memorys,115
夕食を済ませると、席を立ったわたしにお父さんが近付いてくるのに気が付く。
「亜矢、ちょっとふたりで話さないか」
「うん」
わたしは先を行くお父さんの後ろを素直について行った。どこで話をするのだろうと考えていると、ある部屋の前で立ち止まる。そこは神木さんとダンスの練習をした部屋だった。どうして、話をするのに敢えてこんな広い部屋を選んだのだろうと疑問に思うところではあったが、それよりも気掛かりなことがわたしにはあった。
「お父さん……今でもやっぱりGlassの後継者にはなりたくないの?」
後継者争いが嫌になって違う道を行ってしまった父だが、今や後継者を失ってしまった祖父の寂しさを思うと、もっと簡潔に問題を解決する方法はお父さんが戻ることだった。それが出来たのなら、後継者としての器が備わっているのか分かりもしないわたしが行動するよりよっぽど上手くいく。しかし、お父さんは小さく首を振った。
「後継者になりたいとかなりたくないは関係ないんだ。わたしは今でも兄が後継者に相応しいと思ってる。兄は後継者として尊敬できる人だった……わたしよりも何倍も会社の事を考えて勉強に時間を惜しまない努力家だったんだから、デザインの才能なんて後からいくらでもついてくる。だからこそ、兄にGlassを継いでほしかった」
「それは分かるけど……お兄さんが見つかるまでとか考えなかったの?」
「それは考えたさ。Glassが嫌いだったわけじゃないからね……けれど、兄の代わりに後継者になったら、もう二度と兄は戻ってこない。兄の居場所を完全に奪ってしまうんじゃないかと思った。だから、あのままわたしがあの家に居れば、強制的に後継者にされていただろう。それを避けるために家を出たんだ」
「それでお母さんと出会ったの? お母さんはお父さんに後継者になることを望まなかったの?」
「望んだよ……心優しい母さんだ。もちろん望んださ」
きっと父は、今わたしを母の顔と重ねている。愛しみと切なさが混ざった複雑な表情をしていたから、なんとなくそう感じた。
「けれど、お母さんの家へ初めて行った時にわたしは衝撃を受けたんだ。小さい店だったけど、お義父さんが生み出すドレスはどれもが素晴らしかった……世界でたった一つしかないドレスを自分も作ってみたいと心から感じたんだ。それをいつかお前のお母さんに着せてあげたいと……それが父さんの夢に変わった瞬間だった」
僅かにお父さんの瞳に涙が滲む。
「だから、Glassの跡を継ぐことよりもわたしはお義父さんが築き上げてきた店を守っていくことを選んでドレス職人の道を歩む決断をした。いつか自分が納得した最高のドレスを母さんに着せることを夢見て決めたはずだったが……それも叶わず終わってしまった。お前にも長い間寂しい思いをさせてしまって本当に済まなかったと思ってる」
「そんなことないよ。わたしお父さんとふたりで暮らしてた時だって幸せだったよ」
「お前には後継者だとか、どこぞの令嬢だとか、そんな荷が重くなる生活よりも平凡な暮らしの中で幸せと夢を見つけてほしかった」
「ありがとう……」
「それなのに、結局はお前を令嬢にしてしまったし……関わらないようにしてきた後継者問題にも巻き込んでしまったな」
「そんなのお父さんのせいじゃないよ。だって、きっとこうなることがあ母さんの望みだったのかもしれないよ。ドレスコンテストに出て優勝してなければお父さんの夢は夢のままだったし、コンテスト自体を諦めてたら涼華さんとも再会してなかったんだから……こうやって新しい家族に囲まれて、大切な人にも巡り合えた。後継者っていうのは想定外だったけど、自分の将来の夢にも気付けたし……これはわたし達にとって必然だったんだよ」
お父さんはそっと袖で零れる寸前まで溜まった涙を拭い、何を思ったのかレコードをかけ始める。流れてきたのはダンスの練習でよく使っていた曲だった。神木さんと初めて踊った思い出の曲でもある。
「亜矢、もう一度父さんと踊ってくれないか」
「いいよ」
延ばされたお父さんの手を迷わず取る。
「ダンスが得意なんてお父さんらしくないって思ってたけど……やっと謎が解けた」
「ダンスは苦手さ。子供の頃は嫌々練習してたんだ……けど、こうやって亜矢と踊れる日が来るのが分かってたらもっと練習しておくべきだったな」
「お母さんとは踊らなかったの?」
「お母さんとはダンスの話もしなかったからな……けど、今になって思うよ。お母さんともっといろんなことをしておけば良かったって」
「なら、お母さんと出来なかったことこれからは涼華さんと思う存分やってね。その方がきっとお母さんも喜ぶから……お父さんにはずっと笑っていてほしいってきっと思ってるよ」
「ああ、そうだな」
そして曲が終わり、わたしとお父さんは少し名残惜し気に足を止めた。
「海外へ行くのは止めない。後継者の事も反対はしない……けど、もし途中で辛くなったらいつでも帰っておいで。お前の家はここだ。お前の家族はいつでもお前を待ってるからな」
そんなことを告げられてしまっては、泣かずになどいられない。ダムが崩壊したかのように涙がぼろぼろと流れ零れていく。
「ありがとう、お父さん……」
新たなスタートを踏み出した夜。
わたしはしばらくの間、父の胸の中で泣き続けた。
ここで第6章終わりとなります。
次回の章で最終章となりますので
あと僅かですが最後までお付き合い下さると
嬉しいです♪٩(✿´ヮ`✿)۶♪




