memorys,125
暉くんとのダンスを終えたわたしは逃げ出すようにテラスへと向かう。
あんな突然の告白、驚かない方がおかしい。今まで暉くんがそんな素振りを見せたことはなかったから、全く気が付かなかった。
わたしはあの告白に対して返事をすべきだろうか。
しかし、暉くんも今は恋人がいて、わたしも結婚してしまう。
過去形で話したのだから、彼にとってはもう終わった話だ。それに対して返事をするというのはおかしいように思える。
(……暉くんも幸せになってねっって言えば良かったかな)
「ああ、こんなところに居たのか」
聞き慣れた声で我に返り、すぐさま笑顔を作った。
「お兄ちゃん」
「主役が居なくなったから探したじゃないか」
「ごめんね。ちょっと風に当たりたくて」
「そうか……なら、俺も少し休憩しようかな」
陽太さんは近くに置かれたガーデンチェアーに腰掛ける。少しだけネクタイを緩め、浅く長い息を吐いた。
「昨日も仕事で遅かったから疲れてるでしょ? あんまり無理しちゃだめだよ」
「社長としてまだまだだからな……体を壊さない程度に頑張るよ」
「そう言って無理してばっかりなんだから」
「亜矢にだけは言われたくないな。倒れるまで勉強したりしてただろ?」
「あの頃は……仕方ないっていうか」
すると、陽太さんが座ったまま手を伸ばし、わたしの腕を捕らえると静かに引き寄せる。いつも見上げる側だったのに、今は見下ろす側。普段とは違う陽太さんを見ているような不思議な感覚に陥った。わたしを仰ぎ見てくる瞳が何故か直視できない。
「亜矢に出会えて良かった」
「え?」
急に改まって言われたものだから目線を戻す。
「亜矢が居てくれたおかげで今は晶ともうまくやってる。前までは晶とは衝突してばかりで、こんな風に一緒に仕事ができるようになるなんて想像も付かなかった……ありがとう」
「そんな、わたしは何も……晶さんは自分自身で変わったんだから」
「お前がきっかけを作ったから晶も変われたんだ」
「そうかな? それなら嬉しい」
素直に言うと、陽太さんは満面の笑みを浮かべた。
「良かったな。神木と結婚できて……色々あってハラハラしたけど、これでようやく俺も一安心だよ」
「心配かけてごめんね」
「いいよ。妹の心配をするのは兄の役目だから」
そう返されたことにわたしは安堵した。もしかしたら暉くんみたいな展開がまた来るんではないかと構えていたから。しかし、陽太さんは純粋に兄として話したかったようでホッと胸を撫で下ろす。
「優しいね……陽太さんみたいなお兄ちゃんが居てわたしは幸せ者だよ」
安心しきって笑顔で返した瞬間、ふんわりと体が包み込まれた。陽太さんに抱き締められていると気が付くのに数秒掛かってしまう。
「……亜矢、もしも……神木が」
「神木さんが……?」
しかし、そのあとに続く言葉を聞くことなく、陽太さんの腕が擦り抜けていった。
「いや、すまない。これが最後の兄妹でのスキンシップかな……これ以上なにかしたら、君の旦那に殺されそうだ」
「え?」
陽太さんが違う方へ視線を送る。その目線を追うと、こちらを睨み付ける神木さんが目に映った。
「亜矢、ここにいたんだね。探したよ」
パッと表情は笑顔に変わる。切り替えの早さに戸惑いながらも、わたしも笑顔を向けた。
「ごねんね。風に当たってて」
「陽太様、旦那様が呼んでいらっしゃいましたよ」
「そうか、分かったよ。それじゃあ、邪魔者は退散するよ」
陽太さんは少し可笑しそうに笑いながらその場を去ってしまう。
「亜矢……陽太に何か言われた?」
「えっ、んー……特には何も」
先程何かを言いかけたけれど、最後まで聞けなかったから内容は分からなかった。それに、さっきの神木さんの様子もおかしかったし、何も聞かなかったことにした方が良さそうだ。
「ならいいけど……亜矢は無防備なところがあるから不安だよ」
「無防備って、陽太さんはお兄ちゃんだよ?」
何故か神木さんは困ったように眉を下げる。
「まあ、俺が今度から側に居れば心配いらないか……」
そっと繋がれる手と手。もう誰の目も気にすることなく好きなだけ側に居て、そうやって触れ合うことができる。
「初めて亜矢と出会った日を最近よく思い出すよ」
「わたしも……」
この家に来ていろんなことがあった。その全ての出来事に神木さんがいた。
「亜矢が俺を家族だって言ってくれたこと覚えてる?」
「うん」
あの時はただ執事という存在に慣れていなくて、単純な考えから言ってしまった。それが今、本物の家族になろうとしていることが奇跡のようで、とても不思議な気持ちになる。
「あの時、初めて亜矢を意識している自分に気が付いたんだ。けど、亜矢はお嬢様で……俺は君に仕える執事で、それ以上なんてあり得ないと気付かないフリをした」
なんとなくだけど、気が付いていた。神木さんがたまに執事を演じていること。
「だけど、どれだけ執事として振舞おうとしても亜矢の存在は俺の中でどんどん大きくなっていった。白藤さんが現れてからはいろんな感情が巻き起こって、自分の感情に振り回されるなんて……あんなこと生まれて初めてだったよ」
ふっと神木さんが笑顔を零す。そこにはもう執事の顔は全くなかった。
「心を激しく揺さぶるのも、くだらないことで嫉妬するのも、些細な出来事で堪らないぐらいの幸せを感じられるのも、亜矢だけ……亜矢しかいないんだ」
「わたしも同じだよ。神木さんじゃなきゃ……っ!?」
急に力強く抱き締められ、驚きのあまり目を見開く。
「亜矢と出会えて良かった」
「……うん、わたしも誠と恋して良かった!!」
わたしは執事と恋をし、最高の日を迎えることができた。
そしてこれからは、新たな家族となり、愛を築いていくこととなる。
ふたりのストーリーはまだ始まったばかりだ。
FIN……