memorys,39
恐る恐るテーブルにアイスコーヒーを置くと、こちらを怪訝そうに見つめる陽太と視線がぶつかる。
「いつからだ?」
どうやら、一部始終見られてしまっていたらしい。白藤さんとのやり取りと雰囲気で何もかも察してしまったようで、前置きもなく確信をついた。言い訳は無駄だと思い、軽く頭を下げた。
「申し訳ありません……あの外泊の時に」
「やっぱりか」
「亜矢様にそのような気持ちを抱いてしまい申し訳ないとは思ってはおります。しかしっ……」
陽太が亜矢を“家族”として大事に思っているのは承知していたため、怒鳴られるのも、最悪殴られるのも覚悟する。だが、罵倒や拳が飛んでくる代わりに、どういう訳か笑い声が響いた。
「……陽太?」
「どれだけ一緒に暮らしてきたと思ってるんだ? お前が亜矢に対して、特別な感情があるってことぐらい気付いてたに決まってるだろっ」
まだ笑いを含ませながら、アイスコーヒーを一口飲む。
「お前さ、気付いてなかったのか? 最初から亜矢を見る時のお前は完全に“執事”じゃなくなってたぞ……誠はそういうところ鈍感だな」
「陽太は本当に手強いね」
「口喧嘩はお前が強いけど、勘は俺の方が上だな」
「反対はしないのか?」
手に持っていたアイスコーヒーをテーブルへ戻すと、真剣な眼差しを神木に向けた。
「嫁にはまだやるつもりはない」
「いやっ、俺はっ」
“嫁”という単語に動揺した神木を見て、またも笑い出す。
「お前がまさか亜矢に恋とはね……恋愛に興味がないと思ってたよ」
「それは俺も思ってるよ。自分は仕事意外に興味がなかったからね」
「まぁ、亜矢に惹かれる気持ちはなんとなく分かるよ。もし、兄妹じゃなかったら……俺だって亜矢に惹かれたかもしれない。それぐらい、彼女には魅力がある」
「そうだね。彼女と居ると自然と笑顔になる……そして、支えたいと思ってしまう。不思議な人だよ」
幸せそうな顔で話をする神木に、陽太は小さく微笑む。
「誠のそんな顔が見れるとはな……まあ、俺は反対はしないよ。亜矢が君を選んだなら反対する理由はないからな」
「……ありがとう、陽太」
「しかし、意外だよ。あの白藤くんまでもね……彼、誠以上に恋愛とか興味がなさそうな感じがしたけど」
頬杖を付き、考え込むようにして言う陽太に、神木は小さく頷いた。
「最初はそうだった。どちらかと言えば、彼は俺と亜矢様に対して“敵意”みたいなものを持っていたと思う」
「敵意ね……さっきの場面を見る限り、亜矢への敵意はすっかりなくなったみたいだね」
そこで口からまたも笑いが漏れ出す。
「陽太?」
「いや、君には敵意丸出しだったからおかしくてっ……強敵なライバル出現だな……っ、頑張れよ、誠っ」
もう笑いが止まらないのか、涙まで浮かべた。
「全く……面白がって」
深く溜め息を漏らし、神木もまた先程の擦れ違い様に見せた亜矢を思い出す。
(亜矢……今頃どうしてるだろう?)
早く変わらない笑顔を浮かべる彼女に会いたいと、神木は心の中で強く想った。
◇◇◇ ◇◇◇
「いつまでむくれてるつもりだ?」
備え付けられた棚から一冊の本を取り出し、後ろで不機嫌な顔をしながらベッド上に座るわたしへ身体を向け、平然とした顔付きで告げた。
「さっきの神木さんのことですっ!!」
即座に言い返すと、白藤さんは本をパラパラとめくりながらこちらに目を遣る。
「だって俺、あいつ嫌いだし」
キッパリ言われ、思わずわたしは口籠もる。
「冗談だ……ほら、怒る暇があるなら寝ろよ」
すっと、ベッド近くにある椅子に腰掛けた白藤さんを横目に、わたしは仕方なく柔らかな枕に頭を沈めた。
(本当に“あお兄”なのかな?)
面影はなんとなくあるような気もするが、中身というか性格はまるで違う人のように思えてくる。年月が経てば、人は変わるものなのかもしれない。
(どうしたら、あんなにひねくれた性格になるの?)
天井を眺めながら悶々と考えていると、また白藤さんの嫌みとも取れる言葉が耳に入ってきた。
「そんなに神木 誠がいいのか? どうせ、あの後お前ら付き合いだしたんだろ? 物好きだよなぁ、執事に恋したって良いこと無いだろ」
相手にしないように、白藤さんに背を向ける。
「白藤さんには関係ないじゃないですか! どうせ“ごっこ”だって、からかいたいだけなんじゃないですか?」
本を閉じる音がした。
「なにか誤解してないか?」
椅子から立ち上がる際に服が擦れる音、こちらへ足を向ける絨毯を踏む足音がやけに耳に響く。
「からかい目的で言った訳じゃない」
逸らした目線を戻すのに躊躇してしまう。ただ相手が行動する度に出る音に集中した。だが、気配が消えたように静けさが訪れた途端に顎を掴まれ、強制的に顔が天井へ戻される。
視界には映るのは天井だけではなく、白藤さんの顔が間近まで迫っていた。
「あの時はお前たちへの苛立ちもあって言ったことだが……正直言えば、あれは警告だ」
「警告?」
ベッドの上に片膝を乗せてきたせいで、鈍い音を立てながら軋む。
「“ごっこ”なら、あそこで終止符をうてた。何事もなく済んだんだよ」
あまりにも真剣な瞳を自分に向ける白藤さんに、もう“冗談”などないのだと知った。