memorys,54
会ったら何を言おうか。
もしも、やり直せるならそうしたい。でも、別れしか選択肢がないんだとしたら、ちゃんと“さよなら”と笑顔で言おう。
どちらでも構わないから、もう一回だけあなたに会いたい。
「神木さんっ!!」
執務室の扉を一気に開けると、そこに待っていたのは神木さんではなかった。驚いて椅子から立ち上がり、わたしを凝視する白藤さんの姿が目に入る。
「こんな時間に何してる? 学校は? だいたいひとりで行動して」
「白藤さん、神木さんはっ!?」
「神木?」
焦った様子のわたしに、訝しげな表情をした。
「神木ならもう空港に向かったけど……お前、もしかして今日イギリスへ発つこと知らなかったのか?」
「ちがっ……そうじゃ、ない……まだ会えるかなって」
(間に合わなかった……)
会うことが叶わなかったショックが動揺となって身体に伝わる。白藤さんに悟られないように、なんとか笑ってみせた。
「ごめん、驚かせて……わたし学校に戻るね」
「おいっ」
呼び止める声から逃げるようにドアへと体を向けたが、瞬時に手首を掴まれてしまう。
「待てって!」
軽く引っ張られ、怖いくらいに真剣な瞳をする白藤さんとまた目があった。手首を掴む手を振り払おうとしたが、ピクリとも動いてくれない。
「白藤さん、離して」
「お前さ……朝からなんで笑ったフリしてる?」
「フリなんてしてないよっ……わたし全然、普通だよ?」
そう返すと、白藤さんは手首を掴んでいた手を離した。
「そうか……けど」
離された手は下げられることなく、そのままわたしの頬を包み込む。
「どうしても苦しくて辛くて、笑えなくなった時は思い切り泣けばいい」
膝を曲げ、わたしの目線に合わせた白藤さんが優しく笑う。
「そしたら……またお前らしく笑えるから」
微笑みながら告げた白藤さんの姿が、今朝見た夢の中の母と重なった。
そして思い出す。
あの日言った母の言葉の続きが色鮮やかに蘇った。白藤さんのように、ちょっと切なく、それでも穏やかな笑顔を浮かべた母はわたしにこう返す。
『そうね。もしも笑えないぐらいに辛い事が起きたんだとしたら……その時は泣きたいだけ泣きなさい。思う存分、気持ちを吐き出してしまいなさい。そしたらまた、自分らしく笑えるようになるわ』
その記憶は、必死に蓋を閉めた箱を簡単に開け放った。
「なんでっ」
つくった笑顔は脆く崩れ、溢れ出る感情が姿を変えて込み上げる。
「なんで、同じようなこと言うの?」
咄嗟に顔を両手で覆い、惨めな自分をなんとか隠す。
「なんで今言うの! わたしは、泣きたくなんかっ」
「お前、ほんとバカっ」
頭の後ろに手が回され、勢いよく抱き寄せられた。
「離してっ、やだっ!」
「却下だ」
拒絶を示すも、その手が離されることはない。逆に背中にも回された手によって、完全に身動きが出来なくなっていた。
「いいから、今は何も考えないで泣いてろ。俺が泣き止むまで側にいてやるから……」
「泣かれたら困るって言ってたくせに」
「ひとりで泣かれた方がよっぽど困るんだよ。いいから、さっさと泣いて、さっさと笑え」
口調は皮肉っぽいのに、その言葉を聞いているだけで涙が溢れて止まらない。頬を幾度となく伝う雫を感じながら、わたしは初めて人前で声を上げて泣いた。
そして、居なくなってしまった彼を思い浮かべる。
本当は神木さん、わたし別れたくなんてなかったよ。
何かを犠牲にしてでもわたしはあなたの側に居たかった。
けど今は、それすら伝えさせてくれないんだね。
それほどまでに、わたし達を隔てた壁は高く壊すことも出来ないものだったの?
どれぐらい泣き続けたのだろう。時計が見えないせいで時間の感覚をなくしたわたしに、白藤さんがポツリポツリと呟くように語り始めた。
「俺がお前と初めて会った日……実は俺の父親が倒れて入院した時だったんだ」
思い出される“あの日”の風景。ぼんやりと頭に浮かぶ幼き頃に出会った白藤さんの悲し気な表情。その理由が今の言葉でようやく解った。
「俺の父親はある屋敷の執事だったんだけど……なんつーか、クソが付くほど真面目でさ。子供の俺に執事の仕事を完璧にこなせるように叩き込んだ。海に行って喜べば、感情を表に出すなとか……主人に対する忠誠心とは何かとかな」
そこで、ハワイの時に様子のおかしかった白藤さんが脳裏に過った。
(……お父さんのこと、思い出してたんだ)
「俺は執事なんかなりたいとも思わなかったし、ハッキリ言えば父親が嫌いだった。だからか父親が目の前で倒れても、どこか冷静だった……でも、お前に会って話をしてたら俺の親父も何かを伝えたくて執事の仕事を教えようとしてたのかなって思えたんだ」
頭を押さえていた手がゆっくり外されたのに気付き、僅かに顔を上げる。
「お前と別れた後に、親父のところへ行ったよ。自分はもう長くないって悟ってたのか……俺を見た瞬間に話始めたんだ。俺の親は別に居るってな」
「えっ?」
「俺は……誰にも望まれず、産まれて直ぐに捨てられた令嬢の息子なんだ」
意外な白藤さんの過去を耳にして、驚いて目を見開く。
「令嬢の息子って」
「驚いただろ? 俺も流石にショックだった」
おかしそうに笑うも、やはり白藤さんの表情はどこか悲しそうに映った。
そして、知ってしまう。
なぜ、白藤さんがわたしと神木さんに敵意を抱いていたのかを……
さて、いよいよ白藤さんが
動き出します!




