memorys,111
考えてみれば、お父さんが初恋の相手が涼華さんというのは少しだけ違和感があった。朝比奈財閥の令嬢である涼華さんと一般人のお父さんが出会う事など奇跡でも起きなければまるで接点のないふたり。しかし、お父さんがGlassの社長の息子となれば、涼華さんと出会っていたというのには納得がいく。
そして、社交ダンスをすんなり踊ってみせたことや、わたしを財閥の娘にした申し訳なさを含めた言葉。思い返せば、疑問に思うことは幾度となくあった。けれど、貧乏生活を共に乗り越えながら支えあって生きてきた日々を思い起こすと、その疑問は勘違いであると頭が勝手に処理してしまっていた。
「俊彦が居なくなって……わたしはようやく自分の愚かさに気が付いた。光彦や俊彦を会社のためだけの駒のように考えてきたのだと、そんな自分を恥じたよ」
会長が目を潤ませながら話す隣で、百合花さんもハンカチで目尻を拭う。
しかし、ここで小さな疑問が頭を過った。
ここまで聞くと、お父さんと会長の関係は悪く言えば修復が難しいように思える。だが、さっき会長はそれを思わせないように笑っていた。過去と現在の状態が一致しなさ過ぎて、ひとり唸る。
「あの……聞いてもいいですか? お父さんとはその後……和解していたんですか?」
「和解……まあ、そのような形をとった」
和解のような形、とはなんなのだろうか。その答えを待っていると、今度は百合花さんが口を開く。
「俊彦が居なくなってから3年がたった頃かしら……お父様に内緒でわたしに会いに来てくれたの。その時には俊彦は結婚していたわ。あなたのお母さんと……」
「お母さんに会ったんですか⁉︎」
「ええ、とても聡明で素晴らしい女性だったわ……ふたりで結婚の報告をしに来たのだけれど、その頃は俊彦もお父様と会うことを躊躇っていたの。けどね、華澄さんが怒ったのよ」
「お母さんが?」
思い出し笑いをしながら百合花さんがこくこくと頷いて見せた。
「いくら喧嘩して仲が悪くても、家族なんだからしっかり報告するのが礼儀でしょって……もう、すごい勢いで」
お母さんらしい。話を聞いて、懐かしき母の記憶が蘇ってきた。
母は家族と笑顔を大事にする人だったから、お父さんが怒られる場面が目を閉じずとも想像できてしまう。
「華澄さんの一喝で、俊彦もお父さんと会うことを承諾したのよ」
「その時に再会したのに、どうしてわたしには教えてくれなかったんですか?」
「それが俊彦の出した選択だったんだ」
百合花さんと入れ替わり、会長が話し始めた。
「俊彦には真っ先にわたしの跡を継ぐべく家へ戻ってほしいと頼んだのだが……それは出来ないときっぱり断られてしまったのだ。自分はドレス職人として生きていきたいと……それから」
会長の瞳が真っ直ぐこちらを見つめる。
「いずれ生まれてくるかもしれない我が子を跡継ぎ争いが起きるような世界では育てたくない。出来れば、一般の平凡な家庭でのびのびと笑顔溢れる暮らしをさせたい。だから、孫に会わせる日が来るとするなら……周りの声にも左右されずに自分自身の決めた道を選択できるようになった時だと」
「それで、わたしに黙ってたんだ」
「このままGlassを引き継ぐものが居なければわたしの代で終わってしまう。それは悲しい事だったが……俊彦の決めた道をわたし達が邪魔するのはよくないと判断し、君に会える許可が出るまでは遠くでそっと見守ることにしたんだ」
真城さんにわたしを監視させていたのはそれが理由だったのだと分かり、これまであった胸のもやもやがすっと消えていった。
「俊彦……亜矢、君のお父さんはわたしよりも立派な父となった。そして誰よりも素晴らしいドレス職人になった。出会い方は俊彦が望んだ形ではなかったが、こうして孫と会うことができて本当に良かった」
会長の言葉が体にじんわりと響き渡る。さっきまで違和感が残った孫と言う単語も今は耳に心地よく流れ込んできた。
「これで悔いなくGlassを引退できる」
「えっ……Glass、無くなってしまうんですか?」
「引き継ぐものが居なければね……わたしももう年だ。他人に譲ることも考えたが、このまま潔く幕を閉じた方が未練もなかろう」
ちくっと鈍い痛みが走る。大事に守ってきたものを手放せなければいけないもどかしい気持ちは、少なからずもわたしには分かるつもりだ。そして失った時の辛さと悲しみも痛いほど理解できる。しかし、わたしには解決方法など見付けられるわけでもなく、慰めの言葉すら言えずに口を噤む。
「悲しい顔をしないでくれ。会社を辞めることを伝えれば俊彦からも亜矢との交流を許してもらえるだろうから……会えなかった時間を埋めるためにも、この老いぼれの相手をしてくれないか?」
「そうですね。わたし達の知らない亜矢ちゃんの子供時代の話とかたくさん聞きたいもの」
「孫と楽しく老後が過ごせるなら、会社がなくなろうとも全然痛くない。だから、亜矢はなにも心配しなくていい……安心して自分の気持ちを最優先に、夢に向かって歩みなさい」
それは、同情して会社を継ぐなんて言わなくていいと念を押されていると聞かずとも伝わってきた。
「はい」
そう返事を返すものの、なんだか頭に引っ掛かって落ち着かない。
本当にこのまま見過ごしていいのだろうか。そう誰かが問い掛けてくる気がした。
アクセサリーを作るのが大好きだ。Glassのアクセサリーに興味をひかれた。
そんな理由から、安易に言葉にしていい訳がない。
その道を選ぶとしたら、わたしはいろんなものを失ってしまうだろう。
今隣で笑い掛ける神木さんと別れる決断をしなくてはいけなくなる。
大事なものを守るということは、どうしてなにかを手放さなければいけないのだろうか。
何もできない歯痒さに、わたしはひっそりと歯を食いしばった。
いよいよ、ラストスパートに入ってきた感じですが
もう暫く続きますので良ければ最後まで
見守っていただければと思います。




