memorys,119
一年前。
この頃のわたしは少しだけ諦めかけていた。
Glassの後継者候補になるべく海外に来たのは本当のことで、偽りではない。しかし、少しだけ、ほんの少しだけ期待していた。もしかしたら、わたしよりも社長の素質を持っていて、Glassの後継者を快く引き受けてくれる、そんな人に出会えるのではないか。漫画かドラマのような奇跡の展開を頭の隅で描いていた。しかし、現実はそう上手くはいかないもの。そんな人材がひょっこり現れることなどないまま、虚しく時間だけが進んでいた。
だが、そんな時に彼と出会ったのだ。
息抜きがてら街を歩いていたわたしは不意に道端でアクセサリーを売っている露店に目を向ける。そのアクセサリーはどれもが光り輝くように見えるほど素敵なものばかりだった。Glassの蝶のイヤリングを見た時と同じくらいの衝撃と感動が体中に走り、わたしは思わず駆け寄り見入る。
「どれも素敵ですね」
硝子でできた素朴なものばかりだったが、デザインのせいか高級感さえ感じてしまう。値段は手ごろなものばかりで誰でも手に取りやすい。見ているだけでもワクワクしてしまうようなアクセサリーを目の前に、店の主人であろう男性に話しかけた。
「これって全部、自分でデザインとかされてるんですか?」
鍔のついた帽子を目深にかぶり、寒さしのぎのためかマフラーで口元を覆っているため相手の表情は全く分からなかったが、わたしの問い掛けに小さく頷く。
「凄いですね。わたし、デザインの勉強をしてるんですけど全然才能がなくて……アクセサリーを作るのは好きなんですけど」
「俺の作るものなんてそこら辺の店と同じだ。買わないなら帰ってくれ」
気難しい人なのか。それとも、何か気に入らないことでも言ってしまったのだろうか。せっかく素敵なお店に出会えたのにこのまま帰ってしまうのは勿体ないと、わたしはひとつのアクセサリーを手に取った。それは硝子玉がひとつだけ付いたネックレス。硝子玉には可愛らしい蝶の模様が描かれていた。
「これを下さい!」
お金を渡すと、彼はだんまりのままネックレスを丁寧に包装してくれる。露店でしっかり包装してくれる人は珍しい。だから、彼は悪い人ではないのだと悟った。
「また見に来ていいですか?」
「買うなら来るなとは言わないよ」
そう言って手渡してくれた瞬間、彼と目が合う。帽子の隙間から見えただけだったから情報量としては少ないが、そこまで若くはなく、どことなく日本人なんだと勘が働く。
「ありがとうございます……また来ます!」
この人が疾走していたお父さんのお兄さんだと知ったのは半年以上経ってのことだった。通い詰めて、だんだん話すようになって、名前を聞いた時は失神してしまうんじゃないかと思うほど驚いた。
一緒に日本に来てほしい。何度説得しても毎回指を左右に振られ、それでもわたしは説得を続けた。
「俺には才能がない。戻ったってGlassの役になんか立たない。弟の方が才能があって、ドレスのデザイナーで成功してて……こんな露店で今日の生活費を稼ぐのもやっとやっとな俺が後継者なんてあり得ないだろ」
こう言って、いつも悲しそうな顔をする。そんな光彦さんを見るとわたしも切なくて堪らなくなった。才能がものをいう世界で、それがないと気付かされた時のもどかしさ。自分にはない才能を発揮した身内に嫉妬しながらも応援しようと姿を消すことを選んだ苦渋の決断。様々な葛藤が彼の中に生まれてしまったがために、今もまだそれに縛られ続けている。
そんな彼を解放してあげたい。
わたしはその一心で、こう告げた。
「光彦さん、ならわたしが後継者になりますから……わたしを助けるために日本へ行きませんか? こんなことを言ったらなんですけど、わたしが社長になろうが誰が社長になろうが駄目な時はだめなんです。光彦さんが社長になっても会社が長く続くかどうかなんて分かりません。お父さんが今Glassの跡を継いだとしても結果は一緒だと思います……才能があったって、いいデザインが生まれなきゃ会社は終わりなんですから! 未来は予測できない……それならいっそのこと駄目もとでいいから一緒にやってみませんか?」
「その無鉄砲さは弟譲りか?」
「かもしれません。けど、これだけは言わせてほしいんです。わたしは会社のために光彦さんを後継者にとか考えたことはありません……もう一度、会長と家族としての時間を過ごしてほしいんです。このまま離れて会わないままなのは、何もやらないで失うよりも後悔すると思うんです」
結果はどうでもいい。家族が揃うことに意味がある。
どんなに才能あふれた人材を見つけるよりも、こうして光彦さんが戻ってくる方が会長にとっては嬉しいはずだ。
「お願いします……わたしと日本へ帰ってくれませんか?」
かなり迷ってはいたけれど、光彦さんは帰ることを決断してくれた。
まさか後継者になってくれるとは思ってもみなかったが……
「帰るなら後継者として死ぬ気でやる。親父の会社をそう簡単になくしてたまるか……」
お父さんのために身を引いたけど、誰よりも後継者として会社を守りたいと願っていたのは光彦さんなのだ。それを会長も分かっていたから、誰も後継者にせず、自分の代でGlassを終わらすつもりだったのだろう。
そんな諦めだらけだった日常に今新しい風が吹いた。