memorys,113
夕食時に家へ戻ったわたしは、迷うことなくみんなが集まっているだろう食堂へと足を進めた。これからわたしが話すことに、みんなどんな反応を返してくるのかと考えると正直今も怖い。呆れて頭を抱えた末に、怒鳴られて家を追い出されるなんて最悪な結末が頭の中で勝手に展開していく。しかし、それはわたしの作り出した妄想であって、現実どうなるかなんて話してからじゃないと分からないことだ。きっと大丈夫、と何度も自分に言い聞かせながら食堂のドアを開けた。
「あら、おかえりなさい。遅かったから心配してたのよ」
「その割には手ぶらじゃないか。気に入ったものがなかったのか?」
何も知らない涼華さんの心配顔と、普段通りの笑顔をこちらへ向ける父が同時に目に飛び込む。わたしを席に誘うように椅子を引こうとする陽太さん、何も気にしていないような素振りをしながら目線は何度もこちらに向ける暉くん、夕食をテーブルに並べながらわたしの様子を窺う白藤さん。みんなそれぞれの視線をわたしに向けていた。わたしは今にも体から飛び出るんじゃないかと思うほどの心臓が波打つ音を聞きながら、勢い任せに口を開けた。
「ごめんなさい!! わたし、海外へ行こうと思う!!」
その言葉は一瞬でみんなの表情を統一化した。驚いたような、戸惑ったような、そんな表情。誰もが口を半開きにしたまま声を発することはない。隣で聞いている神木さんでさえ不安そうだ。
「高校を卒業してからだと遅いと思うから……なるべく早く」
「それは……どうしてだ?」
その問い掛けはお父さんだった。表情は一変して、今は少し怖い雰囲気漂う真剣な面持ち。
「回りくどい話はいい。海外へ行く理由を率直に言いなさい」
「Glossの跡継ぎ候補になるために勉強したいの」
わたしのした決意は、案の定みんなを驚愕させてしまった。
「何を言い出すんだ!? なんで亜矢がGlossの後継者に……」
訳が分からないと席を立ちながらこちらを見つめる陽太さんをお父さんがそっと制止する。
「陽太くん、すまないがその説明は後にさせてほしい。今は亜矢の話を聞こう」
お父さんはわたしに話を続けるように目で合図を送った。
「お父さんがなかなか話してくれないから……今日、Glossの会長と会ってきた。それで過去のこと全部聞いたよ。お父さんが考えていることを全部理解したわけじゃないけど、わたしなりに理解して……それで考え出した答えなの」
「お前はそれでいいのか? お嬢様という立場だけでもいろいろ苦労してきたのに、今度はGlossの後継者になるってことは生半可な覚悟じゃ務まらないんだぞ。ただの同情心だけで飛び込んでいったら必ずお前は後悔することになるんだぞ」
「お父さん……違うよ。自分の夢のために決めた選択だよ……わたしはもう、誰の声にも左右されずに自分自身の決めた道を選択できるようになったの」
この言葉はお父さんを過去の記憶を呼び覚まさせたようで、強張っていた顔が少しだけ和らぐ。
「そうか……」
そう一言告げると、力が入っていた肩から力を抜いた。
「亜矢が決めた事なら反対はしない」
意外にもすんなり受け入れてくれたことに、わたしは安堵するよりも驚きのあまり足がふらつき、咄嗟に神木さんの腕に捕まる。
「お嬢様」
「ごめん、大丈夫」
態勢をなおし、わたしはまた真っ直ぐ父の顔を見つめ立った。
「ありがとう……お父さん」
「亜矢、席へ着きなさい。食事をしながら、ゆっくり話をしよう」
「はい」
わたしが席へ着くと、今度はお父さんの目線が神木さんへ向けられる。
「すまなかったね。わたしが話さなかったせいで、神木くんまで巻き込んでしまったみたいで」
「いえ、わたくしが望んで付いていったので……それに、わたくしからも旦那様にお願いがございます」
「言ってごらん」
神木さんは一度背筋を伸ばすと、今度はゆっくり頭を深く下げた。
「お嬢様が海外へ行く際はお世話をするためにわたくしが付いていきたいと考えています」
「神木くんが?」
「そして、もしもお嬢様が本当にGlossの後継者になる際は……わたくしは執事を辞めようと考えています」
周りが一気にざわつく。それはわたしも一緒だ。まさか執事を辞めるなんて言い出すとは思ってもみなかった。
「か、神木くん? どうして君が辞めなきゃならないんだ」
わたしの時よりも動揺を隠しきれないお父さんに対し、涼華さんは何もかも悟ったように微笑みながら言う。
「執事のままだと、亜矢と一緒にいられないものね」
まるで話の意図が分からないでいるお父さんはきょとんとしながら、隣で涼しい顔をする涼華さんと神木さんを交互に見遣る。神木さんは更に深く頭を下げると、はっきりした口調で言い放った。
「わたくしはお嬢様のことを心から愛しています。なので、これからはどんな時でも彼女を支えられる距離にいてあげたいんです……なので、どうかわたくしの勝手な行動をお許しください!!」
「それは……結婚も視野にいれているということか?」
そう聞き返された神木さんは迷わず、「はい」と答えた。
きっと、わたしと神木さんがそんなことになっていたとは微塵も思っていなかったのだろう。父の表情が数秒ごとにコロコロと変化した。これぞパニックという感じだろう。どうしたものかと困ってしまったわたしだったが、あることに気付いて首を傾げかけた。
涼華さんと白藤さんは驚かないのは分かっていたが、何故か陽太さんと暉くんまでがさも知っていたような表情で今の出来事を見守っている。
わたしはそこでやっと気が付いた。
神木さんとのことに気付かなかったのは父だけだったのだと。




