは何か言いたげな顔でわたしを見つめていた。
「なら、どこかに座って休むといいわ。白藤くん、亜矢ちゃんをお願いできるかしら」
「かしこまりました」
「亜矢ちゃん、あまり無理しちゃだめよ」
「うん、ありがとう……」
涼華さんが離れていったのを見てから白藤さんが顔を寄せ、わたしの顔色をじっと窺う。
「お前、また余計なこと考えてただろ」
怒ったような顔で言うと、そっと肩を叩く。
「俺も神木が来るのを知らされてなかったから、何も対処できなくて悪かったな。もう少しお前を動揺させずに済む方法なんて無いのは分かってるんだけど……早く俺が知ってれば何か出来たかもしれないのに」
「白藤さんは悪くないって! 私が悪いの……こんなことでいちいち動揺してる自分が」
肩に置かれた手が今度は強めに頬を摘まんできた。
「ばーか。動揺するのなんて当たり前だろうが……あんな別れ方した神木と会ったんだから、動揺しない方が変だろ」
「白藤さん」
そんな風に言ってくれるなんて思わなくて、心がじんっと熱くなっていくのを感じる。
「少し整理する時間も必要だろう。俺のことは気にしなくていいから……お前が納得いく答えを見出せばいい」
「ありがとう。でも、ほんの少し動揺しただけだから心配しなくていいよ……ちょっと外の風に当たれば頭だってスッキリするかもしれないし、バルコニーに行ってくるね。白藤さん、心配してくれてありがとう」
白藤さんの言葉で身体が僅かに軽くなり、ようやく本来の笑顔が戻ってきたように思えた。持っていたグラスの飲み物を飲み干すと、白藤さんに手渡す。
「バルコニーはきっと寒いから、久しぶりに白藤さんの淹れたハーブティーが飲みたいな」
「かしこまりました、お嬢様」
わたしが落ち着きを取り戻したのに安心した白藤さんは小さく微笑み、執事らしくお辞儀して部屋から出て行った。わたしも気分転換のつもりでバルコニーへ出られる扉の方へと向かう。
(白藤さんの言った通り余計なことを考えすぎてただけかもしれない)
神木さんとは別れたのは変わらない事実。神木さんも気まずさからぎこちない態度をとるかもしれないが、あの頃のような恋愛感情があるわけではないのだ。だったら、わたしがちゃんと前を向いて進んでいければ、いずれその気まずさも薄れていくに違いない。そう考えなおした途端、心にあったモヤモヤがすっと消えていくのを感じた。
(もう少ししたら部屋に戻ろう。そして、家族とのクリスマスを今度は楽しまなくちゃ!!)
気持ちが僅かに晴れやかになったおかげか、ようやくバルコニーから見渡せるフランスの夜景の綺麗さに気が付く。眩い街の明かりの中、夜空からとめどなく降り注ぐ粉雪がなんとも幻想的だった。
(白藤さんがお茶を運んで来たら、もう大丈夫だよって言わなくちゃ)
気持ちを新たにしたところで、誰かがバルコニーへやってきた気配を感じる。白藤さんがお茶を運んできてくれたんだと思い込み、笑顔で振り返ったのだが、その先に居たのは待ち望んでいた人物ではなかった。
何か言いたげにするも、それを躊躇するように戸惑いの表情を浮かべる相手の名が口から零れる。
「神木……さん」
さっき大丈夫だと思ったばかりなのに、またもや心臓が音を鳴らす。
「お嬢様」
「あの……」
「少しだけ」
目線を漂わせながら話していた神木さんが意を決したようにこちらを見据える。
「少しだけお話してもよろしいでしょうか?」
「はい……」
何を話したいのかは分からなかった。だけど、このまま気まずい状態が続くよりも、話し合った方がお互いスッキリするかもしれない。なら、いっそのこと白藤さんのことや今の自分の想いを洗いざらい伝えてしまおう。そうすれば、何もかもが解決するに違いない。
その時は、そう信じていた。




