memorys,13
神木さんとともに、また大きな玄関の前に立つ。初めてこの家へ来たときのような緊張感に、わたしはゆっくりと呼吸を整えた。
そんなわたしの様子を見ていた神木さんは小さく微笑む。
「お嬢様、大丈夫ですよ」
「は、はいっ……分かってるんですけど」
神木さんはわたしの心に合わせるように、タイミングを見計らってドアノブへと手を伸ばした。だがしかし、準備も整わないうちに扉が勝手に中へと引っ張られる。
「えっ……」
わたしが僅ながらに声を漏らし、扉へと視線を向けた。そこには、未だに機嫌の悪そうな表情をする陽太さんの姿が映し出される。
「陽太様、大変遅くなりました」
神木さんが頭を下げるも、陽太さんの眼差しはわたしから一瞬たりとも動く気配はない。
「あ、あのっ」
陽太さんの後ろには、何故か笑顔でこちらへ小さく手を振る暉くんの姿もあった。
大丈夫、きっと大丈夫。
心の中で再度、自分に言い聞かせる。けど、あの時とは少しだけ違った。
「陽太さん、暉くん、迷惑掛けてすみませんでした!」
わたしの表情にはもう曇りはない。
「まず、暉くん……学校では“朝比奈”の名前や暉くんを頼ったりしないで、必ず自分で乗り越えるからね! アドバイスしてくれて、ありがとう!」
「え? あ……うん」
呆気に取られた顔で、暉くんは気の抜けたような返事を返した。
「それから、陽太さん……やっぱり時間を頂けませんか?」
わたしの目が向けられ、陽太さんもいつものような冷静沈着な顔付きでなくなる。
「勉強は明日から頑張ってやって、次のテストには10位以内に入るようにしてみせます」
「いや、そんな急にっ」
「あと、陽太さんの夢を奪ってしまって本当にごめんなさい!」
「待ってくれ……話を」
「知らなかったとは言え、確かに自分の夢を他人に邪魔されたら腹も立つし……わたしはなんの役にも立たないかもしれないけど、陽太さんの手助けになれるように頑張ります! だから、もう少しだけ時間をっ」
急に陽太さんの手がわたしの唇にそっと言葉の制止を求めるように当てられた。
ふたりに話すことに精一杯になっていたため、急な陽太さんの行動にわたしは驚いたように見上げる。
「もういい……先に話されたら、俺が謝罪する隙がない」
初めて自分を見て、陽太さんが微笑んでいる。
「あれは全部、俺の勝手な八つ当たりだ。君は悪くないし……謝るべきは俺の方だ。君の大事なお父さんとお母さんを知りもしないで、ひどい言い方をしてしまった」
「い、え……」
「心から謝る。君を傷付けてしまって本当にすまない……」
唇から手が離され、次はわたしの手を優しく握り締めた。口調も態度もまるっきり別人過ぎて、何が起きているのか混乱してしまう。けど、瞳に映る陽太さんの優しい表情を見てから、また心がギュッと痛くて熱い。
「もう一度、初めからやり直したい。家族として、初めてできた兄妹として……君が嫌でなければだが」
「全然っ、嫌じゃないです。嬉しいです」
「そうか、良かった」
更に柔らかな笑顔を零し言う。
「亜矢……おかえり」
名を呼ばれ、求めていた言葉を言われ、一気に堪えてきた涙が溢れ出した。
「亜矢、気を付けた方がいいよ……兄さん、ウザいぐらい過保護だから」
「ウザいぐらいは余計だ、暉っ」
暉もいつもと変わらない笑顔をわたしに向ける。
「おかえり、亜矢」
「暉くん、陽太さん……」
幾度となく伝う涙を拭いながら、わたしは懸命に笑顔を作った。
「みんな、ただいまっ!!」
「ほら、手で擦るな。赤くなる」
陽太がハンカチを取り出し、濡れた頬の涙を拭き取る。
「ありがとうございます」
不意に、暉が不思議そうな顔を浮かべているのに気が付いた。
(暉くん?)
「さぁ、早く着替えて食事にしよう。もうじき母さん達が帰ってくる……神木、今日は亜矢の好きな料理を頼むよ。改めて歓迎のもてなしを」
「畏まりました」
神木さんは一礼して、そのまま行ってしまう。
「あっ……」
ふたりが“ただいま”と言ってくれたのは、もしかしたら神木さんが自分の事を話してくれたからだろうかと直感する。しかし、それを聞けないまま遠ざかっていく背中を見送った。
「亜矢、どうかしたか?」
「いえっ、なんでもないですっ」
陽太さんの問い掛けに慌てて答えると、何故かおかしそうに笑い出す。
「あの、わたし変なことでも」
「いや……これも“慣れ”が必要になるが、お互い敬語なのは家族としてはおかしいだろ? もう家族なんだ」
「あっ、そうですね……頑張って慣れます!」
「そうだ」
「え?」
暉くんが急にわたしの腕を取り、一気に自分の方へと引き寄せた。そして、陽太さんに聞こえない声で告げる。
「君は面白いけど、初めにした約束は守ってね」
「わ、分かってるよ」
“面白い”という単語に引っ掛かるも、最初の頃よりは言葉に棘がないのが分かった。
「なら問題ない……それじゃ、僕は食事の時間までバイオリン弾いてるから」
「あ! ちょっと待って!」
ひらひらと手を振ってわたしから離れていく暉くんを呼び止め、あるものを差し出した。
「なに、これ」
暉くんの手の上に乗せられたのは、立体的に作られたバイオリンの形をしたキーホルダー。
「ビーズだね……もしかして、手作り?」
「うんっ、迷惑じゃなければだけど……貰ってくれるかな?」
「ふーん、悪くないね。ありがとう」
小さく笑い、受け取った暉は再び部屋へと向かっていった。
「あと、これは陽太さんの分」
「ああっ……」
小さな立体的な球体に“太陽”の絵柄が浮かび上がっているのを見て、陽太さんはまた微笑む。
「太陽か」
「陽太さん、逆から読むと“太陽”でしょ? これしか思い浮かばなくて……すいません、ガキっぽいですよね」
「いや、気に入った……ありがとう」
「どういたしまして……おっ……お兄ちゃん」
少しだけでも距離を縮めたくて、勇気を出して呼んでみた。
「不意打ちだろ」
「え?」
何かを呟いた陽太さんの顔がみるみる内に赤くなっていく。
「なんでもない、行こう……」
自分の顔を見せないように、すぐわたしに背を向けてしまった。理由は分からないけど、陽太さんの新たな一面を見れたようで何だか嬉しい。わたしは笑顔で返事をし、陽太さんの背中を追い掛けた。
陽太の変わりようが(笑)
暉はどうなんだって感じだね(* ̄ー ̄)
少しは陽太、嫌われずに
済んだかしら?