memorys,114
どれだけの沈黙が流れたのだろうか。唸っては辺りを見回し、また腕組みをしながら考え込みだす父の様子をただ暫く眺めた。
「ずっと黙っていて申し訳ありませんでした」
神木さんはずっと頭を下げたままの状態で、静かに話し始める。
「お嬢様に対して好意を抱くなど執事失格……それは重々承知しています。執事とお嬢様という立場の違いがたくさんの障害を招いてしまうというのは分かっていますが、それでも一緒に歩んでいきたいんです。どんな困難が襲ってきても、わたしは必ずお嬢様を守ります!! 彼女が後継者になるというなら、どんな手段を使っても彼女の隣に立てるようにしてみせます!! それがわたしの決意です」
「神木さん……」
こんな風に考えていてくれていたなど想像していなかった。もしも後継者になってしまったら神木さんを諦めないといけないなんて、苦渋の決断を迫られていた気になってしまった自分が恥ずかしい。やっぱり、物事は結末を見るまでは誰も結果は分からないものなんだ。
「俊彦さん……ふたりのこと、反対なんですか?」
さっき同様、唸ってばかりいるお父さんに痺れを切らした涼華さんが助け舟を出す。
「わたしは神木くんと亜矢ちゃん、とってもお似合いだと思うんだけど」
「そうだね。執事とお嬢様の恋愛が駄目なんて今の時代じゃ古臭い事だと思うよ」
陽太さんは笑いを堪えているような引き攣った笑顔をしている。暉くんは他人事のように黙々と夕食を口に運んでいた。いつまでこんな状況が続くのかと焦った刹那、お父さんが突如立ち上がる。かけていた椅子が倒れそうな勢いだった。どう見ても怒っているようなオーラを放つ父に、わたしは怒られる心の準備をする。それは神木さんも同じなようで、一瞬上げかけた頭を再び下げた。
「神木くん、頭を上げなさい」
「はい」
「亜矢、お前が誰を好きになったとしても反対なんかしない。相手が神木くんなら寧ろ大賛成だ」
「なら、なんで怒ったような顔してるの?」
「そんなの怒るに決まってるだろ!! なんでお父さんだけが知らないんだ!! みんな知ってて、わたしだけ仲間はずれにしたのか!?」
まるで子供のようにむくれた顔で声を張る父に思わず笑いだしそうになってしまう。ギリギリのところで止まったけど、油断すると込み上げてきそうで、わたしは咄嗟に涼華さんに話を振る。
「おっ、お母さんは言わなかったけど気付いたんだもんね」
「そうそう! これは女の勘ってやつね。亜矢ちゃんと神木くんの様子を見て直ぐに分かっちゃったのよ。俊彦さんに知らせるのはわたしからじゃなくて亜矢ちゃん達からの方がいいと思って敢えて黙ってただけで……陽太もそうでしょ?」
涼華さんはにっこり笑って、陽太さんにバトンタッチした。
「え、はい……神木は子供のころから一緒なんで、だいたい二人の様子を見て知ってはいました。たまに神木からも相談は受けてたので……けど、まさか暉まで気付いてたなんて俺も知らなかったよ」
回されたバトンはついに暉くんに投げられた。
「神木さん……僕たちと亜矢に対しての対応全く違うし、何より顔に出てるもん。言わなくてもすぐに気付くでしょ」
さらっと返された暉くんの言葉にお父さんは悲しそうに項垂れる。
「俺が鈍感だったのか」
「仕方ないじゃない! そんな時もあるわよ」
一段と明るい声を発しながら、涼華さんは父の肩をポンポンと優しく叩く。落ち込むお父さんのフォローをしたいのだろうが、あまり効果はなさそうだ。これはこれで困った展開になってしまったが、神木さんのことを反対されなかった事に心底ほっとした。そっと神木さんに目を向けるとタイミングよく視線が重なる。
口パクで「よかったね」と言ってきたのが分かり、わたしは笑顔で頷いた。
それから、雑談を交えながら夕食をとるにつれ、お父さんの機嫌もだいぶ落ち着いたようだった。やっと、事情を知らなかった陽太さん達にGlossの会長がわたしの祖父だと伝えられる。みんな少し驚きはしたけれど、受け止めるのに時間はかからなかった。
「海外は神木が付いていくなら安心はしてるけど、今から後継者へ向けての勉強なんて大丈夫か? 亜矢のことだから無理しそうで」
そう不安の声を漏らす陽太さんにわたしは迷わず答える。
「少しぐらいは無理するかもしれないけど、自分がしたい事だから全力でやるつもりだよ。けど、会長も言ってたけど……この世界は実力主義だから、わたしがお父さん以上の才能があるかどうかは分からない。もしかしたら、駄目かもしれないし」
「駄目ならどうする?」
「その時のためって訳ではないんだけど……もうひとつ海外でやりたいことがあるの」
「やりたいこと?」
お父さんと涼華さんも不思議そうにこちらを窺う。
「きっと、わたしみたいな素人がいきなり後継者の勉強をしたってきっと会社の役に立つまでには相当時間がかかるのは分かってる。だから、その手助けをしてくれる人を探したいんだ……わたしが成長するまででもいいから近くで教えてくれるような人」
「そんな人、なかなか見つからないだろ」
「そんなの実行してみないと分からないじゃない。やらなきゃ結果は出ないでしょ?」
「お前、やっぱり強いな」
陽太さんは愛しむように、わたしの頭を撫でた。陽太さんの手のぬくもりを感じながら、わたしは少しだけ寂しさを覚える。
海外へ行けば家族と離れ離れになってしまう。こうして頭を撫でられることも、みんなとご飯を食べる当たり前の時間も、しばらくはお預けだ。それを思うと今にも涙が瞳を即座に覆ってしまいそうになる。
強くなんかないから……みんながいるから強くなれた気になれるだけだよ。
それは言葉にせず、胸の中で呟いた。