君は選挙にいきますか?
この手紙を読んでいるという事は、私はこの世にいないという事でしょう。故に答えを聞く事は出来ませんが、この手紙を読んでいるあなたに問いたい。まだ参議院は必要ですかね?
私は参議院を不要と考えております。必要なんですかね? 衆議院だけあればよくないですか? 衆参を与党で占めていれば大して意味無いですよね? ねじれ国会だとしても衆議院が優先ですよね? そこに税金を使う必要があるんですかね?
私の孫が活躍する時代には、我々の時代よりもより良い時代になっている事を、心から望んでおります。
30年ほど前に書かれたであろうその手紙。父の書斎の雑多な書類の中に紛れていたそれを、私は父の遺品整理中に見つけた。茶色い封筒に入っていたその手紙。既に開封されていた事からも、恐らくは父も目を通したであろうその手紙。差出人の名前を私は知らないが、父に向けての陳情という所だろうか。父がその件に尽力したとは聞いていなかったが、取り敢えず手紙の主の望んだとおり、「参議院」は無くなった。というより大幅に変わった。
現代において「参議院」という制度は廃止され、新たに「自議院」という制度が存在する。参議院は250人近い議員定数であったが、自議院は大幅に定数を減らした47名で構成される。その数字に因んで、別名「47士院」と呼ばれている。
自議院の議員は国政選挙で選ばれるのではなく、47都道府県の各知事が任命する「副知事兼自治体外交責任者」という肩書の人間が議員として入る事になっている。そもそも名誉職的な旧貴族院の後を継いだ参議院だった訳なので、国民からの反発は無く、反発したのは現職の国会議員だけであった。
手紙に書かれているように、過去の2院制では衆参の両方を与党が占めていれば参議院の存在はほぼ無意味である。衆参が与党と野党で別れる「ねじれ国会」であった場合でも、予算関連の採決に於いては衆議院が可決すれば参議院が否決しようとも、1カ月後には自動的に成立してしまうという「先議権」というルールであるが為、「参議院は無用」と多くの国民が思っていた為である。
かといって衆議院のみの1つで賄う事となった場合、議論不足や「与党の暴走」という懸念は残り、それならばと言う事で、47都道府県の長たる知事がそれぞれ任命した人物で賄うという事になった。国民も「これなら今までよりも多くの声が反映されそうだ」という事で歓迎した。
メリットはあった。参議院選挙が無くなった事で3年毎に数百億円をかけた半数を入れ替える選挙は無くなり、年間1000億円と言われる経費削減が出来た。国民の声も届きやすくなったという認識を持つ人が多くなった。勿論、各知事の意向を汲んだ議員であるので議論も盛り上がった。
デメリットもあった。参議院廃止と同時に「先議権」も廃止された事で、衆議院通過後に自議院での議論が盛り上がり、法案の採決まで時間を要するようになった。それはそれぞれの自治体の鬩ぎ合いも原因の一つではあった。
国民がそれぞれ選んだ自治体の長が選んだ議員と言う事で、間接的ではあるが国民に選ばれた議員と言う事でもあり、この2院制は上手くいっているようだと世界からも注目されている。
まあ、与党が知事選挙に全力を傾ける事になったので、与党の息のかかった立候補者が当選するという事になってもいる訳だが……。
とはいっても、そもそも国民の多くは選挙に興味が無い。故に選挙率も低い。自分が投票せずとも関係無いと考える人が多いのも実情である。市町村の議員選挙なんてなり手が居ないなんて所もある。まあ過疎地と言われる場所ではあるが。
投票するにしても縁故で投票する。訴えている事は知らないがポスター1枚を見て決めたとか、ずっと特定の党の人に投票しているとか、はたまた実績は無くとも名のある2世議員に投票するとか……
もともと今の日本の民主主義は民衆が勝ち取った物ではなく、明治維新で特定の人達によってもたらされたに過ぎない。そして戦後になってアメリカも入っての現状の民主主義が始まったにすぎない。民主主義の国の多くは国民が望んだ上での血を流して勝ち取った民主主義であるのに対して、日本では多くの国民が望んだわけでは無く、明治維新、そして戦後を経た上での成り行きでの民主主義という感じの様に思える。故に自分達で国政、県政、市政、町政を担う指導者を選ぶという選挙そのものに有難みを感じず、誰かが勝手にやってくれればいい、御上の言う事に従うという風潮があると個人的には思っている。
「民に厳しく、御上に甘く、常に与党は消去法」
「自分に甘く、他人に厳しく、清廉潔白を求め、保守であり、変化を好まず、常に誰かにやってもらいたいと願う」
これが私の正直な「日本人観」である。
さてさて、私もゆっくりはしていられないな。旧参議院議員だった父の後を継ぐつもりは無いが、次の知事選挙に立候補する準備を始めるとするか。
それから更に時が過ぎ、現在の日本は7つの自治州に別れていた。そして国政を含め、州市区町村のあらゆる政治は機械が行っていた。機械が法令条例を思考し決定し予算配分を行う。人々は機械が決定した法令条例に従うだけだった。
7つの州には1台づづの政策サーバーが置かれていた。そのサーバは州の政策は勿論、州内の各自治体の政策サーバも兼ねていた。そして州毎の7つの政策サーバはそれぞれが国内外の経済、他国の情勢等の情報を独自に自動収集し、それらを統計的統合的に分析し条例を作成し予算を策定した。
それと同時に7つのサーバ同士が毎日定刻に繋がり、マシンそれぞれが意見を出し合うという議論にも似た作業が行われ、法令や国家予算を作成し決定していく。とはいえその時間も1分程の時間。そのやり取りはログとして残ってはいるが、時間にして1分とは言え、それは人の目では見切れないほどの膨大なやり取りであった。
民主主義という点においては、サーバーのパラメータ値を投票で決めるという制度だけが残っていた。州毎のサーバプログラムは同じ物ではあるが、それぞれの自治体用パラメータを変更する事で答えが異なった。
国策に於けるパラメータ投票では「どの年齢を軸として政策を講じるか」「食物に関して、輸入や食物国産自給率をどの水準で維持するか」「エネルギーは何を軸に稼働率をどのように設定するか」といった物が主な投票内容である。
パラメータ値の変更は国策に影響すると共に予算配分にも影響し、社会保障にも影響し、国防や外交、経済にも影響する。
石油関連のエネルギー比率を上げれば必然海外に頼る事になり、その輸入先や輸入経路の安全確保はエネルギー安全保障として国防にも繋がる事である。石油関連を少なくすれば自然エネルギーを頼る事にはなるが、下手に決めればあらゆる経済活動に影響を及ぼす。
食物国産自給率とは、農産物に於いては国内で取れる種子から育てた農作物をさし、魚類に於いては国内で生産された稚魚から養殖された魚の事を指していたが、それを上げようとすれば消費者に多く出費を促すと共に、輸入を少なくさせる措置を講ずる事に繋がり、外交的には輸出にも影響を与えた。
主軸年齢を決める場合には、その世代の人達の仕事を増やすような各種政策が決定されると共に多くの予算が配分される事になる。とはいえ、年金を貰う高齢者を軸に予算を講ずれば自ずと若年層にしわ寄せが行き、若年層に偏れば高齢者にしわ寄せが行くのは必然である。機械で行う政策には赤字予算は存在せず、税収が足りない、若しくは予算を使い果たせば優先度の低い事業が切られるだけであり、その優先度も当然機械が決める。
当然パラメータが異なる為に7つのサーバで意見が異なる事もあり、サーバ同士で議論した末に民主的に多数決が行なわれる。法令や予算は4票獲得すれば決定するが、憲法修正の場合には6票が必要となる。
議員と呼ばれた人間はいなくなり、旧国会議事堂はバックアップサーバが置いてあるだけの今や資料館である。議員やその関連費用が無くなったが、サーバの維持費用も馬鹿にならない。殆どは機械が勝手に行うが、物理的な物事にはそれなりに人が介入する。国家サーバという物であるが故に尋常ならざる程の厳重な警備を要し、殆どの警備も機械が行ってはいるが、少なからず人も介在する。
今私はそれらのマシンに依って与えられた仕事をしている。考える事はマシンがする事であり、人はその決定に従うだけである。マシンは「このケーブルを繋げ」「メモリーを増幅せよ」「バックアップサイトの調子がおかしいから見てこい」と、そう指示されるだけである。
とはいえ不満がある訳でも無い。機械が行う事で人間の忖度と言う物は存在せず、一見すると公平に見える。税収が無ければ赤字国債を発行する事無く、容赦なく優先度の低い事業を切り捨てる。人が介在していた頃には税収の半分近くを福祉に回していたというが、今ではそんな予算配分が行われる事は無い。故に命を落とす人も見受けられたが、それはそれで正しいというのが現在の大勢である。給料の半分以上を医療費に回していたのと同じとも言える過去の政策は、今から見ればとんでもない時代でもあったのだなと思うと同時に羨ましくも思える。とはいえ、それは赤字国債を発行して賄っていた自転車操業、いや、自転車操業とも言えない程の国家運営だったとも言えるものであり、その過去のツケは今を生きる我々に回っている。
無い袖は振れない、国家を如何にして存続させるかというのがマシンによる政治理念である。それは非情とも言える判断を冷静に下す事でもあり、優しさを一切感じないとも受け取れた。だがそれはそれで正しいと思うと同時に、改めて人が生きるという事はどういう事なのだろうかという疑問が、機械の指示で動く人々の中に燻り続けた。
そこまで政治に興味は無いのだけれど、ちょっとニュースに感化されての作品す。
2020年 03月29日 3版 誤字他修正
2019年 11月26日 2版 句読点多すぎた
2019年 03月22日 初版