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野菜将軍と赤いトマト  作者: 海水
第五部
87/89

第八十二話 俺を勝手に殺すな

残弾数、2。

84話で完結します。

 部屋を出て廊下を歩くリクの前に、深緑色の軍服に身を包んだガスパロが現れた。いつもの笑みを張り付けて慇懃に礼をしてくる。


「何の用だ?」

「道案内の番犬ですよ」


 そう言うとガスパロは踵を返して歩き始めた。リクは黙ってその後ろについていく。


「おかげさまで、公太子殿下はご無事です」

「そりゃよかったな」


 沈黙に遮られて二人の会話は続かない。リクの頭にあるのは、ようやく切り出せる、エリナとの婚約の破棄だ。大騒ぎになってしまったが、これが目的だ。

 豪奢な廊下に人影はなく、靴の音だけが寂しく木霊する。

 いくつかの扉を過ぎたあたりでガスパロが止まった。廊下に並ぶ、同じような扉の一つが目の前にある。


「唇に紅がついているので、部屋に入る前に(ぬぐ)った方が良いかと」


 にやけ顔のガスパロに言われ、リクは袖で口を拭った。ガスパロの細まった目が部屋を出る前のできごとを見透かしているようで、リクは耳が熱くなってしまう。

 そんなリクをくくっと笑ったガスパロが静かに扉をノックした。





 のそっと部屋に入ったリクを迎えたのはアルマダだった。パリっとお折り目のある詰襟の軍服を纏い、窓を背に立っていた。

 丁寧に髪を後ろに撫でつけ、髭も綺麗に切り揃えてある。憑き物でもおちたのかと思える程さっぱりとしており、感じる雰囲気が白かった。 

 リクは、本当にそこにいるのかと疑いたくなった。


「ご苦労だったな」


 静かに口を開いたアルマダが、部屋にあるソファを指差した。訝しみながらも、リクはソファに体を沈める。


「ずいぶんさっぱりしちまったな」


 リクはアルマダを見据え、そう言った。存在感が気薄で、風が吹けばすっと消えてしまいそうに思えたのだ。


「……懸案だった事項が、落着したからな」


 そういいつつ、アルマダはリクの向かいの椅子に腰を落とした。アームレストに肘を立て、顔の前で手を組み、すらっと足を組んだ。様になる仕草だったが、リクには違和感しか残らなかった。


「で、どうなった?」


 リクは前かがみになり、膝の上で頬杖をついた。上官を前に無礼極まりないが、リクの目は真剣そのものだ。


「軍籍を剥奪(はくだつ)だ」

「……ま、妥当なとこだろうな」


 申し渡された沙汰にリクは大きく息を吐き、マルマダと視線をぶつからせた。


「で、営倉にでもぶちこまれるのか?」

「お前を入れておける独房など存在しない」

「ならどうする?」


 リクの目つきがさらに険しくなる。独房以上となれば投獄、もしくは処刑が待っている。

 カレンを置いて行くことなど微塵も考えていないリクは、場合によっては暴力に訴えるつもりでいた。離宮からカレンと脱出し、公都を混乱に陥れ、その隙にリジイラへと逃げるつもりだった。

 追っては来るだろうが、今の軍の状況では大部隊の派遣は難しく、来たとしてもすべて返り討ちにする覚悟はできていた。


「……怖い顔をするな」


 アルマダの顔が少しだけ緩んだ。


「今しがたの軍籍剥奪は冗談だ。表向きは宮殿消失火災の最中に行方不明。ま、軍神にでもなったつもりでいてくれ」

「軍神はお断りだ」

「なんだ、折角、神になれるというのに」

「リジイラじゃ疫病神だったよ」

「既に神になっていたのか、ははっ」

「笑いごとじゃねえ!」


 クククと笑うアルマダに、リクは舌打ちをした。


「そんなことよりもだ、嬢ちゃんとの婚約話はどうなった」

「お前が死んだのなら、話は立ち消えだ。すでにヘルムート殿下の名で親書を運んでいる。馬を飛ばせば数日でニブラまでつくはずだ。グリード侯爵の屋敷に届けばリジイラにも伝わるだろう」

「それなら安心だ。それと、あいつを煽った商人はどうするつもりだ?」


 エッカルトを金銭面で支え、いわば黒幕といえるビオレータの兄、シオドアのことだ。公都から姿をくらませ、目下行方不明だった。


「彼が頼れる権力者は他にはいない。公都での出来事が貴族たちに知れ渡るのも時間の問題だ」

「知れ渡るんじゃなくて、知らせるんだろうが」

「……同じことだ」


 アルマダがふっと口を歪めた。

 秘匿情報は隠すだけが価値ではない。積極的に知らせることにより、牽制と圧力をかける武器にもなるのだ。

 公国の正当な後継者が決まった今、その後継者たる公太子ヘルムートに弓引く貴族はいない。国家の暴力である軍部は彼についたのだ。もはや覆ることはない。


「彼を追うのは憲兵になろう。軍は再編をかけねば動きが取れん」

ガスパロ(アイツ)が出るのか?」

「彼以上の適役はおらんよ。顔を知っているビオレータ嬢も加わるそうだ」


 ビオレータの名を聞き、リクは嫌そうな顔をする。


「たいしたタマだな、ありゃ」

「今回の小麦の高騰は、リジイラへの進軍に伴う兵糧を当て込んだものだ。軍がシオドアから買い込んではいたが、金を払うつもりはない」

「大損じゃねえか」

「処刑台に上がる人間が大損しようとも、我々には関係ない」

「へっ、血も涙もねえな」

「重犯罪人にかける容赦など、持ち合わせていない」


 アルマダは一顧だにせず斬り捨てた。リクはヤレヤレと肩を落とす。


「あの女は丸儲けってことか」

「ん? ビオレータ嬢のことか?」

「ニブラにある小麦を根こそぎ売り払ってたぞ、アイツ。安くなったら買い戻すとか抜かしてた」

「……今後は我々と取引を持つことになる。手加減願いたいところだな」


 リクは「まったくだ」と呟き、背もたれに体を預け、目を閉じた。


「やっと、くだらねえ茶番が終わったか」

「……あぁ、やっとな」


 アルマダもゆっくり目を閉じ、部屋には静寂が訪れた。

 取り戻した〝普通〟を噛みしめるように、二人は黙ったまま、動かなかった。


「戦死による特別給金がでる」

「……死んだ人間()に金やってどうすんだよ」


 リクはうっすらと目を開き、アルマダを見た。彼も目を開いたところだった。

 戦死による見舞金は残された家族に出る。兵士は男が多く、妻子を残して戦地に行くものが大半だ。残された家族が困窮で孤立しないよう、一時金が出るのだ。

 ただリクには家族がいない。見舞金を受け取る人間はいなかった。


「生きていくにも金が要るだろう」

「野菜がありゃ生きていけるんだぜ?」


 リクはニヤリと笑った。


「その金の半分は貰う。残りの半分は、ガンナーの孤児院にくれてやってくれ」


 リクは天井を仰ぎ見た。公国南部の都市ガンナーの孤児院はリクが育った場所だ。常に資金不足で悩んでいるのは、良く知っていた。

 年齢が達しないにもかかわらずリクが軍の門戸を叩いたのはそのためだ。

 一時的な助けにしかならないが、必要としているものを買うことはできるはずだ。


「……いかないのか?」

「死んだはずの人間が行けるわけねえだろ?」

「ま、そうか。お前の遺言は確かに受けとった。必ず孤児院に金を届けると約束しよう」

「俺を勝手に殺すな」


 リクの苦い顔を見たアルマダが、目もとを下げた。





 アルマダとの話のあと、リクは公都の往来ででやらかしてしまった後始末のために駆り出されていた。

 兵士たちが木を切り倒し、根はリクが耕した。なんだなんだと住民が顔を覗かせるが、兵士で溢れかえった通りには誰も出られなかった。

 言われたとおりに働きながら、戦死したはずなのに扱いがひでぇと、リクは文句を垂れていた。

 リクが離宮の部屋に戻れたのは、陽も傾きかけた頃だった。


「おかえり!」


 部屋で待ちぼうけだったのか、カレンが嬉しそうに出迎えてくれた。カレンは朝の赤いドレスではなく、もっとゆったりとしたえんじ色ドレスになっていた。

 カレンの顔を見て、リクはホッとするのを感じる。


 ――こいつと一緒にいるのが当たり前になっちまったな。


 一人で不安だったのか、カレンはリク上着を取り、備え付けの火鉢で湯を沸かし、紅茶をいれ、甲斐甲斐しく世話してくれる。


「遅かったじゃない」

「馬車馬みてえに扱き使われてきた」

「まぁ、アルマダさんだしね」


 リクがドスッとソファに体を沈めると、すぐにカレンが左隣にくっついてきた。二人とも背もたれに体を預け、ふーっと同時に息を吐いた。


「お嬢様のこと、聞いたよ」


 カレンが見上げてくる。赤い瞳が潤みがちだ。


「すっきりすっぱり話はなくなった」

「うん、ありがとうね」


 にこっと笑うカレンが枝垂れかかってきた。左腕にかかる重みが心地よく感じる。カレンが穏やかだったせいもあって、時間が静かに流れるようだった。

 リクの心が暖かい安堵でじわっと満たされていく。このまま二人っきりでいるのも悪くないと思った。


「は~、これで思い残すことはないわ~」


 カレンが行儀悪くどてっと足を延ばす。リクの眉間に皺が寄る。


「……なんか、台無しにされた気分だ」

「こんな美人な女の子が横にいるってのに、ムードないわねぇ」

「そのムードを粉々にしたのはお前だ」


 いつでもどこでも安定の二人だった。


「明日、ここを出る。今晩中に用意しといてくれ」

「まぁ、荷物なんてほとんどないしね、で、どこに行くの?」

「文句言わねえのか?」

「もう慣れちゃったわよ」


 カレンがぐりぐりと頭をこすり付けてくる。ついて行くという意志表示だ。


「悪いな。どうしても行っとかなきゃいけねえ場所があってな」

「ふーん、遠いの?」

「歩いてひと月ってところか?」

「結構あるのね。こりゃリジイラに戻る頃には春になってそうねぇ」

「かもな」


 当たり前のように交わされる会話。目的も場所も説明しないが、カレンは聞いてこない。どこであろうが、ついてきてくれるのだろう。

 そう思うリクの体の芯がぐんぐん熱くなっていく。


 ――もう手放せねえな。


 リクは体を捩じり、カレンを抱きしめた。カレンも背中に手をまわしてくる。ぎゅっと抱きしめ、このまま押し倒してしまおうかという時だった。

 お腹のあたりから「くぅ~」と音が聞こえてきた。


「……お腹すいたね」

「……ほんと、いろいろ台無しだな」


 心底呆れたが、それでもリクが腕の力を緩めることはなかった。

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