memorys,108
晶さんに誘拐された時のことを詳しく聞きたいと言われ、わたしは事細かに説明した。わたしが話している間、会長は静かに相槌を打つ。話し終えても暫くひとり頷いてみたり、考え込むように俯いたりして、会話をすることもなく時間が過ぎていった。30分ほど沈黙の時間をわたしはそわそわしながら待っていると、ようやく会長と目が合う。
「いや、本当に今回のことは申し訳なかった。記者を雇って君に危害を加えただけでなく、誘拐までしでかすなど身内として恥ずべきことだ。亜矢ちゃん……わたしはね、今後の晶の処遇は君の判断に委ねようと思っている」
「そんな、わたしには……」
晶さんのその後の人生を左右してしまうかもしれないことわたしが決めるのはあまりに荷が重い。あんなことがあった後だから、出来れば晶さんのことには関わりあいたくないのが本心だった。
「こんなことを亜矢ちゃんに決めさせるのは心苦しい。それは重々分かっている。だが、わたしはどうしても厳しくできんのだ……どんなに出来の悪い奴であっても、可愛い盛りを見てきた孫への情がある。だから、今回のことも出来れば穏便に済ませたいのが正直なわたしの気持ちだ。しかし、それはわたしの勝手な想いで亜矢ちゃんの気持ちとは反するだろうから……君がどうしたいか聞きたい」
「それはつまり……わたしが二度と晶さんに会いたくないと言えば、そうなるってことですか?」
「亜矢ちゃんがそれを望むなら、そうしよう。両親ともども海外に移住するように指示する」
会長の決意はかたい。目が怖いくらいに真剣だ。わたしがこのままそれを願えば、晶さんとは二度と会うことのない平穏を手に入れられるだろう。
わたしは、しばし俯く。
出会ってから、お互いの印象は最悪で、もしかしたら和解策などないのかもしれない。しかし、血の繋がりがないからといっても、晶さんもわたしにとっては家族同然の存在だ。情が湧くほどの関係ではないが、家族をあっさり突き放せるほど非情にもなれない。
「わたしが晶さんに望むことはひとつだけです」
「言ってみなさい」
「一からやり直して、会社を背負える立派な人になってほしいです」
会長は少し驚いたように目を見開いた。
「それは……晶を許すということか?」
「まだ完全に許せたわけではありません。けれど、会長のお孫さんです……自分のしたことを反省して、今度は真面目に会社のために働いて、社長となった陽太さんをいずれは支えてくれる存在になってほしいです。きっと、晶さんは自分を認めてもらいたいと頑張るあまり、誤った選択をしてしまっただけだと思うから……やり直すチャンスも必要だとわたしは思います」
「本当にそれでいいのかい?」
「はい。けど、また繰り返されるなら次はキツイお仕置きをするつもりですから」
冗談っぽく返したつもりだったのだが、会長の目から見る見るうちに涙が溢れる。
「えっ⁉ か、会長……あの、泣かないでください。お仕置きは冗談ですから」
泣かせてしまった焦りから向かい側に座る会長に駆け寄ると、弱々しくわたしの手を取り、また深々と頭を下げた。
「ありがとう……本当にありがとう」
繰り返し感謝の言葉をつぶやく会長。そんな姿をわたしはただ見守るように見つめた。
これだけ愛されているのだから、晶さんも根から悪い人ではないと信じたい。今すぐは無理だけれど、いつか笑って話せる日が来るようにと強く願った。それが会長の一番の望みであり、わたしの祈りだから。
「済まなかったね。年寄りの泣く姿など見せてしまって……最近は涙もろくて参る」
照れくさそうに微笑む姿にわたしは笑顔で返す。
「いえ、わたしはなんだか嬉しかったです。いつも厳しい顔をする会長ばかりを見てきたので、今日はいろんな表情を見れて……おじいちゃんってこんな感じなんだろうなって実感しました」
「亜矢ちゃんの母方の両親はもう亡くなっていたんだったね」
「はい……祖母は母と同じ病気を患っていて、母を生んで間もなく亡くなってしまって。祖父も母が亡くなる少し前に」
「そうか。きっとさみしい思いもたくさんあっただろう……こんな老いぼで良ければ、わたしをお爺ちゃんとして慕ってくれると有難い。亜矢ちゃんのような聡明な女性がわたしの孫だと思うと鼻が高い」
「ありがとうございます!」
しかしながら、会長を“お爺ちゃん”と呼ぶには少しばかりの時間と勇気が必要かもしれないと内心思った。そんな時、会長が急に真顔に戻る。
「亜矢ちゃん、君の祖父として何かあれば手助けしたいと思っている。今望むことがあれば何でも言ってみなさい……」
「望むこと」
わたしの脳裏には、死んだと思い込んでいたはずの祖父母の顔が浮かぶ。会長に望めば全ての事情を教えてくれるかもしれない。さっきまではお父さんから聞くまではと思っていたのに、会長の言葉によって誘惑が強くなった。
「もしかしたら、亜矢ちゃんは今何かを知りたいと思っているんじゃないかい?」
「知ってるんですよね。わたしが誘拐されて誰と会ったのか、お父さんがずっと隠していたことも……会長はわたしが知りたいことを全部持ってるんですね」
会長は静かに頷く。正直迷った。この場ですべてを知れば、心の中にあるモヤモヤが奇麗さっぱり消え去ってくれるに違いない。けれど、それを知ってからどんな顔でお父さんを見ることになるのか少し怖いと思ってしまった。父が今までわたしに隠し続けた理由が分からないからこそ、それを聞いた途端にわたしから見る父への気持ちが変化してしまうのではないか。その不安は拭い切れない。
わたしはゆっくりと首を振った。
「今すぐ聞きたいです。けど、父の口から聞ける日を待とうと思います」
「そうか」
君が望むようにすればいいと、会長は柔らかな笑みを零す。その笑顔に、なぜか父の隠していることもそこまで深刻なものではないように感じた。わたしの判断は間違っていない。そう心の中で呟き、わたしは自信を込めて会長に返事をした。




