第八十三話 ここだ
今話で本編的なものが終わりです。
翌朝、まだ陽の姿も見えない時間。
離宮のある部屋では、リクとカレンがいそいそと荷物を袋に詰め込んでいた。
荷物と言っても、着替えがいくつかと包丁などの調理器具、支給された金、そしてピンクのチューリップだ。
「おまえ、こんなに少なくていいのか?」
背嚢に詰め終わったリクがカレンを見た。ちょうどカレンはチューリップを入れた鞄を肩にかけたところだった。
「あんたしかいないなら化粧品は最低限でおっけー。食料はあんたが作れば問題なし。金もあんたが持ってた方が安全。あたしはこのチューリップで十分よ」
カレンがポンとチューリップの鞄を叩く。実際は離宮の侍女たちから「好きな男といるのに化粧なしとかありえない」と渡された化粧品が入っていた。
「まだ持ち歩くのかよ、それ」
「あのねぇ、リクから貰ったものって、これしかないんですけど!」
リクが呆れた顔をすると、カレンが口を尖らせて抗議してくる。確かに、と思ったリクはそれ以上機嫌を損ねないために「さぁて、そろそろお暇するか」と立ち上がる。
リクは軍服から普通のシャツに着替え、外套も軍支給品からアルマダが「餞別だ」押し付けてきたものに変えた。ありがちなデザインで、たとえ体格の良いリクが見ていても、目立つことはなさそうなものだ。
カレンはこげ茶色の厚めのワンピースに遠出用に使える足元まであるコートだ。デボラの遺品なのだという。これも「服に罪はない。着てやって欲しい」と言ったアルマダが渡してきたものだ。
「なんで逃げるみたいに出ていくのよ」
「死んでるはずの人間がいたら都合悪いだろ?」
「だからって、もうちょっと出方を考えたら?」
呆れ顔のカレン視線の先にある窓の外には、大木とその枝が見える。またも脱走だ。リクはうーむと口を曲げた。
だがリクはそのまま先に窓に近づきカレンに手を差し出す。
「行こうぜ」
リクの言葉から数舜後、カレンが小さく息を吐き、足を進めた。リクの手にカレンの手が乗せられる。
「しょーがないわね」
カレンの返事には笑顔が添えられていた。
離宮裏門。離宮を囲う石の壁に取り付けられた鉄の扉。使用人が通うための入り口だ。
ここを出るとすぐに公都の裏通りに出る。その裏通りから大通りへ抜ければ、もう追跡は不可能だろう。
リクとカレンは部屋を脱出後、まだ空が紫で塗られている間に、ここを抜けるつもりでいた。
「で、なんでお前らがここにいるんだ?」
リクとカレンがここにくるのを予見していたかのように、ガスパロとその背後の七人の憲兵と思われる兵士たちがいた。みな鎧をつけ、帯剣して裏門の扉の前にいた。
「今生の別れ、ではありませんが」
いつもの笑顔を張り付けたガスパロが剣を抜いた。それに習い兵士も剣を抜く。兵士は隊形を変え、門を挟むように二列に並び、通路を作った。
リクの目が鋭く細まり、カレンを背後に隠す。
「なんのつもりだ?」
「ささやかな、見送りです」
救国の英雄を送るにはささやかすぎますが、とガスパロが剣を両手で持ち、胸の前に掲げた。同時にザっと足を揃え、背筋を伸ばした兵士が続く。
「はっ、ご苦労なこったな」
リクがニヤっと口角を上げた。カレンの手を取り歩き始める。困惑の顔のカレンがびくつきながら続いた。
二人が列の直前まで行くと、ガスパロが剣を頭上に掲げ、向かいの兵士の剣と交差させるまで傾けた。
「儀仗のお見送りとはな」
「ま、餞別、ですよ」
おっかなびっくりのカレンに寄り添われたリクが感心の声を上げると、ガスパロが口もとに笑みを貼り付けた。
「もう会うこともなさそうで何よりだ」
「そうは問屋が卸さないかも、しれません」
すれ違い様、交わした会話はこれだけだ。
リクも、そうもいかないだろうな、とは思っていた。
――まぁ、会った時にでも考えりゃいいんだ。
リクは、又な、という代わりに片手をあげ、小さな裏門を潜った。
リクの姿が見えなくなった頃合いを見計らったかのように、アルマダが現れた。軍の正装に身を包み、髪も髭も整えられている。
「恥ずかしいがり屋ですねぇ」
剣を収めたガスパロが呑気に言う。
「名残惜しくなるからな」
アルマダは、リクが出ていった鉄の扉を見ている。どこか遠くを見る目で、身じろぎもせず、見つめていた。
「軍を辞めるそうで」
「……耳が早いな」
「猟犬は耳も利きますから」
「そうだったな……」
アルマダがふっと笑った。
「十五年近く前、デボラ様の婚約者だった方が軍にいると聞きました」
ガスパロは視線を鉄の扉に向けたまま、話し始めた。アルマダはガスパロを見て、目を閉じた。
「力なく奪われた、哀れな男がいるらしいな」
「今回はその方が尽力されて、何とかなったようですね」
「成し遂げたのはあの男だ」
「さて、どの男なのやら」
アルマダが目を開け「殿下に挨拶に行かねば」と踵を返した。
「故郷のダイスに戻られるとか」
肩越しに振り向くガスパロは、立ち尽くすアルマダの背を見た。
「北方だが海がある。海は良いぞ」
「デボラ様の生まれ故郷でもありましたね。犯罪者として裁かれてしまったために、墓標も作れないとか。軍にいるかの方が作ってくださると、浮かばれると思うのですが」
「……伝えておこう」
アルマダがゆっくりと歩き始めた。その姿を見送るガスパロがぼそりと呟く。
「世は無常ですねぇ……」
春を告げる風は、公国にはまだまだ吹かない。
二週間後、リクとカレンの姿は、ヴェラベラ平原にあった。南部の国境の森までなだらかな草原が続く、戦争で一番の激戦地だった場所だ。
ヴェラベラ平原
公国の南部の都市ガンナーよりも南の国境近くにある平野だ。
南から攻め入られ、くいこまれた公国軍はこの平原まで退却し、戦列を整え迎え撃ち、敵軍の侵攻を止めた。
どんなに犠牲が出ようともこの地で踏みとどまり続けたために、戦死者が一番多かった場所だ。
敵味方合わせて数千人の戦死者が出ていると思われる。推測なのは兵士が死んだのか逃亡したのか不明なのと、損傷が酷く判別できなかったせいもある。
敵軍を押しとどめた後は一大補給廠としてリク率いる輜重大隊が陣取っていた場所だ。
最前線はもはや国境へと移動しており、現在、軍の駐留は無い。
南部だけあって冬だというのに気温は高めだ。
人気の去った平野には鳥の囀りが満ち、草がのびのびと生えている。平穏そのものだが、その陰には打ち捨てられた武器が隠れていたりもした。
リクとカレンは、その草原でも少し丘になっている頂きに立っていた。
「ここに来たかったの?」
隣にいるカレンがリクを見上げてくる。トレードマークの赤い髪は背中まで伸び、首の後ろで一つに纏められている。雰囲気もリジイラを出た時より、やや大人びた感じになっていた。
「ここだ」
リクは背嚢をどさっと地面に置き、平穏に変わった草原を見つめている。
「ここが一番ひでえ戦場でな」
そういうリクの目には、戦場だった頃の草原が映っていた。
雄叫びと断末魔が草原を支配していた。剣を振りかぶる兵士の、その背後から斬りかかる別な兵士。
敵、味方も分らないような乱戦の中、ひとり、またひとりと地に横たわって行く兵士達。
見知った顔もそうでない顔も、苦悶の唸り声をあげ、草に顔をうずめていった。
声なき叫びが聞こえ、熱くなった目の奥から涙が滲み、リクの頬を伝う。
――先に帰っちまって悪かったな。
リクはゆっくり瞼を閉じた。
――俺が死んだときはよ、この花で埋めてくれよ。
――ふざけんな面倒だ。帰ってこい。
――あー肉が食いてえ。
――生きて帰ってきたら食わしてやる。
浮かんでくるのは、死んでいった仲間たちの顔と会話だ。輜重部隊として戦線にでないリクは、彼らを見送ることしかできなかった。
――のうのうと生きててすまないな。でもな、生きてりゃ良いこともあるんだと、知ったよ。
瞼に浮かんだのはカレンの笑顔だ。今のリクにとってカレンは生き甲斐である。
リクはパチンと指を鳴らした。リクの足元から泉のように花が溢れ始めた。
彼等への手向けの花。
リクがここに来た目的は、花で平原を埋めることだった。
ひたすら、花を咲かせ続ける。
百合、秋桜、鈴蘭、など、白い花をひたすら咲かせ続けた。
草原を渡る風に揺れる白い花が、無言の鎮魂歌を奏でる。
リクの目には逝ってしまった戦友たちの背中が見えていた。
じゃあなと言って去っていくかつての同僚を見送っていたリクの瞼に、柔らかい布が当てられた。
「はいはい、やりにくいから屈んでくれるかな」
カレンの手が肩に置かれ、ぐっと下に引かれる。リクはなすがままに膝をついた。そのリクの頭が、ぎゅっと締め付けられ、ポンポンと頭を優しく叩かれる。
「ま、何があったとか聞かないけど、泣きたい時はわーっと泣いちゃうと良いのよ」
その言葉が切っ掛けでリクはカレンの体を抱きしめた。
腹の底から湧き上がる後悔と怒りと、色々な感情をない交ぜにした何かが口をつく。
「くっそがぁぁぁぁぁぁ!!」
カレンに頭を撫でられながら、リクは暴れる感情のまま、叫び続けた。花と共に、その叫びは草原を渡っていった。
リクの涙が尽きた頃、ふいに頭を抱く力が緩んだ。
「もう大丈夫かな?」
まだぼやける視界の向こうで、カレンが微笑んでいた。また目に布が当てられ、最後の涙が拭き取られた。
「じゃあ~ちょっと手伝ってよ」
そう言うと、カレンが肩掛け鞄をゴソゴソと探り始めた。スポンと抜いたのは、子袋に入ったピンクのチューリップだった。キチンと世話をしていたのだろう、春も遠い時期でも見事に咲き誇っている。
リクは無言でそのチューリップを見た。
「そこをさ、ちょっと耕してよ。こんくらいでいいからさ」
カレンが両手で輪っかを作った。リクは言われたまま、足元を耕す。
漂う花の匂いに土の香りが混ざった。
「よっと」
カレンがしゃがみ、その耕した場所を掘り始めた。手で土をすくって横に移している。
「で、これがあんたの身代わり」
小さなフクロに入っていたピンクのチューリップを取り出し、カレンがそこに植えた。できた隙間には横にある土を詰め込み、掌でトントンとならした。
土を落とす手にパンパンと手を叩いたカレンがにっこりと見上げてくる。
「これからはこの子があんたの代わりにここで見ててくれるから。大丈夫!」
白い花に囲まれたピンクのチューリップは、リクの化身ともいえる。
周囲から少し高い位置にあるここは、草原を見渡すことができた。水さえあれば枯れることのないこの花は、亡き者達を見守る役目にぴったりだった。
風に揺れるチューリップが左右に振れる。草原を見るかのように、ゆっくりと。
「……いいのか?」
リクの囁きにカレンがふふんと笑った。
「傍にいて欲しい本人がずっとあたしの傍にいるんだから、問題なしよ」
にーっと笑うカレンの顔を見たリクは、ニヤっと口角を上げた。
「なんだ、随分素直じゃねえか」
「なによ。あたしはそもそも素直だっての」
「じゃ、素直ないい女はお持ち帰りだな」
リクはカレンを横抱きにして歩き始めた。笑顔が一転してカレンの目がすっと細まる。
「……あんた激しいんだから、ちょっとは自重しなさいよ」
「惚れた女抱くのに自重できるか」
リクは思い切り眉を寄せた。カレンはリクの首に腕を絡ませ、口を尖らせる。
「朝に宿を出る時にニヤニヤ見られる身になりなさいよ!」
「俺は気にしねえ」
「気にしろバカー! リジイラに還ったらお母さんにちゃんと報告しなさいよ!」
ワイワイと騒ぎながら草原を歩く二人を、ピンクのチューリップは、揺れながら見送った。
次回最終話。