memorys,120
新社長が意外な人物だったために記者からの質問は尽きず、1時間の予定だった記者会見も気付けば2時間を軽く超えていた。なんとか区切りをつけ、ステージから離れることができた時には疲労困憊で正直立つのもやっとなぐらいにフラフラの状態。わたしは廊下に出た瞬間に地べたにへたり込みそうになった。
「僕に捕まって」
優しく体を支え、そっとわたしにペットボトルの水を差しだす青年が瞳に映る。しかし、疲れが限界を超えたせいか視界までぼやけてしまい、青年の顔も誰なのか区別するのが困難だった。彼が誰なのか、その前にお礼を言わなくちゃと頭の中にいろんな命令が駆け巡っているのに、今は手渡された水で喉を潤したいという欲求に支配されてしまう。2時間もステージに立ちっぱなしで喉はカラカラ。お礼は後回しと躊躇なくキャップを開き、ペットボトルの水を一気飲みした。全身に染み渡った水分が疲労感を僅かだが緩和していく。
「お疲れ様……長時間、大変だったね」
「……すいません、お礼も言わないで……ありがとうございます」
「いいよ。気にしないで」
随分親し気に話しかけてくれる青年に改め目を向けた。高身長に加え、肉付きが少ない華奢な体つきが特徴。首元まで伸びた髪がよく似合う青年は柔らかな笑顔を浮かべている。
「えーっと……」
「なに? 4年も会わなかったから僕のこと忘れちゃったの?」
「まさか……暉、くん?」
「正解。兄弟の顔しっかり覚えてなきゃだめじゃん」
「だって、別人みたいで全然気づかなかった」
感動の再会なはずなのに、それすら吹っ飛ぶ勢いほどの激変ぶりに口は開きっぱなしだ。
「それくらいに変われたんなら嬉しいね。亜矢……おかえり。4年も離れてたから寂しかったよ」
暉くんはごく自然にわたしを抱き寄せ、軽いハグを交わす。前の彼ならこんなことしなかった。海外で過ごしたことで、どうやら彼の中で何か変化が生まれたのだろう。しかし、あんなに素っ気ない態度しかみせなかった暉くんからハグなんて難易度高めのスキンシップをされるとは予想外だ。嬉しいような恥ずかしいような妙な気持ちにわたしは何も抵抗できなかった。
「暉、そろそろ離したらどうだ? 再会を喜びたいのはお前だけじゃないんだぞ」
「あ、ごめん」
やっと抱擁から解放されたわたしに今度は新たな手が伸びる。その手は愛しむような優しい手つきで頭を撫でた。
「亜矢、おかえり……会わない間にまた奇麗になったな。記者会見も立派だった」
「お兄ちゃん」
前より少し痩せたような気はするものの、変わらない陽太さんの顔を見た途端、懐かしさから目尻が熱くなってくる。遅れてやってきた感動にさっきまで感じていた疲労感は奇麗に消えていしまった。
「ただいま……4年も帰ってこられなくてごめんね」
「いいよ。神木からは細かく連絡もらってたから……お前が元気に帰ってきてくれただけで俺は嬉しいよ」
「そんなこと言って、毎日心配で堪らないと……目を離したら仕事を放り投げて海外に行きそうだったのは誰ですか?」
「余計なことは言わなくていい」
陽太さんの後ろでニヤニヤしながら言ってきたのは、相変わらず意地悪さの抜けない白藤さん。どうやら、わたし達がいない間に白藤さんと陽太さんの関係がかなり深まったようだ。
「それは申し訳ございません。なにせ毎日毎日、亜矢はまだ帰ってこないのかと聞かされてきたものでしたので……陽太様の愛情深さをお嬢様に教えて差し上げないとと思いまして」
「白藤……お前な」
かなりおかしなコンビが誕生してしまったらしい。思わずふたりのやり取りに笑ってしまったのはわたしだけではなかった。お父さんと涼華さんの横に付き添っていた神木さんも顔を背けて肩を震わせているのが見える。
「白藤さん、元気そうで安心したよ」
これ以上放っておいたら喧嘩になりそうで、わたしは白藤さんに慌てて話しかけた。すると、そっと手を握られる。
「それは俺のセリフだよ。お前は直ぐに無茶するから……また倒れたりしてないかって心配したんだぞ」
「ごめんね、心配かけて……ありがとう、白藤さん」
ひとしきりみんなとの再会の言葉を交わしたタイミングで会長が口を開く。
「今日は大変な一日だったが無事に終えられて良かったよ。今日はこのまま家に帰ってゆっくり休んでくれ……亜矢ちゃん、君が一番の活躍だった。ありがとう」
「いえ、そんな……」
「後継者になろうと頑張ってくれたばかりではなく、光彦を見つけ出してこうして連れ戻してくれた。感謝の言葉しかない……本当にありがとう」
会長の横にいた光彦さんがわたしにすっと手を差し伸べる。
「俺からもお礼を言わせてくれ……また父と弟に会うことができたのか君のおかげだ」
「会えたのはたまたまですからお礼なんて」
そう返しながら、わたしは光彦さんと握手を交わした。
「親父と決めたんだが……どうかな? 亜矢ちゃん、うちの会社で俺と一緒に働いてみないかい? 海外で勉強してきたことを無駄にしないためにも、Glassでデザインを続けた方が君のためにもなると思うんだ」
「え? いいんですか?」
「いいもなにも……亜矢ちゃんみたいな根性ある子がうちに来てくれたら、俺も心強いよ」
「ありがとうございます!! わたし頑張ります!!」
わたしは更に光彦さんの手を強く握り、新たな決意を胸に誓った。