memorys,122
それから数日が経ち、わたしは暫くぶりに母の眠るお墓へ訪れていた。
もうじき、春を迎えようとしている。桜の木にいくつもの芽が目を覚まそうと大きく膨らんでいた。日差しは冬の寒さを忘れさせてくれるほど暖かく、自然と足取りが弾む。
「今日は本当に暖かいですね」
わたしの隣に普段と変わらない執事服姿の神木さん。わたしがお墓参りに行ってくると伝えると、どういう訳か神木さんも付き添うと言って一緒にここへやってきたのだ。
「亜矢様とここへ来たのはあの時以来ですね」
「そうだね」
あの頃、わたしと神木さんは初めてお互いの気持ちを知った。あの日のことを思い出すと恥ずかしくもあり、素直に神木さんを好きでいられた自分が懐かしくも思う。今も好きに変わりはないのに、自然にそれを伝えられない。神木さんはわたしを今も好きでいてくれているのだろうかとか、これから先本当にわたし達はうまくやっていけるのだろうかなんて余計な考えが邪魔をして、自分の気持ちを素直に口に出せなくなってしまった。
(……神木さん、最近わたしとふたりきりでいても亜矢様なんだよな)
前ならふたりでいる時は亜矢と呼び捨てたり、執事言葉を外したり、分かりやすく愛情を示してくれていた。なのに、海外へ行った時からそれは徐々に減っていき、今は出会った頃のような執事の神木さんのまま。抱き締めてくれたり、キスをすることもなくなった。
(もしかして……これが倦怠期ってやつ!? 白藤さんの言った通り愛想を尽かされた?)
どれも当てはまりそうで一気に顔が青ざめていくのを感じる。
「どうかなさいましたか?」
「な、なんでもないよ!」
確かめたいけど、本当にそうだったらどうしようという不安から尚更それを口にはできない。振られる覚悟ができていない今、神木さんの本心を聞き出すのに躊躇し、あからさまに明るく振舞うという分かりやすい行動をとった。
「わたしお花の準備するから神木さんはお墓の掃除してもらってもいい?」
「分かった。なら、水を汲んでくるから」
「ありがとう」
せっかく母のお墓に来たのだから気まずい雰囲気にはなりたくない。
「今日くらいは楽しくやろう」
そして、覚悟が出来たら神木さんと話そう。こんなにモヤモヤしたまま過ごすのはわたしだって我慢の限界だ。
「お母さん……わたしに勇気をください」
手を合わせながら小声でそっとお願いする。すると後ろから不思議そうな問い掛けが降ってきた。
「勇気をって……また何かあったんですか?」
「え?」
わたしは全力で否定するように頭を左右に振った。
「違うよ! 大したことじゃないの!」
どこか腑に落ちない表情をしながらも、それ以上問い詰めることはせずに神木さんは掃除に取り掛かる。ホッと胸を撫でおろし、わたしもお花を適度な長さにカットした。
掃除も終わり、お墓の前に奇麗に備えた花が風に揺れる。僅かに漂うお線香の香りを感じながら、わたしと神木さんは手を合わせた。わたしが目を開け、そっと神木さんへと目線を上げると、今もまだ手を合わせたままの状態でいる。
(何を思ってるのかな?)
前に来たときはお母さんにわたしのことを報告したと照れ臭そうに話してくれた。なら、今はどんな報告を母にしているのだろうか。そんなことを考えていると目を開けた神木さんと視線がぶつかる。
「いろいろお母様に話をしていたら長くなってしまいました」
にっこりと笑う神木さんに、わたしは無意識に感じたことを口に出していた。
「わたしのこと、また報告してたの?」
「えっ」
一瞬動揺を濁らせる瞳。神木さんの顔から笑顔が消えた。
「あの……それは」
ああ、しまった。やってしまった。
気まずいのは嫌だと思っていたばかりだったのに台無しだ。
「ごめん! あんまり真剣に手を合わせてたから気になっただけだから……話したくないなら話さなくてもいいよ」
やっぱり振られる覚悟が必要のようだ。それを悟ってしまったわたしは耐えきれずに立ち上がり、神木さんに背を向けて逃れるように早めの速度で歩き出しす。
「違うんです! 待ってください、亜矢様っ!」
「いいって、気にしてないから! そんなことより、そろそろ帰ろうか。午後から久しぶりに奏と会う約束してるから戻らないと」
覚悟もないまま、サヨナラの言葉なんて聞きたくない。
「亜矢のことを話したんだ!!」
……驚いた。
久しぶりに亜矢と呼んで、執事言葉をなくした彼の声が一瞬にして耳を貫く。
振り向くのが怖い。これは喜ぶべきなのか、それとも受け流すべきなのか。
期待したい。けど、勘違いだったらどうしよう。心がぐらぐらと揺さぶられる。
「わたしの……こと?」
やっと出た声は震えていた。喉が詰まったみたいに喋りにくい。
「前に……ここへ来た時、俺がお母さんになんて報告したか覚えてる?」
「……うん」
「年の違いや、立場の問題があるけど精一杯……亜矢を大切にするって俺は話した。けど、あのあと俺は君を傷付けて勝手に離れる選択をしてしまった」
わたしはそっと神木さんの方へと顔を向けた。
「辛い時こそ君は笑おうとする。ずっと側にいながら、あの時の俺はそれに気付いてあげられなかった。まずはそのことについてお母さんに謝った」
「神木さん」
自分勝手に想像し、神木さんとはもう駄目だと決めつけていたことに心が痛む。
ずっと側に居たのに気付いてあげられなかったのはわたしの方だった。
「それから、もう亜矢に辛い笑顔はさせたりしない。辛いときには誰よりも側にいて、笑顔の時は一緒に笑い合える、そんな存在になるからって……新たな誓いを伝えたんだ」
そう言いながら彼は笑う。
そこに立っていたのは執事としての彼ではなく、わたしを一途に思い続けてくれた神木 誠だった。